2019年5月21日 (火)

それが「諦める」理由なのか?

先日、亡き母と親しかった方(女性)と、短い時間であるが、話す機会があった。

この方は年齢70代初めで、旦那さんと二人暮らしである。内蔵的な疾患は持っているが、いまはご夫婦とも元気で、畑仕事や趣味活動には前向きに参加している。

この方には娘さんがお二人、どちらも40代前半で独身なのだが、娘さんたちについてこんなことを語っていた。

「うちの長女(会社の中間管理職)は仕事を仕切っていくのが忙しく、ご縁が無いのよ」

「下の娘さんはどうなんですか?」

「二女(病院の中間管理職)も多忙なのに加えて、自分が看護師だから、いろいろなことがわかってしまっている。いまの自分の年齢だと、出産しても障害を持つ子どもが生まれる確率が高い。だからもう結婚も諦める考えになってしまっているの。もし将来、ご縁があるとしても、育児とは関係ない『パートナー』ってことになるのかな」

それが二女さんの正直な気持ちであれば、十分に理解できるし、ネガティヴに評価するつもりは全くない。

生まれてくる子どもが障害(種別はどうあれ)を持っていれば、親の負担は大きい。介助に要する時間や費用、補助具の調達等の生活環境整備に要する時間や費用は、障害の程度にもよるが、「健常者」の子どもたちに比べると大きなものがある。特に、夫となった人が、仕事の多忙などにより障害を持つ子どもの養育に十分協力してくれない場合、妻の側が一人で抱え込む事態にもなりかねない。

この二女さんが「結婚・出産・育児」を諦めた真の理由は、ご本人に会って話してみないことにはわからない。しかし、医療の専門職である以上、「命」の重さに格差があるなどと考える人では決してないだろう。また、高齢出産で障害を持った子どもが生まれると決まったわけでは全くない。

本来、障害を持つ子どもが生まれてきても、親とともに社会でその子たちを支えていくことが、日本が目指す「高福祉」の理想だったはずだ。しかし、現在の日本社会は、その理想とは程遠いところにある。残念だが。

だからこそ、この二女さんの「諦め」を助長することにもなってしまうのであろう。

もし、障害を持つ子どもが生まれても、確実に支えてもらえる社会であれば、この二女さんの選択も、異なったものになるのかも知れない。

そんなことを思ってみる。

2019年5月14日 (火)

ようやく「普通」になった?日本

令和の時代が幕を開けて、はや二週間になる。

平成の30年余については、さまざまな振り返りがあるだろう。

こんなデータがあるので、読者のみなさんにご一覧いただきたい。

 

【G20諸国の指導者の変遷(1989-2019。臨時代理は除く)】

日本の内閣総理大臣         18代(17人)

中国の最高指導者             4人

韓国の大統領                   7人

インドネシアの大統領        6人

インドの首相                  10代(9人)

トルコの政権担当者         11人

サウーディ‐アラビアの国王 3人

南アフリカの政権担当者     7人

欧州連合(EU)委員長       5人

イタリアの首相               17代(13人)

英国の首相                     6人

フランスの大統領             5人

ドイツの首相                   3人

ロシアの実質的政権担当者 3人

カナダの首相                   6人

米国の大統領                  6人

メキシコの大統領             6人

アルゼンチンの大統領      8人

ブラジルの大統領            8人

オーストラリアの首相       9代(8人)

 

途中で大統領・首相・(一党独裁の国では)党書記長などの肩書が変わっても、政治指導者であった期間は通して一人と数えた。また、軍事委員会主席や軍政評議会議長などの地位にあった人物でも、公的な肩書を有して事実上政権を担っていた人物は数に入れたが、公的な肩書を持たないインフォーマルな実力者は含めていない。あくまでも何らかの形で「現職」にあった首脳の代数・人数である。

そして、このように一覧表にすると、ここ30年は首脳の代数・人数とも、日本が最多なのである。

日本以外の国で、首脳経験者の人数が二ケタなのはトルコとイタリアだけ。ドイツとロシア(旧ソ連から。「事実上」で数えた)に至っては、絶対君主国であるサウーディ‐アラビア並みだ。中国もそれに近い。

もちろん、政治指導者が民主的なプロセスで選ばれていない国もあることや、長期政権が人権侵害をもたらしている国も少なくないことは百も承知だ。しかし、政策の安定的継続や対外的な代表の重要性を考えた場合、政治指導者がクルクル変わることも、決して望ましくないのではないだろうか。

国際的に見れば、日本の現政権の長さは「普通」のレベルである。私個人としては、外交や防衛に関しては大枠支持・一部批判、社会保障や教育に対しては大枠批判・一部支持、経済・産業・科学技術・国土政策その他は是是非非で評している。だが、「長期政権」であること自体については、基本、プラスに評価できる。

