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2013年10月10日 (木)

「きりすて教」信者の人間に告ぐ!

10月7日、京都地裁で画期的な判決が下されました。朝鮮学校やそこに通う生徒たちに対して、街宣で「ヘイトスピーチ(憎悪の言葉)」を繰り返していた団体に対し、損害賠償を命じるものです。この団体は2009年、両親が在留特別許可を認められなかった(中学生の女の子には許可が下りた)フィリピン人一家に対する悪質な街宣活動を繰り返したことでも知られています。これをはじめ、数多くの機会にいくつもの国の(日本に在住する)人々に対し、数々の暴言を織り交ぜたシュプレヒコールを展開しており、良識ある人々から非難されています。

私は個人的には日本の外交・国防を強化すべきという考え方に立っています。わが国は、過去、日本の侵略戦争により迷惑をかけた国からの要求であっても、筋が通らない内容であれば断固として突っぱねるべき、また一方的な「反日」宣伝を許さないための積極的なロビー活動を展開するべきであると考えています。

しかし、たとえ日本国とある国、A国との関係が悪化している、あるいは断絶状態にあるからと言って、日本に居住しているA国やA国系の善良な人たちが、肩身の狭い思いや、いたたまれない思いをすることがあってはなりません。A国からの一部の日本在住者が、もし本当に「反日」の主張をしているのであれば、それには別の法令や社会規範に基づき粛々と対応すべきでしょう。裏を返せば日本人には、日本の風土を愛するA国の人に快適な生活を送ってもらう責任があります。とにかく民族的憎悪を煽る「ヘイトスピーチ」は許されない、これは先進国であれば当たり前の常識と理解すべきなのです。

その意味で、上記の判決を歓迎すべきことは言うまでもありませんが、この問題の背景には「人種差別」「民族差別」にとどまらない大きな問題をはらんでいます。いわゆる「誰かを叩かなければ気が済まない人たち」の存在です。

たとえば、すでに述べた「生保受給者」の問題。「あいつらがいるから自分たちの権利が奪われて(縮小されて)いる」と思う(思わされてしまっている)市民が少なくないという現実があります。人によってそれは「働くシングルマザー」であったり、「引きこもりの人々」であったり、「精神障害者」であったり、さらには「認知症の高齢者」であったりと、さまざまです。冒頭に述べた団体に参加、共鳴する人たちにとってみれば、「在日外国人」が自分たちの「権利を横取りする、憎むべき連中」なのでしょう。

悲しいことに、社会の閉塞感が、少なからぬ日本人の心の中にこの「排除の論理」を形成してしまっているようです。そのような論理で行動する人たち、それに共鳴する人の頭の中には、連鎖的に「信仰」と言っても良いほどの、強固な観念が根を張ってしまいます。「キリスト教」ならぬ「きりすて教」と表現しても良いでしょうか?

この「きりすて教」信者の皆さんに問いたい。

「同じ社会に住む人を排除することで、本当に実りある豊かな生活ができるんですか?」

いま、あなたは排除する側の人間かも知れない。しかし、あなたがそのような論理を認めるということは、将来、あなたが何らかの事情で排除される側になってしまっても、それを受け止めるということでしょうか? そのようなイマジネーションを働かせることができず、単に自分たちの間尺に合わない人たちを切り捨てようとするのであれば、おなたの心は何と貧弱なことでしょうか?

「きりすて教の信者よ! 次に切り捨てられるのは、あなたです!」

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