困難な環境でも、望まれる生活支援を
介護保険制度開始15年。来年の大改定を待たずして、全国各地の現場で働く介護職員は疲弊している。都市部でさえそうなのだから、サービス展開が困難な地域ではなおさらであろう。中山間地、雪国、離島、・・・そして、東日本大震災で大きな打撃を受けた被災地も、困難な地域に含まれる。
大震災から3年半、まだ被災地を訪れたことがなかった。福島県で会社を経営する叔父が住まいを失っている(いまは山形県に移り住んで、仕事も復調しているが)のだから、決して他人事ではなかったのだが・・・。
去る22日(土)、介護業界の友の一人である、あるぷすヘルパーステーション(会社名はアルプスビジネスクリエーション福島→以下、ABC社と略称)管理者・佐々木香織さんにお願いして、相馬市内を見学させていただく機会を得た。
相馬までは交通の便が悪い(電車が復旧していない)ため、佐々木さんがお車で仙台駅まで迎えに来てくださって、そこから相馬へ向かった。
宮城県の南端である山元町から県境を越すと、福島県新地町に入る。二つの県をまたいだ沿岸地域でも、震災直後の津波の被害が大きく、佐々木さんのご親族四人や友人など、多くの方々が帰らぬ人となった。この地形でこんな奥まで波が・・・と、想像を絶するほどであり、伝聞だけでは何もわかっていなかったことを痛感した。
相馬に着き、ホテルにチェックインしてから、再び佐々木さんのご案内で相馬市内へ。原釜から浜沿いに進み、海苔の養殖で栄えていた松川浦。港湾のインフラ整備により地域を立て直そうとしている最中で、工事用車両が行き来している。
そして、佐々木さんのお宅が建っていた磯部。震災前の磯部の写真も見せていただき、平穏に暮らしていた人々の生活が、津波で一変してしまった状況を伺った。幸い、佐々木さんの旦那さんや子どもさん、お母さん、お祖母さんたちは避難して事無きを得たが、住み慣れた土地を離れて転居することを余儀なくされた。
何しろ11月下旬なので、このあたりですでに薄暗くなってしまったが、佐々木さんはそのあと、南相馬市との境界近くまでお車を回してくださり、一時期仮住まいされていた旧仮設住宅があった地域や、いまなお多くの人たちが不便な生活を余儀なくされている仮設住宅の現況について、説明してくださった。
会食には、佐々木さんの上司であるABC社の佐藤勝さんがご同席くださり、また、南相馬市にお住まいの友人・佐藤智子さん(以前はケアマネジャーとして仕事されていたが、現在は就職活動中)も駆けつけてくださったので、貴重な体験談を伺うことができた。三人のお話を聴いていると、体験した当事者でなければ語れない内容が次々と続き、その重みを感じさせられた。
改めて、不運にも震災のため世を去られた方々の永遠の安息をお祈り申し上げたい。
さて、今回の訪問のおもな目的は、佐々木さんのお仕事について伺うことであった。
現在、佐々木さんの事業所はヘルパーさん5名でサービスを提供されている。その中で特に大切にされているのは、「生活を支える」ということだ。
当然でしょう、と思われる向きもあるかも知れないが、実際には簡単でない。
佐々木さんによれば、良い介護だけでは不十分であり、それをチームとして共有し、ケアに携わる人たちにつなげていかなければ意味がない。ヘルパーが自ら利用者の生活を細かくアセスメントしていくと、利用者の言葉が最初に言っていたことから違ってくることがしばしばある。遠慮したり我慢したりしていた利用者の本音をどこで拾い上げるか? 実際に支援に入るヘルパー側が利用者の強みを発見し、サービスを「やり過ぎない」で自立を促す適切なポイントを見つけ、ケアマネジャーに提案しなければならない。
周囲の人たちも佐々木さんの方針に理解を示している。福祉用具貸与部門で長く仕事をされている佐藤勝さんも、利用者にとって不要な福祉用具は貸さない、と、日頃から地域のケアマネジャーたちに伝えておられるとのこと。
事業所の顧客獲得戦略にのっとって、ただ漫然と機械的にケアを提供しているヘルパーや訪問系職員たちには、佐々木さんたちの視点への理解が難しいのかも知れない。しかし、これができるヘルパーを増やさなければ、職能全体の資質・専門性の向上につながらないことは確かであろう。
ABC社も、当初は親会社であるアルプス電気の福祉・介護部門としての異業種参入であったこともあり、事業として収益を得られる面に重点を置いており、ヘルパーさんたちは登録パート社員や契約社員といった身分にとどまっていて、安定したものではなかった。しかし、佐々木さんたちの努力で労働環境が改善され、「本来望まれている支援」の提供が重視されるようになり、法人統合を機に人材確保、研修時間の確保、給与の引き上げなどが組織的に行われるようになったという。大事なことは、遠回りしても実現させていくことが大切なのだ。
そのような過程で起こった大震災。佐々木さんたちはひとまず利用者の安否確認をすると同時に、事業所を短期間休止し、ABC社にガソリンの手配を要請した。部分的な再開を経て、以前の業務に復旧したのはその年の5月頃。職員の退職などの難局を乗り切って、地域に寄り添った事業所として仕事を続けてきた。
いま、相馬市は住民の居住地移動の影響で、新しいコミュニティをどう構築していくかが課題になっている。多くの人たちが、いまだ自分たちの行く末について見通しが得られない日常を過ごしていることとお察しする。佐々木さんたちも事業所の人員不足に悩まされながら、ヘルパーさんたちのがんばりで、地域の再生のためどのように働いて貢献していくかを模索している。
被用者としての枠を超えて、「在宅の要」としてのホームヘルパーの地位向上をめざす佐々木さんの思いと活動が、全国に広がるように、及ばずながら心から応援したい。
翌23日(日)の午前中は、相馬市の中心部を散策してみた。ひとまず駅からまっすぐ西へ。
中村城は、戦国時代の16世紀に相馬家が築城し、北隣の伊達家への備えとした。17世紀に入って相馬藩の居城となる。すぐ近くには旧藩校・育英館の跡地があり、その精神を継承する相馬中村第一小学校があった。
二宮尊徳はもともと小田原藩・大久保家の領民であり、取り立てられて家臣となり、同家や大久保分家(烏山藩・桜町宇津家)などの復興に従事したが、桜町領を除くと十分な効果を上げられなかった。その後、相馬藩の依頼を受けて藩の家老たちに報徳仕法を伝授し、一定の成功を収めている。
報徳精神が相馬の人々の間に広がり、人と人、地区と地区との相互協力によって、再び地域の復興がなしとげられることを願いたい。
市の文化・スポーツ施設のエリアから、東へ歩いて市役所、商店街をめぐり、宇多川橋から北上して駅前に。
駅の近く、アルプス電気・ABC社の建物が見えるバスステーションから、高速バスに乗って帰路につく。
たいへん大きな学びと勇気とをいただいた二日間であった。
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