2023年11月29日 (水)

許されざる行為

当県の社会福祉法人を舞台に、お金をめぐる大きな事件が起きた。

静岡市清水区で特別養護老人ホーム(介護福祉施設)B施設を経営する社会福祉法人の前理事長Sが、自分の部下ということになっている高校の先輩Kが経営する企業の口座に、法人の資金を還流させて横領したとされるものである。

このKが大物タレントM氏の夫(事件発覚後に離婚)であったことも、大きな話題となっている。

Sは元警察官だと報じられた。いかなる事情で社会福祉法人の理事長に選任されたかわからないが、他県も含め複数の法人で経営者を歴任している。Kは清水区の社会福祉法人で「会長」を自称し、後輩であるSを支配下に置いて、法人の資金を私的に流用していたと考えられる。

私たちの常識によると、B施設を含めた特別養護老人ホーム(介護福祉施設)では、その大部分が限られた介護報酬の中で、工夫に工夫を重ねながら財政をやり繰りしている。決して豊かな内部留保があるわけではなく、繰越金を確保していくことにより、次年度以降の経営ができるように努めている。よほどの金満家(個人・企業)でもバックについていない限り、現在提供しているサービスの水準を維持するのに四苦八苦しているのだ。零細なコミュニティビジネス(筆者など)に比べればかなり水準は高いものの、職員の給与は他業種から見れば平均値を下回ることが多い(今回はその給与さえ適切に支給されなかったことから、事件が発覚した)。

しかし、事情を知らない一般市民が、この記事を見聞きしてどう思うだろうか?

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「介護事業って、お金のあるところにはあるんだろ? もうかる人がいるのなら報酬を増やさなくても良い。私たちの介護保険料や税金だって、そのために上げてほしくないよね!」

こんな印象を持つ人たちが少なくないのではないか。

最近、介護従事者が利用者を殺傷、虐待して逮捕される事案が増えているから、市民たちは「不良介護職員」への憤りを強めているであろうが、まだこれらは「個」の職員による行為であるから、私たちは「介護に不向きな人が起こした事案であり、大部分の職員は適切なケアのため勤しんでいる」と弁明することができる。しかし今回の事件のように、組織を舞台にした事案は、市民感情を直撃することになる。

KとSの愚行が、介護現場で働く人たちに対する世論を歪めることになったとしたら、こんな理不尽はない。まさに許されざる行為であろう。

一度失われた業界の信用を取り戻すために、どれほどの時間が必要になるだろうか。

2023年11月25日 (土)

しょーもないケアマネをグループワークでどう料理するの?

いささか物騒な題名であるが、これは2009年、静岡県介護支援専門員協会のとある研究会に参加した際に、「困ったケアマネジャーさんって結構いるよね」みたいな話になったので、筆者がトリセツ(?)を作ってメンバーに示したものだ。

14年前の発題だが、いまでも十分通用すると思ったので、若干の校正を加えて再現したものである。

もとは表形式になっているが、ブログのエントリーにアップしにくいので、枠を取り払って箇条書きにしてみた。いささか長くなるが、ご笑覧いただきたい。

◆「確信犯的」囲い込みケアマネ
 ・定義:悪意で囲い込みをやるのではなく、逆に本人は善意のかたまりで、自分の所属先のサービスが至上であると信じている。そのため他法人のサービスは安心して位置付けられないから、紹介しない。
 ・処方箋:自法人を客観視できるためのトレーニングが必要。たとえば地域の各デイサービスに対して、機能訓練とか入浴介助とか、それぞれの部門について地域のケアマネジャーから匿名で点数を付けてもらい、皆で比較してみる。自法人の事業所だけが至上ではなく、利用者のニーズに適するサービス調整が大切であることを、参加者が共有できる場を作る。

◆コピペ‐ケアマネ
 ・定義:サービスがいつもワンパターン。課題分析は一応やるものの、視野が狭いのでそこから複数の解決手段を選択する段取りができない。「二言目にはリハビリ」「詰まるところはデイサービス」の人たち。
 ・処方箋:当人が初級者であることをズバリ指摘する。より具体的には、ケアプラン作成演習などの場で、課題分析からサービス提供に至る一連の流れを振り返る作業を何度もやってもらうしかない。ただ、一人だけ凹むと雰囲気が悪くなるので、グループで課題を共有する流れを作るのが好い。利用者の一つの課題に対する解決の選択肢が多岐にわたることを、メンバーが常に確認し合うように、意図的に仕向けていく。

