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2013年12月

2013年12月29日 (日)

2013年、自分の三大ニュース

2013年もあと2日余りです。

今年、自分の身に起こった変化と言えば、次の三つでしょうか。

・新刊書『口のきき方で介護を変える!-支援に活かす55の会話』(厚有出版)が発刊されたこと。8月29日発行、昨年の『介護職の文章作成術』に続く第二弾です。これで一応、マイナーながら、「もの書き」の仲間入りを果たした形になります。

・フェイスブック(FB)にアカウント登録したこと。慎重派の私はこれまでSNS交流に参入しませんでしたが、上記新刊書の発刊を契機に、9月に入ってからFB登録。本日までに「友達」64人を数えるに至りました。ただし、自分は不器用な人間で過剰な情報への対応能力に乏しいので、リクエストする場合も承認する場合も、(1)面識のある方 (2)以前から掲示板のHNを知っていて、どこの誰か「正体」がわかる方 (3)旧稿『作文教室』または新刊書を一冊でも買ってくれた方 (4)カトリック教会信者の方、以上の方々に限らせていただいています。それでも、業界ではHNで結構著名な方(中にはお会いしたことがない方も)からのリクエストをいただくなど、交流範囲が広がっているので、自分自身の情報獲得経路を多極化することができたことは、大きな成果でした。

・ヴェルディの歌劇を鑑賞したこと。これまでオペラ体験はほとんどワーグナーばかりだったのですが、今年は3月に「アイーダ」、6月に「シモン‐ボッカネグラ」、12月に「仮面舞踏会」、そして来年ですが、2月に「ドン‐カルロ」と、生誕100周年記念のヴェルディ鑑賞が相次いでいます。ワーグナーと同じ年に生まれ、異なる道を歩んだヴェルディの作品を味わうことで、同時にワーグナー作品の奥深さへの理解も進んだと理解しています。

そして・・・来たる2014年にはどんな変化があるんでしょうか?

ただ一つ言えることは、自分自身が行動変容を拒絶していたら、社会変革もできないことは確かでしょう。良き仲間たちと連帯しながら、構造的課題に一石を投じたい。そのために、新たな一歩を踏み出したいと望んでいます。

今年も一年、いろいろな方々に支えていただきました。この場を借りて、改めてお礼を申し上げます。

2013年12月21日 (土)

つくられた暴君(3)

隋の煬帝(ようだい)=楊広、古代中国の皇帝(569-618、在位604-618)。歴代皇帝の中でも「暴君」とされています。確かに、治世の晩年に至り、高句麗への無理な外征が引き金となって各地で反乱が起こったのを鎮圧できず、最終的に身の破滅を招いたことは、統治に失敗したと評されても、いたしかたのないことでしょう。

しかし、煬帝への評価には、多分に次の唐王朝の思惑が含まれています。唐の建国者である高祖神堯皇帝・李淵(566-635、在位618-626)は煬帝の母方の従兄になりますが(もちろん、本来隋から帝位を継承する権利は全くありません)、自分が軍を預けられていた太原で機会を窺い、全国的に煬帝への反乱が広がるのを見て挙兵、長安を占領しました。そしてまだ煬帝が江南で存命しているのに、勝手に煬帝の孫の恭帝を擁立。煬帝が臣下の宇文化及に殺害された報を受けると、ほどなく恭帝を廃位して自分が皇帝の座に即いているのです。この高祖の後を受けた二代目の皇帝が、太宗文武皇帝・李世民(599-649、在位626-649)で、「明君」の誉れが高い人物です。

リチャード3世を滅ぼしてイングランド王に即位したヘンリ7世とは違い、高祖や太宗は直接煬帝を殺したわけではありません。しかし、煬帝を殺害した宇文化及(戦乱で敗死)の弟・宇文士及は、太宗の宰相にまで出世しています。高祖や太宗が煬帝の非業の死を聞いて「タイミング良く殺されてくれた」と思ったであろうことは、証明する必要もないでしょう。煬帝の死からわずか二か月後に、隋王朝を滅ぼしているのですから。

太宗は煬帝が暴君だから隋が滅亡して唐が興ったのであり、自分が煬帝に比べて明君であると宣伝します。その事績をまとめたものが『貞観政要』ということになるでしょう。もちろん、太宗が名臣たちの補佐を得てセルフコントロールに努めたことは知られていますが、実は失点も少なくなく、「兄弟殺し」をして皇帝の座に即いたり、高句麗遠征に失敗したりしたことなど、煬帝と大差ないと評する論者もいます。

