2020年1月22日 (水)

「お」「も」「て」「な」「し」の何が良かったのか?

最近、フリーアナウンサーの滝川クリステル氏が、結婚、出産、また夫である閣僚の育休と、話題を集めている。世間ではこの夫妻の一連の行動について、さまざまな世論が飛び交い、かまびすしい。

ところで、滝川氏と言えば、6年余も前、2013年にフランス語でスピーチした東京五輪招致のプレゼン、「お」「も」「て」「な」「し」がよく知られている。メディアはこぞって、このスピーチに関して報じており、日本中の話題になった。

にもかかわらず、寡聞にして私は、このプレゼンがなぜ奏効したのか、的確な論評に接したことがない。

それどころか、あのフランス語は取って付けたようなにわか作りだったとか、安っぽいパフォーマンスだったとか、批評の名に値しない批判を展開する人たちも、少なからずいた。五輪招致そのものに反対だった人たちが「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」式にこのプレゼンを貶めたのは論外であるが、五輪招致側の立場の人たちからも、このプレゼンのありかたについては賛否両論があった。

そして、高く評価する人たちも、「初めに一音節ごとに区切って、そのあとで普通の言い方で『おもてなし』と続けた」ことの効果に言及しても、「なぜ?」の疑問に答えていない(少なくとも私が見聞きした範囲では...)。

私自身、フランス語の読み書きも会話もできないが、批判を恐れずにあえて論及しよう。

もう二十年も前になるが、とある集まりの席で、欧州でクラシック音楽のお仕事に従事されていて、フランス語、ドイツ語、イタリア語を一通り話せる女性歌手の卓話を聴く機会があった。

その卓話の中で印象に残った部分。「フランス語って、リエゾンなどがあって音が切れ目なくつながっているように思われているんですが、実はポン、ポン、ポンと音節が歯切れよく切れるように歌うんですよ。むしろドイツ語やイタリア語のほうが、複数の音節が切れずにつながって流れるように歌うんです」。

目から鱗である。

帰宅してから、「カルメン(フランス語)」「タンホイザー(ドイツ語)」「アイーダ(イタリア語)」などを聴き比べてみると、確かにそのように聴こえる。自分の頭の中で勝手に作り上げていた「常識」が覆される思いであった。

それまでは「字面」に惑わされていた面が強かったように思う。フランス語はしばしば、次の音節や前の音節の文字に引きずられて、発音が変転するが、ドイツ語やイタリア語はそれが稀である。なので、私たち日本人は、あたかもフランス語は複数の音節が「つながって」おり、ドイツ語やイタリア語は音節ごとに「切れている」かのような先入観を持ってしまう。

実際に発音されたものを聴くと、逆ではないか!

つまり、滝川氏はこの「切れている」フランス語の特性を最大限に生かして、日本の心をフランス語圏やフランス語を理解する聴衆に訴え掛けるスピーチをしたのである。それが「お」「も」「て」「な」「し」→「おもてなし」のプレゼンだったのだ。

あれから6年余が経過し、この夏にはいよいよ2020年の五輪本番である。オリンピック・パラリンピックを通して、プレゼン同様に心のこもった「おもてなし」で、世界各地から来日する人々を歓迎したいものである。

2020年1月12日 (日)

史料好きの倉庫

「世間に類多き代物かも知れないが、ちょっとだけ痒いところに手が届く」...

...そんな便覧が「あったらいいな」と思っても、なかなか簡単に作れるものではない。

歴史上の数多くの人物について、その歩みを知りたいと思っている私は、自分が生まれ育った日本の歴史に関するさまざまな史料に接してきた。特に、地方を統治した大名や領主の系譜に関しては、幼少時代から強い関心を持っており、成人してからも仕事の傍ら、さまざまな史料を閲覧してきた。

それを自己流にまとめたのが、『史料好きの倉庫』である。どうやら手掛けたのは2004年らしい(いちばん古い部分がその年の日付になっているので)。実に16年がかりで完成したことになる。

Shiryozuki

この類の一覧は、すでに私と同様な好事家がまとめている優れた便覧が、ネットにいくつもアップされている。私自身、それらの「先輩」の作品を参照させていただいたことも少なくない。先行されている方々には深甚なる謝意を表したい。

他方で、私自身も20代から40代にかけては、全国各地を自分の足で歩き、図書館や文書館に何時間も詰めて、所蔵されている史料を写し取ってきた。その成果はこの一覧に反映されている。

