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2013年12月21日 (土)

つくられた暴君(3)

隋の煬帝(ようだい)=楊広、古代中国の皇帝(569-618、在位604-618)。歴代皇帝の中でも「暴君」とされています。確かに、治世の晩年に至り、高句麗への無理な外征が引き金となって各地で反乱が起こったのを鎮圧できず、最終的に身の破滅を招いたことは、統治に失敗したと評されても、いたしかたのないことでしょう。

しかし、煬帝への評価には、多分に次の唐王朝の思惑が含まれています。唐の建国者である高祖神堯皇帝・李淵(566-635、在位618-626)は煬帝の母方の従兄になりますが(もちろん、本来隋から帝位を継承する権利は全くありません)、自分が軍を預けられていた太原で機会を窺い、全国的に煬帝への反乱が広がるのを見て挙兵、長安を占領しました。そしてまだ煬帝が江南で存命しているのに、勝手に煬帝の孫の恭帝を擁立。煬帝が臣下の宇文化及に殺害された報を受けると、ほどなく恭帝を廃位して自分が皇帝の座に即いているのです。この高祖の後を受けた二代目の皇帝が、太宗文武皇帝・李世民(599-649、在位626-649)で、「明君」の誉れが高い人物です。

リチャード3世を滅ぼしてイングランド王に即位したヘンリ7世とは違い、高祖や太宗は直接煬帝を殺したわけではありません。しかし、煬帝を殺害した宇文化及(戦乱で敗死)の弟・宇文士及は、太宗の宰相にまで出世しています。高祖や太宗が煬帝の非業の死を聞いて「タイミング良く殺されてくれた」と思ったであろうことは、証明する必要もないでしょう。煬帝の死からわずか二か月後に、隋王朝を滅ぼしているのですから。

太宗は煬帝が暴君だから隋が滅亡して唐が興ったのであり、自分が煬帝に比べて明君であると宣伝します。その事績をまとめたものが『貞観政要』ということになるでしょう。もちろん、太宗が名臣たちの補佐を得てセルフコントロールに努めたことは知られていますが、実は失点も少なくなく、「兄弟殺し」をして皇帝の座に即いたり、高句麗遠征に失敗したりしたことなど、煬帝と大差ないと評する論者もいます。

煬帝の大運河開削事業は、物流の利便という面で、その功績は計り知れないほど大きなものです。動員された当時の民衆にとっては、苦役にほかならなかったかも知れませんが、後世の中国にとって無窮の利益をもたらしているのです。この功績を過小評価して、煬帝のマイナス面ばかりを強調する史論は、唐代につくられた煬帝暴君論に呪縛されたものであると言えましょう。

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