◆一品料理ケアマネ
 ・定義:利用者や家族から希望されない限り、一品サービスだけ利用に結び付けて、それで責任が果たせたと思っている。給付管理が成立してしまえばお金になるので、ニーズの掘り起こしが面倒になり積極的に行わない。
 ・処方箋:たとえば、ケアマネジャーや介護サービス職員がニーズの確認を怠ったために、刑事事件で警察の事情聴取を受けたり刑事責任を問われ(疑われ)たりした事例を研修で取り上げ、「かえってお金も名誉も失うかも...」と、リスクマネジメントの見地から危機感を持ってもらうのも一策である。

◆なんちゃってケアマネ
 ・定義:「一応」ケアマネジャーになってはいるが、片手間仕事の意識が強く、自分がケアマネジャーだというアイデンティティを持ち得ない。
 ・処方箋:現場で実務に就く以上、責任感を持って仕事をすることの大切さを認識させる。グループスーパービジョンのロールプレイで、「この種のケアマネにケアプランを立ててもらう立場の利用者」の役をやってもらうのも一案である。

◆「オレオレ症候群」ケアマネ
 ・定義:利用者の課題を解決しようという思いが強過ぎると、自分が、自分が、と、どんどん前に出てしまい、利用者のほうが引いてしまう。
 ・処方箋:ベテランの社会福祉士(威厳のある人!)を指導者として登場させる。バイステックの7原則のうち、「統制された情緒的関与」「意図的な感情表出」の二点をテーマにソーシャルワークの演習を行い、自己覚知を試みる。

◆昔の名前で出ています♪ ケアマネ
 ・定義:かつては地域のケアマネジメントを担う指導的立場にあったが、いまは主流から外れているのにもかかわらず、いまだに業界の指導者だと自任している。
 ・処方箋:気持ち好く振る舞ってもらえば良い。かつて地域で功績があったことは事実。指導者のほうが後輩の立場なのだから、相手を先輩として敬い、自尊心をくすぐった上で、得意部門を生かしてもらうべくポジティブに誘導していく(ただしホントに重要な役には就けずにホしておく!)のも、人材活用のポイント。

◆放浪ケアマネ
 ・定義:転職を繰り返すタイプ。ただし建設的な転職もあるので、決して転職を重ねること自体がマイナスではない。ここに掲げるのは、自分の労働環境への不満ばかり口にして、利用者に対しての責任感が希薄な人のことである。
 ・処方箋:グループワークの場で、各メンバーが自事業所の労働環境について語る場を指導者が設け、「あらゆる面で理想的な職場」など存在しないのだと理解させる。たとえば指導者から、「次に転職するときには、利用者ごと転職したらどうですか?」と勧めてみる。利用者側にとって、頻繁にケアマネジャーが変わることは迷惑にほかならないことを認識してもらう。

◆「オヨヨ」ケアマネ
 ・定義:身の丈に合わない自称やハッタリで注目されても、現実には中身がない。人前では自分が知っている著名な業界人の名前を並べ立てるが、実際に役立つネットワーキングができておらず、コーディネート能力も欠如している。
 ・処方箋:はっきり言えば業界から消えて欲しいタイプである。それでも仕事を続けるのなら、会合や研修の場で偉そうなことを述べ立てても、指導者やメンバーが相手にせず受け流し、徹底して無視するのが良い。当人が空虚な引き出ししか持ち合わせない、いかに哀れな小物であるかを自ら痛感させる。それでも悟らなければ手の打ちようがない。

以上。いかがだろうか?