確かに政権の綻びはいろいろと垣間見られるが、そもそも「独裁者」を嫌う日本の風土では、長期政権の弊害がそれほど大きくなるとは考えられない。この点については拙著『これでいいのか?日本の介護』第7章も参照されたい。

「地球儀を俯瞰する外交」に対してはさまざまな視点からの評価があるだろう。しかし、6年半の間、対外的な「顔」が安定していたことは、日本の国力をアピールするためにも大きな意味を持っていたはずだ。一年やそこらで頻繁に総理が変わっていた一時期、世界各国の首脳たちは、日本政府をどこまで信用して良いのか心もとなく感じていたとしても、不自然ではあるまい。

いまの政権与党が続くとしても、野党が政権交代するとしても、今後、簡単に総理が入れ替わるような状況は、国民の利益に鑑みて、ご免こうむりたい。次の総理以降も、長期安定政権を目指してほしいものである。

2019年5月 7日 (火)

「沖縄独立」は現実的か?

先月、沖縄に駐在する米軍海兵隊の兵士が、別れ話のもつれで、元交際相手の女性(北谷町)を殺害して自殺する事件が起こった。

経過はともあれ、自分のエゴのためにこのような殺人をしでかすのは、ストーカー殺人と変わりなく、たとえ自らも死を選んだとしても、許されない行為だ。まだまだ人生を楽しめたはずなのに、犠牲になって命を落とした女性には、心から哀悼の意を表したい。

さて、この種の事件が起こるたびに、一部の沖縄県民から唱えられるのが、「独立論」である。

ただでさえ、米軍普天間基地の辺野古移設をめぐって、国と沖縄県との反目が深刻になっている。それに加えて、上記のような米軍人や軍属による悪行が頻繁に発生する(なぜか、米軍側による地元への貢献は語られることが著しく少ないが、ま、それはひとまず措くとして...)。それならば、むかし沖縄は独立した「琉球王国」だったのだから、その時代に戻って、日本にも米国にも制約されなくなるのがいちばん良い、と考える人たちが増えるのは、時の勢いかも知れない。

もちろん、どんな政治的な見解を持とうが、一人ひとりの市民の自由である。これには全く異論はない。もし沖縄県で「独立」を支持する県民が多数を占め、日本国政府との穏当な交渉の結果、本当に一つの主権国家としての独立が実現すれば、スコットランド(英国)やカタルーニャ(スペイン)の独立運動と同様、日本国民として認めないわけにはいかないだろう。

しかし、ここで独立論者の人々にお願いしたいことがある。

以下に示す内容について、冷静に考えていただきたいのだ。

以前のエントリーで紹介した地図では、鄧小平政権時代の中国が、どこまでを自国領になる可能性がある地域(正確に言えば、領有権を再議すべき地域)だと考えていたかを示した。これ以降、江沢民政権も、胡錦濤政権も、そして現在の習近平政権も、この主張を明確に取り下げたことは一度もない。以下にその地図を再掲しておこう。

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また、ジャーナリスト松本利秋氏の論考にあるように、海洋進出の障害を取り除きたい中国側から、地政学的に判断した場合、この地域全体が自国領となった場合の利益は大きなものがある。日本中心、沖縄中心ではなく、あくまでも中国を中心としたらどう見えるか? それが重要だ。

この事実を踏まえる限り、沖縄が独立した場合、中国が侵攻してくる可能性は大いにある。では、「独立沖縄国」はどうするのか?

米軍や日本の自衛隊を追い出してしまえば、両国の軍は沖縄を守らない。そして国連軍も出動しない。安保理で議決しようとしても、中国は当然のように拒否権を行使する。人民解放軍が攻めてきた場合、どこの国が沖縄を守るために出動してくれるのか?

自前で領土を守るのであれば、北朝鮮のように徹底的な「先軍政治」の方針を定め、他の用途はそっちのけにして、国費の大半で軍備を整えるのか? いや、それでも巨大な中国には歯が立たないので、急遽核兵器の開発を進め、抑止力として核武装をするのか?

おそらく、独立論者たちにとって、この道は全くの想定外であろう。「平和的に中国と共存する」ことが前提であるに違いない。中世の明王朝の時代には、それが成り立っていたではないか! と。

その場合、課題は三つある。

一つ目は、中世には「海」が障壁になっていたことだ。薩摩藩は島伝いに侵攻して琉球王国を服属させたが、反対側から来ると当時は未開地だった台湾から先島諸島、さらにそこから海を越えて出兵しなければならなかった。宣徳帝が没した(1435)後、内陸的で海に関心をあまり持たなくなった明側からは、面倒な征服事業に手を出す動機には乏しかった。

現代は全く情勢が異なる。中国は周辺諸国を圧して海洋進出を強めており、その海軍力は、沖縄へ侵攻するのに余りある力を有している。海は全く障壁にならないと考えてよい。

独立論者たちは、海に代わる障壁として何を想定しているのだろうか?

