2017年9月22日 (金)

お薦めのステーキ専門店

ふだん、昼食にはお総菜パンやラーメンを食べることが多いのだが、もちろん、年中その二種類のどちらかに限定しているわけではない。

先般、知人から紹介されたので、9月6日の昼食はステーキ専門店「ステーキのあさくま」三方原店(浜松市北区)へ入ってみた。本社は名古屋だが、浜松にも進出して、いまは市内にも4店舗あるようだ。

三方原店の周囲には他のステーキ店も複数あるが、私の自宅から行くとなると、ここは進行方向のバイパス沿いになるため、昼食に立ち寄るのには都合が良い。

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初回入店では、比較的リーゾナブルな「チーズハンバーグ」を注文。ここではサラダバーが無料になっており、ご飯(画像は五穀米)やデザートも含まれている。ドリンバーは別料金。メイン料理を待っている間、ビュッフェ式のサラダをつまみながら、ゆったりできるのは便利。

チーズハンバーグは町の定食屋でもときどき食べているが、さすがにここは専門店のグレード。肉がジューシーで食べやすく、品質の良さを感じる。味もマイルドで悪い癖がない。総合評価でまずは上々と言ったところか。

好印象を持った店は、あまり日数を空けずに再入店して、別のものを注文するのが私の流儀なので、二回目の訪問は二週間後の20日となった。

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この日は手軽に食べられそうな「チキンガーリック」を注文。これも肉が選別されているようで美味しい。またドライガーリックの香味があまり強く後へ残らないのも好い。前回同様、サラダバーから複数のサラダを組み合わせて取り、ご飯は白米をいただいた。ドリンクは再度ブレンドコーヒーにしたが、次はカプチーノにでもしようかな。

食べ終わって、十分に満足できる店だとの感想。

ラーメンに比べると割高なので、頻繁にというわけにはいかないが、専門店の名に恥じない味を楽しみに、ときどき行くことになりそうだ(^^*

この「ステーキのあさくま」、東海地域以外にはあまり出店していないので、NHK大河の地である井伊谷など浜松市北区へ観光に来られる方には、ご家族とご一緒に寛げる昼食場所の選択肢として、三方原店をお薦めしたい。

2017年9月15日 (金)

「敵」だからこそ必要な窓口

北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)危機が、深刻さを増している。

米国は北朝鮮の挑発的行動に強い制裁を加える態度で臨み、日本もこれに同調している。これに対して、北朝鮮側は一層反発して、ミサイルや核兵器の開発をさらに推進している。

多くの日本国民から見れば、北朝鮮の核兵器・ミサイル開発は一方的な暴挙である。しかし立場を入れ替えれば、米国や韓国と休戦状態-いまだ戦争中-である同国に取って「当然の自衛措置」以外の何物でもないことも、また現実である。同国からはリビア(2011年、旧ガッザーフィ政権破滅)の例が引き合いに出されるが、むしろ私はウクライナ(2014年、クリミア半島喪失)の例のほうが北朝鮮指導部の核兵器開発への意思を加速させたと考えている。

ウクライナが旧ソ連から継承した核兵器を放棄してロシアへ移管した際に、ロシアに加え米国・英国が参加してウクライナの領土保全を約したにもかかわらず、親ロシア派による一方的な住民投票の形で、クリミア半島をロシアに奪われているのだ。もしウクライナが核兵器を保有していたら、展開は異なっていたとの思いは、北朝鮮指導部のみならず、世界の多くの人に共通するものであろう。したがって、米国側が「北朝鮮が核兵器を放棄すれば政権存続を保障する」との言明をしたとしても、北朝鮮側からは信用できないのは自明の理なのだ。

私は読者がご存知のように、防衛力強化論者である。明確な形でなくても、日本を事実上の敵国と見なして恫喝を続ける国に対しては、同盟国と連携しつつ、自らも着々と防衛能力を強化して、相手国から攻撃されにくい状況を作ることが必要だとの考えである。

しかし、それは「対話の窓口を閉ざしても良い」ことと同じではない。むしろ逆だ。味方ならば窓口はいくらでも作れる。「敵」だからこそ、対話の窓口をどこかに開いておくことが必要なのだ。特に北朝鮮危機は米国・韓国と防衛上の歩調を合わせることが求められるが、その中でも、日本として独自外交を展開できるための仕掛けはしておかなければならない。そうしないと、全面的な同盟国との一蓮托生になりかねない。

独自外交の余地を残しておくことは、決して同盟国に対する裏切りではない。むしろ状況によっては、同盟を補強する役割を発揮することもある。偶発的な事態が起こっても相手国側の真意を確認する術がなければ、かえって深刻な状況を招く恐れもあるのだから、パイプを残しておくことは必須であろう。

現在の政府与党が北朝鮮との間にどの程度の広さの窓口を持っているのか、判然としない。おそらく何らかのパイプはつながっていると推測されるが、自民党内の右派勢力が強くなれば、パイプは細く頼りなくなるかも知れない。

東京新聞の望月衣塑子記者が政府の記者会見の場で、「北朝鮮の要求に応えるような働きかけを米国・韓国に対してやっているか?」と質問したことは、右派(特にネット民)から一斉攻撃されているようだが、政権与党が独自外交をする用意があるのかを質す意味では、鋭い視点だったと思う(ただし、同記者は被選議員でもないのに私見・憶測を述べて記者の本分を逸脱したり、限られた質問時間を独占したりと、他の問題があるので、基本的に氏のスタンスを私は支持しない)。菅官房長官は「北朝鮮に聞いてくれ」とはぐらかしたようだが...

