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2014年2月11日 (火)

「裁判」の語源は長州藩から

全国共通の用語としてごく普通に使用している言葉の語源が、実はローカルな言葉だった、というのはよくあることですが、三権の一つ、司法の根幹部分に位置する言葉がそれに該当するのだと言えば、意外に思われる向きもあるのではないでしょうか?

その言葉とは、「裁判」。

語源は「宰判(さいばん)」で、江戸時代の長州藩(=萩藩。毛利家)における地方行政区画の呼称です。関ヶ原の戦で石田三成側に与した毛利家が、徳川家康によって周防・長門の二国(いまの山口県)のみに減封されたのが1600(慶長5)年。それから半世紀後の1650(慶安3)年には、すでに「宰判」の行政区分が機能していました。

その後、江戸時代を通じて多少の異動がありましたが、幕末の長州藩には4末家(支藩のこと。長府・徳山・清末・岩国)および18宰判が存在し、合わせて22の行政単位に区分されていました。この規模は古来の「郡」または郡を2~3に分割した広さに当たります。

さて、長州藩は薩摩藩(島津家)とともに明治維新の主力になりましたが、明治新政府は1868(明治元)年、大阪・兵庫など全国12箇所に「裁判所」を設置しました。これは旧幕領(諸藩に属さない直轄地)を統治するために新設された機関であり、長州藩の「宰判」における代官の駐在地「宰判所」の語を転用したものでした。その年のうちに「府藩県三治制」が施行されたため、行政機関としての「裁判所」は姿を消しましたが、1871(明治4)年に至り、司法省のもとで東京裁判所が設置され、司法権力を行使する機関に姿を変えた「裁判所」が復活しました。これが現代の裁判所の起源になっているのです。

ですから、英語trialの訳語としての「裁判」も、裁判所が行う拘束力を持つ判定として、用語が定められ、定着したものであり、言葉の流れをたどれば、「宰判」→「宰判所」→「裁判所」→「裁判」ということになるのでしょうか。

こんな具合に、制度上定着している用語の発祥地を尋ねてみるのも、興味深いことです。

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