筆者自身も、気付かないうちにこれらの類型のどれかに当てはまっていないか、日頃から振り返っている。

地域のケアマネジャー仲間にこのテの人たちがいると結構扱いにくい。とは言え、日本全国でケアマネジャーの人材不足が取り沙汰される昨今、路線から大きく外れる人を出さない工夫も大切だ。地域のケアマネジャー連絡組織の指導者さんをはじめとする主任介護支援専門員さんたちには、多少なりとも参考にしていただければ幸いである。

2023年11月24日 (金)

十九年ぶりの引っ越し(1)

筆者が2001年に居宅介護支援事業を開業してから、はじめの三年は(特活)浜松NPOネットワークセンター(中区砂山町)の一角に間借りして事務所を開き、四年目に有限会社を立ち上げて現在の事務所(中区北寺島町。マンションの一部屋)へ移った。2004年9月のことである。

それから十九年、ずっとこの事務所で仕事をさせてもらうことで、さまざまな可能性にチャレンジすることができた。開業当初は地域のいち弱小ケアマネジャーに過ぎなかったが、さまざまなご縁をいただき、市や県での役職を依頼され、マイナーながら全国区にもなることができた。

その思い出深い事務所を、この年末限りで引き払い、年明けからは自宅開業になる。

移転するおもな理由は、母(2018年帰天)の介護を機に活動の幅が縮小し、それに伴って収入が減少したことである。自分自身も複数の疾患を抱えていることから、60代を迎えるに当たり、半ば引退モードに差し掛かっている。もちろん、次回の主任介護支援専門員更新研修は受講するつもりであるから、まだまだ六年やそこらは業務を続ける予定であるが、「可能な範囲で細々と仕事を続けていく」モードに入っていることは否めない。事務所家賃を払い続けるのが厳しい現実もある。

そこで来年1月1日の「浜松市の行政区割変更」を機に、「中央区湖東町」の自宅へ事務所機能を引き揚げることにした。

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まず買い替えたのが車である。これまではマツダのデミオ(グリーンメタリック)だったが、9月にスズキのアルト(ベージュメタリック)を購入。軽に乗り換えたことで、燃費がグッと節約でき、これまで乗り入れが難しかった一部利用者さんの敷地にも、容易に入ることができるようになった。

次に名刺と封筒の印刷。年末になると大手企業などから「中央区」の名刺発注が集中するであろうから、先手を打って新たな名刺を準備。

他方で、モノの整理も必要になる。自宅に書庫などを運び込むため、スペースを空けなければいけないので、時間を見付けて作業を始めている。

その中でにあって、使える道具の活用を考えることは大事である。事務机はむかし自分が中高生時代に使用していたデスクを再利用しようと、これまでの部屋から新たな事務所へ運び込んだ。

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ここまでは序の口なので、これから本格的な作業をこなしていかなければならない。ペース配分に留意して、自分の体調とも相談しながら、段階的に引っ越し作業を進めていこうと思う。

2023年10月30日 (月)

63歳になって考えること

一昨日、63回目の誕生日を迎えた。

歳を重ねるのがあまり嬉しくない人もいるようだが、筆者は一つの節目として大切にしている。63年間、大きな病気にかからなかったので、健康な身体に産んでくれた両親に感謝したい。恒例の持ち帰り寿司(「すし兵衛」)を味わいながら、これからの人生について、思いを巡らしている。

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何しろ一人暮らしなので、家族が存在する人に比べて危機管理が一層重要である。未婚の私にはパートナーや子どもがおらず、兄弟姉妹がいないので、甥や姪もいない。父方の親戚は疎遠で頼りにならず、母方の親戚はいちばん近い人でも名古屋の従妹(私より4歳若い)である。他に従兄弟姉妹はいるが、いざ自分が疾病に罹ったり事故に遭ったりしたとき、すぐに助けてくれる人がいないので、当面は市内の知人に可能な支援を頼るしかない。そう考えて、日頃から健康や安全には最大限の注意を払っている。
加えて、不測の事態が起きた後、継続的に対応してくれる人(親族が無理ならば専門職)を探しておくことも必要になろう。これまでは自分が支援する側だったが、支援される側に回った場合のことも想定しておかなければならない。もし要介護者になった場合、全国的な介護人材不足は当地も例外ではないので、もちろん不安はあるが、これまでの知見を頼りに早めの対策を心掛けるとしよう。