この後、アントニオ猪木議員が訪朝して、北朝鮮の複数の幹部と対談したことは、対話するパイプを維持しておくためには大きな意味のあることだ。少なくとも北朝鮮側からは、日本側に対し窓口を開いていることを示したことになる。猪木氏が構想している議員団の訪朝が果たして現実的なのかは何とも言えないが、氏の見解「日本側が窓口を閉ざしているのでは」は正鵠を射た指摘である。猪木氏を北朝鮮の傀儡だと非難する見解は、全くの的外れであろう。

その窓口を北朝鮮側が有利に使おうとしたら、日本側は毅然として自国の主張をコンフロントすれば良い。国内の「親北勢力」に配慮する必要はない。テーブルに示した相互の主張が本当に折り合えない内容であったら、平行線をたどるのはやむを得ないが、テーブルそのものを壊してしまってはいけない。

今回の危機は、総理をはじめ閣僚、関係議員、官僚の人たちも難所だとは思うが、何と言っても全国民の生命がかかっているのである。高度な政治的判断を誤らず、主権国家日本に取って最善の道を賢明に選択してほしいと願う。

2017年9月 4日 (月)

講師の品格

身の周りのことで何かと多用であるとは言え、ありがたいことに、ときどき県内外からお声掛けいただき、企画や研修の講師として出向くことがある。マイナーな講師であっても、業界でのつながりは大切にしたいので、極力お受けすることにしている。

そのとき大切にしているのは、その出講のテーマ、そして内容が自分自身の倫理観に照らして正しいのか? ということだ。

だいぶ前のことだが、信頼筋からこんな話を聞いたことがある。

ある自治体が介護支援専門員を対象とした研修会を開催したところ、その講師が「介護支援専門員不要論」を軸に、介護支援専門員の問題点を突っつくのに終始したというのだ。他のところで確認した情報も勘案すると、大枠はその通りだっただろうと推測する。

その講師が「介護支援専門員不要論」を唱えていたのは以前から知っていたが、実際にそれを介護支援専門員対象の講演の中でぶち上げたことには、たいへん不快感を覚えた。確かに私よりはるかに知名度の高い人ではあったが、実体は単なる独善的な人間だったのではないのかと感じる。

これは、前回のエントリー、「真に介護業界の将来を憂えている論者と、独善的な動機から介護業界を貶めているに過ぎない論者とを、自分の頭で見分けるためには、どこに着目すれば良いか?」の内容(本文のほうがタイトルより短くなってしまった...)にも関連する話だ。

たとえば、私は浜松で在住外国人支援の実績を持っているので、もしどこかの団体から、介護分野における外国人の活用について話してほしいと頼まれたら、日程調整さえ可能であれば喜んで出向きたいと思う。ただし、それはあくまでも永住者や定住者の介護業界就労支援であるとか、留学生の資格取得→就労支援であるとか、効果が薄いとは言えEPAに基づき専門職を目指す人たちの支援であるとか、すなわち正規の労働者としての在住外国人支援に係る分野の話である。

もし、研修生・技能実習生を受け入れたい事業者を対象とした話をしてほしいと頼まれたら、いかに高額な報酬を提示されても、私はお断りする。なぜなら、私自身はこの制度の運用がその趣旨に乖離し、安価な労働力獲得の隠れ蓑になってしまったために、長年にわたって数々の人権侵害を招いてきたと理解しているので、制度そのものの廃止を主張しているからだ。自分が不要だと考えることを業とする人たちの集団から講演料をもらうのは、恥ずべき行為である。それが、人間として当然持つべき倫理観ではないだろうか。

したがって、自分が否定的に捉えることを説いてお金をもらうとしたら、それは「聴講者にはこうなって(こうあって)ほしくない」との主張になる。

去る8月22日、ケアマネットしまだ(島田市の介護支援専門員連絡組織)からのご依頼により、「ケアマネジャーの接遇」をテーマに講義を行った。途中のグループワークでは、何人かに「自分がモノを買うときに、売る側から応接されて不快だった経験」を語ってもらい、自分たちが利用者に対して同じことをしてしまっていないか、互いに分かち合い、振り返ってもらった。

特に、講義の中で何度も強調したのは、利用者にタメ口をきかないことである。「もし、利用者にタメ口をききたいケアマネジャーさんがいたら、自分のところの理事長にも医師にも、これからは同じようにタメ口で話して、それでうまくいくかやってみたらどうですか?」。つまり、業界の悪習とも言うべき「顧客にはタメ口、上司には敬語」などという非常識は、もはや社会では通用しないことを伝えたのだ。

これは、私自身が「悪習の排除」を実践していなければ、何の説得力もない。自分が否定的に捉えるものには、自分自身が手を染めない。日頃からその覚悟が必要である。

裏を返せば、講師を打診する側の団体が、依頼する際に講師の日常の振る舞いにツッコミを入れてみると、ニセモノ(独善・偽善)のメッキがはがれることもあるので、面白いかも知れない。もっとも、依頼する団体側からすると、事前交渉の段階で相手にこまごま問い質すのは失礼だとの認識もあるので、特別なことでも起こらない限り、たいていは確認不十分のまま依頼してしまうのだが...

