2018年12月 5日 (水)

教育機能の欠如

12月に入り、忘年会シーズンたけなわである。

ところで、私は宮仕えしていたとき(合計15年余)、最初の2~3年を除いて、その後は職場の忘年会に出るのがあまり好きではなかった。

「なぜだろう?」とことさらに問い返したこともなかったのだが、いまになって思い返してみると、単なる職場内親睦のための「息抜き」「浮かれ騒ぎ」に終始してしまっていたことが、大きな理由だった。

たとえば、同じ時期に出ていた社会福祉士会の忘年会では、杯を傾けながら、福祉業界におけるさまざまな分野での、クライエントへのアプローチの違いや苦労したエピソードなどを語り合い、視野を広げることができた。また、外国人労働者支援団体(ボランティア)の忘年会では、楽しく食事するためのマナーを分かち合うところから、文化、宗教、思想など多岐にわたるまで、熱く意見を交わすことができた。

残念なことに、旧勤務先の忘年会には、その類の収穫がなかった。せっかく他社からゲストを呼んでも、そのゲストとの「間」の取り方(「親しき中にも礼儀あり」)を教わるわけでもなく、歌や隠し芸や世間話・噂話が主流になっていた感が強い。

介護支援の技術にしても、ビジネスに臨む姿勢にしても、何かを一からしっかり指導・伝授してもらった記憶があまり残っていないことを考えると、全体として、職場の教育機能が乏しかった印象である(あくまでも私が在職していた当時の状況であることを、お断りしておく)。それが忘年会の様相にも影響していた。

同様な職場は、業界を問わず各方面に散見される。建設業をはじめとして、人手不足を嘆く事業所が多いが、教育機能が欠如しているために人が集まらない、定着しないことを理解していない事業所が少なくない。

若手に魅力のある職場では、実際に優れた上司(中間管理職)や先輩社員がいて、部下や後輩に対する教育機能が充実している。そこで育った若手がやがて中堅になって、こんどは後進に対して優れた指導をしていく、好ましい連鎖が続く。

そのような事業体では、「人」を大切にする。坂本光司氏(経営学者)は、企業が一番大切にすべき対象は「社員とその家族」だと述べているが、至言である。

メディアにときどき取り上げられる秋山利輝氏が率いる横浜の秋山木工。全寮制で5年間ストイックな生活を強いる「現代の丁稚制度」を続けているため、ブラック企業だとも評されているようだ。しかし関連情報を調べた限り、職人から丁稚へ、兄(姉)弟子から弟(妹)弟子へ、一つひとつ念入りに木工の技術を伝達しながら、ものづくりの精神をしっかり継承させる方式が確立しているとのことだ。秋山氏の方針で、同社の丁稚は年二回しか帰省できない代わりに、家族との手紙のやり取りは頻繁にしているとのこと。厳しい「修業」に耐えられずに脱落してしまう若者も多いようだし、時代にそぐわない面もあるかも知れないが、教育機能自体はたいへん充実した事業体だと言えよう。

これほどではないにしても、現場ではプロフェッショナルとしてあるべき姿、技術や心構えをしっかり伝授していくことが大切である。「上司や先輩も忙しいんだから、自分で見て覚えろ」では、本当に現場で使える社員(職員)が育たない。

介護業界に話を戻すと、これから地域で望まれる施設や事業所にしていくためには、現場での教育機能の充実が必須条件だ。株式会社、社会福祉法人、医療法人、NPOなどの種別を問わず、この機能を持たない事業体には、先細りの運命しか待っていないであろう。

市民にとってみれば、そのようなところで劣悪な介護を受けるよりは、早くツブれてくれて、優良法人に合併してもらったほうが、幸いだとも言える。

教育機能の欠如は、経営者にとっても死活問題だと認識してほしい。

2018年11月26日 (月)

浜松周辺「塩ラーメン」の競演

ラーメン食べ歩きは私の楽しみの一つだが、最近は醤油、とんこつ、味噌などよりも、塩系のラーメンを食する割合が増えてきた。自分の嗜好が変わりつつあるのかも知れないが...

これまでにも述べてきたように、浜松周辺では個性的なラー店が百花繚乱の様相を呈しているので、もちろん塩系もいろいろな店が力作の一品を仕上げて待っていてくれる。

今回は、そのうち特に好きで頻繁に行く店を、4か所紹介しよう。

(1)『海老蔵』の「味玉塩らーめん/白」

有玉なので、東区でも中区・北区との境目に近い場所にある。地理的な条件から、月一回開催されるケアマネジャーの勉強会が終わったあと、夕食に立ち寄ることが多い。平打ちの太麺は腰が入って何とも歯ごたえがあり、「白」はかつお味の白濁スープで、そこに塩を利かせた味が巧みにブレンドされている。ボリュームがあり、大切りのチャーシューが豪快。味玉は私が知るラー店のうちでも随一で、このスープには実にマッチしている。

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(2)『破天荒・風雅』の「桜エビ塩」

東海道沿いで、天竜川駅の近く。以前は仕事の都合でこの方面に出向くことが多かったが、最近は買い物に前後して食事することが多い。よく注文するのがマー油味の「味玉・黒」だが、数か月前にこの「塩」の美味しさを発見。桜エビ本体は4つ程度だが、スープを飲むとエビの出汁が口の中いっぱいに広がる。中太縮れ麺は全粒粉麺なので、食欲をそそる一品でもある。桜エビ不漁のニュースもあり、この品が今後も続くかが心配。

