2018年8月12日 (日)

なんとか業績回復(^^;

私の事業所の収益は、先月分に至って、ようやく昨年2月の水準(倒産せずに何とか事業所を存続できるレベル)に戻った。実に17か月ぶりの業績回復である。

亡き母の介護が本格的に始まったのが昨年の1月末。このときの利用者さんの数(給付管理数)が22名であった。それから5月までは新規利用者さんの受け入れをすべて中止。その後も自分自身の時間や行動範囲の制約から、遠方の方や、「申請中」でも要支援になる可能性が強い方は、受任をお断りせざるを得なかった。そのため、母が帰天した3月5日の時点では、利用者さんが13名まで減少してしまう(病院への長期入院や施設入所などによる)。私自身は母の状態に大きな変化がない限り、自宅で介護していくつもりだったから、この状態があと一年続いていたら、仕事の継続自体が難しかったかも知れない。

天の配剤か、母本人が私のことを心配して人生を上手に締め括ってくれたのか。それはともかく、3月8日の葬送を終えたあとは、自分の時間を自由に使えることになった。

ちょうど年度末でもあったので、浜松市の介護保険課へ出かけて、介護認定審査会委員か、介護認定調査員のいずれかを受任できないか相談してみた。

審査会委員であれば、あらかじめ送られた資料に目を通して、自分の空いている時間に「予習」すればよく、月2回の会議で合わせて4万円(?)は安定収入になる。しかし、市の介護支援専門員連絡協議会が推薦母体になっていないため、私の場合なら静岡県社会福祉士会から推薦してもらうことになるが、2019年2月の委嘱だとのこと。県社会福祉士会には最近ご無沙汰してしまっているので、私を被推薦リストに入れてくれるかどうかわからない。また、入れてくれたとしても、実質的に審査会の仕事が入るのは一年先になってしまうので、「待てない」のが本音だ。

調査員のほうは、開業当初には結構な件数を受けていた。しかし、16年前に父が危篤状態だったとき、一件調査の予定が迫っていたので、すでにキャンセルできる状態ではなく、母に父を託して出かけたが、帰宅したら父はすでに息を引き取っており、看取ってやることができなかった。そのトラウマが残ってしまい、ほどなく調査から手を引いてしまったため、2009年の項目大改定後の調査員研修を受けていない。

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それでも、母を看取ることができたことによりトラウマから解放されたので、市の担当者に調査員数の現状を聞いてみると、慢性的に不足状態を免れないとの回答。であれば、受けるとしたらこちらのほうだなと思い、5月の新任研修を受け直して調査員を受任することになった。

市からの調査委託は、6月は2件と少なかったが、7月は10件、8月は9件となっている。慣れてこれば調査自体も50~70分程度で済ませ、特記事項の記載にもそれほど多くの時間を割かないので、それなりの収入にはなる。

利用者さん(居宅介護支援)の数も、知人や地域包括支援センターからの紹介、他事業所の職員退職に伴う一部の利用者さんの引き継ぎなどにより、8月は20名(給付管理数。月末時点での予定)まで増えた。認定調査と合わせると、ひとまず17か月前の水準には戻したことになる。

こう考えると、自営業のメリットは大きい。私ぐらいの年齢の独身者(性別にかかわらず)が勤務先を退職してしまうと、介護していた親が死去した場合、年金も入らなくなってしまうから、再就職しない限り、収入の道が途絶えてしまう。しかし、特別な技術などを持ち合わせていない限り、中高年の職探しはなかなか厳しいのが現実だ。人手不足状態のため雇ってくれる会社があっても、こんどは勤務条件が結構キツい場合も多い。

自分の場合、曲がりなりにも長く健康を維持して、自営業を続けてきたことが幸いしたと思っている。

さて、先月、母の未支給年金が入った。しばしば口癖のように、「私のお金で美味しいワイン買って飲みなさいよ」と言ってくれた母の意向に沿って、楽しませてもらうとしよう(^^*

2018年7月30日 (月)

多職種協働には二種類ある

ケアマネジメントの標準化とか、ケアマネジャーの資質向上とかいった言葉が、私たちの周りを迷走しているようだ。それも、ケアマネジャーたちがおもに医療関係の人たちから、いわば宿題を突き付けられ、それをこなすために必死になっているのが現実だ。

個人的に言わせてもらえば、これはあまり芳しくない。医療の下支えをするのがケアマネジャーの職能ではないからである。

介護保険制度の開始に伴い、制度上の「介護支援専門員」として位置付けられたケアマネジャーにとって、本来果たすべき役割は、これまで縦割りになっていた保健・医療・福祉を横断的に結び付け、一人ひとりの利用者の生活課題に即して、必要なサービスを調整することであったはずである。

そのためには、ケアマネジャーが現在の高齢者・障害者医療を概観し、どの分野で何が行われているかを知っていなければならないのは当然である。しかし、それはケアマネジャーが医療知識を詰め込むべきだという意味ではない。

むしろ、一つの分野だけに該博にならなくても、保健・医療・福祉の各分野に対して均等に理解を深め、横断的な連携を図ることがケアマネジャーの役割であろう。すなわち、多職種協働=IPW(inter-professional work)である。

ところで、このIPWは大きく分けて二種類の形態を採ることをご存知だろうか?