いずれにせよ、私自身はそのようなニセモノとは明瞭な一線を画したいと考えている。それが自分の矜持でもあり、自分が講師を受任する際の基本指針でもある。

「講師の品格」とは、このようなものであろう。

2017年8月31日 (木)

真に介護業界の将来を憂えている論者と、独善的な動機から介護業界を貶めているに過ぎない論者とを、自分の頭で見分けるためには、どこに着目すれば良いか?

着目点は、

論者が、「人間」に対して、リスペクト(敬意)を持っているのか?

この一点のみ。

2017年8月18日 (金)

17年目の航海へ

親の介護を抱えると、離職しないまでも情報弱者になりかねない状況になるのだが、逆にそういうときこそ、人寄せをして孤立化を回避すべきであろう。

昨日は、2001年8月17日に「ジョアン」の看板を掲げて開業してから、満16年に当たる日なので、開業記念を口実に、浜松で一杯やろう会...との名目で、内輪の懇親会を企画してみた。

Facebook友達のうち、比較的距離感が近い三分の一ほどの方々、また当地のケアマネジャーでは、私とご一緒に市ケアマネ連絡協の役員を務めてくださった近しい方々を中心に、役員ではなくとも勉強熱心な方などにお声掛けした。しかし、お盆明けの多忙な時期であり、平日のたった二時間の飲み会ということもあって、来場してくださったのは浜松で半数程度、市外で一割程度にとどまった。それでも5道県から13人の方々が参加してくださったことには、心から感謝申し上げたい。

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特に、ネット上では15年前からのお付き合いであり、6年前に作文教室の冊子を自費出版した際にはブログでPRいただき本当にお世話になった、介護福祉道場「あかい花」の菊地雅洋さん(前列、パネルの隣)は、折しも他用で浜松にご滞在中だったため、貴重なお時間を使ってこの会に出向いてくださった(むしろ、菊地さんがこの日に在浜されているので、平日の飲み会を敢行したと言うほうが正確だ(^^;)。また、過去のエントリーでも登場願った、私の「歴友」岡山の渡邊さん(後列、向かって左から四人目)と、協働で独立型居宅を運営されている秦野の松田さん(同、左から五人目)とは、昨年の15周年記念行事に続き、遠路をいとわず二年連続で駆け付けてくださった。

さて、当面の課題は、すでに各サイトが報じている通り、独立型、特に一人親方の介護支援専門員が、どこまで制度上の仕事を続けていくことができるかということになるが、これに関連して、参加者のお一人から眉を顰める情報が飛び込んできた。

とある地方で一人親方として居宅介護支援事業所を自営していた介護支援専門員が、複数の場面で不正行為を重ね、指定取り消しになったのである。それも、その地方ではそれなりの知名度もあり、複数の団体で役職も歴任していた人物なのだ。これによって、政策側や医療系団体から、「一人親方ケアマネは危ない」との論調が強まることが予想される。

実は、私自身も、一人親方ケアマネは危ないと思う。

こう言うと意外に感じる読者があるかも知れないが、真意は、「基盤が弱いところに立っている人間は、初心が崩れると倫理的にも心が弱くなる」...である。

当該人物も最初はコンプライアンスを意識しながら、事業所の運営を軌道に乗せようと努めたであろう。しかし、独立して公正中立を守ってケアマネジメントを展開しても、制度の動向や周囲の情勢は、好転するどころか、どんどん悪化している。そのようなところで、倫理感覚を保つのがいかに難しいことか、何よりも16年間仕事を続けてきた私自身が実感している。当該人物は哀れにも転落して、さげすまれる存在になってしまったようだが、次は私自身がそうならないとも言い切れないのだ。

政策側が今後一人親方の介護支援専門員に求めてくるであろう「ネットワーク化」は、皮肉なことに、政策側が独立・中立の一人親方を報酬の上で評価してくれないところから、必要性が高まっていると、私は考えている。協業する仲間は、「病気や事故に遭ったとき」のために必要だと言うより、むしろ「倫理感覚を失いそうになったとき」のために必要なのだ。前者であれば、他の居宅介護支援事業所に利用者を委ねれば良いが、後者の場合は、公正中立や公益性などケアマネジャーとしての根本的なミッションが音を立てて崩れていくのである。

正直者がバカを見てはならない。しかし、正直者でいることがバカバカしくなる人は当然出てくるのだ。そのとき、「われわれは正直者でいこう!」と励まし合って、補い合える人がいるかいないか、それは今後の独立・中立型居宅、特に一人親方の動向を大きく左右するのではないか。

昨日の会で参加者と楽しく語らいながらも、この点を痛感した。

私の事業所は17年目に突入したが、この一年の最大の課題は、これから自分らしくケアマネジメントを展開していきたい地域の独立・中立型ケアマネジャーのために、協業しながら支え合う仲間を作っていくことであろうと感じている。

2017年8月 6日 (日)

「合理的配慮」が容易でないのはなぜか?