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(3)『麺's Natural』の「鶏SOBA・汐」

萩丘なので中区でも北寄りに位置。事務所からはやや遠いが、北の方面へ仕事で出向いたときの昼食に利用している。フランス産の岩塩とトリュフ塩のスープで、他では味わえない独特の透き通った塩ダレを活用。豚のレアチャーシューと鶏チャーシューもバランスが好く、細麺の盛り付けも整っている。生醤油とブラックもあるが、個人的には「汐」がイチオシ。なお、ここは無化調の店としても知られている。

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(4)『けい蔵』の「煮干し中華・塩」

領家に最近できた店。ただし、この煮干し系は、師匠店の「武蔵」や兄弟子店の「なかの」で何回か食べている。それらの店では一時「99%煮干し」や「極煮干し」があり、私のテイストに合っていた。いまはメニューから無くなってしまったが、『けい蔵』の煮干し中華はそれを継承する一品。程良い煮干しの出汁が塩とマッチして海鮮風味を引き立てている。中太麺と細麺とが選択でき、どちらも相性は悪くない。

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この四品はいずれ劣らない味覚なので、他店の麺を交えながら、1~2か月の間に周回しながら食する習慣が身に着いてしまった。

塩系に限って言えば、少し遠い地域まで広げると、以前紹介した浜北区於呂『おえかき』の「ふわまる・塩」や、磐田市福田『一鳳』の「いそ塩」があり、それぞれ近くまで出向くたびに足を延ばしている。また、諸事情により未体験だが一度は賞味したい品として、北区細江町『貴長』の「塩ラーメン(あおさを練り込んだ緑麺)」など、他にも3~4品が挙げられるだろう。

総じて、浜松の各店が妍を競うように、美味しさを引き出した塩系のラーメンを創造しているので、食べる側としては選択に困らない状況である。ラー店の数やバリエーションに乏しい地域から見ると、うらやましい話なのかも知れないが、これも多様性の街である浜松の一つの楽しみとして、享受したいものだ。

2018年11月18日 (日)

機会をつかみに行かない人に、機会などめぐってくるはずがない!

浜松やその周辺地域、静岡県西部の介護・福祉業界仲間には、歴史的な風土にも影響される、一つの特性が見られるようだ。

一言で言えば、多くの若手・中堅の業界人が「居座って動かない」のである。

誤解を招くかもしれないので補足するが、彼ら・彼女らは、自分が所属する職能団体や業界団体の研修会や大会など、いわばお定まりの枠の中の集まりであれば、普通に参加して他の都道府県の業界人たちと交流してくる。

しかし残念ながら、そこから先への広がりがない。

昨年のエントリーで、県西部のことを「大きな田舎」だと評したことがあった。いまでもその現実は変わっていない。なぜこの表現を使ったかと言うと、政令市の浜松が多様性のモデル地域であり、さまざまな種別の団体や活動が共存しているので、浜松近傍の業界人たちの多くは、他地域の人たちと意欲的に交流しなくても、自分たちで情報を充足できると錯覚してしまう状況になっているからだ。インターネットが普及してからは、なおさらその感がある。制度や政策の変転についても、坐したままで「そんなこと、私もわかっている」となってしまうのであろう。

これは見当違いも甚だしい。

クールな情報のパッケ-ジを受動的に受信して、「わかっている」と思っているだけであり、その変転にまつわる各々のコンテンツの生々しい諸相について、各地の現場での現実はどうなっているのか?といったホットな情報は、能動的に求めていかないと把握できないのだ。浜松近傍の業界人たちはそこに気が付いているのだろうか?

むろん、各人がそれぞれ、他地域の業界仲間に全く知り合いがいないわけではないのだから、そのような人たちと互いに意見交換する機会はあるだろう。だが、気心の知れた同窓生などであればともかく、研修会や大会で知己になっただけの人同士が、多くは本音を語ることもない。それは自分の側も同様なのではないか。このレベルの交流から得られる情報は、勢い、点を線で結ぶレベルのものばかりになってしまう。

それでは、点と線でなく、「面」や「体」をなしている、より重厚な情報を獲得するにはどうしたら良いのか?

そんな情報が黙っていても向こうから来てくれると思っていたら大間違いだ。

獲得するおもな方法は二つ。

一つは、自分が稀少価値のある情報や技術を持っていること。

私の場合は、一人親方のケアマネジャーとして、独立開業の形態を続けてきた実績がある。また、マイナーな分野ではあるが、介護業界における「産業日本語」の分野で著書も出している。誰もが欲しがる情報を持っているわけではないが、稀少価値の存在としての私と情報や知識を分かち合いたい人も、業界の一部には存在する。そのような方々が礼をもってアクセスしてくれば、私も答礼しながら、仲間としてお付き合いをしていく。やりとりが多くなれば、手持ちの開示しづらい事情や、先取りして実践されている状況などの情報も共有できるようになる。

もし、あなたが業界人であれば、自分はそのような情報や技術を持っているのか、自己評価してみると良い。いくら大きな法人や組織に所属していても、自分自身が情報や技術を持ち合わせていないのに、坐したままで他人の情報や技術をもらえるわけがない。

