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2013年5月11日 (土)

生活保護受給を「恥ずべき行為」におとしめる「恥ずべき人たち」

2012年4月、ある国会議員による、ある芸能人(高額所得者)の親の生活保護受給への批判を皮切りに、一連の「生保騒動」、そして現政権による保護費切り下げへと、情勢が動いていることは、ご存知だと思います。

ところで、この一連の「生保騒動」、本当はどのような構造だったのか、皆さんは頭の中で整理できているでしょうか?

まず、「不正受給」、あるいは「適正と言えない受給」は、あくまでも個別の受給者に関わる問題です。すなわち、AさんならAさん、B世帯ならB世帯という受給者に対し、自治体の担当部局が適・不適を判断して対処すべき問題です。AさんやB世帯が不適正な受給をしていたからと言って、生保受給者全体が集団として批判されるいわれは全くありません。そもそも、保護基準に該当し、行政が審査の結果、適正と認めた受給については、虚偽や隠蔽が行われていない限り、不正でも何でもありません。

次に、「適正に受給しているが、使途が制度の趣旨にそぐわない」という問題。飲酒したり、パチンコに興じたりするのが、受給者の自立支援に沿っているのかということですね。

これには二つの課題があります。まず、生活保護費の使い方に関する適切な指導が十分になされていないことです。行政のケースワーカーの数は限られており、専門性が高い人ばかりではありません。生保受給者の自立支援に携わるNPOや独立型社会福祉士などの活用も、いまだしといった状況です。この状況で、受給者すべてに聖人君子のような生活を送れなどと要求するのは、全く現実を無視したものです。

もう一つは生保の「補足性の原理」。すなわち、足りない部分を補うという原則です。就労することで収入が生じると、その部分が保護費から削減されます。しかし、実際には受給者が就労できたからといって、すぐに常勤社員になれるわけでもない。ほとんどの人は非常勤の期間雇用という不安定な身分で仕事をして、そこから常勤社員への「昇格」を目指さなければならないのです。その前の時点で保護費を削られてしまえば、スキルアップのためにかけられる費用も確保できず、地位向上も望めず、結局は雇用の調節弁として扱われてしまい、失職を余儀なくされることになってしまう。真の「自立」の段階に至るまでの経過措置期間を支えるシステムが欠如しているのに、「仕事が続かない」受給者の側を批判の対象にすることは間違っています。

さらに、この「生保騒動」、そもそも「騒いで」いるのは誰なのか? という点です。

私は現在、所得税と地方税とを合わせて、年間およそ24万円を納税しています。しかし、私から見るとケタ違いの収入があって、年間2,400万円納めている人もいるでしょう。この高額納税者にとってみれば、自分が納める税金のうち、生保受給者のために「使われてしまう」金額は、私の100倍にもなるわけです。したがって、生保に「ムダな(と称されている)」お金をかけないことが、結局は自分たちの税金をより「有効な(と称されている)」方面に使うことに直結します。

でも、よく考えてみれば、その「有効」な税金の使い途を政策決定している人たちの多くは、高額納税者、もしくはそれに近い人たちなんですよね。その人たちが、自分たちが損をするようなところに、保護費切り下げで浮いた税金の多くを投入するのでしょうか?

また、「生保騒動」を煽った人たち、たとえばテレビのキャスターやコメンテイターなども、その多くは高額納税者です。自分自身が生保を受給している人は、ほとんど世論形成の場面に登場せず、日常の姿を断片的に切り貼りされて(その多くは、報じる側に都合の良いようにですが)テレビや新聞・雑誌で放映され、キャスターやコメンテイターから興味半分に弄ばれている。しかし現実には、大部分の受給者はやむを得ない事情で、否応なく貧困に陥り、生保に頼らざるを得なくなっている。もちろん、そうなった過程には大なり小なり、各自の自己責任も存在するかも知れませんが、そもそも社会保障は貧困に陥った原因を究明して給付を査定するのが趣旨ではないはず。

もう、おわかりですよね? 「生保騒動」演出のどこがおかしいのか・・・。

「生保受給者より少ない収入なのに、受給せずにがんばっている人たちがいる」という「美談」を聞いて、「不適正受給者」に憤りを覚えた方へ一言。本来、公的扶助は「スティグマ(恥辱の烙印)」なく受けられるべきものです。生保を「受給せずにがんばる」動機が、受給することをあたかも「恥ずべき行為」であるかのように印象付けた世論操作から生じているとすれば、これこそ大きな汚点でしょう。そういう環境を作り出した(おもには)高額納税者のほうが、よほど「恥ずべき人たち」ではないのですか?

必要な人に十分な公的扶助が給付され、一人でも多くの人が自立生活に向けて再出発できることを、私は心から願っています。

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