一般的なIPWでは、ケアマネジャーとか、医師とか、地域包括支援センターとか、その他の事業所・機関などが、利用者や介護者からの相談を受け、利用者の生活課題に沿った介護サービス等のサービスを紹介する。こうして揃った各種別のサービスを横断する形で、ケアマネジャーがケアプランを作成し、それぞれのサービスに従事する担当者が生活課題達成のために協働することができるように、サービス担当者会議等の機会を設けて連絡調整を行う。これを仮にIPW「A」としよう。

しかし、割合はたいへん少ないものの、もう一つの形のIPWが存在する。こちらを仮にIPW「B」としておく。

このIPW「B」に該当するのは、おもに、利用者や介護者が企業経営者や士業士などの場合である。それぞれが社会奉仕団体(ロータリー、ライオンズ、ソロプチミストetc.)等の場で同業他社や異業種の企業経営者等とのネットワークを作っているから、この中からIPWが生まれるのである。すなわち、利用者や介護者が自ら、「医療なら〇〇病院の理事長に」「住宅改修なら△△株式会社の社長に」といったやりかたで、サービスを選択していく。いわば社長同士の信頼関係を踏まえた「利用者・介護者による選択権」が最大限に行使されるのだ。

この形態の場合には、ケアマネジャーにとっての課題がいくつか生じる。

まず、居宅介護支援事業所がたとえば地域包括支援センター等からの紹介で選任された場合、ケアマネジャーが初回訪問したときにはすでにサービス利用が内定しており、アセスメントが後回しになってしまうことがある。ここでケアマネジャー側から白紙に戻すような提案は、利用者や介護者の顔をつぶすことにもなりかねないので、よほどのミスマッチでない限り、なかなか切り出しにくい。

次に、相手側経営者の「顔」でサービスを選ぶのだから、利用者の生活課題からノーマティヴに判断すれば、最善の選択でなくなる可能性も少なくない。ケアマネジャーの目で見て、「確かにそこでも良いのだが、こちらのほうがさらに相応しいのでは?」と思われるサービスがあっても、候補から外さざるを得ないことも起こる。

それから、何のためにそのサービスを選ぶのか、長期目標や短期目標に相当する選択の趣旨が不明瞭になることがあり、特に依頼された「理事長」「社長」がその認識に薄いと、部下の担当者に対して説明ができていないから、ケアマネジャーがあとからケアプランの整合のために苦慮することもあるだろう。

最後に、これが最大の問題なのだが、IPW「B」の構造になっているのにもかかわらず、ケアマネジャーがIPW「A」のつもりで臨んでしまうと、適切なケアマネジメントができないことだ。利用者や介護者にとってみれば、自分を中心に「○○理事長」「△△社長」が介護に関わる「仲間」であり、そこに(それも末席あたりに)ケアマネジャーが加わっている認識である。特に被用者である介護支援専門員ならば、たとえば〇〇理事長の部下である担当者Cさん、△△社長の部下である担当者Dさんなどと同列になるのだから、ある意味、当然の認識なのだ。

したがって、ケアマネジャーがCさんやDさんとサービス担当者会議を行ったり、電話やFAXで連絡調整したりする際には、常に利用者または介護者が、「○○理事長」や「△△社長」らとどんな関係性を持っているかを意識していないと、思わぬ失敗をしたり、気が付かないままに利用者にとっての最善から外れてしまったりする可能性がある。

利用者や介護者が企業経営者や士業士でなくても、サービス選択上のキーパーソンである主治医や成年後見人の考え方によっては、このIPW「B」構造のバリエーションが出現することがあるので、注意が必要だ。

そして、IPW「A」であろうがIPW「B」であろうが、利用者・介護者をめぐる関係性をソシオメトリックに把握し、利用者の望ましい生活へ向けての的確な連絡調整を粛々と実践していく。これがプロフェッショナルのあるべき姿である。

残念なことに、職場や地域のケアマネジャーを指導・助言する役割である「主任介護支援専門員」の中にも、このIPW「B」の形態について理解している人が乏しい。これは今後のケアマネジャーの職能にとって、大きな課題の一つになるであろう。

2018年7月15日 (日)

ヴェルディ歌劇の面白さ(13)

まず、広島県・愛媛県・岡山県をはじめとする、このたびの豪雨災害で亡くなられた方々の安息をお祈りするとともに、被災された方々にお見舞いを申し上げ、一日も早い復興を願いたい。