特色は、(1)男女を問わず、また名義上の家系図に捉われず、大名家の実質的な当主を掲載したこと、(2)法名や号について、知られている限り掲載したこと、(3)孫が祖父の跡を継いだ場合、その間の〔早世・廃嫡等により〕継がなかった人物も掲載したこと、(4)中規模以上の大名の場合、配偶者(大部分は女性)の続柄、それも実名が判明している者は実名で掲載したこと、(5)諸大名の陪臣であっても、1万石以上の禄高で地方知行一円支配や陣屋支配をしていた者については、原則として当主名だけであるが掲載したこと、等である。

あくまでも趣味の世界なので、専門的に見れば俗流の批判は免れないだろう。記載した内容に誤脱も少なくないと思われる。忌憚のないご指摘を願いたい。ただし、江戸初期以前の人名や系譜、領地等については、原史料に乏しく、説や見解が分かれている場合も多い。自説を主張したいためのコメント、メッセージ等はご遠慮いただきたい。たとえば法名などを調べ切れず、空欄になっている部分も結構あるので、それらを補ってくださるようなご指摘がありがたい。

調べ物をされる方々のご参考程度にでも、お役に立てば幸いである。

2020年1月 5日 (日)

ハプニング続きの年末年始

これまでにもあったが、年末になると仕事が過密になりがちなので、不用意にケガをしてしまうことがある。

12月19日、仕事が終わって帰宅し、自宅で食事の準備をしようと、照明を点けないまま台所へ行き作業しようとして、柱の突起部分の横をすり抜けようとしたところ、右足に激痛が走った!

暗がりだったため、わかっているつもりで距離感覚を誤り、気が付いた瞬間に柱が右足薬指と小指との間に挟まっていた!

幸い、出血はなかったが、痛みと内出血とが治まらず、当座の処置として残薬の湿布を貼り付け、翌朝まで何とかしのいだ。

20日に整形外科へ行ったところ、右小指の基節骨の部分が亀裂骨折していた。過去、生命に関わりかねない打撲を三回もやっているのに、骨折は59歳になった今回が、生まれて初めての経験なのだ!

医師の指示により、バディ固定して悪化を防ぐことになったが、歩くときに右足の外側に重心を掛けられないので、内側(親指側)を踏みしめるしかない。勢い、左足に4分の3ぐらいの比重がかかることになってしまう。不自由なこと一通りでない。

また、何日も姿勢のバランスが崩れていたので、23日から数日は腰痛もかなり強かった。

25日はクリスマスの「日中のミサ」のために教会へ行ったが、閉祭後に信徒会館へお茶を飲みに行ったところ、雑踏の中、軸足の左足が他の人と衝突して転倒してしまい、早々に帰宅してしまった。

27日に整形へ再診して、ひとまず悪化していないことを確認。歩き方に慣れてきたのか、腰痛も一段落。

29日から仕事が休みなので、今年最後のお刺身をと、いつもの「丸一魚店」に予約してあったものを受け取りに行った。ついでに注文した数の子も購入。

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30日は短時間だが事務所へ行き、重要な連絡が入っていないか確認。体感温度が冷たかったので、牡蠣とエリンギのアヒージョで夕食。

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31日、一年最後のディナーはクリームシチュー。今年もお疲れさまでした...となるはずだったのだが...

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ここからハプニングが連発!

まず、20時ころになって、2階のテレビが突然映らなくなってしまった。周辺機器も含めいろいろ操作してみたが、全くウンともスンとも言わない。もともとNHK紅白を視るつもりはないのだが、一年の締めで「ファルスタッフ(ヴェルディ)」のDVDを視る予定だったのを中止! 何が原因だったのか? 気が付くと22時ころにテレビは復旧していたが、なぜかBD/DVDの入力に切り換えると、ザーザー霧が掛かってしまい、視聴できない。

それから、深夜の年越しの時刻になって、ひどく気分が悪くなった。シチューの食材が中ったのか、他の原因なのかわからないが、年が2020年に変わった直後から下痢と嘔吐を繰り返してしまい、何回もトイレまで往復する状態で、最悪のスタートに(-_-:

それでも短いながら睡眠を取り、起床してみると嘔気は治まっていたので、残っていたパンで軽く朝食を摂り(さすがに餅は回避)、教会の「神の母聖マリア」のミサ(午前10時)へは予定通り出掛けた。

