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2012年11月

2012年11月30日 (金)

セルフブランディング考

近年、おもに若者たちの間で、「セルフブランディング」が流行りのようです。企業や組織に所属しない形で、自分自身を商品としてプロモートして、仕事を獲得していくのです。若者たちの場合は、SNSなどのネットサービスをおもな宣伝手段として活用していることも大きな特徴です。

このような風潮は、ゆとり世代の若者に見られる「ノマド志向」とも重なる部分が少なくありません。バブル崩壊後に青少年期を過ごし、官庁や大企業を軸にしてきた日本社会の仕組みがいかに不安定なのかを実感し、自らの力だけを信じて社会人になった世代に特有の傾向なのかも知れませんが。

介護業界においては、力量十分な中高年の人が幅広く自己実現を達成するための一つの方法として、セルフブランディングをお勧めしたいと思います。当・浜松の業界では、私以外にも、同じケアマネ仲間の佐藤文恵さん(「きちっと」)や奥山恵理子さん(「浜松人間科学研究所」)は、それぞれ「自分の名前」で「親方=プロフェッショナル」として活躍されています。もちろん佐藤さんや奥山さんも、私と同様に基礎資格・法定資格をお持ちですが、それ以上に「あの佐藤さん」「あの奥山さん」なのですね。自分自身がブランド。まさに「セルフブランディング」です。SNSを手段として使わなくても、仕事のグレードへの評価はすでに確立されています。

これだけ実力がある人たちならば、セルフブランディングして何の違和感もありません。とは言え、残念ながら当地でも、業界のいろいろな組織(社会福祉法人や医療法人など)に所属する施設長や主任ケアマネの中には、私たちの振る舞いを「スタンドプレイ」とか「売名」とか称して批判する人がいるようです。もちろん私たちの側もそう思われないために、周囲との協調に配慮していくことは大切でしょう。しかし批判する人たちの多くはそもそも「セルフブランディング」が何たるかをわかっていない。社会現象に対する自分の無知をさらけ出しているようにも思え、滑稽に感じます。

他方、実力が伴わないセルフブランディングには、厳しい結末が待っています。浜松ではありませんが、静岡県内の業界で、自分自身を大きく見せようと、都合の良い部分だけを宣伝して仕事を獲得し、処理能力を持たずに挫折したり、コンプライアンスの精神を忘れて不正に引きずられたりするなど、結果的に仕事ができなくなってしまったケアマネジャーも散見されます。

また、介護業界はさまざまな機関・事業所職員とのIPWが必須の仕事です。若くしてセルフブランディングに踏み切ると、経験不十分なまま独り立ちすることになり、連携相手との少なからぬ摩擦を免れません。社会人としてのマナーも問われることになります。田原亮さん(埼玉県朝霞市在住。いま36歳。あの緑風園の菊地さんをして、「もし将来認知症になったら、引越しして田原さんの成年後見を受けたい」とまで言わしめた!)のように、20代で開業してセルフブランディングに成功した方は、業界でも稀でしょう。

業界の若い人たちには、世間の風潮に惑わされず、自分の足元をしっかり固めながら、身の丈に合った、より良い道を切り開いてほしいと願っています。

2012年11月22日 (木)

介護予防計画とは何か?(1)

「要支援状態」の利用者のケアプランを「介護予防サービス計画」と呼びます。しかし、認定結果が要介護であか、要支援であるかにかかわらず、広い意味での「介護予防計画」とは何を指すものなのかを理解しておく必要があります。

たとえば税理士を業として収入を得ており、クラシック音楽鑑賞を趣味とし、世界各地のコーヒーを味わうのを嗜好にしている、65歳の男性Aさんがいるとしましょう。このAさんは脊髄損傷により下肢機能に重度の障害があるため、車いす生活を送っています。Aさんはあくまでも士業士として自立し、自分の情感世界を持った社会人であり、その自立を支援するために介護サービスが参画しています。

このように、介護にしても医療にしても保健や福祉にしても、それぞれ人間生活の一部分に過ぎません。もちろん、Aさんは生身の人間ですから、加齢や、疾病や、事故や、精神的な落ち込みや、その他さまざまな理由で、現有機能を低下、縮小させる危険性があります。それを防ぐための方針が総体として「介護予防」ということになります。