煬帝の大運河開削事業は、物流の利便という面で、その功績は計り知れないほど大きなものです。動員された当時の民衆にとっては、苦役にほかならなかったかも知れませんが、後世の中国にとって無窮の利益をもたらしているのです。この功績を過小評価して、煬帝のマイナス面ばかりを強調する史論は、唐代につくられた煬帝暴君論に呪縛されたものであると言えましょう。

2013年12月13日 (金)

ヴェルディ歌劇の面白さ(5)

7日(土)、上野の東京文化会館でトリノ王立歌劇場引っ越し公演、ヴェルディの『仮面舞踏会』を観賞。

指揮はジャナンドレア‐ノセダ(敬称略、以下同)、演出はロレンツォ‐マリアーニ。キャストはリッカルドがラモーン‐バルガス、アメーリアがオクサナ-ディカ、レナートがガブリエーレ‐ヴィヴィアーニ、ウルリーカがマリアンネ‐コルネッティ、オスカルが市原愛、サムエルがファブリツィオ‐ベッジ、トムがホセ‐アントニオ‐ガルシア。

もともと、この歌劇の題材は、スウェーデン国王グスタフ3世が仮面舞踏会の最中に暗殺された事件(1792)だったのですが、当時の官憲の圧力により、舞台設定がストックホルムから英領ボストンに変更され、同時に登場人物の名前も変えられました。その後、ストックホルム版も復活して、ときどき公演されています。今回の上演はボストン版でした(写真はプログラムです)。

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マリアーニの演出の特徴は、舞台が白・黒・赤の三色で埋め尽くされていたという一点に尽きます。白と黒は単純な善悪の区別ではなく、同じ人物(たとえばレナート)の衣装が白になったり黒になったりと、登場人物の心理的変化を微妙に表現しています。赤について言えば、第一幕でウルリーカがリッカルドの死を予言したとき、リッカルドの顔に赤いスポットライトが当たる場面は秀逸。また第三幕では、レナートとアメーリアの愛が育まれた場所だったベッドの赤い枠が、折れて床に倒れていたのが象徴的でした。

歌手はバルガスがリッカルドを好演。やや抑揚をつけ過ぎて、一部、声が小さくて聞こえにくかった箇所がありましたが、演技は見事でした。ヴィヴィアーニのレナートは朗々としたバリトンの歌唱で会場を魅了し、ディカのアメーリアも出色の出来でした。ベッジのサムエルはあまり目立ちませんでしたが、コミカルな歌唱で第二幕の「レナート嘲笑」の場面を聞きごたえあるものにしていました。対照的にコルネッティのウルリーカは、会場からの拍手は多く寄せられたものの、声の揺れがやや大きく、私の耳では聞きづらい歌唱でした。

その夜は江戸川区で開業する同業者と食事。翌日、午前中はいくつか書店などを散策しましたが、最後に八重洲ブックセンターへ立ち寄ったとき、介護関係の書籍のコーナーで、何と自分の著書が平積みにされているのを発見してビックリ!

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地元ではほとんど書店の店頭にさえ見かけないので、驚きでしたが、そこそこに需要はあるんだなあと思い、嬉しい気持ちで浜松へ帰りました。

2013年12月 5日 (木)

「歩くケアマネ」の現実は?(2)

先般、フェイスブックに徒歩の居宅訪問の状況を掲載したところ、以前からお世話になっている「兼任CM」さんから、「自分の利用者は、歩いて行ける距離の中には一人もいない」というコメントがありました。

確かに、同氏の事業所は中山間地と言って良い地域ですので、それが現実なんだろうなあと納得できます。浜松でも天竜区のあたりはそんな具合。「町を歩く」ことは、都市部のケアマネジャーの特権なのかも知れません。

私は昔の勤務先では、車よりも「自転車」を活用していました。中山間地ではなくても、駐車場所がない家などを含めて居宅訪問するとき、車では不便だからです。いまは浜松駅からバスでどこへでも行けるので、自転車を使う頻度がかえって少なくなってしまいました。何か月か、使わずに置いたままにしておくことも。

最近、よく歩いたのは11月28日、徒歩だけで5件訪問しました。しかし朝の訪問のときにはジャンパーを羽織るだけで良かったのに、お昼前にはマスクを着け、午後にはマフラーを着け、夕方の2件は手袋まで装着して行くほどの冷え込みだったんです! 一日のうちにこれだけ気温変化があると、身体にこたえますね。それでも通算歩行時間は130分、およそ8km超。これだけ歩くのは月に2~3日ですが、貴重な健康管理の手段になっていることだけは確かです。

やってはいけないのは、疲れて自宅へ戻るときの居眠り運転ですね。私の通勤時間はおよそ30~40分。くれぐれも眠気を帯びたまま運転しないように、十分気をつけてはいるつもりですが。

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