帰り道、予約してあった「すし兵衛」の持ち帰り寿司を受け取り、自宅で昼食を摂ったときには、体調はおおむね回復。

元旦の夕食は、免疫力の向上を意図して、にんにくとエビとブロッコリーの中華炒めに。

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2日、年賀状とファクシミリの整理のため、事務所まで出掛け、午後の早めの時間に帰宅。

そして、またテレビが故障してしまったのだ。しかもこんどは1階(笑)! リモコンの電源ボタンを一回押して切れなかったので、「こっちでもいいだろ?」と思って機器上部のボタンを押して電源を切り、再度押したところ、こちらも映らなくなってしまった。プラグを抜き差ししていたら何とか復旧したが、30~45分ぐらいでプツッと電源が切れてしまう。

両方ともテレビは12~13年経つので、寿命かなぁ、とも思う。

この日の夕食は、毎年一回挑戦するマッシュポテトのグラタン。アツアツの一品が魅力。

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3日はどこへも出掛けずに、体力回復を期してのんびり過ごした。いろいろ重なって疲れたため、料理はレトルトなど家にあるものをテキトーに組み合わせて、手抜き。

4日が仕事始め。おおむね実績整理と未処理事案への対応に終始した。

5日(きょう)は日曜日なので定休日。午前中は自宅の掃除、午後は趣味である歴史文献(蔵書等)の閲覧。ディナーは母譲りの、牛肉と卵の炒め物。

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こんなハプニング続きの年末年始であったが、なにごともドタバタで始まると良いことが多い、と言われているように、かえって吉兆なのかも知れない。

昨年は各地の水害など、芳しくないニュースも多かった感がある。春にかけて、各地の友人・仲間のみなさんともども、一陽来復を期したいものである。

2019年12月25日 (水)

自ら進んで灯りを点ける人

多くの人が少年時代に、O.ワイルド(1854-1900)の『幸福の王子』を読んだことがあるだろう。そしてその最終の場、自分が着けていた宝石や黄金を貧しい人たちに惜しみなく分け与えた王子と、それに対して献身的に協力したツバメとを、神様が天国で再生させる段に至って、瞼を潤ませた経験を持つ人は少なくないのではないか。

この王子やツバメのような気高い行為は、誰にでもできるわけではない。ましてや、偽善や打算(結果的に人の幸せをもたらすのであれば、偽善も打算もそれだけで批判するつもりはないが...)ではなく、素のままで自己犠牲や献身ができる人は、私たちの周囲にも、簡単に見付けられるものではない。日本中を見渡しても、一握りではないだろうか。

南関東のある地域に住む女性、A子さん(仮名)。

私がお会いしたのは17年前。自分が開業して二年余のとき、各地の仲間と協働して立ち上げた企画のパネリストとして、浜松に来ていただいたときである。

介護保険が制度が開始されて三年弱。いまだ各地で現場の混乱が収まらず、「囲い込み」を事としたケアマネジャーも横行していた時期である。とあるメディアで市民活動団体の取り組みが紹介されており、それを見てA子さんの存在を知った。当時、A子さんはチャキチャキの若い市民活動メンバーとして、地域の仲間たちと一緒に、介護現場の状況改善へ向け、市民目線で提言していくために活動されていた。そこで、私たち独立型のケアマネジャーを後押ししていただく意味で、市民の立場から彼女にシンポジウムで発題していただいたのだ。

このころのA子さんは、辺りを払うパワーで輝いている印象が強かったことを覚えている。

A子さんはその後、高齢者分野・介護分野から離れて障害者支援に転じ、団体の再編や新たなプロジェクトの立ち上げなどを経て、自分たちが中心となって市民活動団体を創設される。その経過は時折ネットで目にしていたものの、部門が離れてしまったこともあり、ずっと彼女は遠い存在であった。

先日、上京中に心組んでいた予定が不調になり、時間が空いてしまった。東京で買い物するよりも、久しぶりに同地へ行ってみようか、と思い、二日前になってA子さんに連絡してみたところ、応諾をいただき、出掛けて行った。

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17年ぶりの再会。ご自身が中心になって運営されている、福祉系の授産事業所で作った品物を販売する店(小児科系の大病院の一角)で待ち合わせ、お昼をご一緒していただいた。

