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2013年5月 3日 (金)

なぜ利用者の「認知症」を本人に伝えられないのか?

私が介護業界で働いていて、きわめて不自然に感じる現象がいくつもあります。

そのうちの一つは、多くの支援者(ケアマネジャー、介護職員、医療職員等)が、医師から認知症と診断されている利用者に、面と向かって「認知症」だと告げないことです。

もちろん、インフォームド‐コンセントが重視される時代になったからと言って、すべての対象者にすべての病気をストレートに告げることが適切だというわけではありません。具体的には、がんの告知を受けて気力を失ってしまう可能性が強い人には告知しない例があるでしょう。認知症の高齢者の中にも、自分は絶対違うと否定して、支援者を信用しなくなる人もいるでしょうし、伝えられたことが契機になり、かえって症状を悪化させる人もいるでしょう。精神科の受診を勧めて、拒否する人も結構見かけますから。

しかし、そのような高齢者ばかりではありません。むしろ、自分が認知症であるのならば、その現実を承知した上で、今後の対応方法はどうすれば良いのか、家族や支援者と一緒に考えていこうという高齢者が少なくありません。それなのに支援者のほうが、利用者がいない場所で認知症の話題を出したり、利用者が聞こえないように小声で話したりする場面によく出くわします。

この背景に何があるのか? 当然ですが、利用者が認知症であることを伝えることが「差別」であるかのような感覚を持っている支援者は、伝えないように気を遣うでしょう。それはあたかも当該支援者の一種の罪悪感から発しているように、私には看取されます。

しかし、そもそもの前提が間違っていませんか? 「認知症」という病名がなぜ差別の原因になるのですか? さらに踏み込んで言えば、誰が「認知症」を差別用語にしてしまっているのですか?

言うまでもなく、認知症のことを「ニンチ」と略するなど、かつての「痴呆」と同じ感覚でこの言葉を使っている人たちなんですよ。

一般の人たちが、こういう言葉づかいをする専門職の態度を見聞きすれば、ごく自然に反応して、「ああ、やっぱり認知症になることは忌まわしいんだ」と感じるでしょう。社会問題について学習している途上にある子どもたちならば、「認知症」ではなく「認知症になった人」に対する差別的感覚を心の中に醸成していくでしょう。

逆に、一人ひとりがこういう感覚で言葉を使わないよう心掛ければ、「認知症」をたとえば「胃潰瘍」や「腰椎分離症」と同様な疾患の一種として扱うことに徹すれば、専門職員同士で、「Aさん、ニンチがひどくなったね」のような対話をしないために細心の注意を払えば、差別的感覚は雲散霧消するのではありませんか?

そうなれば、支援者が利用者(一部の例外を除いた多くの利用者)に面と向かって「認知症」の疾患名を伝えることに、何の抵抗も感じないはずです。もともと「認知症」は差別用語でも何でもないのですからね。

私がいま実践しているのは、慎重に言葉を選びながらも、医師の診断が出ている利用者に向き合って、明確に「認知症」であることを伝え、受け止めてもらい、それを踏まえてその人にどのような支援が必要なのか、本人・家族や支援チームのメンバーとともにじっくりと検討し、一人ひとりにとって最善の支援計画を作っていくことです。小さな実践の積み重ねが、いずれは社会を変えていく力になり得ることを信じながら。

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