仕事の上では、この年末にいまの事務所を引き払い、自宅開業の形に変更する。正直なところ、加齢により働きが悪くなり、収入が減ってきたので(笑)、経費を節約するのが目的だ。一つの大きな節目。時間も労力も費用もバカにならないが、まだまだ現役ケアマネジャーとして仕事を続けていきたいので、まずは無事に事務所を移転させることが、当面の目標となる。
制度改定がいま協議されている方向に進めば、来春(6月?)から居宅介護支援事業所を運営する法人が介護予防支援も直接受任できる(現制度では地域包括支援センターからの受託)見込みなので、会社の定款を変更して、新たな枠組みに対応することが求められよう。

公私ともに結構、やらなければならないことは多い。心身ともにまだまだ落ち込む暇(いとま)もない、と言ったところか(笑)。

物価高などの影響は小さくないが、いまのところ燃費の節約など(軽自動車に買い替えた)、何とか乗り切る方策はある。
趣味もコロナ禍を機に、史跡めぐりの旅行や劇場での歌劇鑑賞をほとんどしなくなり、もっぱら書誌・画像での歴史探訪やBD/DVD鑑賞に転換した。自己流のクッキングを続けており、将棋の「観る将」も楽しみの一つになっている。
自分の間尺に合う生活をしながら、満足度の高い一年を過ごしたいものだ。

2023年9月22日 (金)

「忖度」の言葉を恣意的に歪めるな!

日本語に限らず、世界各地で話されている言葉(口語)は、時代によって移ろうものだ。それは筆者自身、百も承知しており、単語、熟語、成語などが、年数を経るにしたがって、本来の意味とは異なる用例を呈する場合が増えることは、十分に理解しているつもりである。

その変遷が、市民の自然な社会活動の中から起きるものであれば、何の問題もない。

しかし、メディアが恣意的に言葉の意味を捩じ曲げているとしたら、話は別だ。

「忖度(そんたく)」

本来の意味は、「おもんぱかる」「おしはかる」こと。古代中国の『詩経』小雅・巧言の中に、「他人有心、予忖度之」とあるのが出典。詳細は割愛するが、前後の文脈からおおむねこんな意味になる。「小人の輩が悪心を持っていようが、君子や聖人の正しい政治を支持する私からは、すぐに推量できるぞ」。

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つまり「忖度」自体は善悪の評価を伴わない人間の行為であり、ネガティヴな意味は全く含まれていない。

だからこそ、私たち社会福祉士をはじめ、精神保健福祉士、ケアマネジャー、さらに弁護士や司法書士など成年後見に携わる人たちも、アドヴォカシー(代弁)の一環として「忖度」を駆使している。自分の意思を十分に表明できない、伝えられないクライアント(認知症の利用者、知的障害者、精神疾患の患者など)の考えを代位して、「この方の本当の思いや願いは、これまでの考え方や振る舞いに基づき、こうであろうと推量します」と主張して、クライアントの意思に沿った生活の実現のために最善の努力をする過程が、「忖度」の先に開けている。

まさに、「人の心に寄り添う」仕事の人間にとって、「忖度」は必要不可欠な援助技術の一つだと言うことができよう。

ところが、2017年に「森友学園」の事案が政治問題化したとき、財務省の官僚が当時の内閣総理大臣の妻の意思を「忖度」したと、当時の学園経営者が述べたことを契機に、反体制側のメディアはこぞって、「忖度」が許されざる行為であるかのように論った。「忖度」があたかも「悪事の隠蔽」「権力者への媚び諂(へつら)い」と同義の汚らわしい行為であるかのように乱用したのだ。

私自身、ことが発生した当初には、さほど事態を重く考えず、消化器系の薬の名称に引っ掛けて「ザンタックより効果あるのはソンタック?」など、ダジャレを言っていた。しかし、特定のメディアの論調により、次第に常軌を逸した強引な意味の置き換え(転義)が目立つようになっていく。

そして、乱用はメディアやジャーナリズムの枠にとどまらなくなった。現在に至るまで、言葉の本来の意味に疎い各業界の論者が、自説の中で「忖度」をネガティヴな意味で安易に使用する事態が続いている。そもそも正しい意味で使われていれば、このような現象自体が起きなかったはずである。意図的な歪曲を惹起したメディアの罪は大きい。