端正なお顔立ちではあるが、際立った美女というわけではなく、外観だけであれば、服装も含めてごく平凡な存在なので、道ですれ違っても、特に周囲の目を惹く方ではない。「お姉さん」から、そろそろ「おばちゃん」と言われる年代である。持ち前の明るい笑顔で、ビジネスやプライバシーや、飾り気のない自然体でいろいろと語ってくださった。

同席しながら、A子さんの内面からにじみ出る「人」としての美しさ、気品の高さは隠し切れないなぁ、と強く感じたものだ。17年の時を経て、取り組む分野が変わっても、彼女が一段と輝く姿を見て、私は嬉しかった。

A子さんがいまのプロジェクトに手を着けられてから12年。市民活動団体として独立されてから9年。その間、このプロジェクトを推進するため、ご自身の力を注入されてきた。健康面では決して十全だったわけではなく、大きな病気で複数回の入院も経験されたとのこと。

販売するものの品質は決して「障害者が心を込めて授産施設で作ったものを買ってもらう」レベルのものではない。食品類は一流のシェフの指導を受け、市場で十分に戦える質を備えたものなのだ(実際に賞味して納得できた)。中身を伴った製品なので、病院に来る子どもたちや親たちにも人気である。

いま、このプロジェクトは事情があって拠点を移すことになり、A子さんたちはそちらの設備投資にかかる経費の調達に苦戦されている様子だ。非力な私であるが、貧者の一灯程度にでも、何かしらお手伝いできないものか考えている(自分自身が年末、不覚にも右足小指を骨折してしまったので、アクティヴに動けそうもないが...)。

A子さんの意図は障害福祉の枠にとどまらず、このプロジェクトを通じて、多くの市民たちの共生の場を広げていくことにある。この運動が実現すれば、障害を持つ人たちや、引きこもり・ニートの人たちや、病弱な子どもたちや、さらには外国にルーツを持つ子どもたちや、介護が必要な高齢者も含め、多様な属性を持つ人たちへの偏見や差別が次第に力を弱めていき、やがては誰もが住みやすい地域になる。

それだけの大きな意義を持つ計画に長年取り組んでいるA子さん自身は、受ける報酬が極めて低い。献身や自己犠牲の姿勢なくしては続かないであろう。それが事業に対する「正当な評価」の観点から望ましい姿なのかはひとまず措いて、誰かがやらなければ前進しないことも、また現実なのだから。

何よりも素晴らしいのは、そのお店を軸としてA子さんの周囲に集まる人たちが、笑顔にあふれていることだ。彼女と同じ空気を一時間吸っただけで、心がポカポカと温まるのを感じた。

A子さんの生きかたは、どれだけ多くの人たちに幸せをもたらしているだろうか? 本ブログで以前から言及している、人を傷付けて稼いでいる連中とは対極にあることは、いまさら言うまでもないであろう。

コルカタの聖テレサの名言で、「心のともしび」の標語にもなっている言葉が頭に浮かぶ。

「暗いと不平を言うよりも、進んで灯りを点けなさい」

A子さんがその仲間たちと手を携えて、難局を乗り切り、住みよい地域を創り上げていけることを、心から祈りたい。

2019年12月18日 (水)

人と会い、人と語り(8)

中高年(むかしなら、すでに「初老」と呼ばれていた年齢だが...)の私としては、これから自分の交流範囲が縮小しないように、そろそろ心掛けないといけない時期だ。

特に、母の介護を契機にいろいろな役職から退いたこともあり、気軽に語り合える地元の業界仲間も減少している。

しかし、良い時代になったもので、ブログやSNSを媒体として、日本全国の業界内外の仲間とのお付き合いがとても容易になった。〇〇県の△△さんが直近に何をしていたか、お互いに知り合うことが可能になっているのだ。私が20代のころには、物理的な距離感が大きいことが交流を妨げていたが、いまは離れていても身近に感じるのは、ネットの恩恵であろう。

そんなわけで、今年も自分の開業18周年を口実に、来られる方に来ていただき、飲み会をしようと心組んでいたが、自分の都合で結構時期が遅くなってしまった。11月23日(土)勤労感謝の日に、お互いの労苦へのねぎらいを兼ねて開催。

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お集まりくださった方々は2県6名。三年前(午後の企画とセット)は14都府県62名、二年前は5道県11名、昨年は4県8名だったので、次第に矮小化(?)しつつある(笑)。ご参集くださった方々には心から感謝の意を申し述べたい。