先日、車いす利用の男性と航空会社とのトラブルが報じられ、「障害者差別解消法」の浸透や、「合理的配慮」の度合いが話題となった。

この事案に踏み込む前に、「合理的配慮」を阻む障壁について、自分自身の経験から、エントリーに自論を述べておきたい。

2008年、カトリック教会の西部地区で、お一人の司祭(神父)の提唱によって、5人ほどのメンバーが集まり、数次にわたってキリシタン時代の「殉教者(信仰を守って処刑された人たち)」を崇敬し、事績を研究する会が結成された。もちろん、ポルトガル語やスペイン語の文献を参照して専門的研究をするのではなく、著名な研究者により積み上げられた数々の専門的研究を、一般の信徒にわかりやすい形で整理してまとめる作業であった。そこでは私ともう一人のA氏とが中心になり、A氏が信仰面・教理面からの整理、私が歴史的背景からの整理をして、殉教者に関する資料をまとめ、その二つをメインとした発表会を企画した。

さて、発表会の当日、会場となった浜松教会の聖堂で、先発のA氏の発表が始まったころ、同じ西部地区内で隣の教会に所属していたB氏が、奥さんと一緒に会場に入ってきたのだ。

B氏は当時60代後半、視覚障害者(全盲)であり、私の昔の勤務先の先輩でもあった。県内の視覚障害者の中でも指導的立場にある。教会の信徒たちからも尊敬される人であり、息子さんは司祭になっておられる。当然のように、地区全体に広報した企画である以上、B氏が来場する可能性は想定しておかなければならなかったのだが、なぜか私の頭の中からはその可能性が欠落していた。

私の発表は「キリシタン時代-その宣教と殉教者たち」と題して、54枚のスライドで構成される大部のものであった。前半がキリシタン時代の歴史的背景の解説であり、後半が各地を巡礼した画像であったので、説明を加えるのはおもに前半に比重を置き、後半ではスライドを見てもらいながら、早送りで流す予定であった。

しかし、B氏が会場にいる以上、後半を画像だけ見てもらって流すわけにはいかなくなった。そこで、前半の説明をかなり早口で進め、後半の画像についても、早口だったがすべてに解説を付けた。一枚ずつのスライドに関する説明は、部分的に割愛せざるを得なかった。

終わった後、メンバーで反省会を開いたとき、私から一言。「Bさんが当日行くことをあらかじめ知らせてくれていれば、そのつもりで構成を考えたんですが...」。

さて、ここに述べた私の事案を事例として整理してみよう。

まず、この企画はあくまでも一宗教団体の内部行事であり、公共の場で行われた作業ではない。かつ、私たちは対価をもらって講話をしたのではなく、A氏も私もまったく無償で時間を費やしてスライドを作成し、解説している。

したがって、障害のある人たちへの「合理的配慮」をどこまでするかは、主催者側の裁量に任せられていたことになる。すなわち明確な「努力義務」を負っていたわけではないので、日頃、教会を訪れる人たちの中に見受けられる障害者の人たちに対して、一通りの配慮をしていれば、過当な批判を受けるものではない。

次に、日頃来る人たちへの配慮である。B氏の来場を予測していなかったのは確かに不用意であったかも知れないが、B氏一人(他には視覚障害者と思しき人は来場していなかった)のために、すべてのスライドについて早口ながら口で説明を加え、少なくとも「合理的配慮」はしっかり行っている。「しなかった」わけではないのである。車いすの人は見た限りでは来場していなかったが、聖堂(残念ながら段差が多い)の後ろの席で見ることはできる状態であった。また聴覚障害者に対しては、少なくとも私のスライドでは、画像の傍らに見て理解できる説明を付けておいた。

しかし、反省会のときには私の口から、前述の「...あらかじめ知らせてくれていれば...」の言葉が出てしまったのだ。

私は介護・福祉業界の人間である。そして繰り返すが、B氏は業界の先輩として私自身も尊敬し、他の多くの人からも尊敬を集める人物である。そしてB氏の来場を予測しなかったのは、私の不用意でもある。

それでも、私としてはネガティブな感情を抑えられなかった。いや、おそらく話は逆で、知名度の低い「フツーの」視覚障害者である教会信徒が突然来場して、そのために私が講話の語り方の変更を余儀なくされたとしても、ネガティブな思いを抱かなかったのではないか。むしろ「Bさんほどの人が、なぜ事前連絡をしてくれなかったのか?」のほうが、当時の私の気持ちを正しく表現しているのかも知れない。

つまり、「合理的配慮」はしたい。したいが、その「合理的配慮」を円滑に浸透させる準備は、受益者側と向き合う側との双方がするものなのだ。どのような点に不自由な、不便な人が存在して、その不自由さ、不便さを解消するのにどのような配慮をすれば良いのか。そして、それを整えるための準備にどれだけの手間と時間がかかるのか。