この問題については、すでに清湖口敏(せこぐち さとし)氏も論評している。「産経は右派メディアだから、左派メディアを攻撃したんでしょ?」と思われる読者があるかも知れないが、言葉の原義・転義の解釈に右も左も関係ない。左派だろうが右派だろうが、日本語の意味を無理矢理歪めてはならないことは当然だ。引用した論評で氏が指摘している内容は、大枠でその通りだと筆者も思う。

この歪曲は日常のコミュニケーションに重大な支障を来たすことにつながる。意思表明が難しいクライアントに「忖度」すると表現するだけで、あたかも支援者がその人の悪事・不正・愚行を容認するかのように受け取られることは、決してあってはならないのだ。専門的な援助技術に基づき、クライアントの幸せを希求するために必要な行為であることを、私たちは多くの市民に広く訴えていかなければならない。

権利擁護に係る職業をはじめ、広く対人サービスに携わるみなさん。いまこそ、ひるむことなく堂々と「忖度」の言葉を使い、誤解している人たちには粛々と正しい意味を説明して、理解を深めていこうではないか!

2023年8月19日 (土)

「席次」を軽視するなかれ!

かつて、筆者が自分の所属する職能団体の役員(代表者の次席。序列二位)をしていた時期、こんなハプニングがあった。

別の職能団体(創立百年と歴史が古く、政治力も大きい団体)からの提案で、両団体の役員が対面して協議をすることになり、当団体から四名(一名は非役員)が出向いた。会議室ではいわゆる対面式で、先に先方団体の役員五名が片側を占め、代表者が真ん中(奥から三番目)に座っていた。ところが、当団体があとから入って行ったとき、先頭を歩いていた代表者が、四席のいちばん奥に座ろうとした。私はすぐ気付いて、代表者に奥から二番目に座るように促し、私が一番奥に着席して事なきを得た。この場合、第一席の人同士が正面から向き合う形になるために、先方団体は奥から(4)(2)(1)(3)(5)、当団体は奥から(2)(1)(3)(4)が正しい座り方なのだ。やりとりの最中、先方の代表者が「団体として未熟だなぁ」と言わんばかりに笑みを浮かべていたのを覚えている(両代表はきわめて近しい協働関係にあったので、もちろんこの一件だけで信頼を損ねたことでは全くない。念のため)。

「席次」に関する最低限の知識を備えていないと、相手側の失笑を受けることになりかねない。

登壇して画像を撮ったりメディアに相対したりする場合、真ん中が第一席だが、和式と洋式(事実上の国際式)とでは、左右の上下が異なる。

日本の伝統である和式の席次は、最上位者の左(向かって右)が第二位、右(向かって左)が第三位、以下、左第四位、右第五位と続く。

一方、洋式の席次を踏まえた国際式の席次では、左右が逆になる。最上位者の右(向かって左)が第二位、左(向かって右)が第三位となる。

さて、しばらく前に日大で行われた、アメリカンフットボール部員の不祥事に関する会見で、「席次」が話題になっている。経済ジャーナリストの磯山友幸氏が、会見の席次を踏まえて、林真理子氏がお飾り理事長であると評したのだ。

この会見では、向かって右手から三人が登壇し、そのときには林理事長が先頭だった。ここまでは問題ない。ところが、林氏はそのまま奥(向かって左)に着席し、真ん中に酒井健夫学長、手前(向かって右)に澤田康広副学長が座った。あらかじめ職名と氏名が記載された紙が席に貼ってあったので、日大側が決めた席次であることは明らかだ。

メディアに向き合っていわば「ひな壇」に並ぶのであるから、ドメスティックな色彩が強い(あくまでも筆者の個人的な評価であるが...)日大であることを考えれば、磯山氏が理解している通り、和式の席次によって、序列が(1)酒井氏(2)澤田氏(3)林氏の順だと受け取られてもしかたがない。

磯山氏の指摘に対し、異論も唱えられている。学長は教学に最高責任を持つ立場であるから、実質的に理事長と同等であるので、今回は主として説明する立場である以上、真ん中に座るのは問題ないとの見解だ。

しかし、これはおかしい。それならば大学側がそのように説明すべきである。何の説明もないまま理事長が「向かって左端」に座っている場面を見せられれば、マナーを心得ている誰もが「学長が理事長より上座なのか?」との疑問を持つ。法人としての会見である以上、「法人の代表者」が最上席に座るのが社会通念である。たとえ会見の大部分で酒井氏が受け答えすることを想定していたとしても、あくまでも真ん中に着席するのは林氏であるべきだろう。もし「現実的な力関係」を反映した並びをあえて演出したとすれば、日大組織の実体を露呈してしまったことになる。