もう一つは、自分の側が相手のフィールドに出向くこと。

私が各地の業界仲間と気軽に行き来できるのは、長年の間にときどき、全国のさまざまな仲間がいる場所に臆面もなく顔を出して、いろいろな人と図々しく名刺交換してきたからである。どんなに収入が乏しくても、衣食住を削ってこれには投資を惜しまなかった。最初は独立型のケアマネジャーやそれに共感する人たちの集まる場が多かったが、次第に限定しないようになり、いまは業界を超えて、ラーメン道などでつながった異業種の方と会うこともしている。

働き盛りの業界人には、確かにそれぞれの事情もあろう。職場で自分が不在になると業務がうまく回転しない、家庭で育児などの役割分担に制約されて遠出できない、などなど。

しかし、各地で注目されている仲間と出会う「機会」が、あなたの事情に合わせていつまでも待ってくれることは絶対にない。これだけは確実だ。あなたが逃した機会は、すでに別の誰かが獲得して活用しているかも知れない。

特に東北、首都圏、関西、中国地方、九州などの業界では、一部の人たちが始めた先進的な試みに、共感する他地域の人たちが呼応してネットワークを形作っていくなど、さまざまな交歓の輪ができている。その一端に入ると入らないとでは、先々の情報量や先進性に大きな差が出ることもある。こちらから動かない限り、「大きな田舎」浜松へは東西いずれからも、この種のうねりが直接的に波及する可能性が少ないからだ。

こう考えると、自分自身の工夫で時間をこじ開け、費用をひねり出してでも、インフォーマルな業界仲間が集まる場へ出向いて、立体的な情報交換を心掛けるべきであろう。その意義は十分にあるし、しないことによる損失も大きい。自分自身が職場で(経営者、被用者の別なく)輝くためには、大切なステップなのだ。

「その気持ちはあるが、きっかけがつかめない」と言う人には、厳しいようだが、「自分で探せ!」と苦言を呈したい。私自身、いまでこそFacebookのお付き合いが主軸になっているが、まだSNSなど無かったころには、各種の掲示板で同志や話せる相手を探し回り、電話やメールでズケズケと連絡を取って、交流範囲を広げていったのだから。

いまはSNSがあるだけ恵まれた時代だと言えよう。Facebookが嫌いならば、他のSNSでも何でも良い。自分の間尺に合った交流手段はいくらでも転がっている。

居座って動かず、地域に閉じこもっているだけで、機会をつかみに行かない人に、機会などめぐってくるはずがない。

浜松近傍の若手・中堅の業界人よ! 一歩踏み出す勇気を!

2018年11月 5日 (月)

「死者の月」に当たり

世間では先週、ハロウィーンでにぎわっていたようだ。もともと日本社会には縁が薄かった米国輸入の祝祭が、1990年代あたりから注目され、民間ベースで各地の行事などに取り入れられた結果、近年は渋谷を中心として、全国的に異様な盛り上がりを見せている。

ところで、このハロウィーンは何の祝祭かと言うと、実は11月1日に定められているカトリック教会の「諸聖人の日」のいわば前夜祭なのだ。それも、元来はキリスト教が入ってくる以前に10月31日に行われていたケルト人ドルイドたちの祭りを、アイルランドやスコットランドの教会側が、地元ベースで結び付けたものである。したがって、公式にはカトリック教会の祝祭日になっているものではない。

このハロウィーンが、アイルランドやスコットランドからの移民によってアメリカ大陸へ伝えられ、全米的な大衆文化として広まった。それが日本でも、これを商機と捉える関連企業をはじめとする利害関係者によりPRされ、SNSなどネットを介して普及してきたのである。

さて、カトリック教会では、信仰のために大きな業績があった人たち、特に列聖された人たち(聖ペトロなど)や殉教者たちを記念し、神への取り次ぎを願って、11月1日に「諸聖人の日」を祝う。

その翌日、11月2日は、キリストを信じて帰天したすべての死者を祈念する「死者の日」である。信仰に生きた人たちに敬愛の念を捧げ、神に向かって執り成してくれるように祈願する。この日に限らず、11月を通して、一か月が「死者の月」とされている。

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浜松教会では、4日(日曜日)のミサの前に、信徒会の役員さんが今年帰天した信徒の名前を読み上げてくださった。私の母の名も入っていた。

主日のミサは山野内神父様の司式で行われ、祈願文の中ですべての死者のために祈りが捧げられた。講話では「神を愛することで、自分も神から愛される」意味について、説いてくださった。その話を聞いていて、私は教会のテーマを思い出した。

あと二か月を残すのみとなったが、2018年の浜松教会のテーマは、サレジオ会(山野内神父様の所属修道会)が掲げる「主よ、その水をください(画像)」である。ヨハネ福音書4章15節にある挿話。井戸に水を汲みに来たサマリア人の女性に対し、イエス‐キリストが「私が与える水を飲む者は決して渇かない」と言ったので、女性はイエスに「主よ、その水をください」と願ったエピソード。

ここでイエスが言われた「水」は、真理のことである。

キリストを信じて生きた人たちは、二千年の長きにわたって、その「水」を受け継ぎ、次の世代に伝えてきた。そこには人間社会をより理想に近付けようとする悠久の営みがあった。

私の母は晩年に受洗したので、典型的なキリスト者の生活を送ってはこなかったかも知れない。しかし、母が私に遺した訓戒「誰にでも心を開いて付き合いなさい」は、イエスの教えを母なりに受け継いだものにほかならないであろう。母はそれを自分の身に着けた流儀として、人生を生き抜いた。そしてそれを息子である私に伝えていく...