「合理的配慮」はするのが当たり前で、あえて要請する手間がかかるのは、障害者側に負担を強いるものだとの意見もあるだろうが、それは理想論だ。人はみな生身の人間で、人間は感情の動物である。ネガティブな感情が残らないためには、やはり現実には双方の努力が大切なのである。そもそも論として、受益者側が不利な扱いを受けること自体が間違っているとの見解は、将来的にはその段階まで到達する社会が望まれるものであっても、現在(2017年)の時点の日本社会では、現実離れしている。受益者側があえて準備等の努力をしないまま行動に移して、そこでトラブルが起こり、社会問題を喚起することも、ある意味有益であろう。しかし、当事者双方に面白くない思いを残すことが、果たして良いことなのだろうか。

ここで、冒頭に掲げた事案に戻ると、...航空会社側には、以前も車いす利用者が搭乗できないトラブルが複数回あったことが報じられている。確かに「合理的配慮」への意識が組織として薄かったとは言え、今回のトラブルを受けて二週間で設備を改善するなど、何かのきっかけがあれば認識を改める用意はあったと考えられる。車いす利用者の側も、決して会社を貶める悪意からわざと無連絡で行ったわけではなく、自分流のやり方で旅行や出張を重ねているうちに起こった事案だというのが、どうやら真相のようだ。

したがって、当該人物のように各地で講演している知名度の高い人が、あらかじめ航空会社の不備を知った上で「解消法」の趣旨を説明し、時間的余裕を持って行政機関を巻き込み改善を要求していたら、出張前に改善されていた可能性も強い。双方の責任の軽重はともかく、双方の努力が十分でなかったと言うことができるであろう。本来、理想から言えば正論に則って行動したはずの当該人物が、かえってネットで炎上する事態に陥ったのも、経過から見ると致し方ないように映る。

これは日本人特有の行動様式である「和」に起因するものがあるので、ご関心のある方は加賀乙彦氏や井沢元彦氏のご著書をお読みになるのが良い。

人の心は「義務」や「強制」で変えられるものではない。地道な「歩み寄る努力」が続いてこそ、望ましい社会が到来する。良くも悪くも、それが日本社会の根強い伝統なのだ。障害者に限らず、受益者側と向き合う側とが深い相互理解を積み重ねてこそ、「合理的配慮」が空気のような当たり前のものとして世の中に充満するであろうと、私は考えている。

2017年7月31日 (月)

専門性への被用者意識の影響

先日のエントリーに書き連ねた通り、介護支援専門員の行く末は大きな岐路を迎えている。

国の介護保険制度の中で「介護支援専門員」として生き残るのか、それを超えて「ケアマネジャー」として新たな道を求めていくのか、それぞれの選択があろう。

そのような状況下、いつも思うのは、ケアマネジメントの仕事をしている人たちは、「プロフェッショナル」と「被用者」との、どちらの意識が強いのだろう? ということである。

医師や弁護士の大部分は、もちろん前者であろう。研修医とか司法修習生とかの期間は「被用者」に相当する段階なのかも知れないが、それを過ぎれば「個」として独立した一人の専門職である。開業していない状態、たとえば病院の勤務医でも、特定の団体に所属する顧問弁護士であっても、独立した領域を持つ「プロフェッショナル」としての意識を強く持っている人が大部分であろう。

しかし、ケアマネジャーの多くは残念ながらそうではない。就労後に所属の勤務先では「チームで仕事をする」期間が長く、「ここに帰属してお給料をもらう」習慣が次第に根付いていく。それ自体は決して悪いことではないのだが、その環境に安住する状態が長く続くと、二つの大きな課題を抱えることが多い。介護従事者すべてに言えるが、もちろんケアマネジャーにも当てはまる。

小著『これでいいのか?日本の介護』(P.71)にも触れたが、その一つは「組織に物申す気持ちがなかなか起きない」こと、もう一つは「組織の傘のもとに行動してしまう」ことである。

前者は、囲い込みに加担する営業型の介護支援専門員や、現状黙認の後ろ向きな妥協型の介護支援専門員などに類型化される。後者は力量不足なのに組織の後ろ盾を頼みにした「虎の威を借る」介護支援専門員、異動で当分いまの部署に居るだけの「足掛け」介護支援専門員、あるいは常に所属組織至上主義で外部から「社畜」と見なされている介護支援専門員などに類型化されよう。

もちろん、被用者であっても「ケアマネジャー」としての「プロフェッショナル」意識を強く持って働いている介護支援専門員は少なくない。ただ、残念なことに、その割合は医療系や法曹系の職種に比べるとかなり少ない。この点が、歴史の古い専門職から指摘される部分となっている。

先の社会保障審議会・介護給付費分科会(7月19日)では、すでに報じられた通り、居宅介護支援に関する事案について議論された。その中で、相も変わらぬ「一人ケアマネ」に対する批判的な見解が、政策側や医療系団体等から浴びせられたようだ。

当然であるが、同じく「一人ケアマネ」と言っても、自営(厳密に言えば自ら設立した法人の役員兼職員)と被用者とでは大きく状況が異なるので、一括りにされるのはまことに心外千万なのである。

既述の通り、被用者の介護支援専門員でもプロフェッショナルとしての意識の高い人や、これまで情弱であっても機会さえ作ってあげれば積極的に資質や技術の向上に努める人もいるので、すべてネガティブに捉えられるものではない。また自営の介護支援専門員の中にも、単に組織になじめなかったために独立した、自覚や協調性に欠ける一匹狼が存在することも事実である。