そのような中ではあったが、7日(土)、かねてから生で見たいと思っていたヴェルディ初期の作品「ナブッコ」が上演されたので、東京まで鑑賞に出掛けてきた。

普段であれば、数日中にレヴューを書くのだが、そうもいかない事情が生じてしまった。先月から受託を再開した浜松市の要介護認定調査が、先週は7件も集中してしまい、結構時間と手間を取られた。そのさ中、自分の利用者さんの関連でアビューズ(≦虐待)が疑われる事案が2件発生し、対応に労力を消費して、猛暑も加わりいささか体調を崩してしまった。仕事をペースダウンした結果、何とか持ち直したので、ようやくエントリーする運びになった次第である。

さて、本題。

アーリドラーテ歌劇団。読者の中には、この名前を初めて見聞きする方が多いかも知れない。ヴェルディ歌劇の上演を目的とした団体であり、指揮者の山島達夫氏が提唱、プロだけでなくレベルの高いアマチュアの人たちを加えて、2010年に設立した。翌年の旗揚げ公演以来、1~2年に一回のペースでヴェルディ作品の上演を続けている。「アーリ‐ドラーテ」は「ナブッコ」第三幕に登場する合唱曲、「行け、わが想いよ、黄金の翼に乗って」中の「黄金の翼」のイタリア原語である。

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指揮および総合プロデュースは山島(敬称略。以下同)、演出は木澤譲。キャストはナブッコが大川博、アビガイッレが鈴木麻里子、ザッカリーアが清水那由太、イズマエーレが青栁素晴、フェネーナは栗田真帆。合唱はヒルズ‐ロート‐コーラス、演奏はテアトロ‐ヴェルディ‐トウキョウ‐オーケストラ。

上演されたのは北千住の「THEATRE1010」。1010を「せんじゅ」と読ませ、しかもビルの商業施設は1010を逆さまにした「○|○|」=マルイなので、ダジャレみたいな名称の建物である。そこの11階が劇場になっている。

冒頭、山島が歌劇の主題について解説。ヴェルディについてあまり詳しくない一般の観客向きではあったが、あえて上演の趣旨に触れたのは興味深かった。

歌唱では、鈴木のアビガイッレと清水のザッカリーアとが圧巻の出来であり、第一幕から最終第四幕まで、この二人が終始劇場を支配して「聴かせる」名唱を披露した。大川のナブッコも安定した歌唱で、タイトルロールを堅実に演じていた。青栁のイズマエーレは一応及第点ながら、どちらかと言えばもう少し重いテノール向きかなと思わせたものだ。栗田のフェネーナは前半不安定感があったものの、後半で盛り返している。

合唱団はアマチュアを含めて総勢34名の乏しい陣容ながら、よく奮闘していた。人数の制約から、同じ人たちがイスラエルの住民になったりバビロニアの兵士になったり、変身するのに結構忙しかった様子だ。入れ替わりのとき、シャツ一枚ぐらい着替える時間はあったと思われるのだが、民の心が信仰に生きたり異教に走ったりする変転のさまを表現するため、どちらの側で歌唱するときにも、あえて同じ服装のままにしたのではないかと、演出の意図に気が付いた。「アーリ‐ドラーテ」の由来となった第三幕の合唱は、いわば上演の看板の箇所だけに、一糸乱れぬ名演であり、満場の拍手がしばらく鳴りやまなかった。

ハプニングは、第三幕終了直後に地震があったことだ(震度3。千葉県東部で震度5弱)。ビルの11階なのでかなりグラッときた。余震が来ない様子だったので、アナウンスを受けて観客も混乱せずにみな留まり、少し遅れたものの第四幕が粛々と再開された。再開直後の演奏に不安定さが感じられなかったのはさすがである。

プログラムを見ると、この歌劇団は財政基盤が弱いのにもかかわらず、ヴェルディ歌劇を普及させて文化的なコミュニティ再生に寄与するため、活動を続けているとのこと。上述の通り、海外有名オペラの引っ越し公演に比べても、決して見劣りがするレベルではないので、愛好家が増えることを心から願いたい。私自身もまた機会があれば、アーリドラーテが企画する何かの演目を鑑賞に行こうと思っている。

2018年6月25日 (月)

人と会い、人と語り...(5)

前回より続く)

巡礼を終えて向かったのは博多(福岡市内)。小倉からは静岡-浜松ぐらいの距離がある。定刻の11時半には5分ぐらい遅れてしまった(電車の博多着が5分遅れたため)が、待ち合わせ場所の「博多だるま総本店」に無事到着。

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ここで、本ブログに何度も登場してくださったジョージさん(=稲岡錠二さん。京丹後市)たちと合流。地元業界の重鎮・飯山明美さんや、長崎県から来着した諫早ドラッカーズの会、森芳正(もりよし まさし)さんや平川真さんたちの、ケアマネジャーのみなさんと一緒に、本場の博多とんこつラーメンを味わう。

そして、ホテルニューオータニ博多内にあるカフェレストラン「グリーンハウス」に集合。この日の企画「聞きたかとばってん!アンタなんしょ~と」に、遠く浜松から参戦した次第である。