二つ目は、中世の琉球王国に対する、明王朝からの位置付けである。尚真王以降の琉球は、自らは「平和国家」でありながら、明に対して馬と硫黄とをおもな輸出品としていた。当然ながら内陸国家になった明王朝としては、この両品は周辺の異民族と戦うための必需品であった。

つまり、「平和国家」琉球王国は「軍需産業」で栄えていたのである。

したがって、「独立沖縄国」が中国からの侵攻を平和的に防止することを考えているのであれば、大々的に軍需産業を振興し、最新鋭の兵器を次々と開発して、人民解放軍のための供給基地となるのが望ましい。と言うより、中世の「平和国家」琉球を再現するとは、結局そういうことなのだ。中国にとって「独立沖縄国」が自国のため最大限の利益を引き出せる存在として位置付けられるのであれば、あえて国際世論に反してまで侵攻はして来ない可能性が強い。

独立論者たちは、郷土が(たとえば、米国ユダヤ系資本などの軍産複合体のような)軍需産業で存立する国になっても差し支えないと考えているのか?

三つ目は、中世の琉球王国の領土は、奄美群島にまで及んでいたことである。

上記の地図で明らかなように、中国はこの史実を踏襲し、奄美群島までが自国領に相当する可能性があるとしている。したがって、中国が「独立沖縄国」と共存していくのであれば、当然のように奄美群島までを同国の領土にすることを求めてくるであろう。同国の「同盟国」となる中国が南東方面へ海洋進出を強めるのであれば、ここを勢力圏にするのとしないのとは大きな違いが生じるからだ(松本氏の論考も参照)。

しかし、奄美群島は近世以来、薩摩藩→鹿児島県の領域である。当然のことながら日本国の領土にほかならない。

独立論者たちは、鹿児島県民をはじめとする日本国民に「奄美群島を割譲せよ」と要求できるのか? できないのであれば、「平和的に共存」しなければならない中国の意向と、どう折り合いを付けるつもりなのか?

この三つの課題に対して、(夢想論ではなく)私を含めた多くの人が納得できる答えが出せるのであれば、どうぞ、堂々と沖縄独立論を展開していただきたい。

(※本稿はあくまでも国を対象にした論評であり、善意の中国国民を個別に嫌悪・批判するものでは決してないことを、お断りしておきます)

2019年4月30日 (火)

ケアマネジャーは「恩知らず」「義理知らず」になれ!

私が一切の介護事業所や医療機関と併設・提携しない、一人親方のケアマネジャーとして開業してから17年半。もとは「囲い込み反対」の動機から、この営業形態を採ったのだが、ときどき次のような誤解を受けることがある(過去、複数の関係者から直接・間接に寄せられた)。

それは、「いくら独立型だと言っても、親しい事業所、近い関係にある事業所は存在するだろうから、それらの事業所に利用者さんを紹介する率は高いんでしょ? だったら偏っていることに変わりはないのでは?」との疑問だ。

まず、人が主観を持っている以上、たとえば剛体のような、絶対的な公正中立は存在しない。いくら努力しても、なにがしかの偏りが発生することは免れない。利用者のニーズに対して数ある選択肢の中から、最適ではないところを選択することが、ときどき起こり得るのは現実だ。そうこうしているうちに気が付いてみれば、決して意図的ではないにせよ、結果として特定の事業所に紹介率が偏ってしまう可能性は存在する。

しかし、その偏りが、昵懇な事業所、あるいは利害関係が共通する事業所に対する偏りなのかどうかは、また別の問題である。

そもそも、私の場合は、親しい事業所や近い関係にある事業所を優先して利用者さんに紹介することは決してない。むしろ、私は結構「恩知らず」「義理知らず」の部類に入る人間なのだ。

たとえば、

・訪問介護を利用したくて介護者が訪問介護事業所に連絡を取ったので、その事業所は私に居宅介護支援を依頼してきたのだが、その紹介元に対し、「お宅ではこの方のご要望に対応するのが難しいと思いますので...」と言って断り、別の事業所を位置付けた。

・通院先医療機関から利用者さんの紹介。介護者からはそこの訪問リハビリを利用したい話があったので、まずは主治医の指示であるから訪問リハビリを開始。しかし、何か月もしないうちに、利用者さんの状態がかなり変化したので、ご本人や介護者に助言して、医療機関ごと利用を終了。他の医療機関と、また別法人の訪問看護とに切り替えてしまった。

