好きな言葉
私の好きな言葉。
いくつかありますが、目下いちばん気に入っているのはこれですね。
- 「私はあなたの意見には反対だ。
しかしあな
18世紀、S.G.タレンタイアが、F.M
民主主義における
ふだんから、心がけたいものです。
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私の好きな言葉。
いくつかありますが、目下いちばん気に入っているのはこれですね。
- 「私はあなたの意見には反対だ。
しかしあな
18世紀、S.G.タレンタイアが、F.M
民主主義における
ふだんから、心がけたいものです。
18日から19日にかけて、豊川で新年会がありました。介護業界「野」のネットワークでは取りまとめ役の一人である、桂(けい)さん(男性。過去、浜松でも仕事をされていました)のコーディネートで、気の置けない人たちがお酒と食卓を囲んでのひととき。私はこの中の数人の方とは以前から知り合いでしたが、東西から20人近くが集まった中に入ったのは初めてです。
私が驚いたのはそのネットワークの広さ。東は福島県、西は福岡県。その間では茨城県、千葉県、埼玉県、神奈川県、長野県、愛知県、静岡県。かつて、「独立・中立型介護支援専門員」の集まりでは、さらに多くの都道府県から同志が集まったことはありましたが、それとは異なる形で、このようなオフ会がときどき持たれていることには、素直に感激しました。
また、集まった人たちも、兼任CMさん(男性)、じむちょさん(男性)、きたさん(女性)、しゅうさん(女性)、じぇいさん(女性)、成(しげ)さん(男性)、さらに「熊さん(女性)」「施(せ)さん(男性)」と呼ばれる強大な豪傑まで集合し、それぞれHNで呼び合う光景は、さながら水滸伝の豪傑がそろったかのような雰囲気も・・・。まさに梁山泊の豪傑たちが外号(あだ名・通称)で呼び合ったのと同じ情景で、壮観でした。
そのとき、川崎でもアローチャートの実践研究会の人たちを中心に、新年会が開かれていました。そこで私は、豊川の会場から川崎のメンバーの一人、gitanistさんの携帯へ電話して、東西で交歓し合う場面まで実現。
水滸伝ならぬ「酔虎伝」だったかも知れません。それでも明日の活力のためには、こういう場が必要なことは間違いありません。バーンアウトしないためにも、良き仲間とめぐり逢い、思いを分かち合っていくことの大切さを、身にしみて感じた二日間でした。
小中学生のとき教わった国文法。付属語である「助詞」の中に「格助詞」という分類があることを、皆さんは学んできたものと思います。
それでは、この格助詞の「格」って何でしょうか?
英文法では、「主格」「所有格」「目的格」と三つの格について教わった人が多いでしょう。しかし、日本語の名詞は曲用による格変化を持ちません。自立語である名詞・代名詞(体言)に格助詞を後置させることで、格を表現します。このあたりまでは、拙著『介護職の文章作成術』に掲載しましたので、お読みになった方もあろうかと思います。
それでは、おのおのの格助詞はどのような「格」を表すのでしょうか?
・「が」→主格
・「の」→属格(=所有格)
・「を」→対格(=直接目的語に続く)
・「に」→与格(=間接目的語に続く。対格の文節を伴う)・処格(=間接目的語に続く)
・「で」「にて」→処格・具格(=直接目的語に続く)
・「へ」→処格
・「から」「より」→離格(=間接目的語に続く)・奪格(=間接目的語に続く。対格の文節を伴う)
・「と」→共格(=主語と同格の目的語に続く)
一口に「格」と言っても、これだけの種類があります。皆さんはご存知でしたでしょうか?