鈴木さん(長上苑。右から三人目)、中山さん(トーケイモータース。左端)は四年連続。久保田さん(聖隷クリストファー大。左から三人目)、平田さん(シリアヴィラ・パトリ。右奥)は三回目である。それぞれ、本ブログに過去複数回ご登場願っている。

初のご参加はお二人。小池美枝子さん(右から二人目)は名古屋市でケアマネジャーをされており、スペイン語を生かして外国人支援にも携わっておられる方。大貫芳夫さん(右端)は生活クラブ生協の配達を担当され、市民活動団体とも協働されている方だ。お二人とも視野がお広くご見識の高い方であり、私はFacebook等の場で学ばせていただいている。

今回は初対面の方同士に意外なつながりがあったことが判明するなど、インティミットで佳い時間を持つことができた。

仕事も活動も異なる人たちが集って、お互いを尊重しながら意見交換をするのは素晴らしいことであり、今後もこの種の「自前企画」は、時期を見ながら続けていきたいと考えている。

さて、すでに読者の方々にはご存知の通り、私はときどき首都圏や関西へ出掛けて行く。浜松に居るだけでは生活が単調になるため、刺激を求めて業界内外の若い方々と交歓したい気持ちがあるからだ。

この冬にも、12月10日(火)、東京まで泊り掛けで「出張」してきた。

20191210shinjuku

画像のお二人は、用心棒稼業の怪しい方々ではない。左の方はアームレスリング、右の方は空手を身に着けておられるので、まぁ格闘家と言えないことはないが、「趣味・特技」ぐらいかな?(^^;

以前のエントリー、「人と会い、人と語り」の(2)に登場された練馬(ご出身は石垣島)の「ミッキーさん」=奥平幹也さん(左)と、(6)に登場された沖縄の「カルロスさん」=玉城竜一さん(右)である。

ちょうどカルロスさんが認知症指導者研修のため在京されていたので、それなら双方にとって旧知のミッキーさんと席をご一緒しましょうか! とお誘いして、お二人にご快諾いただいた。「暗い酒場の片隅(?)」状態だが、ミッキーさんがご存知のリーズナブルな店で会食。

カルロスさんが参加されている研修成果を今後どう活用するか、ミッキーさんが取り組まれている人材育成の課題と展望はどんな状況か、首里城再建や沖縄の現況をどう見るか、などがおもな話題になった。

二時間程度の間に、それぞれのお立場からの、たいへん有益な情報をいただき、意見交換することができた。特に私が再確認できたことは、「優れた人は、相手や対象になる人や組織の側がどうしてほしいかを、常に考えて行動する」点である。自営業の私は、気が付かないうちに、振舞う姿勢が自事業所本位に傾いているかも知れない。自分自身を振り返って心したい大切な部分だ。

漫然と仕事を続けている人たちと中身の薄い談話をするより、お金や時間を掛けても、普段なかなか会えない人たちと中身の濃い話を展開するほうが、あとに残る充実感ははるかに大きい。

さて、今回の東京行きは定休日(水曜日)をはさんで二泊したので、11日にも他のところへ足を延ばした。これについては、別の機会に稿を改めて書きたいと思っている。

2019年12月15日 (日)

片付け下手の断捨離(6)-世界の歴史等の書籍いろいろ

前回より続く)

私の興味・関心は日本史・中国史にとどまらない。少年時より、広く世界各地の歴史・文化・宗教について学びたく思い、半世紀の間、さまざまな概説書や史伝・史論、文学作品、さらに政治・経済関係などの書籍を買い集めてきた。

シリーズものであったり、ア‐ラ‐カルトであったり、古代から現代まで、アジア・アフリカ・欧米(ヨーロッパや北米)・中南米、そしてオセアニアまで含め、各地に関連する書物群が書庫を満たしている。自分が学生時代にカトリックへ入信したこともあり、比率ではヨーロッパのキリスト教圏関係の割合が多い。

ラテン語、アラビア語、サンスクリット語、あるいはユダヤ語などは、古典中国語(漢文)と違い、読解できないので、原典はさすがに置いていないが、古典(歴史・文学)の訳本はいろいろ入手して読む機会があり、書棚の一角を占めている状態だ。

Sekaishi

書店で実際に手に取ってめくった上で、自分が「ぁ、これ手元に置いておきたい」と思ったら(お財布と相談しながら)買っていたので、古いものはすでに絶版になっている書籍もある。30代以降は近現代の政治史が増えてきたが、このところ、ネットでいろいろ調べられるようになってきたこともあり、新たな購入はまれになった。