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これはジョージさんが発起人になったもので、中堅・若手のケアマネジャーや介護職員が語り合うための場を作ったものだ。地元博多の髙﨑(たかざき)慎介さんや大関純平さんをはじめ、太宰府市の廣田弘樹(ひろき)さん、久留米市の岡田ヒロ子さん、林田亜紀さんらが参加された。それぞれ自分が何者なのかをプレゼンしながら、仕事や活動の現況、今後の展望などを語り合った(飯山さんは所用のため中座された)。

業界では厳しい環境の中にあって、中堅や若手のメンバーはよりよい仕事をしていくため、職場の外へ出て仲間づくりをする機会を求めている。日本中でアクティヴな中堅の業界人たちにより、このような場を作る試みが意欲的に展開されているが、ジョージさんは前のご勤務先を退職された後、地域の人たちの生活を支える「ライフデザインクリエーター」の職能を立ち上げ、全国各地の仲間と交流しつつ、人と人との輪を広げていく活動を続けておられる。

イベントは13時半から16時半までの三時間だったが、あっという間に過ぎてしまった。名残り惜しかったがお開きとなる。飯山さんや髙﨑さんたちがこれを受けて次の面白い企画を打ち出しそうな雰囲気だったので、楽しみである(残念ながら私は参加できそうもないが...)。

夕方から暗くなる時分まで、福岡城址や博多の街を散策。中洲まで来たあたりで結構歩き疲れたので、地下鉄で博多駅へ向かう。

駅2階の「めん街道」で、歌舞伎役者のG-sawaさん(HN)と待ち合わせ、行列の具合を勘案して「長浜ナンバーワン」で遅めの夕食。

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G-sawaさんと会うのは三回目だ。歌舞伎の演目は一か月単位なので、氏も6月中は博多で出演されている。上位の役者さんに従ってお仕事をもらう形なので(休演すると一か月失業することになってしまうから)、旅行などもままならないし、介護業界とは違うご苦労があろう。そのような中で、役者さん方は古い演目を墨守するだけでなく、観客に歌舞伎の魅力を味わってもらうために、協働してイノベーションや創造に取り組んでおられる。私たちの業界でも見習うべき点は少なくない。

互いの仕事やプライベートの話をしながら、ラーメンのほうは替え玉まで注文した(博多は一杯目の麺が少なめで替え玉を追加するパターンが多いようだ)。ジョージさんがすでに帰途に就かれたため、「キリシタン三人衆」が実現しなかったのは残念だが、それはまたの機会に。ちなみに、ジョージさんからG-sawaさんへと託された丹後の「塩」をしっかりお渡ししている(私もいただいた)。信徒にとって「塩」は特別な意味を持つものだから...(^^*

翌18日朝、小倉のホテルを出ようとした矢先、大阪北部地震の影響で新幹線が運転見合わせになってしまったので、岡山あたりでもう一泊することも覚悟して、行けるところまで行こうと、普通列車で東進した。途中、宮島を通る路線は亡き母と一緒に旅行した(2003年)ところなので、15年前を懐かしく思い出した。新幹線ならスルーしていたのだから、これも何かの巡り合わせだったのかも知れない。

広島の少し手前で運転再開の報を受け、広島から新幹線に乗り換える。新大阪の手前で入線の順送りを待たなければならなかったので、かなり遅延したが、そのあとは順調に走行して、浜松に無事帰着した。当初は15時頃の予定だったのが、19時過ぎの浜松着となった。新幹線のありがたさを実感したものである。地震の影響はなお大きい。被災した方々には心からお見舞いを申し上げたい。

この三日間の旅は、巡礼が主目的ではあったが、私にとっていろいろな意味で実りのあるものであった。

2018年6月24日 (日)

殉教者ゆかりの地を訪ねて

ここ二年あまり、巡礼に行っていなかった。

それ以前も毎年どこかへ巡礼していたわけではないのだが、最近は自分自身の節目の企画や、母の介護のため浜松を離れるのが難しく、出かける余裕がないままに時が過ぎてしまっていたのだ。

そこで、母の追悼が一段落したのを機に、両親の安息を祈りながら心の平安を求めたいと思い立って、旅を企画してみた。

どこへ出かけようか考えたが、一昨年訪れた高槻教会、福者ジュスト高山右近に縁があった人の中で、福者ディエゴ(了五)加賀山隼人正興良の殉教地へまだ行っていなかったと思い、行き先を小倉教会に決めた。

私は2003年、用事で熊本を訪れた際に、福者マリア小笠原みや一家15人が藩主細川家の禁教令に従わなかったため斬首され殉教した、花岡山公園の碑文のところまで巡礼している。加賀山隼人は小笠原みやの父に当たり、細川家が熊本へ転封する前の豊前藩主時代、重臣として細川忠興に仕えていた。キリシタン時代、彼は小倉教会(当時)の中心人物であったのだ。

小倉教会には事前に問い合わせ、17日午前9時のミサに出る予定で、前日の16日夕方に小倉入りした。一年で一番日が長い時期なので、ホテルに荷物を置いて門司港まで足を延ばす。

