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2014年6月

2014年6月29日 (日)

日本人の心に根付いた「儒教思想」の影響(1)

6月18日、東京都議会で、女性都議が質問中、セクハラに該当する複数のヤジが飛んだ。女性都議はこれを苦痛として、ヤジ発言者の特定を要求。声紋鑑定まで実施していたところ、その最中に一人の男性都議が、最初のヤジを認めて女性都議に謝罪した。その他のヤジについては、女性都議側の会派などが現在調査中である。

・・・と、まあここまでは良い。

問題はそのあとだ。

この女性都議がかつてテレビのバラエティ番組に出演していたこと、その後も道義的に問題とされるプライベートな行為があったことが、メディアにより取り上げられ、結果的に女性都議は複数のコメンテイターから批判を受けることになった。

この一連の批判をネットやTVで見て、「またか・・・」の感が拭えない。と言っても、女性都議が「結局その程度の品格の女性だった」という意味では全くない。むしろ逆だ。

つまり、「セクハラに該当するヤジが発せられた」原因を、そのヤジの攻撃対象だった女性側に求めるコメンテイター側が、問題だと言っているのである。

ズバリ、この原因は「儒教」である。

(★念のため、筆者には決して、孔子や孟子の思想を崇敬する人や、葬祭や先祖供養を儒礼により行っている人を、不当に差別する意図はないことをお断りしておく。ここで言及するのは、あくまでも前近代の伝統的な儒教思想である)

自分の著書からだが、引用しておこう。

〔読者の周囲にも、こんな人はいないだろうか? (中略) 男女の愛憎が絡む犯罪や不倫の話題になると、決まって女性側を批判する年配の男性職員(『介護職の文章作成術』P.99)〕

実はここで私が「男性職員」と書いたのは不十分であった。女性にもこういう傾向の人はいる。今回、女性都議を批判したコメンテイターの一部は保守的な女性である。

これは「男尊女卑」のバリエーションだ。「身分差別」と連動した男尊女卑と表現しても良いかも知れない。

たぶん、多くのコメンテイターも、その御説を聞いている市民も、これが「男尊女卑」「身分差別」だとは意識していないだろう(←意識して発言していたら、そのほうが大問題だ!)。一部特殊な社会を除き、男女平等、四民平等が世界の共通原理であるはず(→「男尊女卑」「身分差別」は時代遅れ)との錯覚が、一般的な日本人の常識を支配しているのだから。

しかし、これは「男尊女卑」「身分差別(君子と小人との)」を規定した儒教思想の底流が、「当の日本人が気が付かないほど、当たり前の感覚になってしまっている」と考えるべきであろう。江戸幕府が朱子学を公式な教学と位置付けてから400年。橋本治氏や井沢元彦氏は、日本人の心の中に「儒教」が深く根を張っている状況について論じている。詳しくは、これらの方々の著作をお読みいただきたい。

今回の女性都議批判においても、当人の経歴や私生活上の問題がスキャンダラスに報じられたことによって、ヤジの被害者であるべき人物が、「被害を受けた側にも問題がある」と言われんばかりの状況になっている。

これは全くの誤認である。あくまでも「お前が結婚しろよ!」のヤジはセクハラである。東京都議会という公的な場で発せられることは決して許されない。そのあとのヤジについても、正確な発音が分析され、セクハラに該当する内容が含まれていたのであれば、同様だ。ヤジで苦痛を受けた女性のプライベートな経歴とは、全く別の問題である。

このヤジ騒動が公開されたことにより、東京や日本の恥をさらしたとすれば、恥ずべき発言をした側が深く反省するのが当然である。被害者側にその責を問うのは間違っている。

ここで、女性都議のプライバシーが叩かれたということは、女性、特に「この種の経歴を持つ女性」に対する差別感情が強く作用しているとしか考えられない。裏を返せば、「品行方正(儒教的な意味で)」な女性として生きてきた人に対しては、無意識的な差別感情は表出されにくい。

一年ほど前、「誰かを叩かなければ気が済まない人たち」のエントリーで、安藤美姫氏の出産について触れたときには、儒教に言及しなかったのだが、要因は同じところにあるのだろうな、と思う。他方で、過去、歌人の俵万智氏が同様に「未婚の母」として出産したときには、批判的なコメントは非常に少なかった。コメンテイターは無意識のうちに、(儒教的な意味で)俵氏を「君子」、安藤氏を「小人」の部類に分別していた可能性が強い。もちろん、そのような「身分差別」が愚かであることは言うまでもない。筆者は安藤氏を俵氏と同様に、自分らしい生き方を貫く女性として尊敬している。

残念ながら、儒教思想の影響を理解していない知識人は、実に多いのである。

日本の社会保障が、前近代的な要素を脱し切れていない大きな原因の一つも、ここにありそうだ。

(次回に続く)

2014年6月 9日 (月)

混合診療解禁に反対する理由(2)

前回から続く)