しかし、介護保険制度開始からまもなく18年。その間、自営のケアマネジャーは制度を担う介護支援専門員として、れっきとした「開業」の歴史を刻んできた。いつまでも「目に見えない部分の仕事」であるケアマネジメントの報酬を低く据え置く政策側や医療系団体は、その歴史を意図的に過小評価しているとしか考えられない。

裏を返せば、制度開始当初から介護支援専門員が独立して仕事ができる介護報酬の保証さえあれば、プロフェッショナル意識の強い介護支援専門員の割合ははるかに高くなり、一部の不適格な連中を除き、バラツキの大きさを指摘されにくい状況が作られていた可能性もある。

経過はともあれ、「被用者」の意識から脱け出せない介護支援専門員が、いくら歴史の古い専門職と対等な立場を主張しても、空しく響くだけである。「プロフェッショナル」としての意識や自覚をどれだけ強く持つことができるかに、私たちの職能の将来がかかっていると言えよう。

2017年7月11日 (火)

「介護支援専門員」は生き残れるのか?

先に誤解なきよう注釈しておくが、本エントリーの趣旨は広義の「ケアマネジャー」が生き残れるのか? の話ではない。

あくまでも、制度上の介護支援専門員に限った話である。

いま、介護保険制度のみならず、社会保障の枠組みが大きく変えられようとしている。1998年に初めて「介護支援専門員」の資格が誕生したとき、その将来像は「明」であった。それから19年を経過した現在、介護支援専門員の将来像ははっきり言って「暗」である。

それでは、なぜ「暗転」したのだろうか?

無能な介護支援専門員や、社畜みたいな(自法人の囲い込みを事とする)介護支援専門員が相当数いるからなのだ、と酷評する人もいるが、それが根本原因だとは思えない。もちろん、技量や資質の至らない介護支援専門員が、政策側や医療系団体等の攻撃の標的になっている現実はあるが、なぜそうなったのかの説明にはならない。

最大の原因を挙げるとしたら、日本における「介護支援専門員」の資格は、もともと職能を持っていた「ケアマネジャー」が自ら運動を起こして(国家資格ではないが)公式の資格の地位を勝ち取ったのではなく、介護保険制度を導入する際の必要上、国が公定の資格として導入し、関連職種に奨励して取得させたこと、その必要数を満たすために介護支援専門員の粗製乱造が行われたことであろう。結果として、技量や資質のバラツキが大きくなってしまった。また、制度設計上、他サービスとの併設が当たり前になってしまい、居宅介護支援単独では普通に生活できる介護報酬が得られないことから、囲い込みの横行を招くことになった。

つまり、「制度上の資格」として定められ、規格が決められてしまったがために、それに由来する綻びが大きくなり、資格の評価を下げることになった経過である。一部の介護支援専門員の努力にもかかわらず、資格の地盤沈下に歯止めがかからない現象が起こっている。

そして、この経過を踏まえて考えると、制度が変えられれば資格の存在意義も規格も変わってくることになる。私も「介護支援専門員の資格はなくならない」とは思うが、それは「介護支援専門員はこれまで通り仕事ができる」ことと同一ではない。

それでは、今後どのような事態が予測されるのであろうか?

一言で表現すれば、行政主導のシステムにより、介護支援専門員の仕事は「がんじがらめ」にされるだろう。

これに加えて、介護支援専門員の仕事ができるのは、一定の条件を満たした人や事業所に限定されるかも知れない。

その兆しは、昨年度からカリキュラムが大幅に変更された法定研修の内容や、今年3月に公開された「適切なケアマネジメント手法の策定に向けた調査研究報告書」の中に、すでに現れている。すなわち、介護支援専門員には「エビデンス(根拠)」重視のケアマネジメントを教科書のような丁寧さで身に着けさせる方針である。これは「ナラティブ(語り)」重視の「本来の(あるべき姿の)ケアマネジメント」と相容れない面が大きい。後者は国際的な潮流でもあるのだから、日本のケアマネジメントはそこから取り残されかねない危惧も感じる。

この方針によって導かれるのは、きわめて「官僚的な」ケアマネジメントになろう。それはしばしば利用者の真のニーズに寄り添わない、退屈な(「あ~あ、どうせオレ/アタシの気持ちなんかわかってくれないよねぇ...」と利用者に思わせてしまう)ケアマネジメント。もっと踏み込んだ表現をすれば、評価を偏重することで利用者の尊厳を軽視するケアマネジメントだと言うことができるかも知れない。

Ikinokori

このような価値観の押し付けに対して、強く抗してこそ、(より広い意味での)ケアマネジャーの専門性の意義があるのだ。

もちろん、国レベルの政策に対しては、国レベルで物申していかなければならない。これまで防戦一方で存在感の薄かった日本介護支援専門員協会も、自分たちの職能を守るためには、この2018年介護報酬改定から2021年改定までの間が、まさに正念場であろう。大事なのは、もっと現場で蓄積した「ナラティブ」の技術を言語化して、それを武器に「攻め」に転じるべきなのだ。ケアマネジャーの職能は上へ上へと積み上げる職能ではなく、広く社会を俯瞰して横断的に結び付けていく職能であることを、政策側や医療系団体等に示していくことが求められる。日本協会が本腰を上げてこれに取り組むのであれば、(これまで消極的だったが)私たちもこれに協力する用意はできている。