「死者の月」である11月、このようなことを題材に黙想しながら、自分が歩むべき道を模索してみたい。

仏教の「お盆」とはかなり異なるが、亡くなった親族を敬愛して偲び、その霊魂の働きによって、いま生きている自分たち家族の発展と平安とがもたらされるように願う点では、共通するものも大きいだろう。ハロウィーンの単発的なお祭り騒ぎに終わるのではなく、これを契機として、宗教が異なる多くの人たちにも、私たちの祈りの一か月を理解してもらえると幸いである。

2018年10月17日 (水)

1分なら遅れても良い???

私が「プロフェッショナルの心構え」を本格的に学び始めたのは、開業する前年、39歳のときだ。

こう言うと、「なら、それまではアマチュアの感覚だったの?」と思われるかも知れないが、もちろん、それ以前も職業人としての自負はあった。しかし、勤務先では「プロの心構え」の類を体系的に教わる機会に乏しく、また残念なことに、上司や先輩の多くが、プロの資質に欠ける面を少なからず持っていたことも影響して、「こうでなければプロではない」条件をあまり意識することはなかった。

そのため、開業して何年かのうちに、利用者さんや介護者さんに叱られ、恥をかきながら、「プロの心構え」を曲がりなりにも身に着けることになった。私を叱責してくださった方々のおかげで、いまでは逆に、後進を指導する場で、私のほうが「プロの心構え」を説く機会をいただいている。

そして、大切な心構えの一つが、時間厳守の姿勢である。

ケアマネジャーの場合は、おもに月例の居宅訪問や、サービス担当者会議への出席(私は駐車場所も無い小さな事務所しか持っていないので、いつも利用者さんのお宅や他事業所に場所を借りている)の際に、定刻を守るように心掛けることである。

昨日訪問した利用者Aさんの介護者Bさんから、こんな話があった。

「Aも私も、自分で会社を経営してきました。〔二人の業種は異なるが、〕どちらも時間を守らないと信用を失う仕事だったため、いつも十分な余裕を持って行動していました。なので、あなたやあなたの紹介するサービス事業者さんには、決めた時間をしっかり守っていただきたい」

このAさん・Bさんとは二年近いお付き合いだが、利用当初のころからそう言われていた。約束しておきながら若干遅刻して、謝罪しなかった事業者に対しては、容赦なく苦情が浴びせられた。

私自身、過去、別の利用者さんの介護者さんから、苦情を言われたことがある。「自分は仕事を持っているから、定時で動いている。遅れる場合は必ず事前に連絡してほしい」。ちなみに、そのとき遅刻したのは、定刻からわずかに1分。

あとに仕事や所用を控えている人にとっては、1分でも遅れてこられると迷惑なのだ。私が来宅したときに要するおよその時間を測った上で、次の行動予定を入れる。当然ながら、後ろへずれてしまうと、あとの時間設定が厳しくなる。「1分ぐらいなら遅れても良い」などという論理は、相手次第では通用しないのである。

Aさん・Bさんのように、遅刻に対して不快感を示す利用者さん(または介護者さん)は、常に3~4名はおられるので、遅れる可能性がある場合には必ず事前にお断りして了解を得ることにしている。もちろん、それ以外の方も含めて、すべての利用者さんに対し、交通事情などのやむを得ない理由により1分でも遅刻した場合には、必ず「少々遅くなりまして申し訳ありませんでした」と陳謝している。例外として、定刻より早過ぎると困ると言われている場合に限っては、逆に意識して定刻ちょうど、または若干遅れて訪問することはあるが。

業種によっては、時間があまり厳密でなく、ゆるいところもあるだろう。しかし、それらの業種では、「○時□分ピッタリ」を守らなくても、お客≒受益者を待たせることがない業務内容である場合が多い。

裏を返せば、日時を定めて居宅訪問し、またはサービス担当者会議等に出席するケアマネジャーの多くが、「1分程度なら遅れても良い」と思っているのであれば、市民からも「利用者を待たせて負い目を感じない程度の職業」としか評価してもらえず、報酬や社会的地位が上がることは望めないであろう。

それは、『これでいいのか? 日本の介護』P.63~65に記述した、利用者さんにタメ口を利くケアマネジャーや、業務上の秘密を守らないケアマネジャーと同レベルだと言っても良い。

「お客さんを1分でも待たせるのは恥ずかしいことだ」と思うケアマネジャーが、増えてほしいものである。

2018年10月 4日 (木)

「暗闇の浜松」を経験して

自然災害に対しては、「備えが必要」と言われていても、ふだん縁が薄いとなかなか本格的な備えをする気になれないものだ。私自身、人為的なスインパクトに対しては比較的用心するほうだが、自然に対してはあまり用意周到な人間ではないので、いざ直面すると何かとボロが出てくることになる。

このたびの台風24号。沖縄から入り、日本列島を縦断して北海道へ抜けていった。日本列島を縦断した形であるが、意外にも最も大きな物的被害を受けた町の一つが、浜松だったのだ。

もともと、9月30日(日)には名古屋で叔父(9月初に死去)の三十五日の法要に参列する予定であった。ところが、台風が東海地方に30日の午後接近することが報じられ、JRでは新幹線も在来線も、運転見合わせとなった。とすると、名古屋まで行っても浜松に戻れなくなってしまう。翌日の午前中、事務所に居なければならない(月の1日であるから各事業所からのFAXが殺到するのに加え、三か月先の短期入所の予約を入れなければならない)私は、やむを得ず法要を欠席することにした。