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過去、ここに来たのは一回だけであるが、何年前だっただろうか、もう覚えていないほどである。海峡に面したレトロで風光明媚な街並みは、旅する人の気持ちを柔和にさせてくれる。一時間半ぐらい、ゆっくりと街を散策。屋外でヴァイオリンとピアノのジャズコンサートが演じられていた。

肌寒くなったので門司港から引き上げ、小倉に戻って夕食。知人から教わった店「あそび割烹・華柳」へ。

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ここでは関門蛸、ごまアジをはじめ、新鮮な北九州の味を満喫。お薦めの店だけあって一つ一つの素材が良い。また、皿のふちの裏側がしっかり洗ってあるなど、食器の扱いも丁寧である。満足度大。

一夜明けて、小倉教会の午前のミサに参列するためにホテルを出る。カトリックの巡礼は仏教のお遍路さんとは異なるが、目的地の教会までは聖歌を口ずさんだり祈ったりしながら、便利な交通機関をなるべく使わずに歩くのが基本だ。スマホで位置を確認しつつ、25分ほど歩き、時間に余裕を持って小倉教会に到着。

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北九州の拠点の教会だが、全体として簡素な造りで、人を招き入れる場にふさわしい。聖堂のイエス様は、長めのひげを垂らして老成したお姿を示し、独特のご像であった。この日はミサ後に信徒総会が予定されており、神父様は講話の中で、教会共同体の意義について述べ、神様への聖母マリアと加賀山隼人との執り成しを祈っておられた。

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加賀山隼人については、自分のHPに掲載しているので、そちらをご一読されたい。

教会の前、通りに面した側には、説教する隼人の姿と、歌会で詠んだ短歌を記した碑文が建てられている。信仰に生き、心の自由を守るために一命を捧げた人の生きざまに思いを馳せた。

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一時間余りでミサが閉祭。これでひとまず巡礼を済ませたので、次の目的地へ向かった。実は、信徒の方お二人が偶然、それぞれ別の用事で博多に滞在されていたので、午後と夜とにお会いすることになっていたのである。

次回へ続く)

2018年6月21日 (木)

AIとケアマネジメント(3)

前回より続く)

さて、私が最も好きな炭水化物系(主食系)食品は「のり茶漬け」である。

これは少年時から一貫して変わっていない。

しかし、このことを公開するのは全く初めてである。亡くなった母以外の人には、これまで一度も「のり茶漬けが一番好きだ」と言及したことはないし、HPやブログやFBに画像を載せたこともない。せいぜい、のり茶漬けのメーカーの商品情報を、過去数回クリックして閲覧した程度だ。

おそらく、私と昵懇な人たちを含め、ほとんどの知人が私のことをラーメン大好き人間だと認識しているのではないか。私がブログやFBに掲載する画像はラーメンが圧倒的に多く、他にはパスタ、カレー(+ライスまたはナン)、パン(お惣菜タイプ)、チャーハン、つけめんなどがある。

FBや@NiftyやGoogleなどは、当然だがICTを駆使して私のエントリーやコメントから個人情報を収集している。しかしながら私のエントリーなどの中に「のり茶漬け」のキーワードが圧倒的に少なければ、それはラーメン、パスタ、カレーなどに比べてマイナーな情報としてしか扱われない。そのため、私に対して開示される広告は、ラーメン関係を中心に、運営会社が私の関心を引きそうだと見なしているものが多い。「のり茶漬け」に関する広告を見ることは全くと言っていいほど、ない。

しかし、「IoT」の普及によって、生活の中のさまざまなグッズがネットでつながることになると、状況は変わってくる。

たとえば私が食品庫からのり茶漬けの素を取り出す、食器入れから大きめの茶碗を取り出す、炊飯ジャーからご飯を盛る、ポットからお湯を注ぐなどの一連の動作が、週に3~4回行われることがデータとして記録されれば、私がブログやFBなどで言及していなくても、私が「のり茶漬け」を好んで食べる事実がクラウドに蓄積されてデータ化され、かなりの精度で、「ジョン‐トラブッたはのり茶漬けが大好物だ」と結論付けられるであろう。

このような個人の行動を最先端のICTによってクラウドに何千人分、何万人分と集積すれば、AIが人の日常生活行動を読み取るためのビッグデータとなる。進化するAIは、このデータをもとに私の食生活プランのベースになる部分を割り出して、サンプルを示すことができるであろう。さらにそこに対して、いくつかのバリエーションを加えることも可能になると考えられる。

他方、AIでは絶対に踏み込み切れないであろう部分も存在する。たとえば理屈抜きに、「いま死んでもいいから○○系のラーメン食いてぇ!」と思ったときに、私の心を読んで、スジュールや機動力、健康状態などをすべて総合した上で、私の欲望を優先させ、のり茶漬けの合間に的確な頻度でラーメンを割り付けることは、AIには困難であろう。

これが、私のことをよく知っている「食生活プランナー」の達人であれば、私の顔色や習性を敏感に読み取って、「週何回ののり茶漬け、昼食は月1回は△△屋、月1回は◇◇屋のラーメン、ただしインターバルは□□日以上置いて...」みたいな割り付けをして、それに基づいたアドバイスができるかも知れない。体調による変動にも臨機応変に修正できる能力が期待される。