そして、現場の私たちの動き方だ。今後、制度上の介護支援専門員が生き残るためには、「押し」が必要になる。行政の出方に右顧左眄せず、あくまでも利用者にとって最善の支援を優先し、それができる介護支援専門員や事業所であるとの存在意義を、行政や地域に大きく示していくことが大切である。

また、AIに任せられる部分は任せてしまえば良い。私は個人的に、ケアマネジメントの全面ICT化には賛成だ。本来の仕事をしている介護支援専門員にとってみれば、「人」にしかできない仕事の部分が残るはずなのだから、その部分の仕事を今後も堂々とこなしていけば良い。逆に全面ICT化を本気で心配している介護支援専門員がいたら、その人はAIにできる仕事しかしてこなかったのではないだろうか。

最後に、私たちが忘れてはならないのは、職業倫理や行動規範を守ることである。ここが職能の要であることを認識しつつ、常に人を活かす仕事をしていくことが、介護支援専門員に課せられた使命であろう。

2017年6月30日 (金)

懇親の酒席で求められる節度

昨秋の開業15周年のつどいには、地元浜松はもちろん、全国各地から実に多くの方々にご来場いただき、感激ひとしおであった。

しかし、私が地元でお世話になった関係者のうち、何人かを最初から意図的に招かなかったことは、フェイスブックの「友達」ぐらいしかご存知なかったと思う。

なぜその人たちを「外した」のか? 答えは簡単である。

その人たちは、いつも懇親の酒席で20分、30分と自分の話を長々続けて、他の参加者がなかなか口をはさめない状態を作ってしまうからなのだ(コミュニケーション障害や構音の障害等により、20分、30分かけないと話をまとめられない人とは、全く異なる)。

この該当者数名は、私と同世代からかなり上の世代にわたる人たちである。個人が特定されないように表現するが、そのうちお二人は国際交流にも大きく貢献し、相手国の(当時の)最高政治指導者と会っている人物だ。だが、それほどの人であっても、私から見る限り、自分が主催する懇親の場に出ていただくには不適格なのである。

全国各地から多くの仲間たちが、研修会や懇親会の参加費に加えて、交通費も自己負担して集まって来られている。主催する側としては、懇親会を全員にとって有意義な交流の場にしていただくように努力するのが責務だ。

場を選ばず自慢話の独演会をやってしまう人は、もちろん悪意はないだろうが、この趣旨に沿わない人である。いかに地位の高い人であろうが、懇親の酒席では「節度をわきまえない人」だと言わざるを得ない。私の業界仲間たちは、その人の話を聞くために貴重なお金と時間を使って、遠路参加しているのではない。延々とした長話は(その分野に関心のある一部の人を除き)他の参加者にとって聞き苦しいだけであろう。自分の独演会をやりたければ、自分で企画して人を呼べば良い。

これまで当たり前のように、日の当たる場所でばかり自分の業績を披露してきた人が、ある意味でナルシストになってしまい、行く先々でこのような行為を繰り返すのは、悲しいことである。そこで自己変容できる人ならば本当に尊敬するのだが、なかなかそうならないのが人間の性(さが)なのかも知れない。

しかし、呼んでしまってから、その人が長話をしたからと言ってスピーチロックをするのは、かえって気分を害する可能性が強い。そこで、最初から招かないことにした次第だ。

その人たちを「外した」結果、昨秋の「つどい」の懇親会では、各テーブルでおおむね「独演会」の弊害を避けられた。もちろん他地から来られた方の性格までは把握できないので、一部、長話をしていた人がおられたかも知れない。それでも会場の良い雰囲気を大きく損ねるほどのことは起こらなかったと記憶している。参加された方々の節度と良識とには、改めて敬意と感謝の意とを表したい。

ところで、独演会の話とは異なるが、以前に見たこんな光景を思い出した。

何年も前の静岡県社会福祉士会総会後の懇親会。講演の講師として他県から呼ばれた人も参加して、懇親会終了まで付き合ってくれた。私は講師の講演テーマにさほど興味がなかったが、若手や中堅の会員の中には、その分野に大きな関心を示した人が多くいた様子で、講演の最後には質疑応答も交わされていた。そして懇親会は立食パーティーであり、参加者は移動しながらいろいろな人と歓談できるパターンだったので、普通なら多くの会員が講師と話す機会を持てたはずだ。

ところが、同会の理事であった一人の中堅会員が、講師に次から次へと話しかけて、懇親会の大半の時間、その講師を「独占」してしまい、他の会員が寄りつけなかったのである。私はほとんど講師の隣のテーブルに居て、行き交う周囲の人たちと談話していた時間が長かったので、たまたま記憶に残ったのだが、開始一時間半後の終わり近くになってもその理事が講師とずっと話しているのを見て、「まだやってんのかい!」と苦笑したものだ。その理事に苦言を呈するほどの知り合いではなかったので、傍観していたのだが。

