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2013年7月

2013年7月30日 (火)

家の「通字」

私の本名は、父親と母親から一文字ずつもらった二文字の名前です。私の家系は、父方が遠州の農民の家(戒名が知られているのは宝暦年代からです)、母方が尾張藩の下士の家で、どちら側から見ても、全く名もない庶民の家に過ぎないのですが、それでも息子の名前には両親の思いが込められています。

ずっと古い時代に家系がさかのぼる名門の家ともなれば、なおさらでしょう。そういう家の中には、代々決められた文字を、男子の名前の一字として継承している家系も少なくありません。

当地の浜松市医師会・在宅医療委員のお一人に、日ごろからお世話になっている大久保忠俊先生がおられます。大久保ご一族は室町時代の大久保昌忠以降、「忠」を通字にされている方が多いようです(例外もありますが)。江戸初期の「ご意見番」大久保彦左衛門(1560-1639)も実名は「忠教」、幕臣から初代静岡県知事になった大久保一翁(1817-88)は実名が「忠寛」です。

徳川家の「家」も歴代将軍の多くが使用しています。古い名門大名では、薩摩島津家の「久」、仙台伊達家の「宗」、長州毛利家の「元」、彦根井伊家の「直」、秋田佐竹家の「義」、米沢上杉家の「憲」などがよく知られています。戦国時代に滅びた大名では、武田家の「信」、北条家の「氏」など。こういう家では、家臣たちがこの「通字」を自分の実名に使うことが厳しく制限され、一門重臣以外は使用が禁止されていた大名家も少なからず見られました。大名や上級武士の家ばかりではなく、下士や豪農・商人の家系でも、実名に「通字」を用いることは、珍しくありませんでした。このような伝統は敗戦のころまでは続いていたようです。

現代では、名のある家系出身の人であっても、親が子どもの名前をつける際に、簡単に判読もできないような難しい用字、発音を当てはめることがしばしば起こっています。「通字」などを因習だと見なして、伝統を脱していくのは、それぞれの考え方によるもので、歓迎すべきことかも知れません。しかし、奇をてらった名前をつけられた子どもが、周囲からイジメを受けたり、辛い思いをしたりするようなことを招いてほしくないものだと、心から願います。

2013年7月22日 (月)

ヴェルディ歌劇の面白さ(4)

ヴェルディの歌劇には、「決して妥協しない」人物が登場します。前半期の作品に登場する人物にも、そのようなキャラクターがときどき垣間見られるのですが、特に後半期の作品では、三人の人物が顕著です。

その三人とは、「シチリアの晩鐘」中のジャン‐プロシダ(ジョヴァンニ‐ダ‐プローチダ、バス)、「運命の力」中のドン‐カルロ(バリトン)、そして「ドン‐カルロス」中の大審問官(バス)です。この三人はそれぞれのドラマの中で、策を弄して主人公やヒーロー・ヒロインを陥れる敵役ではありません。むしろ確信犯的に「これが正義だ」と信じ込み、右顧左眄せず、目的に向かって一直線に突き進みます。その行動ゆえに、巻き込まれた人たちにさまざまな悲劇が襲いかかります。

ジャン‐プロシダはシチリアの医師で、目的は「祖国の独立」です。そのためにはフランスの占領軍の殲滅が至上命題です。フランス総督モンフォールを暗殺しようとして失敗し、その際にかつて同志だったアンリ(アッリーゴ)の素性が判明すると、彼を「フランス人」として敵視し、さらに彼と独立派の象徴である公女エレーヌ(エレーナ)との結婚式まで民衆蜂起に利用して、ついには鐘を打ち鳴らす音を合図にモンフォールの殺害、フランス軍打倒を達成するという、徹底した祖国愛の持ち主です。現代の過激派・テロリストに通じるものがあります。

ドン‐カルロはセビーリャの貴族で、その目的は「父の復讐と家の名誉の回復」。妹のレオノーラと恋人のドン‐アルヴァーロの二人が密通して、父のカラトラーヴァ侯爵を殺害したと誤認し、北イタリアの陣営で偶然出会ったアルヴァーロの釈明にも全く耳を貸しません。その後、ついには修道院までアルヴァーロを追い詰め、彼と決闘して逆に瀕死の重傷を負わされながら、岩屋で隠遁生活を送っていたレオノーラを見つけ、彼女を刺してから自分も死にます。ドン‐カルロには、南米先住民の血統のアルヴァーロに対する明確な差別感情があり、それが復讐心に拍車をかけています。

大審問官は90歳の視覚障害者として登場し、その目的は「カトリック共同体の死守」です。国王フィリップ2世が側近のロドリーゴに惑わされて異端(プロテスタント)の思想に理解を示していると断じ、その態度がスペインの国家体制を揺るがしていると非難、王子ドン‐カルロスとロドリーゴが処刑に値すると考え、妥協を認めません。エボリ公女が蜂起させた民衆に対しても、高圧的に国王への忠誠を要求し、恐れた民衆たちを黙らせます。最終幕でも国王とともにカルロスと王妃エリザベートを処断しようとしますが、先王カルロス5世に扮した修道士に阻止されます。宗教国家の権力の象徴として描かれています。

この三人は、まさに仮借なき強い意思の人であり、ドラマを引っ張っています。演じる歌手には、他を圧倒する声量が求められるでしょう。残念ながらこの三作品はいまだ劇場で鑑賞する機会がありませんが、ヴェルディのオペラではヒーロー(おもにテノール)やヒロイン(おもにソプラノ)だけでなく、存在感の大きな低音の脇役にも注目したいものです。