そこで、せっかく浜松に残ったのだからと、早目に買い物を済ませて帰宅。暴風雨の被害を避けようと雨戸を全部閉め、吹き荒れる嵐の中で夕食をいつも通りに摂って、そのあとCDを聴き、23時ころにシャワー浴をしていたところ、その最中に停電。

意外なことに、薄明りでも浴室内の物品の輪郭は何とか弁別できた。全裸だったので、急いで動いて転倒や負傷をしないように気を付けながら、そのままシャワーを終えて、服を着てからおもむろに懐中電灯を点けた。

30日の夜は、暗闇の中で何もできず、いつもの感覚から数時間程度で復旧するだろうと思い、なかなか寝付かれずに電気が通じるのを待ったが、結局は暗いままで睡眠不足の朝を迎えた。

10月1日(月)、スマホのバッテリーが減りつつあるのを心配しながら、停電情報を見たところ、何と浜松全域と周辺一帯がまるごと停電状態!

家の飲み水は3~4日間大丈夫だが、食べ物は家電無しでは口にできないものが多く、何日分か買い足す必要がある。懐中電灯の単一乾電池は予備のものを保管してあったが、スマホを充電する術がない。家に居ながらにしては市内の被害状況の把握ができなかったので、最悪の場合は、昨日行くはずだった名古屋の叔母宅まで行って(JRは一部運行再開していた)充電させてもらうことまで想定して、まずは自宅を出て事務所に向かう。

途中、信号機は大部分が滅灯していて、交差点では十分注意し、譲り合いながら慎重に通過した。心配しながら事務所に到着したところ、幸いにもすでに復旧しており、すぐにスマホを充電。地域のコンビニは過半が閉店しており、開いていたところも「火を通さずに食べられる」ものは大半が売り切れ。朝のうちは加工肉・魚の缶詰類が売れ残っていたので、ひとまず停電継続に備えて食料を確保。

この日は、業務上必要な連絡を取っても、相手方のうち半数程度は停電のため電話が通じない状態。前月の実績も例月の1日の半分程度しか送られて来ず、逆に短期入所の予約を入れてもFAX不通の事業所があった。ともあれ、必要最低限の用件について関係事業者とのやりとりはできたので、不十分ながら一日の仕事を終了。PCで停電情報を確認するも、私の自宅がある地域は「調査中」の表示になっていたので、もう一晩は暗闇で過ごすことを覚悟して帰宅。帰る途中、いくつかの区域が信号機も外灯も消えた暗闇状態で、自宅周辺もまた同様であった。

冷蔵庫にはやや冷気が残っていたので、最低限の食物を取り出して急いでドアを閉め、あり合わせのものを組み合わせて夕食。

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暗闇では何もすることがないので、本県出身の故・加藤剛の追悼でもしようと、懐中電灯の明かりを頼りに、海音寺潮五郎の『平将門』(加藤が主演したNHK大河の原作)を読み返してみた。

まだエコキュートのぬるま湯が出たため、簡単にシャワーを浴びて、日付が変わり、そろそろ寝ようかと思っていたとき、電気が復旧! 急いで家電関係のスイッチや接続などを一通り点検して、安堵してから就寝した。

2日(火)の朝、事務所へ出勤するときには、いまだに相当な数の箇所の信号機が滅灯したままであった。前日には少なかったFAXの実績も次々と送られてきたが、中には同一法人の離れた事業所の番号からのものもあり、市内一帯の完全復旧は少し先になりそうだと実感。帰路でも、一部区域で真っ暗なところがあったので、不安な気持ちで停電三夜目を迎える人たちのことを思うと、自宅の電気が復旧したからと言って、素直に喜べなかった。

3日(水)になって、TVで報じられるところによると、山間部には倒木で道が塞がってしまったところがあり、そこから先の復旧がいまだしであるとのこと。周囲に買い物に行く店もない地域で、住民の方々は不便この上ない生活を強いられているであろう。関係機関の協力により、一分でも早く電気が使える生活に戻ることを願いたい。

今回の台風による「浜松大停電」は、北海道の地震に伴う大停電とは比較にならない小規模な災害だったかも知れない。しかし、これだけの広域で大規模な停電が起こったことは、私たちにとって大きな教訓になった。備えが不足していた部分や、不測の事態への対処法など、いろいろな課題を焙り出してくれたと思う。

また、電気業界においても、少子高齢化により熟練した技術者が減りつつあることは現実である。これからこのような災害が起こったとき、復旧にはより多くの時間を要することになるであろう。待たなければならない時間に、私たちが何をしなければいけないのか。特に災害弱者の人たちに対する地域での助け合いなどを考慮に入れて、マニュアルを準備することも大切であろう。

あまり頻繁に来てもらっては困るが、同様なことが再度発生した際には、周章狼狽せずに粛々と行動したいものである。

2018年9月18日 (火)

プロフェッショナルはどうあるべきか?

