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2014年11月

2014年11月27日 (木)

困難な環境でも、望まれる生活支援を

介護保険制度開始15年。来年の大改定を待たずして、全国各地の現場で働く介護職員は疲弊している。都市部でさえそうなのだから、サービス展開が困難な地域ではなおさらであろう。中山間地、雪国、離島、・・・そして、東日本大震災で大きな打撃を受けた被災地も、困難な地域に含まれる。

大震災から3年半、まだ被災地を訪れたことがなかった。福島県で会社を経営する叔父が住まいを失っている(いまは山形県に移り住んで、仕事も復調しているが)のだから、決して他人事ではなかったのだが・・・。

去る22日(土)、介護業界の友の一人である、あるぷすヘルパーステーション(会社名はアルプスビジネスクリエーション福島→以下、ABC社と略称)管理者・佐々木香織さんにお願いして、相馬市内を見学させていただく機会を得た。

相馬までは交通の便が悪い(電車が復旧していない)ため、佐々木さんがお車で仙台駅まで迎えに来てくださって、そこから相馬へ向かった。

宮城県の南端である山元町から県境を越すと、福島県新地町に入る。二つの県をまたいだ沿岸地域でも、震災直後の津波の被害が大きく、佐々木さんのご親族四人や友人など、多くの方々が帰らぬ人となった。この地形でこんな奥まで波が・・・と、想像を絶するほどであり、伝聞だけでは何もわかっていなかったことを痛感した。

相馬に着き、ホテルにチェックインしてから、再び佐々木さんのご案内で相馬市内へ。原釜から浜沿いに進み、海苔の養殖で栄えていた松川浦。港湾のインフラ整備により地域を立て直そうとしている最中で、工事用車両が行き来している。

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そして、佐々木さんのお宅が建っていた磯部。震災前の磯部の写真も見せていただき、平穏に暮らしていた人々の生活が、津波で一変してしまった状況を伺った。幸い、佐々木さんの旦那さんや子どもさん、お母さん、お祖母さんたちは避難して事無きを得たが、住み慣れた土地を離れて転居することを余儀なくされた。

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何しろ11月下旬なので、このあたりですでに薄暗くなってしまったが、佐々木さんはそのあと、南相馬市との境界近くまでお車を回してくださり、一時期仮住まいされていた旧仮設住宅があった地域や、いまなお多くの人たちが不便な生活を余儀なくされている仮設住宅の現況について、説明してくださった。

会食には、佐々木さんの上司であるABC社の佐藤勝さんがご同席くださり、また、南相馬市にお住まいの友人・佐藤智子さん(以前はケアマネジャーとして仕事されていたが、現在は就職活動中)も駆けつけてくださったので、貴重な体験談を伺うことができた。三人のお話を聴いていると、体験した当事者でなければ語れない内容が次々と続き、その重みを感じさせられた。

改めて、不運にも震災のため世を去られた方々の永遠の安息をお祈り申し上げたい。

さて、今回の訪問のおもな目的は、佐々木さんのお仕事について伺うことであった。

現在、佐々木さんの事業所はヘルパーさん5名でサービスを提供されている。その中で特に大切にされているのは、「生活を支える」ということだ。

当然でしょう、と思われる向きもあるかも知れないが、実際には簡単でない。

佐々木さんによれば、良い介護だけでは不十分であり、それをチームとして共有し、ケアに携わる人たちにつなげていかなければ意味がない。ヘルパーが自ら利用者の生活を細かくアセスメントしていくと、利用者の言葉が最初に言っていたことから違ってくることがしばしばある。遠慮したり我慢したりしていた利用者の本音をどこで拾い上げるか? 実際に支援に入るヘルパー側が利用者の強みを発見し、サービスを「やり過ぎない」で自立を促す適切なポイントを見つけ、ケアマネジャーに提案しなければならない。

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周囲の人たちも佐々木さんの方針に理解を示している。福祉用具貸与部門で長く仕事をされている佐藤勝さんも、利用者にとって不要な福祉用具は貸さない、と、日頃から地域のケアマネジャーたちに伝えておられるとのこと。

