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2012年11月 6日 (火)

大大名の支城

江戸時代には「一国一城令」の定めがあり、原則として一家の大名が複数の城を持つことが認められなかった、というのが一般的に理解されているところです。

しかし、大大名の場合は領国の面積も広いため、例外として支城が認められました。そのような支城を以下に掲げてみましょう。カッコ内は城主や城代を世襲した重臣の家です。なお、支藩として大名に列せられたものを除きます。

〔家門諸藩〕

尾張藩 → 犬山城(成瀬家)

紀伊藩 → 田辺城(安藤家)、新宮城(水野家)、松阪城、田丸城(久野家)

福井藩 → 越前府中城(本多家)

会津藩 → 猪苗代城

〔外様諸藩〕

加賀藩 → 小松城(一時、前田対馬守家)

仙台藩 → 白石城(片倉家)

熊本藩 → 八代城(松井家)

広島藩 → 三原城(浅野甲斐家)

鳥取藩 → 米子城(荒尾但馬家)、倉吉城(荒尾志摩家)

津藩 → 伊賀上野城(保田家)

徳島藩 → 洲本城(稲田家)

秋田藩 → 大館城(佐竹西家)、横手城(戸村家)

南部藩 → 花巻城

また、支城ではありませんが、薩摩藩、仙台藩、長州藩、佐賀藩などでは、それぞれ重臣たちを藩内各地の要害に配置しており、中世封建制の余韻を残していました。太平の世が深まるに連れて、これらの支城や要害の地は軍事的な意義が薄れ、多くは経済的、文化的拠点としての役割を果たすようになっていきます。

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