私の事業所の開業記念日は三つある(^^;

8月17日 看板「ジョアン」を掲げた日(17年前)

9月15日 居宅介護支援事業所ジョアンの指定を受けた日(同上。浜松NPOネットワークセンターに宿借りさせていただき開業した)

10月1日 有限会社ジョアンで仕事を始めた日(14年前)

どの日も私にとって大切な日だ。

一昨年の10月1日に15周年記念企画(ご参加は午後・夜間合わせて14都府県66名)を開催し、昨年の8月17日には16周年の交流会=二時間だけの飲み会(ご参加は5道県13名)を持った。今年は9月15日が土曜日に当たるので、4~5名でも集まっていただければ嬉しいなと思いながら、図々しく「開業17周年...を口実に飲もう会」を呼びかけてみた。

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結果、4県8名の方々が参加してくださった。在宅複合型施設・長上苑の施設長で、県ケアマネ協会の副会長でもいらっしゃる鈴木さん、北区でケアマネジャーをされている中川さん、西区で中古セニアカー販売業をされている中山さん、民間保険会社でお仕事をされている元介護支援専門員の松下さん、聖隷クリストファー大助産師専攻科教授の久保田君枝さん、神奈川県秦野市で協働型の独立居宅を運営されている松田智之さん、愛知県豊川市で介護事業の経営に携わっておられる平田節雄さん、奈良県在住で介護事業所の環境整備のため各地を回って指導しておられる山下総司(そうし)さんが、この二時間の飲み会のために集合してくださった。特に鈴木さん、中山さん、松田さんは三年連続のご参加となる。

それぞれお仕事の分野や活動されている地域が異なり、介護業界内外にわたる広い範囲になるが、どなたも周囲からの信頼が厚い方であり、とても心強い仲間だ。

まずは自己紹介から始まったが、主題になったのはもっぱら、介護に関連する専門職≒プロフェッショナルのあるべき姿である。今回は、利用者本位、現場業務の改善、人手不足、介護職の意識、医療連携、職員教育等々、「自分たちは何を基盤に仕事をすべきか?」を強く打ち出したミーティングになった。特に、看護師が介護現場の中で福祉系職員とどのように協働していくのかに関して、久保田さん、平田さん、松田さんが三者三様の立場で持論を述べ、そこに他のメンバーの意見が絡んで、実に興味深い展開となった。

また、介護職の今後のありかたについて、少し異なる業界で働く松下さんや、少し離れた立場の中山さんからの見方は、とても貴重であり、参考になった。

締めは山下さんのご見解。私たちが飲食したあとテーブルをわざわざ消毒するわけでもないし、私たちは決まって三時におやつを食べるわけではない。なのに全利用者に対してそうするのが当たり前になってしまっている施設が少なくない。業務のルーティーンに捉われて大切なものを忘れてしまっていないか? という投げ掛け。まさに、介護に携わるすべての人が振り返るべきことであろう。重みのあるお話であった。

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今回はやや広めながら、全員で一つのテーブルを囲みながらの会食であったため、お互いの顔が見えるインティミットな議論ができたことは、一つの大きな成果だと言えよう。勝手な推測だが、参加したメンバーの多くにとって、学び、持ち帰ったものは少なくなかったと思われる。

所用で早々に帰られた方もいたため、全員ではないが、お開きのあと集合写真(画像)も撮ってもらった。残念ながら、この日は「記念クーポン」を用意していなかったので、後日、みなさんに些少なりとも何か差し上げようかと考えている。

自分としては満足度大の飲み会。今後も業界内外の仲間がそれぞれの仕事に勤しむ中、私たちの常識が社会の非常識になってしまわないためにも、ときどきはこのような分かち合いの場を持ちたいものだ。

2018年8月19日 (日)

18年目、進むべき道は?

一昨日(2018年8月17日)をもって、当所「ジョアン」は開業満17周年を迎えた。

これほど長く、一人親方としてケアマネジャーを務めてこられたのは、日頃から私の仕事のスタイルを理解してくださっている多くの方々のご支援のたまものである。この場を借りて、心からお礼申し上げたい。

ところで、17年にわたって続けてこられたのには、いくつかの要因がある。

まず、何よりも、私自身が健康でいられたこと。入院するような大病にもかからなければ、不慮の事故などに巻き込まれることもなかった。むろん、自分の健康管理だけで可能なわけではなく、私が幸運に恵まれたことにもよる。「運も実力のうち」の一形態なのかも知れない。

次に、ケアマネジャーの仕事の性格である。意外に思われるかも知れないが、ケアマネジャーは報酬(公定価格)こそ低いものの、他の士業士に比べると、経済的には安定した職種なのだ。歯科医師の先生とか司法書士さんとか税理士さんとか、確かに社会的な地位はケアマネジャーより格上であり、士業士として仕事をした対価はケアマネジャーよりはるかに高いのかも知れないが、当月の仕事がそのまま次月も継続するわけではないから、かなりの数の顧客を確保しておかないと、月々の安定した収入を得るのは厳しいのも現実だ。その点、ケアプランの数に応じて、介護報酬として毎月一定程度の収入が見込めるケアマネジャーの仕事は、それなりに安定していると言うことができる。

それから、地理的な条件。私の自宅は浜松市内でも中心部から北西寄りの郊外であるが、この地域の風土は保守的、誤解を恐れずに言えば新たな試みに対し「冷淡」であって、一人親方のケアマネジャーに仕事を頼むより、大きな施設や病院を頼って併設の居宅介護支援に「いろいろとお願いします」になってしまう住民が多い。そのため、私は最初から自宅開業では早晩ツブれると読み、浜松駅南に事務所を持つことにした。この計算が当たったことは、長期的な戦略の上で大きかった。駐車場所のない利用者さん宅へ、駅からバスに乗って出向くことができるのも利点である。

そして、周囲からの支援。特に最初の三年間、法人格を含め宿借りさせていただいた「特定非営利活動法人 浜松NPOネットワークセンター」さんと、有限会社に移行した四年目以降、格安価格で事務所を貸してくださったのに加え、折に触れ便宜を図ってくださった「カゼェルBIG」さんとの、ご両所には感謝の言葉もないほどだ。

Michi

最後に、自分自身の基本姿勢である。一人親方のケアマネジャーに対する関係者の評価はさまざまであるが、私自身がその世評に右顧左眄せず、利用者さん本位の仕事をする姿勢を貫いてきたことが、上記ご両所を含め、医療関係者や介護・福祉関係者から共感、信頼をいただき、利用者さんのご紹介や講演等のご依頼に結び付いたと考えている。もし私が自分の営利を最優先にして独善的な姿勢を取っていれば、最初は期待していた人たちからも見捨てられてしまったであろう。

さて、18年目に入ったわけであるが、これから進むべき自分の「道」はどこにあるのか?

