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2013年10月18日 (金)

浅き夢見じ?

NHK木曜時代劇で、ジェームズ三木氏脚本の「あさきみめみし」というドラマを放映しているようです。これは「いろは歌」の終わりのほうに出てくる文句ですが、ふと思ったのは、これはもともと「浅き夢見し」「浅き夢見じ」のどちらだったんだろう? という疑問です。

色は匂(にほ)へど 散りぬるを

我が世 誰ぞ常ならむ

有為(うゐ)の奥山 今日(けふ)越えて

浅き夢見し(?) 酔(ゑ)ひもせず

おそらく文法的にどちらが正しいかと言えば、「見じ」のほうなのでしょう。いろは歌の成立は遅くとも平安朝中期であり、当時の古代日本語の終止形は「見き」になると思われます。作者がだれかはともかく、この定説に基づいて推論すると「見し」ではなく「見じ」、すなわち、「浅き夢見じ酔ひもせず」で、「浅はかな夢など決して見ない、(世間の俗事に)酔いもしない」という意味になるのですね。

しかし他方で「見し」説が捨てがたいのも確かです。何しろ47字を一文字ずつ使って一つの思想を表す(仏教の諸行無常の教えであると言われますが、必ずしも断定できず、思想背景には諸説あります)という至難の詩作です。表現に無理が生じたとしても理解できないことではありません。もし「見し」という言葉がすでに俗語としてでも使われていたのを、作者がそのまま使用したと仮定すれば、「浅き夢見し酔ひもせず」で「浅はかな夢を見てしまったなあ、もうこれからは(世間の俗事に)酔わないぞ」の意味であった可能性が考えられるのです。

海音寺潮五郎の作品に「浅き夢見し」という小説があります。これは江戸時代前期の流転の公子、田中半蔵を描いた短編ですが、海音寺の短編集には「浅き夢見じ」の解釈にも言及した上で、主人公が自分の半生を「浅き夢見し」と振り返ったことを注記してあります。

たった一文字の発音をめぐる解釈の違いですが、切り込んでみると奥深い味わいがあるようです。

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