形式偏重の面倒な議論だと思う読者がおられるかも知れないが、「席次」はゆるがせにできない問題なのだ。上座・下座をめぐる手配が適切さを欠くと、亀裂や重大な誤解が生まれることも少なくない。

の事例に限らず、私たちはニュースで見聞きする事案などに敏感になり、他者から指弾を受けない整然とした組織活動を心掛けたいものである。

2023年8月12日 (土)

自作チャーハンの楽しみ

好きな料理は?と尋ねられたら、鶏肉(もも肉・むね肉)料理やエビ料理の一品になるだろうか。定休日である日曜日や水曜日のディナーとして、下ごしらえに時間を掛けながら調理する。食材の品目が多いと、準備にはもちろん、食後の食器洗いにも手間が掛かるので、面倒に思うこともあるが、それも計算に入れながら一連の工程をこなしている。

他方、ラーメン(昼食)やカレー(夕食)、またパスタソース(同)は、市販の品で済ませている。自作すると結構な質量の工夫が要るので、袋麺(乾・生)やレトルトのカレーのほうが手っ取り早い。

さて、定休日にご飯を炊いて(一合半)、三日で食べ終えているが、最終日には所定の保温時間(30時間)を過ぎている(48時間)ので、中らないために「火を加えなければ」となる。

そこで、火曜日や金曜日の夕食は、チャーハンにすることが多い。

基本は中華調味料(「創味シャンタンDX」)に、自然塩少々、減塩の醤油をちょっとだけ加えて、合わせ調味料を作る。具材はミックスビーンズが多く、他に枝豆、マッシュルーム、キクラゲなど。ただし二種類同時に使用することはない。薬味に刻みネギ、香味代わりに炒りゴマを加えるのが習慣になった。

しかし、ときどきは変わった一品を作ってみたいこともある。

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これは高菜チャーハン。パックの漬物を活用。オリーブオイルに自然塩のみ。赤唐辛子を入れると味が引き立つ。

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こちらは鮭チャーハン。ビン詰めの「あらほぐし」だが減塩バージョンで。中華調味料を小さじ半量程度にして食塩相当量の合計を抑制した。

前述のように具材を次々と入れ替えれば、同じチャーハンは月に一回程度になるので、飽きることもない。

美味しく食べられる喜びを噛み締めながら、その日の一品を味わいたいものである。

2023年8月 5日 (土)

身の丈に合った運転を

現代社会に車は欠かせない。

いま、筆者がプライバシーでもビジネスでも使っている一台は、緑のデミオ(マツダ)だ(画像)。2014年に購入して9年。自分の愛車として四台目になる。

これまで、夜間でも視認してもらいやすいように、比較的明るい色の車を選んできた。

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さて、この10月から新しい車に買い換える予定である。薄い灰色のアルト(スズキ)。いまの車ほど目立たないが、深夜の時間に走ることはほとんどなくなった。また筆者には家族もいないので、仕事で出向いた先で駐停車しやすいように、軽に乗り換えることにした。

自分の年齢から考えると、よほどの事態が起きない限り、この五台目が最後になるのではないか。やがて普及するであろう自動運転車も魅力的だが、オペレーションの全体像を呑み込むのも厳しくなるから、自分には縁がないかも知れない。むしろ次の一台で公私ともに身の丈に合った運転をしながら、70代後半まで安全に操作することができれば、それに越したことはない。仕事から引退したら距離はグンと減るので、長持ちさせられれば好いなぁ、と思う。

事故を起こさないこと、事故に巻き込まれないことを願いつつ、先の計画を立て始めている。

2023年7月22日 (土)

甚だしいメディアの劣化(2)

かつてアイドルだったタレントが何か事件を起こして、報道されるたびに思う。

知名度の高い人はいつまで、すでに脱退したグループや組織の名前で「元○○」と呼ばれなければならないのだろうか? 中には脱退して20年、30年になる人もいる。メディアの側は視聴者や読者の耳目を引き付けたいので、すぐに過去の肩書きや経歴を持ち出してくるのだが、何かあるたびに名称を出されるグループや組織の現在のメンバーにとっては、迷惑千万に違いない。