事業所の顧客獲得戦略にのっとって、ただ漫然と機械的にケアを提供しているヘルパーや訪問系職員たちには、佐々木さんたちの視点への理解が難しいのかも知れない。しかし、これができるヘルパーを増やさなければ、職能全体の資質・専門性の向上につながらないことは確かであろう。

ABC社も、当初は親会社であるアルプス電気の福祉・介護部門としての異業種参入であったこともあり、事業として収益を得られる面に重点を置いており、ヘルパーさんたちは登録パート社員や契約社員といった身分にとどまっていて、安定したものではなかった。しかし、佐々木さんたちの努力で労働環境が改善され、「本来望まれている支援」の提供が重視されるようになり、法人統合を機に人材確保、研修時間の確保、給与の引き上げなどが組織的に行われるようになったという。大事なことは、遠回りしても実現させていくことが大切なのだ。

そのような過程で起こった大震災。佐々木さんたちはひとまず利用者の安否確認をすると同時に、事業所を短期間休止し、ABC社にガソリンの手配を要請した。部分的な再開を経て、以前の業務に復旧したのはその年の5月頃。職員の退職などの難局を乗り切って、地域に寄り添った事業所として仕事を続けてきた。

いま、相馬市は住民の居住地移動の影響で、新しいコミュニティをどう構築していくかが課題になっている。多くの人たちが、いまだ自分たちの行く末について見通しが得られない日常を過ごしていることとお察しする。佐々木さんたちも事業所の人員不足に悩まされながら、ヘルパーさんたちのがんばりで、地域の再生のためどのように働いて貢献していくかを模索している。

被用者としての枠を超えて、「在宅の要」としてのホームヘルパーの地位向上をめざす佐々木さんの思いと活動が、全国に広がるように、及ばずながら心から応援したい。

翌23日(日)の午前中は、相馬市の中心部を散策してみた。ひとまず駅からまっすぐ西へ。

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中村城は、戦国時代の16世紀に相馬家が築城し、北隣の伊達家への備えとした。17世紀に入って相馬藩の居城となる。すぐ近くには旧藩校・育英館の跡地があり、その精神を継承する相馬中村第一小学校があった。

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二宮尊徳はもともと小田原藩・大久保家の領民であり、取り立てられて家臣となり、同家や大久保分家(烏山藩・桜町宇津家)などの復興に従事したが、桜町領を除くと十分な効果を上げられなかった。その後、相馬藩の依頼を受けて藩の家老たちに報徳仕法を伝授し、一定の成功を収めている。

報徳精神が相馬の人々の間に広がり、人と人、地区と地区との相互協力によって、再び地域の復興がなしとげられることを願いたい。

市の文化・スポーツ施設のエリアから、東へ歩いて市役所、商店街をめぐり、宇多川橋から北上して駅前に。

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駅の近く、アルプス電気・ABC社の建物が見えるバスステーションから、高速バスに乗って帰路につく。

たいへん大きな学びと勇気とをいただいた二日間であった。

2014年11月16日 (日)

教師の職業倫理は大丈夫か?

物騒なタイトルかな、とも思ったが、エントリーしてみた。「教員」や「学校の先生」ではなく、あえて「教師」の語を使用しておく。共通基盤としての専門性を有する資格であることを強調したものだ。

先日聞いた話。高校の進路指導の教師が、生徒に向かって、「介護の仕事に就くな」とか「介護の仕事は最後の選択肢にしろ」とか言っているそうな。

業界仲間のブログなどでも、同様の発言が報告されている。

教師は教育のプロフェッショナルだ。仕事の中での発言には、当然のことながら社会的責任を負うべきである。

すなわち、これらの教師は、自分の親、もしくは自分自身が要介護状態になっても、介護サービスを利用しない、もしくは待たされて最後になっても差し支えない、ということなのだろうか?

