家の「通字」
私の本名は、父親と母親から一文字ずつもらった二文字の名前です。私の家系は、父方が遠州の農民の家(戒名が知られているのは宝暦年代からです)、母方が尾張藩の下士の家で、どちら側から見ても、全く名もない庶民の家に過ぎないのですが、それでも息子の名前には両親の思いが込められています。
ずっと古い時代に家系がさかのぼる名門の家ともなれば、なおさらでしょう。そういう家の中には、代々決められた文字を、男子の名前の一字として継承している家系も少なくありません。
当地の浜松市医師会・在宅医療委員のお一人に、日ごろからお世話になっている大久保忠俊先生がおられます。大久保ご一族は室町時代の大久保昌忠以降、「忠」を通字にされている方が多いようです(例外もありますが)。江戸初期の「ご意見番」大久保彦左衛門(1560-1639)も実名は「忠教」、幕臣から初代静岡県知事になった大久保一翁(1817-88)は実名が「忠寛」です。
徳川家の「家」も歴代将軍の多くが使用しています。古い名門大名では、薩摩島津家の「久」、仙台伊達家の「宗」、長州毛利家の「元」、彦根井伊家の「直」、秋田佐竹家の「義」、米沢上杉家の「憲」などがよく知られています。戦国時代に滅びた大名では、武田家の「信」、北条家の「氏」など。こういう家では、家臣たちがこの「通字」を自分の実名に使うことが厳しく制限され、一門重臣以外は使用が禁止されていた大名家も少なからず見られました。大名や上級武士の家ばかりではなく、下士や豪農・商人の家系でも、実名に「通字」を用いることは、珍しくありませんでした。このような伝統は敗戦のころまでは続いていたようです。
現代では、名のある家系出身の人であっても、親が子どもの名前をつける際に、簡単に判読もできないような難しい用字、発音を当てはめることがしばしば起こっています。「通字」などを因習だと見なして、伝統を脱していくのは、それぞれの考え方によるもので、歓迎すべきことかも知れません。しかし、奇をてらった名前をつけられた子どもが、周囲からイジメを受けたり、辛い思いをしたりするようなことを招いてほしくないものだと、心から願います。
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