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2012年8月

2012年8月26日 (日)

武家系譜研究の参考文献

私は10代の終わりから、機会を見つけては国内各地の城下町などを旅行し、地方を統治した武士の系譜をたどり、その歴史的業績に触れてきました。

武家系譜は、信頼のおける文献・史料を出発点にして、周辺知識を広げていくことが大切です。これまで自分が参照したおもな参考文献を提示してみます(事典類は除く)。皆さんのご参考にしてください。なお、○を付けたものは私の蔵書です。

〔全国を対象にしたもの(アイウエオ順)〕

寛永諸家系図伝 ○寛政重修諸家譜 ○群書系図部集 系図纂要 諸家知譜拙記 尊卑文脈 大武鑑 断家譜 ○徳川諸家系譜 藩翰譜 平成新修旧華族家系大成

〔地方を対象にしたもの(アイウエオ順)〕

○秋田武鑑 ○上杉家御年譜・諸士略系譜(米沢藩) 加越能諸士系譜 ○近世防長諸家系図総覧 芸藩輯要 薩陽武鑑 士林泝洄(尾張藩) 水府系纂 伊達世臣家譜(仙台藩。正編・○続編) 藤堂姓諸家等家譜集(津藩) 徳島藩士譜 鳥取藩史 南紀徳川史 参考諸家系図(南部藩) 肥後読史総覧

これらの基本史料以外にも、旅行先ではしばしば、図書館や文書館を訪れて系譜文書を閲覧させてもらいました。目的をはっきり告げて依頼すれば、どこでも親切に対応してくれました。

私が調べたのは、徳川一門や外様大藩が多かったのですが、中小大名の城下町にもこのような系譜史料が保管されていると思います。ご関心のある方は、地方の史料探しをしてみるのも面白いかも知れません。

2012年8月18日 (土)

クオータ制が十分に機能しないのは?

クオータ制(quota system)という言葉をご存知でしょうか?

公的な機関や団体において、その執行に関する議決権を持つ人たちの構成員が、男女の一方に偏らないよう、最低比率を定めて、割り当てをすることです。

実は、私がどこかの団体の規約原稿を作る際に、原則としてこのクオータを必ず取り入れています。「男女一方の性が、役員の○%未満であってはならない」とかいう具合に。

しかし、実際の運用となると、なかなかうまくいきません。なぜでしょうか。

・企画段階でツブされてしまう。「頭の固い男性たち」から反対が出て、規約そのものに盛り込むことができない。

・せっかく規約に入れても、役員選出母体集団の男女比が偏っていると(おもに男性が圧倒的に多い団体ですが)、現実問題として女性役員を選出すること自体が難しい。また、ある集団からは決まって男性が、別の集団からは決まって女性が選出される(たとえば医師と看護師の場合など)ようなことになってしまい、合議体において代表する利害の分野が、男女によって偏りができてしまう。

・選出母体集団の男女比が均衡していても、従来男性が圧倒的な優位を占めていた組織・合議体で、女性が対等に意見を述べていくことが難しい。クオータを重視することでシステムに不慣れな女性が役員に選出されると、かえってクオータがめざす本来の役割を発揮し得ないことがしばしば起こる(男性側の意向を実現させるために女性役員が使われてしまうなど)。

難しいものです。世界諸国の中でも、女性の国会議員の数は下位から数えたほうが早い日本では、すぐに現状を打破していくことは厳しいかも知れません。長い期間をかけて、男女双方の意識を変えていくしかないのでしょう。

2012年8月10日 (金)

尾張藩士の地元採用

江戸時代の尾張藩徳川家(61万9500石)は、名古屋を居城とする御三家の筆頭です。私の母の先祖は、軽輩ですが尾張藩士の端くれでした。

さて、この尾張藩ですが、徳川家発祥の地・三河に近かったこともあり、家臣団の構成は、地縁的な関係が強い尾張・三河・美濃・信濃出身者が多くを占めました。そのため、重臣クラスから下士に至るまで、戦国期以来の所領を知行または管轄した家臣が多かったのです。以下にそのおもな者を掲げてみましょう。

山村家(5700石); 木曽福島(信濃)代官。もともと戦国期の木曽家臣出身。

横井家(4000石); 赤目(尾張海西郡)近傍を領知。戦国初期から。

生駒家(4000石); 小折(尾張丹羽郡)近傍を領知。戦国中期から。

千賀家(1404石); 師崎(尾張知多郡)代官。戦国中期に志摩から知多へ移る。

このように藩士の地元採用が多かった大藩には、他に薩摩藩島津家、仙台藩伊達家、長州藩毛利家、佐賀藩鍋島家などが挙げられます。共通するのは、いずれも藩主家自体がご当地大名だということですが、転地が日常茶飯事であった江戸時代においては、数少ない例ということができましょう。

2012年8月 2日 (木)

平成18年版の情報公表制度が迷走した理由

平成18年から実施された「介護サービス情報の公表制度」は、本来の外部評価とは「似て非なるもの」であると、現場からの批判を受ける形となりましたね。

多くの人材と費用が投入されながら、調査情報が有効に活用されないまま、大いなる不評のうちに幕を閉じてしまいました。現在、この制度は、各都道府県に運用が任され、中途半端な形にとどまっています。

本来、情報公表制度は、介護サービスの内容に関する情報を、わかりやすい形で市民に公開して、サービス選択に資するのが目的だったはずなのです。それなのに、なぜ運用に失敗してしまったのでしょうか?

この制度の項目設定に携わった委員の意見や、事業者として調査を受けた経験、調査員として赴いた経験など、自分が見聞きした一連の経過から、制度運用失敗の原因を、下記のようにまとめてみました。

1.制度導入に関わった人たちや集団が「同床異夢」であった。社会的要請から純粋に介護サービスの情報開示を推進してきた人たちと、この制度で「ひと稼ぎ」しようとした人たちとが混在しており、一部地域における制度の運用は、結果として後者の利権が絡む草刈り場の、いわば「ぼったくりシステム」と化してしまった。

2.調査員の資質に問題があった。調査項目については確かに全調査員に対し共通の研修がなされたが、調査員の中にはマナーをわきまえない人物も含まれており、調査先での非常識な言動により批判を受けた。

3.事業者側にモチベーションの落差があった。この情報公表を機会に、これまで具備されていなかった部分の補完をめざした事業所と、情報公表に理解を示さない事業所との意識の違いが大きかった。

4.義務的に調査手数料や公表手数料を徴収されるシステムが、制度運用に懐疑的な事業所の徒労感を強めた。

5.調査情報は、市民が真に知りたい情報と乖離していた。基本情報のほうは、サービス選択に際して一定程度の参考になったが、たとえば「中間管理職の離職率」のような、本当に大事な情報が欠けていた。

このような理由から、情報公表の全国的な運用は挫折してしまいましたが、この失敗を糧にして、私たちは望ましい外部評価のあり方を考察していかなければならないでしょう。

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