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2013年6月

2013年6月28日 (金)

ヴェルディ歌劇の面白さ(3)

22日(土)、大阪のいずみホールで歌劇「シモン・ボッカネグラ」を鑑賞してきました。今年はヴェルディの複数作品の鑑賞を目標にしていたのですが、地元浜松のアクトシティで日程が近い24日に上演された、ハンガリー国立歌劇場引越公演の「椿姫」と、どちらにするか悩みました(どちらも営業日で多用なため)。結局、今後もめったに上演されないであろう「シモン」のほうに決めたのが、この3月のことです。

指揮は河原忠之(敬称略、以下同)、演出は粟国淳。キャストはシモーネ(シモン-ボッカネグラ)が堀内康雄、ヤコポ-フィエスコ(アンドレア)が花月真、アメーリア(マリア)が尾崎比佐子、ガブリエーレ-アドルノが松本薫平、パオロ-アルビアーニが青山貴、ピエトロが萩原寛明。

この作品は、ヴェルディの中・後期の作品の中で、「イタリア」を舞台・テーマにした唯一のものです。「リゴレット」は事情によりマントヴァに場を移していますが、原作はフランス王を主役にしたフィクションに基づいています。「シチリアの晩鐘」はイタリアが舞台であるとは言え、シチリア人がフランスの支配に抵抗する内容の台本をパリの劇場側作家から押し付けられ、ヴェルディ自身が不快感を抱いていました。「運命の力」はおもな舞台がスペインなので、イタリアの地が登場するのは第三幕の一場面のみです。「オテロ」は登場人物の多くがイタリア人ですが、当時ヴェネーツィア領だったキプロスは現在イタリア文化と縁が薄い独立国です。ですから、ジェノヴァを舞台にした「シモン」は、ヴェルディ後半の傑作の中で、かなり特異な位置を占めています。

ドラマでは、14世紀ジェノヴァの総督(平民出身)シモーネと貴族派代表フィエスコ、男と男の憎しみと和解が見せどころ、聞かせどころです。数多くのオペラではテノールの男性とソプラノの女性との恋愛がドラマの中軸になっています(「椿姫」などヴェルディの作品の大部分も同様ですね)。しかし、この作品の中軸はバリトン(シモーネ)とバス(フィエスコ)の男声同士の対話なのです。テノール(アドルノ)とソプラノ(マリア)は愛すべき脇役にとどまっている一方、もう一人のバリトン(パオロ)が悪役として存在感を示しています。そのため、全体が地味で重厚な味を醸し出しており、玄人向きのオペラと言えるでしょう。

その視点から今回の上演を眺めてみましたが、世界で活躍する名歌手の堀内と、宗教的な背景の重みを持つ(浄土真宗僧侶でもある)花月との掛け合いは、観客を十分に満足させる名演でした。特に第一幕の貴族派・平民派が対峙する場面で、堀内演じるシモーネが歌う「e vo gridando pace ! e vo gridando amor !(私は平和を、愛を訴える)」の一節は、鳥肌が立つほどの熱唱。こういう芸術体験には、普段めったに出会えるものではありません。

会場にはオーケストラ-ピットがなく、そのため管弦楽の音響が大きめでしたが、河原の指揮は奇をてらわないオーソドックスな解釈に従うもので、楽曲の美しい部分を十分に引き出す「緩急所を得た」演奏だったため、じっくり腰を落として聞き入ることができました。

舞台は、オーケストラの向こう側の限られたスペースを活用するものであったため、粟国の演出にもやりにくい面が多かったのではないかと思います。黒子の女性たちがチェスの駒を移動することで、上流階層のプライバシーが政略ゲームに翻弄されるさまを示した解釈には一応納得できましたが、中央の赤い駒がシモーネの総督位を示しているのが理解できる程度で、他の駒一つひとつの動きが何を意味しているのかわかりにくく、結果としては、いささか演出家の自己満足に終わってしまった面が無きにしも非ずかな、と感じました。本来なら「群衆」として主要人物たちと一緒に行動すべき合唱団を、構造の関係で左右の階上に配置せざるを得なかったのも、遺憾な点です。

全体としては、制約があったにもかかわらず、それを乗り越えた秀逸な上演だったと評価できます。お金と時間をかけて鑑賞しただけの価値は十分にあり、良い保養になりました。

2013年6月20日 (木)

サーモンのクリーム煮

先週の終わり、いつも行商に来る魚屋さんから、母が塩鮭の切り身を買ったのですが、うっかり冷凍せずに冷蔵庫のパーシャルに入れてあったので、「捨てるのももったいないから、クリーム煮でも作るよ」と言って、昨日調理してみました。

切り身を胡椒で味付けして、小麦粉をまぶし、しばらく置いておきます。それからフライパンにバターを溶かし、切り身の両面をしっかりと、多少焦げ目がつく程度まで焼き、よく火を通してから皿に取り出します。フライパンを拭かず、少し焦げたバターの残りをそのままにして、そこへしめじやエリンギを入れ、軟らかくなるまで炒めるのです。それから鮭の切り身を戻して、しっかり煮立てながら、塩・胡椒で味付けします。このとき、生クリームの上の層が固まらないように、ゆっくりかき回して煮立てるのが大事です。少し青物など添えると、もっと引き立つかも知れません。

これで今回は食材を無駄にするのを回避できましたが、長期的には、必ずしも残りものをうまく使いこなせてはいないのが正直なところです。世界には、十分な栄養が摂れずに餓死している人も少なからず存在するという現実。日頃から冷蔵庫のチェックを怠らず、食べものを大切にしていくよう心掛けています。

2013年6月13日 (木)

朝食中に北欧の海賊が登場する怪?

