« 平成18年版の情報公表制度が迷走した理由 | トップページ | クオータ制が十分に機能しないのは? »

2012年8月10日 (金)

尾張藩士の地元採用

江戸時代の尾張藩徳川家(61万9500石)は、名古屋を居城とする御三家の筆頭です。私の母の先祖は、軽輩ですが尾張藩士の端くれでした。

さて、この尾張藩ですが、徳川家発祥の地・三河に近かったこともあり、家臣団の構成は、地縁的な関係が強い尾張・三河・美濃・信濃出身者が多くを占めました。そのため、重臣クラスから下士に至るまで、戦国期以来の所領を知行または管轄した家臣が多かったのです。以下にそのおもな者を掲げてみましょう。

山村家(5700石); 木曽福島(信濃)代官。もともと戦国期の木曽家臣出身。

横井家(4000石); 赤目(尾張海西郡)近傍を領知。戦国初期から。

生駒家(4000石); 小折(尾張丹羽郡)近傍を領知。戦国中期から。

千賀家(1404石); 師崎(尾張知多郡)代官。戦国中期に志摩から知多へ移る。

このように藩士の地元採用が多かった大藩には、他に薩摩藩島津家、仙台藩伊達家、長州藩毛利家、佐賀藩鍋島家などが挙げられます。共通するのは、いずれも藩主家自体がご当地大名だということですが、転地が日常茶飯事であった江戸時代においては、数少ない例ということができましょう。

« 平成18年版の情報公表制度が迷走した理由 | トップページ | クオータ制が十分に機能しないのは? »

日本史」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 平成18年版の情報公表制度が迷走した理由 | トップページ | クオータ制が十分に機能しないのは? »

フォト
無料ブログはココログ
2021年4月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  

他のアカウント