とは言え、貯まっている書籍の整理をどうするかは、一つの大きな課題となる。

すぐに手離しても良いのは、時代遅れになっている書籍。ヨーロッパ中心史観を踏まえた史論とか、最新の研究がなされる前の年代前提に記載されている古代の概説書とか。それ以外は、それぞれの分野や主題に関する優れものが多いので、断捨離には悩むところだ。

ただ、いずれ何年か先には、事務所に置いてある介護・保健・医療・福祉関係の書籍を、自宅に移さなければならなくなるだろう。それに備えて、自宅に保存しておいても意味が薄いものから、順次お払い箱にしていこうと考えている。

さて、年末年始も間近なので、「断捨離」の話はいったん打ち止めにして、2月あたりから再開したい。

2019年12月 9日 (月)

片付け下手の断捨離(5)-日本史関係の書籍

前回より続く)

歴史全般、と言いながら、日本国民として生まれ育ち、この国に住んでいる以上、日本史(国史)に関連する書籍を多数所蔵していることは、言うまでもない。

特に、中世以降の時代に係る、おもに名家の系譜などに関する書物・典籍や、各種事典類など(画像)は、自宅で一通りの調べ物ができるほどの蔵書がそろっている。また、個別の主題に関する史論や、個人の史伝も、相当な分量になる。

全国にわたるものが多いが、地方史に関する書籍もかなり収集している。多いのは上杉家/米沢藩、伊達家/仙台藩、毛利家/長州藩、島津家/薩摩藩、佐竹家/秋田藩など。これらのうちの一部は、それぞれ現地まで出向いて入手している。各地へは旅行と抱き合わせで、調べ物にも赴いているのだ。

Kokushi

かれこれ合計すると、書庫三つ分ぐらいになるので、今後どう整理するのかは大きな課題だ。

まず、事典類や典籍類は古いものでも安易に捨てられない。手離したら最後、市や県の図書館まで出向いても、同じものが閲覧できないこともある。自宅にこれだけのものがそろっていること自体が、一つの大きな価値なのだ。

とすれば、整理するのは史論や史伝類からなのだが、これもなかなか捨て難いので、あまり簡単に断捨離とはいかない。処分するとしたら、単なる読み物の類か、時代に合わなくなった古い史論・史伝ということになろう。ただし、自分がどこまで本気になって書庫を整理できるか...

どうやら、このジャンルの書籍は、自分が動けなくなるまで保存することになりそうだ。

次回へ続く)

2019年12月 4日 (水)

片付け下手の断捨離(4)-ヴェルディ歌劇のCD・DVD

前回より続く)

音楽や舞台芸術の分野に限らないが、天はときどき意図したように、対照的なライバルを同時に世に登場させる。同じ1813年生まれのヴェルディとワーグナーも、その好例だ。

私がヴェルディの歌劇に接し始めたのは、ワーグナーよりはちょっと遅いが、それでも中学生のときには両親に頼んで、『アイーダ』『椿姫』のLPレコードを手に入れた。この二つは頻繁に、歌詞カードを見ながら当時のプレーヤーで聴いていたので、いまでも字幕なしの映像で楽しめるほど、細かい部分の台詞まで大枠は頭に入っている。

その後はあまりヴェルディに関心を持たなかったが、30代半ばころから、ワーグナー一辺倒もいかがかと思い、少しずつヴェルディのCDやLDの収集を増やし始めた。最近はワーグナー同様、CS放送からBDに録画することも多い。

Verdi

ヴェルディは何と言っても作品数がたいへん多く、ヴェルディ自身により後日改訂されたものの前・後を合わせて一つと数えても、歌劇の数は全部で26に及ぶ。私が好きな順に挙げると、『ドン‐カルロス』『シモン‐ボッカネグラ』『ファルスタッフ』『トロヴァトーレ』『運命の力』といったところである。意外にも幼少時から聴いている二作はベスト5に含まれていないのだ(笑)。

先般、イタリアではヴェルディ生誕200周年を機に、「トゥット‐ヴェルディ」なる企画が持たれ、全26歌劇および『レクイエム』の27作品が相次いで上演されて、それらのDVDが販売された。日本でもCSのクラシカ‐ジャパンで放映されたので、その期間だけ(笑)同チャンネルを契約、全部録画して保管してある。