昨日は介護労働安定センター静岡支部で一日、「記録の書き方」の講義をして、帰宅後にブログを綴ろうとしたところ、PCの不具合が生じてしまい、更新が一日遅れの今日になってしまいました(次回は20日の更新予定になります)。

さて、その講義の中で、いわゆる和製英語の話をしたのですが、私がときどき気になる言葉の一つが、「朝食バイキング」。

バイキング(viking)とは、中世北欧諸国の海を雄飛した海賊のことです。海賊といっても、海上貿易を展開する地元の豪族がそのまま転身した例が多く、組織的な侵略活動によりヨーロッパ中の国々を恐れさせ、現代のいくつかの国々の文化的基礎を築きました。

英語圏の人に「バイキング」と言えば、この北欧の海賊のことを意味します。したがって、「朝食バイキング→viking breakfast」と言うと、頭に角の付いた甲をかぶり、刀剣をひっさげ、立派なヒゲを生やした男たちが、朝食のときに登場するの? という、わけのわからない話になってしまいます。

「客が自由に取り分けて、食べたいものを食べる」のは、英語で「ビュフェ=buffet」。朝食の場合なら、「buffet(style)breakfast」が正解。

私は老母が家に居ることもあり、県外へ泊まりで出かけることが少ないのですが、ホテルを選ぶときには、洋食のコンチネンタル+ビュフェがあるところを原則にしています。ゆったりした雰囲気で、パンや卵料理やコーヒーを味わって楽しむ。これがお出かけの醍醐味だと思っていますので。

日本人同士で話すときには、和製英語でも差し支えないのですが、英語圏の人とコミュニケーションを取るときには、本来の英語で何と言うのか、確認してからしゃべるように気をつけたいものですね。

P.S. 更新が一日遅れた関係で、いつもお世話になっているmasaさんが、ご自身のブログ『masaの介護福祉情報裏板』でちょうど、「モラルハザード」の和製英語を濫用するおかしな人たちについて言及されているのを目にしました。「モラルハザード」については、私も『介護職の文章作成術』P.88~89に記述してありますので、ご関心のある方はお読みください。

2013年6月 4日 (火)

つくられた暴君(1)

富士山の世界文化遺産登録内定、課題はいろいろ残りましたが、まずは静岡県民としてお祝いを申し上げたいと思います。

ところで、静岡県側(中・東部)から見た富士山、全体がなだらかな曲線ではありません。山の東側(向かって右側)に宝永山があり、稜線を中断する形になっています。そのため、宝永山が富士山を醜くしているという見方をする人たちがいることは、残念でなりません。しかし、この「宝永山差別」は、歴史上のある人物に対する評価の反映だということを、皆さんはご存知でしょうか?

宝永山は、1707(宝永4)年の大噴火のとき形成された山であり、このときの将軍は五代将軍・徳川綱吉(1646~1709、在位1680-1709)でした。この大噴火は当時の人々、特に門閥政治家や儒学者から、綱吉の失政による「天罰」だと評されています。その人たちが綴った史料の影響で、綱吉は人間より犬を大切にしたり、貨幣を改鋳して経済を混乱させたりした「暴君」とされてしまっています。

しかし、私は(徳川家康を除けば、)綱吉と九代将軍・家重(1711-61、在位1745-60)とが江戸時代の二大「明君」だと考えています。家重が「バカ殿」とされてしまっていることについては、少し触れました。それでは綱吉のほうは、どうだったのでしょうか?

その業績を整理する前に、まず、なぜ綱吉が「おとしめられた」のか? その事情を分析してみました。

(1)大樹寺(愛知県岡崎市)の位牌から推測される身長は124~130cmであった〔←障害者差別〕。

(2)四代までの将軍の継承ルールから「外れて」いた。家康(寅年)→秀忠(卯年)→家光(辰年)→家綱(巳年)と、偶然にも十二支の順番で父から子へ継承されていたのに、綱吉は午年ではなく戌年生まれであった。かつ、家綱に男子がなかったため、幕府開設以来初めての、兄から弟への継承であった〔←迷信・陋習による差別〕。

(3)牧野成貞(三河の門閥だが末家の出身)や柳沢吉保(甲斐の武田一門だが末流・小身旗本の出身)を側用人として重用したため、実権を削がれた従来の「閣僚」=門閥出身の老中たちが、小人(しょうじん。君子の反対)による政治であると反発した〔←身分差別〕。

(4)荻原重秀を重用して当時の経済的な需要に合わせた改革を展開し、貨幣改鋳を推進したが、結果として社会情勢にうまく適合せず、混乱を招いたことで、農業を重視する門閥などの旧勢力からの批判が高まった〔←商業蔑視〕。

(5)生類憐みの令により犬をはじめとする動物の保護を実施したのは、「人を斬っても平気」な戦国の余風が残る時代(たとえば水戸藩主・徳川光圀は、正当な理由なくして少なくとも2人を殺している)の空気を一変させ、生命を尊重する思想を浸透させようとしたのだが、これが劇薬となり、一部の知識人から揶揄され、同時に推進した江戸の福祉政策などが過小評価されてしまった〔←一種の風評被害〕。

いかがでしょうか。このうち(2)は、綱吉論でもこれまで注目されたことがない点だと思います。海音寺潮五郎が述べたものですが、海音寺もこの事実を「綱吉蔑視」と結び付けてはいません。

いずれにせよ、綱吉「暴君」説は、いくつかの「差別」が複合されて、門閥政治家や儒学者によって意図的に作り上げられた虚構だと、私は考えています。続きは日を改めて論じてみましょう。

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