さて......、

20日、滋賀県大津市で、40歳の男性が離婚した元妻の自宅へ侵入し、元妻とその父親をクワで襲撃して負傷させ、殺人未遂の容疑で警察に逮捕された。

この容疑者が将棋の元プロ棋士(八段)であったことから、メディア(テレビ、雑誌など)は彼の棋士としての半生を延々と伝えている。もちろん、どんな事件であっても、それを引き起こした人物の経歴を報道することは常の話であり、それ自体には何の問題もない。

しかし、容疑者は2021年に棋士から引退したのみならず、2022年には日本将棋連盟から退会している。つまりプロの将棋界にとっては、いまや直接的な関わりは何もない一個人である。

にもかかわらず、少なからぬ報道の中で、容疑者と現在の将棋界とを結びつけるかのような論評が見受けられる。中には事件のタイトルに「将棋界に激震」「将棋界を揺るがす」などの表現を用いているものもある。容疑者がかつて対戦した相手として、羽生九段(永世七冠)や藤井竜王/名人の名前を出しており、あたかも将棋界の体質が影響しているかのように印象操作している(と筆者には受け取れる)社もある。

全容が明らかになっていると言えない面もあるが、この事件の輪郭は以下の通りだ。

「30代(当時)の男性の妻が、子どもを連れて家を出て行き、一方的に離婚した。男性は子どもに面会できない状態が続いていることに激怒し、元妻を相手取って子どもの親権の回復を主張していたが、結果的に敗訴した。納得できない男性は元妻を誹謗中傷し、刑事責任を問われて執行猶予付きの有罪判決を受けた。ところが、さらに精神的に追い詰められた男性は、元妻の家に侵入して凶行に及んだ

つまり、これは子どもの親権をめぐる社会問題なのである。

すでに一昨日の事件については、共同親権の是非をめぐって、「子どもに会えない側の親が苦痛を味わうのが理不尽なので、共同親権を認めるべき(推進派)」「暴力的な親に親権を認める危険は大きく、単独親権が望ましい(反対派)」など、ネットでもさまざまな見解が飛び交っている。

日本将棋連盟は何のコメントも出していないし、出す必要もない。そもそも「将棋をめぐる事件」では全くない。

メディアが容疑者の属性として「元棋士」を強調することは、この問題の本質をきちんと報じないのに等しい。前述したネット上の意見は、これまで親権問題に取り組んでいた人たちを中心に、関心のある人たちに限られている感がある。いま、離婚や再婚、ステップファミリー、同性婚など、家族のありかたはどんどん多様化している。その中では、一人ひとりの子どもにとってどうすることが最善なのか? 筆者のような子育て経験のない人も含め、多くの市民が議論に加わるのが、日本社会の行く末のために望ましいはずだ。それこそ多様な意見を調整する役割を持つ「こども家庭庁」の出番でもある。

表題を「元棋士が...」とすれば、ミスリードになる危険性が大きい。才能あふれた高段者だったはずの元棋士の変転を嘆く人たちの気持ちは理解できるが、多くの視聴者・読者の関心が「将棋界」へ向いてしまうと、本質とは関係ない部分が大きな比重を占めてしまう。議論喚起のためにはマイナスでしかない。

ここにもメディアの劣化が窺えるのは、残念なことだと言えよう。

2023年6月21日 (水)

名古屋城復元に関する大きな誤解

先に6月3日、名古屋城天守の木造復元に関する市民討論会が開催されたが、その際に「車いすの人たちが最上階まで観覧できる」エレベーター等の設置をめぐり、議論が白熱した。途中で、設置反対派の「健常者」から、障害者を非難する言葉や差別用語が飛び交うなど、常軌を逸した発言が続き、混沌とした討論会になったと伝えられている。

