皆さんは、下記の事実が何を意味するのか、理解されているだろうか?
6月29日、「イラークとシャームのイスラーム国」の指導者であったアブー‐バクル‐アル‐バグダーディー( أبو بكر البغدادي)は、自ら「ハリーファ(خليفة)」として即位し、国名を単なる「イスラーム国(الدولة الإسلامية )」と改称した。
イラークのマーリキー政府、シリアのアサド政府をはじめ、イスラーム諸国もその他の国々も、現時点ではもちろんこの国、「政権」の成立を認めていない。
しかし、この「イスラーム国」の「政権」が実効支配する地域では、身の毛のよだつような残虐行為が行われている。
数百人のキリスト教徒の家庭が、戸口に「ナザレのイエス」の頭文字である「ن(ヌーン)」の文字を描かれた上に、イスラーム教への改宗を迫られた。これを拒否した家の男子は首を斬られ、女性や子どもは奴隷として売られた。また数百人のヤジーディー(おもにクルド人が信じているマイノリティの宗教)教徒の家でも、イスラーム教への改宗を拒否した人は、銃で頭を撃たれる、生き埋めにされるなどのやりかたで殺害され、女性、子どもは同様に奴隷として売られている。
「イスラーム国」が支配する地域では、まさに、中世の宗教国家そのものの様相を呈しているのだ。もとは同一勢力とみなされていたあのアル‐カーイダ(القاعدة)さえも、「イスラーム国」は自分たちとは別組織だとの声明を出し、一線を画している。しかし、この「政権」に同調する人たちが、イラークやシリアの国外に(西アジアやアフリカはおろか、ヨーロッパや北米にさえも)少なからず存在することも確かだ。いまは一線を画していても、いずれ何らかの形で手を結んで、さらなる大勢力と化する危険性もはらんでいる。
この「イスラーム国」が勢力を拡大させた原因は、米国がシリアのアサド政権を打倒するために、敵対勢力に武器供与の便宜を図ったことであり、結果的に失策であったとされる。しかし、すでに起こってしまったことを論っても意味がない。いま、私たちが着目しなければならないのは、この「政権」が日本に対してどのような影響をもたらすか、ということなのである。
現時点で、「イスラーム国」は、日本に直接宣戦する意思を表明していないし、それだけの軍事力もない。主要国のうち攻撃対象にしているのは、当面、空爆の「加害国」である米国、次には東トルキスタンなどのイスラーム教徒を弾圧している中国であろう。
しかし、国名から地域名を取り去ったということは、この「政権」が全世界を対象とした「イスラーム国」であることを意味する。すなわち、日本人だろうが中国人だろうが米国人だろうが、イスラーム教に改宗しない人間はすべて、「神の意志」に背く「敵」ということになる。この三国が世界第一位~第三位の経済大国であれば、なおさら「敵性」が強い。「資本」によって経済を支配するのは、神の意志に反して「富」を積むことなのだから。
では、日本が「イスラーム国」の「敵」とされた場合、それに対して開始される「聖戦」の標的にされるのは何だろうか?
第一の攻撃目標が「福島原発」になることは、明々白々であろう。何しろ情報が明け透けになっているのだ。位置関係から内部の構造まで、ご丁寧に映像付きで露出している。福島原発以外のおもな原発も、メディアがここぞとばかり原子炉の位置関係などを放映したため、かなり正確な攻撃目標となり得る状況になってしまっている。政府や電力会社に「情報公開」を強硬に求めていた勢力の人たちが、「公開」によって発生するリスクを意識して主張していたとは考えられない。
仮に、であるが、中国や北朝鮮が日本と戦争状態になったとしても、原発へミサイルを撃ち込むことは、九割九分九厘まであり得ない。それを断行すれば国際的な非難を受け、第三次世界大戦さえ巻き起こし、ひいては自らの国家や政権が倒れることになりかねないからだ(「核」をカードにして日本を脅迫することは大いに起こり得るが・・・)。
だが、「イスラーム国」の場合は違う。「神の意志」を実現するためであれば、あらゆる手段を選択し得る。米国の仲間である日本の「国富」の象徴である原発を攻撃したことで、どれだけ甚大な被害が出ようが、世界をイスラーム教の色で塗りつぶすことができれば、それは「必要な犠牲」であり、残虐な行為には当たらないという解釈である。
当然のことながら、「日本国憲法九条」などは、この「政権」にとって全く考慮に値しない。日本国民のすべてが九条を守り、戦わずして中世スタイルのイスラーム教に改宗するというのなら、話は別であろうが。
もちろん、現在の「イスラーム国」は日本の原発にミサイルを撃ち込む力は持っていない。しかし、もしこの「政権」側のテロリストが、日本で9.11のアル‐カーイダのような同時多発型の航空機自爆テロを断行するのであれば、複数の原発を突入目標に選ぶのが最も容易だ。そして何よりも、飛行機をハイジャックして目標へ突入するのは、イスラーム過激派にとっては、「神の意志」に沿った「殉教」なのである。この過激派の「殉教」はカトリックの殉教と異なり、何百人、何千人道連れにしようと構わない。多くの「敵」を滅ぼして自分も死ぬのは「正義」にほかならないのだから。
また、この種のテロリズムに対する、有効な予防手段に乏しいことも事実であろう。ハイジャックへのチェックに対する抜け道も、次から次へと考案されている。日本の空港はまだまだ甘い。日本がテロリストにとって「不便」な点は、厳格なハラールを守るべき食環境が不十分であるため、日本国内で何日も時間をかけてテロの準備をするのが難しいことである。しかし、インドネシアなどから日本に滞在する人たちのためにハラールの食環境が整備されてこれば、何年もしないうちにこの「不便」も解消してしまうかも知れない。
こう考えると、「イスラーム国」は恐るべき脅威なのである。
国防強化論者(私と同じ方向の考え方の人たち)も、憲法九条護持論者(私と反対の考え方の人たち)も、遠く離れた西アジアで起こっている現実に目を向けてほしい。目先の仮想敵国だけを対象に国際関係の利害を論じること、九条を頑なに守ればすべての人が日本の平和を尊重してくれると信じること、どちらも、取り返しのつかない重大な惨害を招く恐れがあるのだ。私自身、「イスラーム国」の脅威が杞憂に終わることを願っている。
どの考え方の人たちも、どうか現実を踏まえた上で、国際平和のために、いま日本が国家として何をすべきなのか、三思していただきたい。
(追記; 本稿は穏健なイスラーム教徒の方々への誹謗中傷を意図したものでは決してないことを、お断りしておく)
(訂正; 本エントリーをお読みになった福岡県の「トカゲgallery」さんから、ハラール食品はすでに福岡などの地方都市でも比較的容易に手に入る状況になっている、とのご指摘をいただいたので、上記ハラールへの言及の部分を訂正したい)
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