・住宅改修を希望する介護者さんが、過去お付き合いのあった工務店や建築設計事務所の名前を二、三羅列。ところが、その中に私の親戚筋が経営する事業所が含まれていたので、速攻で介護者さんに対して「ダメ出し」! その理由は、およそバリアフリーからはほど遠い(他の面ではとても優良なのだが...)仕事をする人であることがわかっていたから。

これが私のスタイルである。当の利用者さんの紹介元や、身内でさえ(言葉は悪いが)「蹴飛ばす」ことをしているのだ。同様なやり方で、利用者さんのニーズに合わない事業者さんを断ったり変更したり、数え切れないほど事例を重ねてきた。

おそらく、多くのケアマネジャーが躊躇する行動だとは思う。しかし、だからと言って、必要なことを理解していながら断行しないのであれば、それはケアマネジャーの職業倫理に鑑みて、大きな問題である。

もとより、相手方が良識をわきまえた事業者であるのなら、礼を尽くして断れば、趣旨を理解してくれるものである。一方的にサービス提供を断って相手の担当者を立腹させることがないように、事情を説明して了解を求める努力は必要だ。それもまたケアマネジャーの専門性であるはず。ミスマッチを回避するためのアクションであれば、長期的には相手方の利益にもなろう。ならば、お互いにとって「win-win」にほかならないのではないか。

その証拠に、私が「蹴飛ばした(笑)」いくつかの事業所は、その後も私に利用者さんを紹介してくれている。ありがたいことだ。

もちろん、このあたりは地域性や事業所のスタンス、経営者の考え方など、いくつかの問題も関係するだろう。一回のアクションがお互いの関係を悪くしてしまい、修復が困難になる可能性もある。しかし、それを恐れていては、ケアマネジャーがすべき仕事は成り立たない。

独立開業でなく、併設型であっても同様だ。自法人や自事業所と親しい事業所、近い関係にある事業所に対しても、偏らない姿勢が求められる。上司や先輩からの圧力があっても、跳ね返すだけの専門性を備えたいものだ。

ケアマネジャーのみなさん! 自分の信念で「恩知らず」「義理知らず」になろうではないか。

2019年4月23日 (火)

復活祭二題

今年の復活祭は、4月21日で、たいへん遅い暦日となった。それが影響したのか、しばしば「寒の戻り」「花冷え」といった現症が繰り返され、寒暖の差で体調を整えるのが難しい年だった。

とは言え、大病も大きな事故もなく、この時期を迎えることができた。ささやかではあるが、好きなワインを飲みながら、手製の一品料理でディナーを摂り、主のご復活を祝っている(画像はイタリア産、祝典用のバローロ)。

さて、復活祭に関連して、今年は二つの大きなできごとがあった。これはある意味で神様からの「発題」なのかも知れないと思い、それぞれの「お題」について黙想してみた。

一つの「お題」は、パリ(フランス)のノートルダム大聖堂の大部分が、火災によって消失した事案。

このニュースが報じられた直後に思ったのは、

「建物としての聖堂が焼失しても、心の殿堂は決して消失しない」。

その後、何日か経過すると、世界の各地から再建のための支援が続々と寄せられることが話題となった。

それに対して、「聖堂に寄付するよりも、困ってる人たちを助けろ」との批判。日本の介護・福祉関係者にもそう言い出す人がいる。

私が思ったのは、

「でも、その批判、『生活保護でパチンコ行くな!』って、外野が勝手に使途を決めて、受給者を非難攻撃するのと変わらないよね」。

宗教的情熱か、売名行為か知らないが、その国で法律上の問題さえ起こさなければ、個人の資産をどう使おうと自由なはず。まさに「自己決定」だ。

社会的成功を収めた人が、得た利潤を社会に還元するのは〔キリスト教的な〕義務であろう。しかし還元する対象が、人々の祈りの場である教会であったとしても、全く道義的に問題とされるものではない。

聖堂の再建へ向けて人々が心を合わせることにより、国境やセクトを超えた連帯が生まれるのならば、それは喜ばしいことではないだろうか?