見聞きした範囲での話だが、筆者の正直な感想を一言で言えば、「この討論会は不要だった」。

多くの市民の間には、どうも大きな誤解があると思う。

障害者差別解消法の第五条(2016施行)によれば、「行政機関等及び事業者は、社会的障壁の除去の実施についての必要かつ合理的な配慮を的確に行うため、自ら設置する施設の構造の改善及び設備の整備、関係職員に対する研修その他の必要な環境の整備に努めなければならない」。また同法第七条の二によれば、「行政機関等は、その事務又は事業を行うに当たり、障害者から現に社会的障壁の除去を必要としている旨の意思の表明があった場合において、その実施に伴う負担が過重でないときは、障害者の権利利益を侵害することとならないよう、当該障害者の性別、年齢及び障害の状態に応じて、社会的障壁の除去の実施について必要かつ合理的な配慮をしなければならない 」となっている。

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それでは、「負担が過重でないとき」とはどのような意味なのか? 当然だが事例ごとに千差万別であるから、同法の施行令などに具体的な基準が示されているわけではない。

同法の基本方針によると、(1)事務・事業への影響の程度(事務・事業の目的・内容・機能を損なうか否か)、(2)実現可能性の程度(物理的・技術的制約、人的・体制上の制約)、(3)費用・負担の程度、(4)事務・事業規模、(5)財政・財務状況、これらの5項目に関して、過重にならないことが掲げられている。筆者はこの5項目に加えて、(6)他者の健康や安全に不利益や脅威を与えないことも、当然加えられるべきだと考える。

基本方針によれば、これらの諸点については、行政機関等及び事業者と障害者の双方が、お互いに相手の立場を尊重しながら、建設的対話を通じて相互理解を図り、代替措置の選択も含めた対応を柔軟に検討することが求められる、とされている。したがって、河村たかし市長が、復元天守の二階まで行くことができれば合理的配慮だと言えると解釈していること自体が誤っている。合理的配慮の度合いは、行政機関の首長の主観をもとに決められるものではないからだ。

他方で、障害者側(個人・団体)からの要求に対して、何が何でも100%の実現を目指すのが同法の趣旨ではない。だからこそ「お互いに相手の立場を尊重しながら、建設的対話を通じて相互理解を図る」必要がある。その建設的対話の当事者は「行政機関等及び事業者」と「障害者」である。この中に、合理的配慮自体を否定する(昇降設備自体に反対する、ましてや障害者を差別視する)一般市民を交えること自体が間違いだ。だから筆者は市民討論会自体が不要であると断言したのだ。

エレベーターが良いのか? 電動かごが良いのか? 他の方法があるのか? また、車いす利用者が最上階まで行くことは、上記(1)~(6)に抵触しないのか? 議論を尽くした上で協調点を見出し、その結果として、ほとんどの障害者が最上階まで観覧できる方法について双方了解したのであれば、市当局が「○○年までに史実通り復元する。他方で△△年までに昇降装置を設置する」と発表して踏み切れば良い。

あるいは河村市長や市当局が、内外の景観も含めた「史実に忠実な復元」を目指すのであれば、市長の主張にのっとった説明を丁寧に行い、障害者団体の理解を求めることも一つの考え方であろう。たとえば「(1)事業目的を尊重するのならば、景観を損なわないために、天守から離れた位置に外付けの昇降装置を備え、支援が必要な人が来場した際に装置を城へ近接させて利用する。ただし、それを設置すれば(3)(5)著しい建設費用と維持費用が掛かり、バリアフリー復元の見本として来場者数が増えることを見込んでも、他部門の無駄な経費を削減しても、市の財政逼迫は免れない(→(6)それによって配慮が必要な属性を持つ他の人たちへの福祉施策が後退する、または一回ごとに装置を移動させるため他の来場者に脅威や著しい不便をもたらす)」など、具体的な数字の試算やオペレーションの想定により、明らかな「過重」であることを丁寧に説明して、納得してもらうことも必要だ。

「やらずもがな」の市民討論会のため、心を大きく傷付けられた障害者の人たちの思い、察するに余りある。

河村市長には旧態依然たるポピュリズムのパフォーマンスを事とするのではなく、さまざまな属性を持つ一人ひとりの名古屋市民に寄り添った市政を展開してほしいと、(母の実家が名古屋市にある)筆者は願っている。

(※画像=城のイメージは(株)メディアヴィジョン(いまは社名変更?、または解消?)発行の、使用権フリーのものを借用しました)

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