「混合診療」の解禁に反対する理由は、まだまだ挙げることができる。

【反対理由3→先端医療の多くが公的保険対象外の部分に含まれるようになり、低所得者は時代遅れの医療しか受けられなくなる】

良いサービスを利用したい人は、自分のお金でそれを購入する。これは市場原理の基本であり、それ自体が間違っているわけではない。

しかし、ここで「先読み」が求められる。

保険外診療から保険診療に移行する部分が拡大すれば、むしろ国民にとって利益になるというのが、混合診療を推進する人たちの意見である。しかしそれは大きな間違いだ。少なくとも、財源論から社会保障の制約を打ち出しているような現在の日本にとっては、絵に描いた餅である。

それでは、現実にはどうなるだろうか? 現在は良く効く薬の多くが保険適用になっている。医師の指示さえあれば、多くの市民がそこそこの自己負担で薬を処方してもらうことができる。混合診療が解禁されると、それがどのように変化するだろうか?

製薬会社や医療機器会社は競って政策サイドに働きかけ、新薬や新しい先端医療機器を保険外診療分の側に分類してもらって、自社の「言い値」で売ったほうが、明らかに利益につながる。残念ながら日本の官僚機構は、財源がないと主張しながら、ムラの利権を維持することには熱心なので、(有力な天下り先でもある)製薬会社や医療機器会社の意向を踏まえた形での許認可行政を展開する可能性が強い。すなわち、先端医療に係る多くのコンテンツの承認を、ヒマラヤの雪が全部融けるまで(?)、先送りするわけだ。

そのため、日進月歩する医療の中で、旧来の薬や医療機器だけが公的な保険適用になり、新薬や新しい医療機器は売り手側の会社と官僚機構との操作により、どんどん高値がつけられ、低所得者には手が届かないものになってしまう。すなわち、資力を持つ富裕層だけが先端医療に係る医療技術の恩恵を受けられ、低所得者は効果が薄い時代遅れ医療しか受けられない事態を招く。

これは、国民皆保険制度がもたらしたレベルの健康生活を、根底から覆すものだと言わざるを得ない。

【反対理由4→保険外診療の安全性が十分に担保されない】

これは、日本医師会が混合診療解禁に反対するおもな理由でもある。

海外の企業はもちろん、国内の製薬会社や民間企業経営の医療システムであっても、これらが参入することにより、医療業界が過当競争に突入すれば、当然起こり得る問題であろう。また、EBMに分類されない統合医療をどう位置付け、どう評価していくかという課題も残されたままだ。混合診療の全面解禁が起点となり、安全度の低い保険外診療が医療業界の基盤を揺るがすことになれば、国民による医療への信頼が根本から覆る危険もなしとはしない。

ちなみに、日本医師会によるロビー活動には、当然、医師という職能の特権的な利益を守る動機付けによるものが多いことは、私も否定しない。というより、むしろすべての職能団体、業界団体が、そのような性格を帯びていることは自明の理である。

大切なことは、その活動が多くの国民の福祉をもたらすものであるか、という点である。日本医師会の主張が結果的に医師の権益を守ることになっても、同時に国民の多くが受益者になるのであれば、大いに結構なことではないか。「いちばん得をするのは医師だ」という考え方は、活動に反対する理由にそぐわない。

保険外診療の安全性への疑義提示は、職能や専門性の垣根を越えて協調していかなければならない活動であろう。

【反対理由5→介護についても、医療と不可分な部分が少なくないため、これに連動して同様の仕組みが促進される恐れがある】

介護は医療と異なり、介護保険制度は存在しても、基本的には「混合介護」である。すなわち、保険給付で受けられる介護は要介護度によって種別、内容、限度額が決められているが、はみ出した部分や保険給付に該当しない部分について自費で介護サービスを購入しても、保険給付が認められなくなるわけではない。

しかしながら、介護保険で給付される部分の範囲が縮小されれば、上述した混合診療と同様な問題が広がることは、大いに懸念される。

たとえば2009年4月の要介護認定の一部項目判定解釈の改悪(その後修正)は、要介護度を低く認定させるという政策サイドの露骨な意図が歴然としており、まさに混合診療解禁と同じ方向を示すものであり、「混合介護」のうち公的部分の縮小効果を狙ったものと言わざるを得ない。

すでに外資系の大手損保会社が、M&Aにより介護保険部門を拡充する動きを強めており、国内の損保会社も同様な商品の開発を進めている。このまま経過すれば、反対理由2に掲げた民間保険の行動様式が、介護部門に波及する可能性がある。

そして、ここまで述べてきたすべてを包括して、混合診療の解禁の根本的な問題は何なのか、と言えば・・・、

【反対理由6→人の命の重さに格差が生じる】

これに尽きるであろう。

最後に・・・

混合診療が全面解禁になれば、自分や家族の病気を治療する資力がある富裕な方へ。また、民間保険の拡大によって利益を得たい事業体・組織の関係者の方へ。

一つだけお願いしたい。

あなたも人間の心を持っているのならば、アマーティア‐セン氏(経済学者)のこの言葉の意味を考えてみてください。

★「他人への共感こそが、自分を幸福にする」

2014年6月 8日 (日)