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もう一つの「お題」は、コロンボ(スリ‐ランカ)の複数の教会など6箇所の建物が、おそらくテロリストが仕掛けたと推測される爆発物によって破壊され、多くの死者が出た事案である。

テロリストたち(-イスラーム過激派だと考えられるが、同国ではかつて仏教徒とヒンドゥー教徒も、血を血で洗う抗争を繰り広げた。キリスト教を含めた多くの宗教には、異教徒たちの殺戮をいとわない人たちは存在する。日本でもかつてオウム真理教がそうであった。イスラーム教だけが非難されるべきではない。念のため-)の所業は、道義的にも法的にも許されない行為である。これは圧倒的多数の人たちが共有する見解であろう。

しかし、イエス‐キリストは十字架上で想像を絶する苦痛の中にありながら、こう仰った。

「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです(ルカ福音書23-34)」

この言葉をゴルゴタの丘で聴いた人たちの衝撃は、いかほどであっただろうか。

そして、私たちも信徒である以上、イエスにならうべきである。

テロリストたちが同国の法にのっとった裁きを受けるべきなのは当然であるが、彼らの魂の救済のために、神のお赦しを祈りたい。

2019年4月16日 (火)

つくられた「バカ殿様」

三年前の開業15周年記念講演で予告し、過去のエントリーでも少し垣間見せたのだが、かねてから私は、江戸幕府の九代将軍・徳川家重の評伝を執筆したいと思っていた。

家重の優れた業績については、すでに甲斐素直氏(法学者)がHPで、井沢元彦氏(作家)が著書で、それぞれ持論を展開されているので、ご関心のある方は参照されたい。

このような名誉回復の動きが顕著であるのにもかかわらず、いまだに多くの日本人が家重の名前さえほとんど知らないでいるのが現実である。そして、名を知っている人も多くは、脳性麻痺による構音障害があった将軍としか認識していない。史伝でも小説でも、暗愚な君主とされていることが少なくないのが現実だ。少し古いが、1995(平成7)年のNHK大河ドラマ『八代将軍吉宗』でも、中村梅雀演じる家重は、不肖で酒浸りの身勝手な跡継ぎとして描かれており、一言で表現すれば「バカ殿様」であった。

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家重が酒好きだったことは事実であるが、彼がなぜ大酒したのか? 私は、そこに家重なりの理由があったと考えている。決して政治に嫌気が差して酒に溺れた類の話ではない。むしろ家重がきわめてクールな政治的人間であったからこそ、パフォーマンスの一つとしての「酒好き」があったと理解している。

このあたりは、いずれこのブログの中で取り上げることになるだろう。

家重は、(1)先代君主・吉宗の政策が不評だったので、大幅に軌道修正した。(2)門閥・保守派の抵抗を抑えて、既得権益の牙城を崩した。(3)米穀経済に依存する税制から大転換して、直間比率を逆転させようとした。(4)ヨーロッパ先進諸国と比較しても遜色のない、近代的な施策を推進した。...etc.

これらの面から、きわめて高い評価に値する、日本史上屈指の明君であると、私は考えている。

この仮説にしたがって、私は甲斐氏や井沢氏の論考を尊重しながら、家重に関する単一のまとまった書を世に出すことを企図するものである。

いずれは自費出版も予定しており、結構な分量になることが予測される。そのため、通常のブログ更新-最近はもっぱら火曜日であるが-の際に記事を掲載すると、別の主題を取り上げる暇がない。

そこで、火曜日には他の主題についてエントリーして、どこか別の曜日で、家重に関するエントリーを連載するようにしたい。

ただし、いきなり家重に踏み込むのではなく、まずは前置きから入りたいと思う。期待されている読者には、隔靴掻痒の感が否めないだろうとは予想されるが、ものごとは順序立てて進めたいのが私の性分である。なにとぞご寛容な心で、気長に読み続けていただけると幸いである。

(※画像はパブリック‐ドメインのものを借用しました)

2019年4月 9日 (火)

母の追悼を終えて

去る4月7日(日)、母の帰天一年のつどいを開催した。

はじめは曇りがちの天気だと予報されていたので、心配していたが、当日になってみると、朝から夕方までずっと「晴れときどき曇り」であり、イベント向きの日になった。昨年のエントリーでも述べたが、母の場合は亡くなった日と葬儀の日とが「贖罪のため」の雨天であり、そのあとは納骨式も、命日の墓参も、そしてこの帰天一年のつどいも、すべて好天に恵まれている。一生を晴ればれと生きた母にふさわしい。

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開始時刻は11:20と、午前の遅めの時間帯に設定した。叔母夫妻が、また従姉妹たちも多くは夫妻そろって、名古屋、津島(愛知県)、桑名(三重県)、そして遠くは郡山(福島県)から駆け付けて、母のために祈ってくれた。いつも親族が睦み合うことを願っていた母にとっては、とても嬉しいことだったに違いない。

墓参のあとは、母もご縁があった墓園近くのイタリア料理店「ラ・アリタリア」で会食。納骨式のときにも同じ店を選択。12名であったが、店側のご厚意で貸し切りにしてくれた。