長くなりますので、それぞれの格助詞が文中でどのような位置付けになるのかは、項を改めて述べたいと思います。
2014年、あけましておめでとうございます。
今年最初のエントリーは、国語の勉強から始めましょう。
意識しないうちにもしばしば使ってしまう言い回しの一つに、いわゆる「ら抜き言葉」があります。「起きれる」「食べれる」「来れる」など。これらは文法的に「破格」(規則にのっとらないこと)の語法に含まれますが、広義の「可能動詞」の一種と見なされています。
可能動詞とは、もともと五段活用だった動詞が、「・・・できる」の意味を表すために、下一段活用を併せ持つようになったものです。
たとえば「書く」という動詞は五段活用で、「書かない・書こう(未然)」「書きます(連用)」「書く(終止)」「書くとき(連体)」「書けば(仮定)」「書け(命令)」となります。
しかし、これが可能動詞の「書ける」になると、下一段活用に転じ、「書けない(未然)」「書けます(連用)」「書ける(終止)」「書けるとき(連体)」「書ければ(仮定)」となります。可能動詞に命令形はありません。
さて、それでは「ら抜き言葉」の場合はどうでしょうか? たとえば「起きる」は上一段活用の動詞です。この動詞に「・・・できる」という可能の意味を持たせるのであれば、文法的には「起きられる」とするのが正しい用法です。語幹の「起き」に可能の意味の助動詞「られる」を接続させて、一つの文節を構成します。
そして助動詞「られる」は下一段活用で語形変化しますから、「起きられない(未然)」「起きられます(連用)」「起きられる(終止)」「起きられるとき(連体)」「起きられれば(仮定)」となります。
「食べる」のような下一段活用の動詞、「来る」=カ行変格活用の動詞も、同様に助動詞「られる」を接続させて、「食べられる」「来られる」とするのか一般的です。
これが唯一絶対の正しい語法であれば、問題は生じません。職場研修でたとえば、「渋滞がなかったので、会社まで無事に来れましたよ」などの「ら抜き言葉」を使った新人や若手社員に対し、上司や先輩が、「来られましたよ(「ら入り言葉」)と言え!」と注意すれば良いだけのことです。
しかし、ことはそのように単純ではありません。書き言葉はともかく、話し言葉における「ら入り言葉」の奨励には、下記のような問題が含まれています。
(1)文脈にもよるが、「ら入り言葉」を使用することで、かえって別の意味に受け取られてしまう恐れが生じる。たとえば「Aさんは保管した書類を調べられます」と言った場合、「受動」の意味に誤解されるかも知れないし、「B先生はタバコをやめられる」と言った場合、「尊敬」の意味に誤解されるかも知れない。
(2)地域にもよるが、可能の意味を表すには「ら抜き言葉」のほうが標準であり、「ら入り言葉」のほうがむしろ破格だとされてきた方言も少なくない。たとえば上の例を関西弁に当てはめると、「調べれる(可能)」「調べられる(受動)」「調べはる(尊敬)」になるであろうか? 少なくとも話し言葉に関しては、「ら抜き言葉」を標準語としない(1995年、国語審議会)からと言って、使用すること自体を批判するのは乱暴である。
(3)日本語の乱れを正すことは当然であるが、同時に言葉は時代によって移ろう「生きもの」であることも認識すべき。ある年代以降の世代で「ら抜き言葉」が多数派となりつつあるのであれば、それを踏まえた国語の標準化も、将来的には必要になるであろう。
このような事情ですから、話し言葉に関しては、単純に「ら入り言葉」のみが正しい語法だとは言えないのが現実なのです。
ただし、「ら抜き言葉」が標準語とされていない以上、書き言葉においては回避するべきでしょう。拙著『介護職の文章作成術』P.39には、「ら抜き言葉」を「誤り」とはしないまでも、「文章として格下げである」と述べておきました。公式な文書などでは特に気をつけたいものです。受け取った相手が守旧的な人物であれば、「ら抜き言葉」を目にして、書いた人(組織)の品格まで見下げてしまうことがないとも限りません。
たった一つの語句であっても、その言葉をめぐる状況、読み手の受け止め方まで思いを致して記述することが、「伝わる文章を書く」ことになるのです。
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