日本人の心に根付いた「儒教思想」の影響(4)
(前回から続く)
ここまで、儒教思想のおもな影響をいくつか例示しながら、全体を総覧してみたところである。
私たち日本人は明治以降、欧米の近代化に学ぶべく、伝統的な思想の中にある「負」の部分を消し去り、近代合理主義を取り入れるために努力してきた。
しかし、明治維新から150年近くを経過しても、その効果は十分ではない。これを「和魂洋才」と言えば聞こえが良いのだが、実はその「魂」には、伝統的な儒教思想が根付いており、それが時として私たちの言動を左右するものになっている。
これまでの三回のエントリーで、私があえて「意識しておらず」「善意から」との表現を用いたのにお気付きだろうか? 実際、儒教の呪縛は私たちが気が付かない、空気のような当たり前の存在になってしまっているのだ。
たとえば、多くの日本人にとって、江戸時代後期の政治家・松平定信(1758-1829)はいまだに「賢人」、田沼意次(1719-88)はいまだに「悪人」なのである。開明政治家であった意次をおとしめる人たちの思考が「商業蔑視」や「身分差別」に由来していることは、故・大石慎三郎氏などの心ある論者によって論証されている。私がフツーに見るところ、定信はコチコチの朱子学者であり、反動政治家である。日本が欧米列強に立ち遅れ、国際的な視野を持つ人材の育成が遅れ、ひいては第二次世界大戦での破滅に至った遠因まで、おおもとは定信が作ったと言っても過言ではない。国民に対し、大きな罪(禍根)を残した政治家だと断じたい。
しかし、意次が定信の反動政治の標的にされ、悪人の烙印を押されたのには、商業蔑視以外にも原因がある。それは田沼時代の末年に至り、天災が相次いだことなのだ。浅間山の噴火、天明の大飢饉など。このような災害が起こる原因は、時の為政者の不徳に対する天譴=天罰なのだ、という・・・これもまた「儒教思想」なのである。
現代の私たちも、これを迷信と笑えない。東日本大震災のことを「天罰」と称した政治家が、(謝罪はしたものの)一定の支持を得ている。もちろん、大震災が「被災地への天罰」だとは誰一人考えないにしても、「日本の為政者に対する天の警告」かも知れないと、内心思っていた人は、口には出さないにせよ、相当数あったのではないか(被災地の方々は不快に思われるだろうが、あくまでも当時聴き取った話の端々から忖度した推論である。ご容赦願いたい)。
ことほどさように、儒教思想の影響は根強いのである。逆に、江戸時代の封建君主であり、いかにも儒教的明君だと思われていながら、実際の言行は「脱・儒教」の色彩が強かった米沢藩主・上杉鷹山(1751-1822)などは、例外中の例外であろう。
自分たち日本人の心象風景がどのようなものであるのか。私たちはこれを客体視して、しっかり理解したうえで、日ごろの生業にいそしみたいものである。
もう一つ、私たちのメンタリティに大きな影響を与えているものがある。それは「言霊(ことだま)」である。しかし、保健・医療・福祉など社会保障の業界にあっては、言霊の影響は儒教思想ほど大きくない。言霊については、また改めて論じる機会もあると思うが、今回はもっぱら儒教思想について一通り述べたところで、ひとまず稿を閉じようと思う。
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