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ここは上質な素材を使った(ソースに頼らない)料理を出してくれるので、満足度はたいへん高い。親戚一同が久々に集合したこともあり、お互いの近況を報告しながらの、賑やかな会食となった。

昼食は14:00に終了。車で来た人たちには自宅へ寄ってもらい、お茶とお菓子でしばし休息。叔母や従姉妹には、母の遺した衣類のうち、リユースできそうなものを持って行ってもらった。いわば「形見分け」である。自分が確保していても宝の持ち腐れ、箪笥の中で埃をかぶっているよりも、身内に活用してもらうほうが良いに決まっているから。

15:30になって散会。親戚たちはそれぞれ東名・浜松西IC(家から車で5分)経由で帰って行った。

これで母の追悼は一区切りである。仏教なら三回忌、七回忌と重ねるだろうが、カトリックには特段その習慣はない。個人的には、これからも母の生きざまを決して忘れないだろうし、折々の節目に墓参したり祭壇の下を飾ったりするだろう。他方で、故人を追悼する一連のセレモニーには幕を引き、自分自身が力強く生き続けることが大切なのだ。

次の展開は、私にとって未知の世界になるのかも知れない。どの道を進むにせよ、いつも神のお恵みあれかしと祈りながら、日々を送りたいと思っている。

2019年4月 2日 (火)

元号あれこれ

新しい元号「令和」が発表された。

私自身はクリスチャンなので、公的な文書以外は原則として西暦を使っているが、決して長い伝統を持つ元号の意義を否定するものではない。令(よ)き和(やわら)ぎを求めて、国民が力を合わせていくことにより、望ましい社会が建設されることを願いたい。

これまでの元号の数は膨大であり、日本だけを振り返っても「令和」は248番目となる。これらの元号すべてを頭の中で西暦に置き換えることは、常人には不可能に近い。それができる人は日本中探しても数えるほどではないだろうか。私自身、昭和、大正、明治、慶応、元治...とさかのぼって、宝暦(元年は1751年)辺りまでがやっとである。それ以前では、享保、元禄、寛永、慶長、天正など、特筆すべき事件などがあった元号だけは、何とか西暦と対照できるのだが...

さて、その多彩な元号の歴史の中から、いくつか興味深い話題を紹介してみよう。

(1)政変に始まり、タタリに終わった「延喜(901-23)」

醍醐天皇の元号。後代、「延喜の治」と理想化された天皇の時代であったが、実際に醍醐天皇がどの程度力を発揮できたかは明瞭でない。むしろ、この時代は菅原道真が大宰府へ追放された「昌泰の変」直後の、物々しい政情のうちに始まった。そして道真は没後、平安朝で最大級の「怨霊」になってしまう。政敵の藤原時平が若くして死去。他にも道真と敵対した人々が次々と不運な死を遂げ、醍醐天皇の皇太子・保明親王まで若死にするに至って、朝廷は道真のタタリに全面降伏する事態となった。長く続いたこの元号もついに終焉、「延長」に改元されている。

(2)強引に改元するも失政で崩壊した「建武(1334~36/38)」

後醍醐天皇の元号。配流先の隠岐から帰還して鎌倉幕府を打倒した天皇は、簒奪者・王莽を滅ぼして古代の漢王朝を再興した光武帝(世祖)に自らを擬し、臣下からの「武」字を回避すべしとの進言を退けて光武帝の元号「建武」を転用、「建武の新政」を開始する。しかし時代錯誤の武士軽視や土地の配分の失敗により、世論は天皇に背反し、足利尊氏をはじめとする諸国の武士が離反したことにより、新政は二年で崩壊、天皇は早々に「延元」と改元してしまった。面白いのは離反した武家側が担いだ北朝の光明天皇の朝廷がしばらく「建武」を使い続け、南朝より二年半も遅れて「暦応」と改元していることか。

(3)延々と改元させてもらえなかった「応永(1394-1428)」

後小松天皇・称光天皇の元号。歴代元号のうちでは昭和、明治に次ぐ三番目の長さである。実はその前から改元は2~3年ごとに行われ、将軍・足利義満は嘉慶、康応、明徳と続く代々の元号制定に事実上の決定権を行使してきた。ところが明徳のあと「洪徳」を提案したところ、朝廷側から「洪水を招く字はよくない」とハネられてしまった。怒った義満は、改元された「応永」を「改元させない」ことで権力を誇示する方策を採る。これは次の将軍・足利義持にも受け継がれ、称光天皇は即位して代替わりしたのにもかかわらず、16年も改元できずに過ごし、義持の没後ようやく「正長」と改元できたが、それから三か月で亡くなってしまった。

