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2013年11月19日 (火)

つくられた暴君(2)

リチャード3世、中世のイングランド国王(1452-85、在位1483-85)。昨年、英国のレスターで遺骨が発見されたことで知られています。この人はシェイクスピアによって「悪人」のレッテルを貼られてしまった人物。残忍な暴君で、容姿も醜悪な人として、おとしめられています。

彼は特に、ヘンリ6世、エドワード5世と二人の国王を殺害した張本人とされていますが、実はこの「殺害」、いずれも証拠はありません。どちらの王に対してもリチャードが「幽閉」に加担した事実はありますが、「王殺し」の汚名を着せられるいわれはない。これは新王朝であるテューダ朝の、いわば御用作家であったシェイクスピア(トマス‐モアやホリンシェッドもこの「仲間」)が、前王朝であるヨーク朝のリチャードを悪王として評価を低落させる必要があったため、残虐な行為をすべて彼の責に帰してしまったことによるものです。

そのリチャードを敗死させてテューダ朝を創設したヘンリ7世(1457-1509、在位1485-1509)は、プランタジニット朝の国王エドワード3世(1312-77、在位1327-77)の四男、ジョン‐オヴ‐ゴーントの玄孫になります。系図上から見ると、ヘンリ7世が一族の間の抗争を勝ち抜いて王位に即いたとしても、正統性には何の問題もないように思われます。

ところが、ここに意外と知られていない事実が。ジョンの子どもたちのうち、ヘンリ7世の曽祖父に当たるジョン‐ボーフォートなど4名は、異母兄であるヘンリ4世との協定によって、王位継承権を放棄していたのです。ということは、その子孫であるヘンリ7世も王位を継承する資格はない。すなわち、彼は「簒奪者」であったのですから、リチャード3世を「国王に値しない人物」と決めつけないと、自分の王位を正当化できない状況にあったのですね。

現実のリチャード3世は、短い治世でありながら、すぐれた統治者として知られ、議会の議決を経ない臨時献金徴収の廃止や、紋章院の創設などの業績があった人物です。不運にも、イングランドの正当な王朝最後の君主になってしまったために、簒奪者から「悪王」に位置付けられてしまったというわけです。

まさに日本の徳川綱吉と同じく、「つくられた暴君」と言うことができるでしょう。

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