私たちの周囲で、生徒に対して教師がこのような発言をしたことが確認できたら、こう反問してみるのが良い。もし教師が自分の発言の意味を理解せずに発言しているのならば、それはプロの教師ではなく、ただの素人であろう。

そもそも学校教育で大切なものは、さまざまな職業の役割や意義を理解させることではないだろうか。ここでは教師が職業差別の旗振り役になってしまっている。まさに、「歌を忘れたカナリア」との表現がふさわしい。

残念ながらこれが現実のようだ。先年の「駆け込み退職騒動」からも、推して知るべしであろう。一人ひとりの教師には個別の家庭の事情を抱える人もあっただろうから、「教師」を総体として批判するのは適切でないかも知れないが、もし介護業界で、たとえ退職後に受け取れる一時金が一定程度減らされる改変があったとしても、あのような現場放棄と言うべき大量離職はまず起こらない。教師の方々のほうは、たとえ減らされたとしても、私たちの水準とは段違いの退職金を受け取れたはずだったのだが・・・。

介護業界で悪戦苦闘している職員たちのことも、自分たちから見れば所詮「他人事」ということか。教師自身の家庭の中でも、「介護」を実感できる家庭が減っていることも、一つの要因として考えられるであろう。

もちろん、教師はそのような人ばかりではないし、介護の仕事を応援してくれるすばらしい教師も少なくない。私たち介護業界の人間の側も、そういう理解者を増やしていく努力をしなければならないことは言うまでもない。

これを大きな意味での社会問題として捉えると、なかなか根深いものがある。取りまとめて論じる機会を得られれば良いなと思った。

2014年11月 7日 (金)

激動前夜(2)

(前回から続く)

明けて10月26日、アローチャート(以下、AC)学会二日目、午前中は分科会である。

私は第二分科会に参加。ここでは四組五人の方の発表があった。畑岡さん、木村秋子さん(周防大島町・おげんきハグニティ)、楠神渉さんと辻広美さん(アローチャート研究会滋賀県支部)、宇井吉美さん(千葉県・株式会社aba)。

畑岡さんの認知症ひもときシートとACとを関連付けた実践、木村さんの利用者に寄り添いACを活用した支援、楠神さん・辻さんの全県レベルでのACネットワーク構築(下の写真)、宇井さんのロボット工学へのACの活用、いずれも刮目すべき内容で、時間があったらそれぞれ一日かけてでもじっくり深めたいコンテンツであった。

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第一分科会のほうはどちらかと言えば初心者向けの企画で、「アロ母」色部恭子さん(川崎市・ホッとスペース中原)が、参加者に描き方の基本的な構造と利用者支援への道筋とを伝授していたようだ。

午後は「ひろばArrow Chart」と称したグループワーク。司会進行は安達さんと旧知の村木孝志さん(横浜市・あったか訪問看護ステーション)である。私はグループのテーブルホスト(パシリテーターともいう)を仰せつかったのだが、短い時間に凝縮した中身の濃い意見交換ができたのは、さすがにACの集まりならではのことであると感嘆。メンバーのご協力により、何とか役割を果たすことができた。

全体会。吉島会長の講評。

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締めの閉会式では、実行委員長・鈴木則成さん(アローチャート研究会副会長)のあいさつ。鈴木さん、途中で感極まって涙声に。

とにかく充実した二日間であった。実行委員の方々には心から感謝申し上げたい。

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今回は、これまでFacebook上のみでの交流だった多くの方々に、実際にお会いしてお話しする機会をいただいた。なかでも山梨県の手塚恵さん(笛吹市・石和温泉病院)が、数年前の当社自費出版当時に購入された作文教室の2冊(すでに販売終了)をわざわざ持参してくださり、ご希望によってサインをさせていただいたのは感激であった。

さて、今後は私もACを自ら活用し、また普及に協力していくつもりであるし、アロ研内では浜松の自主勉強会「矢万図(やまと)浜松」の代表世話人の立場であるから、今回の学会の成果をメンバーに伝えるとともに、自分たちの学びを深めていかなければならないことは当然である。

他方、私は自分自身のフィールドも持っている。上述した作文教室に端を発する、介護業界の「産業日本語」がそれである。今回知り合った方々を含めた業界仲間からの「出前講座」依頼については、前向きに応じていこうと思う。ただし、老母の体調不安があるため、どうしても一泊二日以内で往復できる土地に限定されてしまい、結果、年に2~3か所程度になってしまうのだが・・・