県社会福祉士会の理事もボランティア的な部分が少なくないだろうし、このような機会にいわば「役得」のような形で、優先的に来賓と語る機会を持つことはあって良いだろう。しかし、他の会員が間に入る余地がないような「独占」は異常だ。講師の側も、より多くの会員たちと交流したかったであろうに、一人の会員から延々と議論を吹っ掛けられていたのだから、外面はともかく、内心では決して快く思わなかったのではないだろうか。もし私がこの講師だったら、途中で「ノーサンキュー」とか言って、テーブルを移動したであろう。

これもまた節度をわきまえない好例である。

懇親の酒席では、参加した全員がなるべく高い満足感を得て、交流の果実を持ち帰ることができることが望ましい。そのために、私が席主になるパーティーでは、たとえ一部の方から嫌われようが(笑)、節度をわきまえた人たちだけをお招きする姿勢を貫こうと思っている。

私と飲んだことのある知人・友人のみなさん。どうぞ酒席の節度を守って、これからも私が快くお声掛けできる方でいてください!

2017年6月19日 (月)

ヴェルディ歌劇の面白さ(9)

ヴェルディの歌劇は過去六回鑑賞しているが、『椿姫』は初めてである。多くのヴェルディ‐ファンは早いうちにこの作品を体験するだろうから、七作目でやっと『椿姫』なのは珍しいかも知れない。

マッシモ‐ディ‐パレルモ劇場の引っ越し公演で、会場は地元浜松のアクトシティ大ホール。とは言え、確か十年ぐらい前に一度入っただけの劇場。ホームタウンなのになぜかアウェイ感。上野の東京文化会館のほうが、年一回程度は行っていただけに、ホーム感がある(^^; 第二幕に入るあたりでようやく違和感が解消した。

指揮はフランチェスコ‐イヴァン‐チャンパ、演出はマリオ‐ポンティッジャ。キャストはヴィオレッタがデジレ‐ランカトーレ、アルフレードがアントニオ‐ポーリ、ジェルモンがセバスティアン‐カターナ、フローラがピエラ‐ビヴォーナ、ほか。

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ランカトーレは容姿もヴィオレッタ役向きであり、第一幕にやや不安定な箇所があったものの、おおむね全編を通してドラマティコ‐ソプラノを朗々と歌い込み、秀逸な歌唱。第三幕のアリア「過ぎ去った日よ、さようなら」は豊かな表現力の演技とも相まって、素晴らしい出来であった。

ポーリは正統派のリリコ‐テノールで、音程が正確なのが長所。第一幕では控えめな演技で純情なアルフレードをよく表現していた。ランカトーレとの二重唱も相性好く、ブレを感じさせない歌唱。第二幕のカバレッタの末尾「...この恥辱を晴らすぞ!」のところでは(たぶん一部の聴衆が期待した)ハイC(=二点ハ音)を出さず、会場の拍手がやや少なかったが、若手歌手が長く声を維持して活躍するためには、無理をしないのが賢明であろう。

カターナは傲然とした家父長的なジェルモン役を粛々とこなし、特に第二幕「プロヴァンスの海と陸」、息子(アルフレード)の心には全く響かない設定で、聴衆にはじっくり聴かせて魅了しなければならない難しいアリアを、自然体で歌いこなし、喝采を浴びていた。

チャンパの指揮はオーソドックスで聴きやすいものではあったが、ドラマの転換点、特に第三幕では、ポイント切り替えのように緩急を意識的に調節していた。ポンティッジャの演出は照明の使い方が巧みであり、第三幕のシェーナ&二重唱でヴィオレッタ役のランカトーレが「こんなに苦しんだのに、若くして死ぬなんて!」の歌いに入るところから、彼女の顔に全く光が当たらないようにして絶望を表現するなど、随所に工夫が見られた。

ただ、せっかくの好演の価値を減じたのは、聴衆のマナーの悪さである。途中で携帯音が鳴り出すことが(聞き取れただけで)4回。そのうち1回は音を止めようともしなかったらしく、延々と鳴り続けていた。これは絶対にしないように、あらかじめ電源オフまたは消音にしなければいけないのだが、第一幕開始前に入り口で係員が小さな声で注意を促していた程度で、アナウンスは無かったと記憶している。これが東京文化会館ならば、幕の始まりごとにアナウンスが行われるし、鑑賞に来る聴衆も回を重ねている人たちばかりだから、社会常識として心得ており、せいぜい不注意で切り忘れた人の携帯音が1回鳴るか鳴らないかである。浜松は田舎だなぁ、と嘆息してしまった。

そんなことはあったものの、全体として心に残る『椿姫』であった。

なかなか身動きできない立場になってしまったので、次の歌劇(ワーグナーなら「楽劇」)鑑賞がいつになるかは見通しが立たないが、頻度は減っても、これは趣味の一つとして続けていきたいと思っている。

また、この公演には、浜松市や静岡県の医師会で重い役を歴任され、介護支援専門員の連絡組織でも私の前任者でおられた岡﨑博先生が来られていた。同先生は海外へもときどき鑑賞に行かれるとのことである。会場で顔見知りの方に出会うことはそれほど多くはないが、意外な同好の士の存在を知ることも、歌劇鑑賞の面白さなのかも知れない。

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