こんな具合であるが、あまり貯めてもケースに眠っているだけのものが出てきてしまう。そこで、自分で一応のルールを定めて、「同一作品が5つを超え」たら、古いもの、またはあまり魅力がない歌唱や演出のものから順次処分することにした。いま、収納ケースからCDはあらかた無くなり、ほとんどBDとDVDだけになっている。

最近は前衛的な演出が増えたが、ヴェルディ作品の粋は主役級の歌手、特にバリトンの歌唱である。私は保存するときに、バリトンの歌唱の出来具合を一つの判断基準にしているので、演出の巧拙はそれほど重視しない。それでも、なるべく各作品に最低一つはオーソドックスな演出のものを残して、個性的な演出のものと比較しながら、それぞれの良さを楽しみたいと思っているのである。

次回へ続く)

2019年11月27日 (水)

片付け下手の断捨離(3)-ワーグナー楽劇のCD・DVD

前回より続く)

幼少時からクラシック音楽を愛好していた私は、おとぎ話の延長線のような形でワーグナーの楽劇を知り、両親にねだって『タンホイザー』や『ローエングリン』のLPレコードを買ってもらった。

成人してから、自分でCDやLD(レーザーディスク)を選んで、『トリスタンとイゾルデ』『ニュルンベルクのマイスタージンガー』など、いろいろと購入するようになった(画像)。DVD主流の時代になると、LDからダビングして移行したり(画質は落ちてしまったが...)、CS放送から録画したりと、結構な分量のものが自宅の棚や箱の中に格納されている。このところ、新たな録画はBD(ブルーレイ)を使うのが原則になった。

Wagner

ワーグナーと言えば、多くの演出家は作品の舞台になった古代や中世の「物語」をそのまま描くのではなく、ワーグナーの本来の意図を推察しながら、いろいろと自己流に読み替えて、再構成していく(具象的と言うより、どちらかと言えば抽象的な)演出が主流になっている。中には奇をてらって意図がわかりにくくなってしまった演出もある。逆に最近はBDやCSの映像では、オーソドックスな物語通りの演出がほとんど見られなくなってしまった。

そのため、古い録画であっても、オーソドックスに近い演出のものを一つだけは残しておきたいので、断捨離には頭を悩ますところである。手元不如意で、実際に劇場まで足を運ぶことが減ったこともあり、自宅で楽しめるものは取っておきたい気持ちもある。

結局、BD・DVDのケース4箱に収まる分は保管して、あふれたら「ま、無くてもいいか」と思ったものから処分しているが、いつかは古いCDやDVDも少しずつ手放さなければならなくなるだろう。

次回へ続く)

2019年11月20日 (水)

片付け下手の断捨離(2)-中国史関連書籍

前回より続く)

幼少のころから世界史に興味を持っていた私であるが、小学5・6年生から中学生になる時期、特に中国古代史に強い関心を持ち、十代のうちに、『史記』に始まって『隋書』あたりまでの「正史」を、斜め読みながら通読した。ちなみに、大学では東洋史学専修課程に進み、卒業論文の主題は6世紀の陳王朝であった。

そのため、「断捨離」がいちばん難しいのが、この中国史関連書籍である。

まず、上記の「正史」。手元にあるのは中華書局から発刊された膨大な分量のものであり、「二十四史」のうち『漢書』から『明史』まで、および『清史稿』が、いくつかの書棚や箱に分散、収納してある。いまでも「えぇっと、○○書の△△伝は...」といった感じで、しばしば引っ張り出して参照している。これらは私がいつか自分の家に居られなくなるときまでは、おそらく手放せないであろう。

『史記』と『資治通鑑』、および史論、訳本、事典類は、一つの書庫にまとめてある(画像)。「断捨離」をするのであれば、こちらの書庫が先ということになる。

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たとえば、「アジア歴史事典」は第一巻の発刊が1959年と、すでに60年を過ぎている。その間に新しい研究がどんどん進み、いまやこの事典の記述は全く時代遅れとなった。また、インターネットの普及により、歴史用語などの専門的知識を手軽に閲覧できる時代にもなっている。

また、史書類は原漢文で読めば良いのだから、訳本を重宝して残しておいても、あまり意味がない(逆に小説類は原文を四苦八苦して読むよりも、「名訳」で読んだほうが面白いので、あえて訳本だけしか買わなかった)。

処分するとしたら、まずこの辺りから始めることになりそうだ。放置しておいても埃が溜まるだけなので、早目に整理を進めたい。

次回へ続く)

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