また、来たるべき激動を前に、介護業界に対する自分自身の思いを整理し、書いたものにより発信していくことも企画している。データの分析や制度・政策論が苦手な私に、どのようなシロモノが執筆できるのか、心もとない面もあるが、私の独りよがりではなく、多くの業界仲間たちに共感してもらえる組み立てにすることが大切だと考えている。そのためには皆さんの声に謙虚に耳を傾け、数か月をかけて取りまとめをしていきたい。

激動前夜。旗色が悪くなるほど武勇を示したような戦国期の名将にあやかりたいと思った。

2014年11月 4日 (火)

激動前夜(1)

医療・介護総合確保推進法の制定から、財務省による介護報酬6%減の提案と、いま介護業界は大きな曲がり角を迎えつつある。まさに「激動前夜」と表現すべきだろうか。

そのような中、業界の心ある人たちの間では、働く人たちが自分たちの専門性によって市民、利用者の権利を守っていくために何をすべきなのか、真摯な議論がなされている。

10月25~26日(土・日)、琵琶湖畔の滋賀県彦根市「くすのきセンター」に、第一回アローチャート学会に参加する人たちが集結した。

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アローチャートとは、山口県・梅光学園大学の吉島豊録准教授が開発した、ケアマネジメントの思考過程を可視化したツールである。情報同士の因果関係や相反関係を所定の方式により結んで、相関関係から課題を導き出すことが可能であり、また、すでに作成されたケアプランの的確性を検証することもできる優れものである。

それ自体がアセスメントツールではないがゆえに、さまざまなアセスメント方式と共存できる利点がある。これまで業界で多用されてきたMDS→インターライ方式や、センター方式などに比較しても、情報収集から分析に至る過程を効果的に描き出すことができる。

吉島准教授が主宰する「ひろばアローチャート」「アローチャート研究会」には、すでに業界の錚々たる人物をはじめ、多くの人々が集まりつつあるので、この学会への参加は、そういった全国の人たちと交流できる楽しみも大きかった。

一日目は吉島会長の基調講演、坂本文典さん(逗子市・さくら貝サービス事業所)と石田英一郎さん(昭島市・アシストケアプランセンター昭島)との研究発表、高野龍昭さん(東洋大学ライフデザイン学部准教授)の記念講演と続く。

終了後、懇親会。知った顔も多いが、こういう席では仲間との新たな出会いがある。特に、遠方の安達清昭さん(北見市・特別養護老人ホーム‐フルーツ)や畑岡直喜さん(益田市・あすかケアホーム)に初めてお会いできたのは、うれしいことであった。

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石田さん(上の写真左)は昔はミュージシャンだったという異色の人物。仕事ではきわめて論理的思考をされるが、交流の場では感覚本位(?)からハメを外すことで有名(笑)。単に昭島で絶大な信頼を得ているのみならず、全国レベルでも業界草の根ネットワークのバランサーとして評価が定着している方である。その前週の土曜日には、静岡県介護支援専門員協会の全体研修で講演していただいたばかり。

下の写真は「その筋の方々」ではない(笑)。真ん中が安達さん、右が畑岡さんである。
安達さんは四年前に情報公表の調査員が来所したとき、用意した資料と、「これ以上、職員に何か強要したら刑事事案ですよ」と書いた紙を渡して、あとは徹底的に無視したという伝説の方で、このエピソードには多くの心ある業界人が喝采を送ったものだ(情報公表には地域により運用に差があり、善意の事業者が高い意識から参入した地域ばかりではなく、一部特権団体による収奪が問題になった地域があったことを、誤解なきよう補足しておく)。
畑岡さんは島根県老施協のホープ、吉島会長の秘蔵弟子でもあり、「若頭」と呼ばれている。

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あの関西ラーメン仲間の稲岡さんや小田原貴之さんも来られていたし、さらに感服したのは、福岡・大分・熊本・宮崎などの九州勢の方々、それも多くは女性が、遠路をいとわず参加されていたことである。特に齋藤由美さん(宮崎市・オフィスそら)は、ウェブマスターの設楽直紀さんとともに、勉強会のハングアウトなどネットを駆使した全国交流を支えてくださっている。

(次回へ続く)

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