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2013年8月

2013年8月31日 (土)

口のきき方で介護を変える!(2)

(前回より続く)

その方は80代、歩行困難で寝たきり状態の女性でした。入浴目的で短時間の通所介護を利用していましたが、たいへん頭の低い方で、介護する職員に対していつも「お世話になっています」と丁寧語で話しかけていました。他方、介護する側の職員はほとんど、この方に対してタメ口をきいていて、丁寧語で話していたのは私だけでした。

家庭介護が難しくなり、この方が施設入所することになって、私がお役御免のあいさつに出向いたときに、「実るほど頭(こうべ)を垂れる稲穂かな、というのは、あなたのことですね。○○大学卒の人なのに、本当に丁寧な言葉でお話ししてくれました」と言われました。短期記憶もあいまいだった人なのに、どこで聞いたのか、私の学歴まで知って記憶していたのです。

利用者の認知症が進んでいるから「どうせすぐ忘れるんだろう」などと思って、相手を軽んじた言葉遣いをしている介護従事者は、大いに反省すべきでしょう。認知症が進んだ利用者も、介護する職員が自分を人間として尊重しているのかを、しっかり観察しています。私たちは、利用者の理解力・判断力がいかに低下していても、その目を恐れなければなりません。常に私たちは顧客から評価されているのです。その評価の大きな指標の一つが、「口のきき方」ということになるでしょう。

しかし、すでに述べているように、私たちの介護業界、さらに広く保健・医療・福祉業界では、一部の事業者を除き、業界全体として「口のきき方」の研修教育ができているとは言い難いのが実情です。これでは一般市民から、「介護の人たちは、どうせあのレベルだから・・・」と見なされてしまうのがオチでしょう。「だったら、報酬だって安くても良いよね?」。

今回の私の新刊書も、このような実態に対する危機感から、世に出すことになりました。

Photo

(続く)

2013年8月23日 (金)

口のきき方で介護を変える!(1)

一昨日、いつも通っている鍼灸師さん(看護師さんでもあります)のところで、マッサージを施療してもらいました。私は肩こりが著しく、本当は最低でも月一回行きたいのですが、それだけの収入がないので(涙)、5~7週間に一回のペースになっています。

さて、施療中に鍼灸師さんと話していて、「最近はあいさつの一つもできない介護職員が増えた」という話題が出ました。この方はいくつかの施設とリハビリの契約を結んで訪問し、ニーズを持つ利用者に施療+リハビリを実施しているのですが、行き先の施設の職員の中に、主任クラスでさえ、「こんにちは」などの基本的なあいさつができない人が、何人もいるというのです。来客を見かけてもどこのどなた様かわからない新人職員ならともかく、定期訪問者とは何度も顔を合わせているはずの責任者クラスが、そんな体たらくでは、その施設のレベルが知れてしまいますね。

私の周囲にも、マナーというより話し方ができていない職員が少なくありません。利用者に対して、家族に対して、あるいは事業者同士で。些細な言い間違い、的確な表現がすぐ出てこない言い淀みや、ブロークンな言葉遣いなどは、もちろん私自身にもよくあることで、お互いさまですが、それ以前の「口のきき方」ができていないのでは、介護業界全体が市民から低い評価を受けてしまいます。介護業界職員の多くは、自分が言われる側であれば不快になるという想像力さえ、働かないのでしょうか?

一般企業の間では、「口のきき方」の問題は若い人たちだけの課題のように言われています。介護業界では、と言うよりもっと広く、保健・医療・福祉業界では、そもそも、話し言葉のマナーなど何も教えてこなかった医療機関や福祉施設が多かったのです。医療技術、福祉(相談援助)技術、介護技術が先にあって、患者・利用者がサービスを受益できればそれで良し、としてしまう感覚。これが業界の多くの指導者を誤らせ、基本的な社会人としての振る舞いができない職員を多数作りだしてしまったと言うことができるでしょう。すなわち、業界を通しての教育研修システムの課題。世代の問題ではありません。

私は「専門バカ」になることの価値を否定するものではないのです。話し方が横柄だったり粗雑だったりする業種、たとえば一部の技能職の人たち(いわゆる「職人肌」)の中には、言葉遣いは低レベルでも仕事はしっかりやる人が大勢存在します。しかし、その人たちの多くは直接的には「モノ」を扱う仕事。介護関係の業種はヒューマン‐サービス、すなわち「人」に直接向かい合う仕事です。ケアマネジャーなどの相談援助職しかり、医療職しかり、リハビリ職しかり、介護職しかりです。どの職種を切り取って考えても、コミュニケーションの最大の手段である「口のきき方」が低レベルであって良いはずはありません。

「実るほど頭(こうべ)を垂れる稲穂かな」という言葉をご存知でしょうか? 人間として豊かな、すぐれた品格の人物ほど、言葉遣いが丁重で姿勢が低いという意味を表します。私は宮仕えのとき、認知症が進んでいた一人の利用者の方からこの言葉をいただいたことがあります。

(続く)

2013年8月15日 (木)

8月15日

今日、8月15日は言うまでもなく敗戦の日ですが、私たちカトリック信徒にとっては別の記念日でもあります。それは「聖母の被昇天」。イエスの母・聖マリアが死と同時に天に上げられた日です。

キリスト教に関心の薄い人は、マリアのことを「女神」だと誤解している向きもあるようですが、マリアはあくまでも人間です。ただし、救い主イエスの母となるため、人間の「原罪」を免除されているというのが、私たちの信仰による考え方です。従って、マリアは諸聖人たち(ペトロ、パウロ、ヨハネ、あるいは後世のフランシスコなどもすべて含めて)の筆頭であり、私たち人間のために、神様に取り次ぎ、執り成しをしてくださる方として、祈りの対象になっています。

しかし、女神ではなく人間ですから、自ら天に昇ることはできませんでした。ですから「被昇天」、英語でアサンプション(assumption)と呼ばれるのです。一方、イエスが天に昇られた祝日は、復活の主日から40日後の木曜日。イエスの場合は神と一体ですから、自ら天に昇られたという意味の「昇天」、英語でアセンション(ascension)となります。ちなみに、南米パラグアイの首都アスンシオーン(スペイン語)は、前者の「被昇天」のことです。

いずれにせよ、私にとっては自分の日常を振り返り、イエスのみ心に立ち戻るべく祈りを捧げる一日。今日は多用とは言え、久し振りに教会のミサにあずかり、静かに黙想してまいりました。

2013年8月 7日 (水)

米寿の母

今日は母の誕生日です。

数えで言えば、今年は「米寿」に当たる齢。いまや女性の平均寿命が85年10か月ですから、母もようやくその線を少し越えた程度。

一昨年、奇しくも「主の受難」の日に顔面神経麻痺を患い、そのあと、自信を失うこともしばしばありましたが、いまは体調不安定ながらも、心の揺れは小さくなりました。今年は昨年の同時期に比べると、やや体力は下がっているようですが、何しろこの猛暑ですから、まあ若干低空飛行ながらも、一応体調安定というところでしょうか。

それでも毎日の洗濯(私の衣服も)全部と、掃除の一部(ほこりをはたく、テーブルの上を拭くなど)、買い物の一部(生協等の宅配、魚屋の行商があるとき)、そして朝食と自身の昼食・週四回の夕食づくりをしてくれています。範囲は縮小しながらも、できる家事をなるべくこなすことで、生活そのものをリハビリとしながら、介護予防に心がけています。

今日の夕食は母が好きな寿司を取って、お祝いしました。月末には私の新刊書が発行される予定ですので、遅ればせながら母に贈るつもりです。

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