ところが、介護予防計画という言葉を使うと、官製の「予防プラン」書式によって領域別の課題を整理し、そこから目標→サービスにつなげ、給付管理をするという手順を示す意味になってしまいます。これでは利用者の生活を特定の断面で切って理解することになりかねず、介護予防の意味が矮小化されてしまう恐れが大です。

そこで、私は利用者の生活の全体像を把握するため、初回訪問では車を使わず、歩いて(遠距離の時にはバスに乗り)自宅まで赴いています。自宅周囲の生活環境から入り、住環境、屋内の雰囲気と、次第に利用者本人に近づき、それから利用者とじっくり向き合い、おもむろに狭義のアセスメントを進めるスタイルを採っています。一人の住民としての利用者のアイデンティティを総覧することから、介護予防が始まると言って良いでしょう。

「ADLが低下しないようにする」ことは「介護予防」のごく一部分なのだということを理解しておきましょう。

2012年11月14日 (水)

バリアフリーがすべてではない!

高齢者や障害者にやさしい建築物として、バリアフリー仕様が推進されてきました。公共の建築物には、バリアフリー法(=高齢者、障害者等の移動等の円滑化の促進に関する法律)により、規定された構造への適合義務や努力義務が定められています。

しかし、個人の住宅に関しては、バリアフリーを優先することが至上ではありません。状況次第では、スキップフロア仕様を採用することにより、高齢者の自立支援を促進させる場合があります。私がケアマネジャーとして訪問している利用者の中にも、三人ほど、いま自宅にある段差や障壁をなくすと、かえって下肢筋力の低下要因になるとの危機予測がなされてしまう方がいます。段差や障壁を乗り越えていくことが、ADLの維持につながっているのです。

昨日、初めて訪問した民家改造型の通所介護でも、経営者が同様な考えに基づいて所内の段差をそのままに残していることを知り、なるほどと納得しました。

もちろん、利用者の状態変化により移動能力が低下した場合、迅速に住宅改修などのしかるべき方策を導入することが望ましいことは、言うまでもありません。しかし、リスクばかりを懸念して、至れり尽くせりで段差や障壁をなくすことを考えるより、その方の生活場面に合わせて対応することが大切でしょう。これは訪問系や通所系サービスなどにも通じる自立支援の基本的な考え方です。

その人らしい、生き生きとした暮らしをどう実現していくか? 住環境一つを取っても、現実を見据えたアセスメントが求められるでしょう。

2012年11月 6日 (火)

大大名の支城

江戸時代には「一国一城令」の定めがあり、原則として一家の大名が複数の城を持つことが認められなかった、というのが一般的に理解されているところです。

しかし、大大名の場合は領国の面積も広いため、例外として支城が認められました。そのような支城を以下に掲げてみましょう。カッコ内は城主や城代を世襲した重臣の家です。なお、支藩として大名に列せられたものを除きます。

〔家門諸藩〕

尾張藩 → 犬山城(成瀬家)

紀伊藩 → 田辺城(安藤家)、新宮城(水野家)、松阪城、田丸城(久野家)

福井藩 → 越前府中城(本多家)

会津藩 → 猪苗代城

〔外様諸藩〕

加賀藩 → 小松城(一時、前田対馬守家)

仙台藩 → 白石城(片倉家)

熊本藩 → 八代城(松井家)

広島藩 → 三原城(浅野甲斐家)

鳥取藩 → 米子城(荒尾但馬家)、倉吉城(荒尾志摩家)

津藩 → 伊賀上野城(保田家)

徳島藩 → 洲本城(稲田家)

秋田藩 → 大館城(佐竹西家)、横手城(戸村家)

南部藩 → 花巻城

また、支城ではありませんが、薩摩藩、仙台藩、長州藩、佐賀藩などでは、それぞれ重臣たちを藩内各地の要害に配置しており、中世封建制の余韻を残していました。太平の世が深まるに連れて、これらの支城や要害の地は軍事的な意義が薄れ、多くは経済的、文化的拠点としての役割を果たすようになっていきます。

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