また、すべての人がIoTの便利な生活を実現する金銭的な余裕があるわけではなく、余裕があってもすべての人がそれを望むわけではない。防犯などに活用できるメリットは確かに大きいが、他方で生活全体を監視されるのと同じことになるから、大衆が全面的にIoTを導入する動機には、何らかの抑制がかかることが予測される。

とすれば、ビッグデータが存在したとしても、そこからAIが人の生活に関するすべてを統御することは現実的に不可能であると考えて良い。

当然であるが、生活全般を側面的に支援すべきケアマネジメントも、AIによって全面的に取って代わられることはないことになる。

この課題は実に深い。政府が推進しているSociety5.0の動向を注視しながら、機会を改めて論じてみたい。

2018年6月13日 (水)

AIとケアマネジメント(2)

前回より続く)

したがって、私たちケアマネジャーや介護職員が新たな時代を生き抜くためには、これらの用語を整理して使い分け、立ち向かっていかなければならないのだが、現実にはそれができていない。

たとえば、一昨年10月に開催された政府の未来投資会議の席で、日本介護支援専門員協会の役員が「ケアマネジメントの全面ICT化には憂慮する」との意見を提出した。

この事案の資料に目を通したとき、全面ICT化に大賛成である私は、正直、「おいおい、大丈夫か?」と思ったものだ。「全面ICT化」とは、「(最先端の)情報通信技術を全面的にケアマネジメントへ取り入れる」の意味である。これからの世代のケアマネジャーが、日進月歩する情報通信技術を駆使できなくてどうするのか?

あくまでも私の推測であるが、この役員の意図するところは、おそらく「情報通信技術の進化に乗じて職能の本質的な部分が軽視され、人工知能がすべてを統御する行き過ぎた状況になることを憂慮する」であろう。それならば、私の見解と大きな隔たりはない。

しかし、そう言いたいのであれば、ここでの意見は「ケアマネジメントにおいて、全面ICT化を進めることには賛同するが、全面的にAIを導入することには憂慮する」でなければならない。私も含め、介護支援専門員は先端技術の専門家ではないのだから、個人としては混同したり言い間違えたりすることもあろう。しかし、一昨年の事案は、政府の公式な会議に、日本の介護支援専門員を代表する団体が公式な見解として資料を提出して発言したものなのだ。自分たちが専門用語を理解できているのか、しっかり調べてから提示すべきではないだろうか。このような場で「知ったかぶり」をしてしまうと、団体の指導部が恥をかくことになりかねない。

私の主張は「全面ICT化は大いに結構。それを推進することにより全面的にAIに取って代わられる程度の仕事しかしてこなかった人は、ケアマネジャーを名乗る資格がない」である。いろいろな場に臨んで、自分ではその趣旨で話しているつもりだ。わかりにくかったのであれば私の説明が不足していた面があるかも知れないが、他方で、聴き手側の「調べて理解する力」も求められるであろう。

この「ケアマネジメントの全面ICT化推進」と「ケアマネジメントへの全面的なAI導入不可=絶対に人間でなければできない仕事が相当部分残される」とは表裏一体であると、私は考えているが、この両者を関連付けるキーワードが「ビッグデータ」である。

ビッグデータ(big data)とは、計算機において一般的なソフトウェアにより扱える容量を超えたデータの呼称である。単にデータの量が大きいだけではなく、データの種類がバラエティに富んでいることや、データが置かれる時間や空間によって変化していくことが、ビッグデータの特徴として挙げられるであろう。

それでは、ビッグデータが私たちの仕事において具体的にどのような形で存在し、ICT化やAIの導入にどう絡むのだろうか? 次稿では予測される実例を挙げて論じてみよう。

次回に続く)

2018年6月11日 (月)

AIとケアマネジメント(1)

昨10日、静岡市で特定非営利活動法人・静岡県介護支援専門員協会の年次総会があり、会長からの推薦により、議長を務めさせていただいた。

そのあと、全体研修会となり、私のダジャレ友達(?)である菊地雅洋さん(北海道介護福祉道場あかい花)が、『平成30年度介護報酬改定大解剖~医療・介護大連携時代に求められるケアマネとは~』と題して、二時間半にわたって熱気あふれる講演をしてくださった。

菊地さんは昨年8月に別の講演のため浜松を来訪されており、そのときには私の開業16周年にも立ち寄ってくださっている。7年前の県協会、昨年の三島を合わせると、当県ご訪問は四回目になるようだ。来場者は250人と、7年前に比べると半数程度だったが、わかりやすい分析と予測、ケアマネジャーへの強力なエールとに、聴き惚れていた人たちが多かった。心に響く講演だったので、会員の一人として菊地さんには心から感謝申し上げたい。