年齢的な制約もあるが、もちろん、単純に引退モードへ入ることを考えているわけではない。自分自身の可能性を低く見積もってはいないのだから(笑)。

一年前に打ち出した「零細独立型居宅の連合形成」は一つの方向である。最近開業した地域のケアマネジャーたちと名刺交換する機会も得た。仮にその方向を目指すとしても、自分が「個」のケアマネジャーとしてどうあるべきかとの課題は常に付いて回る。

制度の変転も影響するため、簡単に予測できない面もあるが、これまでの路線をしっかり「継続」しながら、新たな道を切り拓いていくことができるのか?

いわば手探りの一年になるかも知れないが、目標を見失わないように日々の仕事に勤しみたいと思っている。

2018年8月12日 (日)

なんとか業績回復(^^;

私の事業所の収益は、先月分に至って、ようやく昨年2月の水準(倒産せずに何とか事業所を存続できるレベル)に戻った。実に17か月ぶりの業績回復である。

亡き母の介護が本格的に始まったのが昨年の1月末。このときの利用者さんの数(給付管理数)が22名であった。それから5月までは新規利用者さんの受け入れをすべて中止。その後も自分自身の時間や行動範囲の制約から、遠方の方や、「申請中」でも要支援になる可能性が強い方は、受任をお断りせざるを得なかった。そのため、母が帰天した3月5日の時点では、利用者さんが13名まで減少してしまう(病院への長期入院や施設入所などによる)。私自身は母の状態に大きな変化がない限り、自宅で介護していくつもりだったから、この状態があと一年続いていたら、仕事の継続自体が難しかったかも知れない。

天の配剤か、母本人が私のことを心配して人生を上手に締め括ってくれたのか。それはともかく、3月8日の葬送を終えたあとは、自分の時間を自由に使えることになった。

ちょうど年度末でもあったので、浜松市の介護保険課へ出かけて、介護認定審査会委員か、介護認定調査員のいずれかを受任できないか相談してみた。

審査会委員であれば、あらかじめ送られた資料に目を通して、自分の空いている時間に「予習」すればよく、月2回の会議で合わせて4万円(?)は安定収入になる。しかし、市の介護支援専門員連絡協議会が推薦母体になっていないため、私の場合なら静岡県社会福祉士会から推薦してもらうことになるが、2019年2月の委嘱だとのこと。県社会福祉士会には最近ご無沙汰してしまっているので、私を被推薦リストに入れてくれるかどうかわからない。また、入れてくれたとしても、実質的に審査会の仕事が入るのは一年先になってしまうので、「待てない」のが本音だ。

調査員のほうは、開業当初には結構な件数を受けていた。しかし、16年前に父が危篤状態だったとき、一件調査の予定が迫っていたので、すでにキャンセルできる状態ではなく、母に父を託して出かけたが、帰宅したら父はすでに息を引き取っており、看取ってやることができなかった。そのトラウマが残ってしまい、ほどなく調査から手を引いてしまったため、2009年の項目大改定後の調査員研修を受けていない。

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それでも、母を看取ることができたことによりトラウマから解放されたので、市の担当者に調査員数の現状を聞いてみると、慢性的に不足状態を免れないとの回答。であれば、受けるとしたらこちらのほうだなと思い、5月の新任研修を受け直して調査員を受任することになった。

市からの調査委託は、6月は2件と少なかったが、7月は10件、8月は9件となっている。慣れてこれば調査自体も50~70分程度で済ませ、特記事項の記載にもそれほど多くの時間を割かないので、それなりの収入にはなる。

利用者さん(居宅介護支援)の数も、知人や地域包括支援センターからの紹介、他事業所の職員退職に伴う一部の利用者さんの引き継ぎなどにより、8月は20名(給付管理数。月末時点での予定)まで増えた。認定調査と合わせると、ひとまず17か月前の水準には戻したことになる。

こう考えると、自営業のメリットは大きい。私ぐらいの年齢の独身者(性別にかかわらず)が勤務先を退職してしまうと、介護していた親が死去した場合、年金も入らなくなってしまうから、再就職しない限り、収入の道が途絶えてしまう。しかし、特別な技術などを持ち合わせていない限り、中高年の職探しはなかなか厳しいのが現実だ。人手不足状態のため雇ってくれる会社があっても、こんどは勤務条件が結構キツい場合も多い。

自分の場合、曲がりなりにも長く健康を維持して、自営業を続けてきたことが幸いしたと思っている。

さて、先月、母の未支給年金が入った。しばしば口癖のように、「私のお金で美味しいワイン買って飲みなさいよ」と言ってくれた母の意向に沿って、楽しませてもらうとしよう(^^*