(4)改元していきなり不吉な事件が起こった「嘉吉(1441-44)」

後花園天皇の元号。辛酉の年に当たり、政治的変革を回避するため、前の元号「永享」から改元された。ところが改元してわずか4か月後、良い元号とは裏腹に、政権の最盛期にあった将軍・足利義教が播磨守護家の隠居・赤松満祐に暗殺される大事件が勃発。混乱した室町幕府では、実力者の山名持豊(宗全)が中心となって出兵、満祐を攻め滅ぼすことができたが、後継の将軍・足利義勝は間もなく10歳で死去。その次の将軍が決まらないまま(数年後に足利義政が就位)、民間では「公方を欠きつ」と皮肉られ、ほどなく「文安」に改められている。

(5)中国から「直輸入」した「元和(1615-24)」

後水尾天皇の元号。大御所・徳川家康は大坂夏の陣で豊臣家を滅ぼした後、「禁中並(ならびに)公家諸法度」を朝廷に突き付け、今後は原則として中国の元号のうち吉例を勘案しながら直輸入することとした。こうして選ばれたのが唐の章武皇帝(憲宗)時代の「元和」で、帝が安史の乱以降の地方政権乱立状態だった唐王朝を、一時的ながら再統一した時期の元号なのである。戦国時代が終焉して「和を元(はじ)む」の意味もある。しかし、朝廷側有識者の反発は強く、改元後一年も経たずに家康が没したこともあり、将軍・徳川秀忠は次の改元「寛永」から態度を軟化させて、朝廷が提案した日本の独自元号を幕府が追認する形に事実上改めた。

(6)災害続きのため土壇場で姿を消した「明和(1764-72)」

後桜町天皇・後桃園天皇の元号。『尚書』堯典の「百姓昭明、協和万邦」から採っており、「昭和」と同じ出典である。老中・田沼意次が政権基盤を固めていく時代。ところが田沼の不運は、在任中にしばしば災害(天災・人災)に見舞われたこと。その最初が明和九年(1772)に発生した江戸の大火だった。加えてこの年には風水害や疫病も起こったため、識者から「メイワクネンは迷惑年」だとの議論が勃発し、朝廷も幕府も凶事を回避する動機から、年末に至って「安永」に改めている。

(7)まぼろしの元号「令徳」

孝明天皇のとき、1864年に提起された元号案。甲子の年に当たるので政治的な変革を避けるために改元が提案されたが、孝明天皇側から示された第一案が「令徳」で、第二案が「元治」。出典はともかく、令徳の真意は「徳川に指令する」、元治の真意は「はじまりの治世」であり、天皇の側に「王政復古」への強い意志があったことは明らかだ。幕府側はさすがに「令徳」は受け入れられなかったので、結果的に「元治」で妥協し、改元された。もしこのとき「令徳」が採用されていたら、「令和」を待たずに「令」の字を冠した元号が登場していたかも知れない。
なお、「令和」の「令」は旧暦二月の美称「令月」の「令」であり、「よい」「うつくしい」の意味なので、誤解なきように。

以上、元号にまつわるエピソードをいくつか紹介したが、長い元号の歴史の中には、他にも私が知らないトピックがいろいろと存在したであろう。また機会があれば、それらを拾い上げてみたい。

2019年3月26日 (火)

ダメなコンサルの見分けかた

経営コンサルタント(以下、「コンサル」という)なる職業がある。

私が身を置く介護業界でも、昨今の制度改正...と言うよりむしろ改悪による、事業経営の厳しさを受けて、コンサルに対する注目度は高まっているようだ。

ところで、これは(ケアマネジャーも含め)どの職種にも言えることだが、コンサルも資質・能力の落差が大きい。

残念なことに、私が過去、仕事上で出くわしたコンサルは、いずれも能力に問題ありと言い切って差し支えない人物であった。宮仕えのときから現在に至るまで、コンサルを名乗る何人かの人物とさまざまな形で接触する機会があったが、「これはダメだな」「このテの人とご縁を持ちたくない」と感じた人ばかりだったと記憶している。早い話が、コンサルとしては用無しの人だ。

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むろん、そのレベルの人ばかりではなく、優れたコンサルも数多く存在する。実力十分であるコンサルの方に出会えた法人や事業所は、好いご縁によって良い仕事ができる可能性が強い。幸せであろう。

しかし、玉石混淆の中から見分けるのは、なかなか難しい。

そこで、あなたが事業経営者や事業所管理者の立場にあり、組織を代表してコンサルを依頼することになった場合に、ご参考にしていただける、ダメなコンサルの見分けかたを伝授しよう(^^)v

