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2014年11月16日 (日)

教師の職業倫理は大丈夫か?

物騒なタイトルかな、とも思ったが、エントリーしてみた。「教員」や「学校の先生」ではなく、あえて「教師」の語を使用しておく。共通基盤としての専門性を有する資格であることを強調したものだ。

先日聞いた話。高校の進路指導の教師が、生徒に向かって、「介護の仕事に就くな」とか「介護の仕事は最後の選択肢にしろ」とか言っているそうな。

業界仲間のブログなどでも、同様の発言が報告されている。

教師は教育のプロフェッショナルだ。仕事の中での発言には、当然のことながら社会的責任を負うべきである。

すなわち、これらの教師は、自分の親、もしくは自分自身が要介護状態になっても、介護サービスを利用しない、もしくは待たされて最後になっても差し支えない、ということなのだろうか?

私たちの周囲で、生徒に対して教師がこのような発言をしたことが確認できたら、こう反問してみるのが良い。もし教師が自分の発言の意味を理解せずに発言しているのならば、それはプロの教師ではなく、ただの素人であろう。

そもそも学校教育で大切なものは、さまざまな職業の役割や意義を理解させることではないだろうか。ここでは教師が職業差別の旗振り役になってしまっている。まさに、「歌を忘れたカナリア」との表現がふさわしい。

残念ながらこれが現実のようだ。先年の「駆け込み退職騒動」からも、推して知るべしであろう。一人ひとりの教師には個別の家庭の事情を抱える人もあっただろうから、「教師」を総体として批判するのは適切でないかも知れないが、もし介護業界で、たとえ退職後に受け取れる一時金が一定程度減らされる改変があったとしても、あのような現場放棄と言うべき大量離職はまず起こらない。教師の方々のほうは、たとえ減らされたとしても、私たちの水準とは段違いの退職金を受け取れたはずだったのだが・・・。

介護業界で悪戦苦闘している職員たちのことも、自分たちから見れば所詮「他人事」ということか。教師自身の家庭の中でも、「介護」を実感できる家庭が減っていることも、一つの要因として考えられるであろう。

もちろん、教師はそのような人ばかりではないし、介護の仕事を応援してくれるすばらしい教師も少なくない。私たち介護業界の人間の側も、そういう理解者を増やしていく努力をしなければならないことは言うまでもない。

これを大きな意味での社会問題として捉えると、なかなか根深いものがある。取りまとめて論じる機会を得られれば良いなと思った。

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