2013年7月14日 (日)

23年の歴史に幕

去る6日の夜、ボランティア団体「外国人労働者と共に生きる会・浜松」、略称「へるすの会」が23年の役割を終え、静かに幕を閉じました。

私が入会したのは、1990年7月、会が正式に発足して間もない夏のこと。まだそのとき自分は29歳の「若かりしころ」でした。出入国管理法が改定され、超過滞在の外国人労働者に対する取り締まりが厳しくなった時代で、浜松にもブラジル人やペルー人、フィリピン人に加え、ネパール人やイラン人の超過滞在者が少なくありませんでした。彼らが同じく地域の産業に従事して働く仲間なのに、雇用の調節弁として扱われ、派遣業者や反社会的団体のもとで「食い物」にされていることへの憤りが、社会正義のためのボランティア活動へ転化し、私たちの連帯を強めていきました。

それから23年。この間1997年には、へるすの会の活動の内外で協働する人たちにより、浜松外国人医療援助会(MAF Hamamatsu)が生まれ、毎年外国人無料検診会を開催して、おもに保険未加入の外国人に対する健康管理をサポートしていくことになりました。

他方、へるすの会のほうも、引き続き活動を続けていましたが、浜松における外国人労働者数の減少、国籍や業種など労働環境の変化、コミュニティ自助組織の成立などにより、団体の存在意義が変動せざるを得ませんでした。他方、主要メンバーの高齢化により、活動規模の縮小を余儀なくされたことも現実です。結果として、2013年7月6日をもって解散することになりました。

今後は遠州労働者連帯ユニオンで労働相談を受け付けると同時に、その周辺にいる医師、弁護士、そして私のような社会福祉士も必要に応じて各種相談に対応し、生活課題を抱える外国人労働者を可能な範囲で支えていきたいと思います。

長い間、へるすの会を支援してくださった皆さん、本当にありがとうございました。

2013年7月 6日 (土)

誰かを叩かなければ気が済まない人たち

フィギュアスケートの元世界女王(2回)・安藤美姫選手が4月に女の子を出産したとのこと。親族など周囲との意見の違いを乗り切って、子どもの命を守った選択には、心から祝福し、拍手を送りたいと思います。

ところが、この素晴らしい生き方に水を差すどころか、批判、さらに誹謗中傷するような人たちが、少なからず存在することは現実です。

まず、穏当なところでは、「五輪を目指すのであれば、妊娠・出産そのものに慎重であるべきだった」というもの。これはまっとうな意見のように見えますが、実はおかしい。そもそも、安藤選手は元・世界女王とは言え、現在は日本スケート連盟の強化選手ではありません。強化選手が五輪を目指すための費用を支給されているのに、自分の身体能力に影響を及ぼす選択をしてしまい、それを隠していたというのであれば、批判の対象になり得ますが、強化選手でない以上、安藤選手には国民に対する何の責任もないはず。これほどの実績を持つスケーターですから、五輪を目指す以上、あらゆる阻害要因を回避してほしかったという人たちの思いはともかく、批判するのは筋違いでしょう。

次に、「アイスショーで稼げるビッグなスケーターなのに、ファンに出産を隠していたのは道義的に問題ではないか」とする考え方。ファンの心理が理解できないわけではありませんが、あくまでも妊娠・出産はショーやメディアへの露出を休止している間のできごとですから、別に安藤選手がファンを裏切ったものではありません。事実をいつ開示するかどうかは本人の判断でしょうし、子どもを産んだからもう安藤選手のファンをやめるという人がいたら、その人はもともと真のファンではなかったということです。

そして問題なのは、この話題についてスキャンダラスな報じ方をする一部のメディアと、それに煽られて誹謗中傷を行う一部のネットユーザーなど、モラルに欠ける人たちでしょう。安藤選手が静かに見守ってほしいと希望しているのに、子どもの父親の素性をほじくり出そうとしたり、女性アスリートが未婚の母となったことをおとしめたりするような連中。

この人たちの心の中は、どれほど荒涼とした風景なのでしょうか? ほんの二年余り前、大震災の直後、開催会場までホーム(日本)からアウェイ(ロシア)に変えられてしまった世界選手権で、かつての五輪女王を破って世界女王に返り咲き、傷ついた祖国の人々の自信を取り戻してくれたヒロインに対する、敬意のかけらも見られませんね。さらに、子どもの人権をどう考えているのか?

安藤選手をおとしめるメディアや誹謗中傷する人たちの多くは、「誰かを叩かなければ気が済まない人たち」ではないでしょうか? つまり「あいつが悪い!」{「あいつが変だ!」と叫ぶことで、閉塞感から解放されたいという人たちです。しかし、このような知的体力に欠ける思考の近くには、大きな罠が隠れています。先般、「生保騒動」でも触れましたが、国民感情を扇動して政策への支持を固めようとする人たちの画策です。誰か「悪い人(たち)」を作っておいて、「こういう人(たち)を出さないために、政策をこちらへ向けましょうね」というアピールです。

祝福されるべき安藤選手の出産への卑劣なバッシングが、一部地域の保守的な政治家や教育者が推進している時代錯誤的な「子どものため、常に親が家に居るべき」という動きを促進させ、働きながら子育てをする女性たちの肩身が狭くなる事態を招くことがないように、願っています。もはや少子高齢化対策は待ったなしの段階なのですから。

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