(1)財布のヒモをゆるめないコンサル

「ケチ」と同義語ではない。節約して効果的にお金を使う、良い意味での「ケチ」はむしろ評価されるべき。ここでは、「初期投資をしない」意味に取ってほしい。
まずは、あなたが自分の会社や事業所で作った製品(なければ、著書でも自作のアイディアでも何でも良い)をコンサルに売ってみよう。ちゃんと自分がお金を出して入手した上で、その価値について論評するのが有能なコンサル。〔モノによって、すぐ買えるもの、購入しにくいものの差異はあるにせよ、〕その商品を端(はな)から買う気がないコンサルは、「おたくの組織に関心を持っていません」と言っているのに等しい。本気度を疑うに十分だ。

(2)組織の内部に入って観察しないコンサル

コンサル選びで失敗する最大の原因は、たいてい「組織を外からしか見てくれない」ところにある。いつもスーツ姿で改まって来社・来所するのではなく、社員や職員と同じように地味な、またはラフな服装で事業所の中に入り込み、時間をかけて人の動きを観察しながら、課題の核心を抽出し、アセスメント(事前評価)するぐらいは、仕事の入口では当たり前だ。その姿勢に欠けているコンサルに頼るのは、あとで時間やお金の無駄遣いになる公算が大きい。

(3)働く人に敬意を払わないコンサル

まず、ステータス差別。たとえば会社の清掃員があいさつしても、あいさつを返さない人はレッドカード。それから、年代や性別による差別。たとえば20代の女性社員を軽く扱って「若い女の子」などと表現する年輩の人(おもに男性コンサル)などがこれに相当する。自分たちの世代の、それも特に男性に対する過剰な自負の意識を持っていれば、ニュートラルに社員・職員を観察することなどできない。
組織は働く人の集合体である以上、属性に関係なく、それを構成する全員が主役。一人ひとりの「人」を尊重しないコンサルに、組織に対して的確に助言できる資質があるはずはない。裏を返せば、そのコンサル本人のほうが、自分自身が見下しているレベル程度の価値しか持たない人間なのだと、アイロニカルに評価したほうが良いだろう。

(4)その事業の利用客を最優先に考えるコンサル

これは意外かも知れない。だが、利用客・顧客(≦その組織から見たステイクホルダー)満足度の向上は、その組織側の人間が考えることなのだ。コンサルの出番ではない。
コンサルが利用客最優先の指導・助言をしたらどうなるか? 利用客の要望を極大化させた理想論が先行して、働く人たちに無理を強いることも出てくるだろう。そうなれば職場に対する不満も増えて、サービスの質が低下する。
コンサルの仕事は、働く人がその職場で働きやすいように仕向けることによって、働く人が余裕を持って利用客を尊重できる環境を作ることだ。ここを間違えているコンサルの指導・助言は、ピント外れになってしまう恐れが強いので、要注意である。

(5)地位の高い人物、著名な人物や団体との関係をチラつかせるコンサル

このテの話は、いわば「虚仮(コケ)脅かし」の類であり、実際には名前が出ている人や団体と有機的なつながりを持たない空虚な関係であることが多い。自分の存在を大きく見せたいがために、そんな話ばかりするのだ。ホンモノの大物コンサルから、そんな話はめったに出てこない。虎の威を借りなくても、おのずと品格や力量を備えているのだから。

以上、おもな点を掲げてみた。他にもあるのだが、それは機会を改めて。

このように整理してみると、この5条件、たとえば(2)(3)(5)は「ダメな主任ケアマネジャー」とも共通するし、コンサルに限った話ではない。人として、専門家として信頼に値するのかどうかは、業種や職種を超えて共通する面が多いようにも思われる。

ま、とにかく、こんな時代だ。あなたやあなたの組織が三流・四流のコンサルにダマされて、お金をドブに捨てる羽目にならないことを願う。

2019年3月19日 (火)

クイズです

介護に関する持論や人との交流記や歌劇のレヴューや食生活の話ばかりでも、どんなものかと思ったので、

今回はクイズです(^ω^)

私John Trabutta(=じょあん)は47都道府県すべてに足を踏み入れていますが、そのうち、

a)最初に行ったところ(つまり出生地)と、

b)最後に行ったところを、

両方とも当ててください!

どちらも当たった方、先着一名様に、粗品進呈☆

なお、解答権はお一人一回だけとします。また、私宛にご住所、お名前、お電話番号等を教えられる方に限ります(もちろん、個人情報の目的外使用は決してしません)。

ご解答は本エントリーへのコメント、または私宛の電子メールで。

お待ちしています(^^*

 

(3/26追記)

※解答期限を過ぎましたので、正解を!

a)愛知県(名古屋市の病院で出生)

b)徳島県(47都道府県で未踏だった最後の地です)

残念ながら正解者はいらっしゃいませんでした(^^;

«人に向き合う仕事で、「身の危険」は当たり前だ!

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