そのあと、会場を駅南のホテルに移して懇親会。すでに役員を退いたのにもかかわらず、総会議長を務めた「お駄賃(?)」なのか何かわからないが、事務局が私も混ぜてくれたので、正副会長や自主事業委員とご一緒にビュフェ‐パーティーに参加させていただいた。菊地さんから見ると半数以上が初対面だったかと思うが、予想外に盛り上がって話に花が咲いていた。

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さて、菊地さんの講演内容にはコンテンツが盛りだくさんであったが、氏が触れておられた内容の中から、おそらく時間の関係であまり詳述されなかった課題を一つだけ取り上げて、何回かに分け私流に論じてみたい。

それは、「AIとケアマネジメントの関係は、今後どうなるのか?」である。

まず、多くのケアマネジャーや介護職員の間では、関連する用語が混乱していると思われるので、以下に整理しよう。

・AI(artificial intelligence)→人工知能。人間の知的能力を計算機上で再現するための技術やシステムの総称

・ICT(information and communication technology)→情報通信技術。計算機関連技術(IT)をさらに進展させた用語で、その技術を人と人、人とモノとの「通信・伝達」分野へ広く応用していくことを含んだ概念

・IoT(internet of things)→モノのインターネット。日常生活で用いられるあらゆるモノがインターネットに接続されて統御される仕組み

ただ「AIが来る」などと心配しているだけでは何も始まらない。このAI、ICT、IoTがそれぞれ私たちの仕事であるケアマネジメントにどう影響するのか、冷静に整理してみる必要があるだろう。

これらの用語に代表される社会は、すでに現実のものになりつつあるからである。

次回へ続く)

2018年5月30日 (水)

誰のための建物なのか?

お名前は伏せておくが、Facebookで友達になっている、お一人の演劇関係者の方から、新装した名古屋の「御園座」の建物について、不満に感じているとのコメントがあった。問題はいくつもあるようなのだが、その中で特に気になったのは、「クロークもコインロッカーもない」点である。

この方は演者の側として御園座に来られているから、ひょっとしたらクロークやロッカーに代わるものが何かあって、観客には周知されているのをご存知ないのかも...と思い、御園座に関するブログなどを検索してみた。すると、数件のレビュー記事の中に、事実クロークもロッカーもないことが報告されており、そのうち二つには、「不便に思って劇場に尋ねたところ、荷物を置いておくだけの(→そこに人はいるが責任を持たない)場所ならある」との趣旨が書かれていた。また一つのレビューには、「座席と前の座席との間がやや広めなので、冬期にはコートなどの荷物を、座席まで持ち込むしかないらしい」との要旨が書かれてあった。

これは、受益者本位の建物だとは到底言えない。そもそも演劇場のエンドユーザーは演者ではなく観客である。もちろん、そこで仕事をする演者にとって使いやすい劇場であるに越したことはないが、まずは観客がなるべく寛いで音楽や演劇を楽しめるのが良い劇場である。足元のスペースが多少広くても、重い荷物やコート・ジャンパーでゴテゴテした状態の中にあって、どうして寛げるだろうか? しばしば観劇や音楽鑑賞などをしている人であれば、誰にもわかる話だ。

ましてや、私に情報を提供してくださった演劇関係者の方によると、新しい御園座は演者側から見ても使いにくい点が多々あって、共演者の方々から不満が噴出しているそうである。

しかし、偉い建築家の先生には、このような問題点がわからない(わかっていながら、一時債務超過に陥った会社側の事情により、お金をかけての最善策を採れなかった部分もあったかも知れないが...)。いや、そういう言い方をすると語弊がある。建築家は建築の専門家なのだから、演劇のエンドユーザーである「観客」や、サービス提供者である「演者」としての場数を積んでいなければ、そちら側から眺めた感覚はなかなか身に着かない。

そこで、建物を建設するに当たっては、経営する当事者と、設計する人、作る人、サービスを提供する人、使う人といったステイクホルダーとを結び付ける役割が求められるのである。いわば、システム‐プロデューサー(この言葉も矮小化した転義で用いられることが増えたが、ここではより広い守備範囲で機動的に働く人を念頭に置いた、狭義の語法で使用する)の出番となるわけだ。

したがって、御園座のように課題を多く残す建物ができてしまったのは、有能なシステム‐プロデューサーの不在が想定される(あるいは能力はあっても十分な権限を与えられていなかった可能性もある)。

私もいずれは、オペラやコンサートで御園座を訪れる機会があると思うので、これから観客や演者のみなさんの意見を聴いてもらいながら、可能であれば一つずつでも設備を改善してほしいものである。

さて、同様なことは、私たちの介護業界でも起こり得る。

現政権の施策が「ハコモノ推進」から転換されていない以上、さまざまな種類の介護施設が引き続き建設(新築、増築、改築)されていくであろう。特別養護老人ホームや老人保健施設、グループホームのような従来型の施設はもとより、有料老人ホーム、サービス付き高齢者向け住宅、介護医療院などは、今後まだまだ増えていくことが見込まれる。

その際、大切なのは「誰のための建物なのか?」である。エンドユーザーはあくまでも入居する利用者である。そして、利用者に対して、より望ましいサービスを提供するためには、働く職員にとっても使いやすい建物である必要があろう。