混合診療解禁に反対する理由(1)

混合診療(保険診療と保険外診療との併用)の解禁が取り沙汰されている。

政府の規制改革会議が、一定の基準を満たした医療機関であれば、患者の要望に応じて混合診療を実施できる方向で調整中であり、早ければ2016(平成28)年度から原則解禁するというものである。過去、小泉内閣のもとで規制改革会議が推進してきた政策を、ここに至って安倍内閣が大きく前進させようとしているのだ。

これまでは評価療養(研究目的として症例を収集する、いわば、富裕な患者が「実験台」になってくれる場合。先進医療、治験、etc.)や、選定療養(最初から分別されていて保険外の費用負担が前提である場合。差額ベッド、飛び込み初診料、etc.)に限って混合診療が認められていた。しかし今回の解禁が実現すると、そのような制約が取り払われることになる。

結論から言うと、私は全面解禁に反対である。

混合診療については、「公的保険対象外の部分だけを自己負担するのだから、みんな公平のはず。お金を持っている人が自分のお金で良い治療を受けるだけのこと。それなのになぜ反対するのか?」という意見を持つ人が、少なくないのではないだろうか?

確かに、混合診療が全面解禁されることは社会的に公平であるかのように見えるが、実際にはそうではない。これは「いま問題があるのか?」ではなく、「結果として、日本社会がどうなるのか?」という危機予測を踏まえて議論をしなければならないのだ。

【反対理由(1)→低所得者の側に、治癒しない疾患に対する保険料負担が生じる】

一つの例え話をしよう。

ワインが大好きな人たちが集まり、愛好者の組合を作った。その中にはお金持ちも貧しい人もいた。お金持ちは組合の費用を多く負担し、貧しい人も収入に応じてそれなりに組合費を出していた。一本2,000円のワインを買うのに、組合から1,500円の補助金が出る。お金持ちの人は組合費に自分のお金を足して、月に三本、四本と買って飲むことができたのに対し、貧しい人は足せるお金が少ないので、二か月に一本程度しか買えなかった。

まあ、ここまでは良い。本数はともかく、誰でも飲めるワインを買うのだから。

問題はここからだ。あるとき、お金持ちが組合のメンバーに言った。

「15,000円の高級ワインを買いたいんだが、組合から1,500円もらっても良いよね?」

私が貧しいメンバーだったら九分九厘、こう答えるだろう。

「冗談じゃない! オレたちには手が届かないようなものを買うんなら、全部自分のお金で払ってくれよ! 組合費を使うな!」

「混合診療の解禁」問題は、この話と大同小異である。

医療には治す、痛みを緩和させる、現状を維持する、予防するなど、さまざまな目的の医療があるが、本源的な部分に立ち返れば、「病気を治す」ことが医療の大きな目的であろう。どの患者に対しても「治せない」疾患に対して、緩和医療などを実施するのはひとまず措いて、最初から一部の患者だけが「治せる」のが前提であれば、「治せない」患者は費用を負担する必要がないことは社会的な道理である。

ところが混合診療が解禁されてしまうと、公的保険の給付が「自分で全額費用負担できる」人たち、あるいは「民間保険を併用すれば費用負担できる」人たちの疾患を治すために利用される。したがって、民間保険に加入する資力を持たない人は、そもそも自分はお金をかけられない(=治療を買いたくても手が届かない)ので治せない疾患、その同じ疾患にかかった富裕層の人たちを「治す」ために、苦しい家計の中から公的保険の保険料負担を強いられるという、全く理不尽な状況に置かれてしまう。

これがどうして「公平」と言えるのだろうか?

【反対理由(2)→民間保険の保険料負担に逆進現象が発生する】

公的な医療保険(国保・健保)は、所得の低い人ほど保険料負担が少ない、いわゆる比例性の考え方に基づいて組み立てられているが、現在の保険制度でも、逆進性の高い部分が併存する。

ここで混合診療が解禁されてしまうと、どのような結果を招くだろうか?

いわゆる中産層以上では、公的な保険と民間保険とを併用しようとする市民が増加すると予測されるので、そうなれば民間保険の側では一定の顧客数を確保することが可能になる。

その場合、福利厚生が恵まれている大企業・大組織の役員や社員などの側に、保険業者側から顧客人数のスケールメリットによる割引がつけられる可能性が高い。他方、背景となる母体を持たない個人の零細顧客は、そのような割引の恩恵を受けられない可能性が高くなる。

すなわち、民間保険においては、経済的に困らない富裕層の人たちのほうが、少ない保険料負担で済むという、逆進現象が起こってしまう危険性が高い。

公的な医療保険にさえ逆進性の高い部分が存在するのに、さらに大きな逆進性を民間保険に導入されたら、社会的格差の拡大が進むことは、火を見るより明らかであろう。

次回へ続く)

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