2018年7月30日 (月)

多職種協働には二種類ある

ケアマネジメントの標準化とか、ケアマネジャーの資質向上とかいった言葉が、私たちの周りを迷走しているようだ。それも、ケアマネジャーたちがおもに医療関係の人たちから、いわば宿題を突き付けられ、それをこなすために必死になっているのが現実だ。

個人的に言わせてもらえば、これはあまり芳しくない。医療の下支えをするのがケアマネジャーの職能ではないからである。

介護保険制度の開始に伴い、制度上の「介護支援専門員」として位置付けられたケアマネジャーにとって、本来果たすべき役割は、これまで縦割りになっていた保健・医療・福祉を横断的に結び付け、一人ひとりの利用者の生活課題に即して、必要なサービスを調整することであったはずである。

そのためには、ケアマネジャーが現在の高齢者・障害者医療を概観し、どの分野で何が行われているかを知っていなければならないのは当然である。しかし、それはケアマネジャーが医療知識を詰め込むべきだという意味ではない。

むしろ、一つの分野だけに該博にならなくても、保健・医療・福祉の各分野に対して均等に理解を深め、横断的な連携を図ることがケアマネジャーの役割であろう。すなわち、多職種協働=IPW(inter-professional work)である。

ところで、このIPWは大きく分けて二種類の形態を採ることをご存知だろうか?

一般的なIPWでは、ケアマネジャーとか、医師とか、地域包括支援センターとか、その他の事業所・機関などが、利用者や介護者からの相談を受け、利用者の生活課題に沿った介護サービス等のサービスを紹介する。こうして揃った各種別のサービスを横断する形で、ケアマネジャーがケアプランを作成し、それぞれのサービスに従事する担当者が生活課題達成のために協働することができるように、サービス担当者会議等の機会を設けて連絡調整を行う。これを仮にIPW「A」としよう。

しかし、割合はたいへん少ないものの、もう一つの形のIPWが存在する。こちらを仮にIPW「B」としておく。

このIPW「B」に該当するのは、おもに、利用者や介護者が企業経営者や士業士などの場合である。それぞれが社会奉仕団体(ロータリー、ライオンズ、ソロプチミストetc.)等の場で同業他社や異業種の企業経営者等とのネットワークを作っているから、この中からIPWが生まれるのである。すなわち、利用者や介護者が自ら、「医療なら〇〇病院の理事長に」「住宅改修なら△△株式会社の社長に」といったやりかたで、サービスを選択していく。いわば社長同士の信頼関係を踏まえた「利用者・介護者による選択権」が最大限に行使されるのだ。

この形態の場合には、ケアマネジャーにとっての課題がいくつか生じる。

まず、居宅介護支援事業所がたとえば地域包括支援センター等からの紹介で選任された場合、ケアマネジャーが初回訪問したときにはすでにサービス利用が内定しており、アセスメントが後回しになってしまうことがある。ここでケアマネジャー側から白紙に戻すような提案は、利用者や介護者の顔をつぶすことにもなりかねないので、よほどのミスマッチでない限り、なかなか切り出しにくい。

次に、相手側経営者の「顔」でサービスを選ぶのだから、利用者の生活課題からノーマティヴに判断すれば、最善の選択でなくなる可能性も少なくない。ケアマネジャーの目で見て、「確かにそこでも良いのだが、こちらのほうがさらに相応しいのでは?」と思われるサービスがあっても、候補から外さざるを得ないことも起こる。

それから、何のためにそのサービスを選ぶのか、長期目標や短期目標に相当する選択の趣旨が不明瞭になることがあり、特に依頼された「理事長」「社長」がその認識に薄いと、部下の担当者に対して説明ができていないから、ケアマネジャーがあとからケアプランの整合のために苦慮することもあるだろう。

最後に、これが最大の問題なのだが、IPW「B」の構造になっているのにもかかわらず、ケアマネジャーがIPW「A」のつもりで臨んでしまうと、適切なケアマネジメントができないことだ。利用者や介護者にとってみれば、自分を中心に「○○理事長」「△△社長」が介護に関わる「仲間」であり、そこに(それも末席あたりに)ケアマネジャーが加わっている認識である。特に被用者である介護支援専門員ならば、たとえば〇〇理事長の部下である担当者Cさん、△△社長の部下である担当者Dさんなどと同列になるのだから、ある意味、当然の認識なのだ。

したがって、ケアマネジャーがCさんやDさんとサービス担当者会議を行ったり、電話やFAXで連絡調整したりする際には、常に利用者または介護者が、「○○理事長」や「△△社長」らとどんな関係性を持っているかを意識していないと、思わぬ失敗をしたり、気が付かないままに利用者にとっての最善から外れてしまったりする可能性がある。

利用者や介護者が企業経営者や士業士でなくても、サービス選択上のキーパーソンである主治医や成年後見人の考え方によっては、このIPW「B」構造のバリエーションが出現することがあるので、注意が必要だ。

そして、IPW「A」であろうがIPW「B」であろうが、利用者・介護者をめぐる関係性をソシオメトリックに把握し、利用者の望ましい生活へ向けての的確な連絡調整を粛々と実践していく。これがプロフェッショナルのあるべき姿である。

残念なことに、職場や地域のケアマネジャーを指導・助言する役割である「主任介護支援専門員」の中にも、このIPW「B」の形態について理解している人が乏しい。これは今後のケアマネジャーの職能にとって、大きな課題の一つになるであろう。

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