しかし、現実には「法人経営側=当事者がどんな建物を作りたいか?」が優先されてしまうことが多い。これは「誰のための建物なのか?」と同じではない。一致する部分もあれば、乖離する部分もある。後者を調整するためのシステム‐プロデューサーが必要になる。その役割を欠いたまま建設プロジェクトを進めると、御園座のようなことになってしまう。

幹部職員が現場で日常の仕事をしながら、新しい建物の企画を兼務するのは、いまの業界事情から言えば厳しい。人を外注し、専心して当たらせるのが効果的だ。実際には、システム‐プロデューサーとして働ける人の候補は、業界に少なくないと思う。法人側が少しの費用を惜しんで、埋もれている人材を活用しないのはもったいない話だ。たとえば実力派として鳴らしたケアマネジャーで、いま本業の仕事をしていない人の中にも、この任に堪える人は結構存在する。

裏を返せば、有能なケアマネジャーは制度上の「介護支援専門員」としての仕事ができなくなっても、システム‐プロデューサーとして活躍する道が開かれていることになる。エンドユーザーをはじめ各々のステイクホルダーにとって、真に望ましい設備を整えた建物を作ることで、限られた「材」を無駄にしないためにも、その役割の重要度は大きい。

また、筆者の知人には、以前紹介した相模原の岡さんのように、建築業界から介護業界、さらに高齢者の建物に関するお仕事に転職された方もある。このような経歴の方もまさにシステム‐プロデューサーにふさわしいであろう。

今後の業界再編成では、このような転身も一つのスタイルとして期待したいものだ。

※今回のエントリーから、HNを「じょあん」から「ジョン‐トラブッた」に変更しました。
これまで同様、お暇なときにご笑覧くださいませ(^^*

2018年5月19日 (土)

一つの節目

きょうは、このところの気温の乱高下が収まり、風薫る爽やかな土曜日となった。

私にとって一つの節目となる、母の納骨式。カトリックでは仏教の四十九日のような習慣はなく、遺族が司式司祭と相談した上で納骨の日を決めれば良いことになっている。名古屋の叔母夫妻や従妹の都合を聞き、5月19日が第一候補に挙がったので、浜松教会の山野内神父様にご都合を伺ってご快諾いただき、この日に実施することになった。

親戚一同に通知してから一か月余、準備することは結構多い。出欠や交通手段の確認、石材店へ依頼して墓石に母の名前・生没年月日を彫字、埋葬届の提出(墓地管理事務局へ)、草取り・清掃、会食の手配など、期日が限られている中で、仕事の傍ら一人でいろいろと必要な段取りをこなしてきた。

朝10時までに仕度を済ませ、玄関を掃き清めてから、骨箱を大切に抱えて外に出る。母が48年守ってくれた家から出発するときである。その重みは簡単に言い尽くせない。

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墓前に到着すると、自分が準備したシンプルな花だけでなく、従兄(父の甥)が早めに到着して、白い花を加えて華やかに飾ってくれていた。ふだんはあまり気の利かない人なのだが、こんな一面があるのかと、少し見直したものだ。

参列したのは私を含め9名。従兄弟姉妹たちの中に、土曜日は仕事が入っていて来られなかった人も多く、少人数のセレモニーとなった。

11時から開式。神父様の講話を含め、15分ほどで終了。そのあと、一人ひとりに各自のやり方で祈りを捧げてもらった。どの宗派の流儀であろうが、故人の平安のために心を込めた祈りであれば、神様は耳を傾けてくださるはずであるから。

式が終了した後、近くのイタリア料理店「ラ・アリタリア」で会食。ここは十何年か前の8月7日、母の誕生祝いのディナーを賞味した店である。

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自宅や事務所からは遠いのだが、味には定評があるので、私も何年かに一回は足を運んでいる。母の記念の意味もあり、この店へ早目に予約を入れて、席を設けることになった。

前菜から魚料理、肉料理、デザートまで、変わらぬグレードの高さに大満足。列席した親戚たちも、口々に「美味しかった」と評していた。人数が少なかったことが幸いして、席上では母方の親族と父方の親族とが歓談する場面もあり、楽しいひとときを過ごすことができた。

これで「喪中」モードも終了した形である。母の遺品などの後始末はまだまだ残っているが、適当に時間を見つけて、少しずつ整理していきたい。

それよりも、自分に課せられた使命をいま一度問い直し、「何ができるのか?」と、あらゆる可能性を模索してみることが大切だと感じている。「誰にでも心を開いて」をモットーにしてきた母の生きかたは、私にとっても大きな学びになった。私自身、母とはスタイルこそ異なるにせよ、自分の殻に閉じこもらず、仕事や活動について語り合える仲間を探し求めて、全国各地の人たちとの交信を積み重ねてきた。その路線の上に、これからの自分の「道」が開かれているであろう。

まずは、現在の仕事を着実に続けながら、早ければ今年中にも機会を見つけて、新たな企画に取り組んでみようと考えている。

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