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2015年1月

2015年1月30日 (金)

浜松のラーメン店めぐり

昨年、関西や関東の若い介護業界仲間たちと交流していく中で、一つの媒体になったのが「ラーメン」である。

宇都宮に対抗する餃子の町として知られている浜松だが、ラーメンに関しては特段「浜松ラーメン」というほどのものはない。札幌とか博多とか熊本とか喜多方とか、ブランドのようなものは存在していないと言って差し支えない。

裏を返せば、浜松では地元のラー店がそれぞれ個性を生かした味を創造し、妍を競っている。私も最近、そんな身近な店に関心を持つようになった。大手のチェーンにも好きな味のラーメンはいくつもあるが、地域密着で営業している地元のラー店の自慢のひと品にも、また大きな魅力がある。

そこで、この1月は、浜松のラー店を意欲的に周遊してみた。

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錦華楼。細麺か平麺か選べるのが好い。コクのあるスープが合う。

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ラーメン酒房だるま。浜松では珍しい自家製鶏白湯の店。麺の硬さを選択可。

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麺創房・一凛。癖のないオーソドックスな味でファン増加中の様子。

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らーめん土蔵(どら)。行列ができる本格派。醤油と柚子塩が二大人気メニュー。

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麺屋みちの。味噌をはじめ北海道系の味覚。湯切りは平ザルで。

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一番星。とんこつ系が主流だが、五目系もうまい。高菜か生ニンニクを付けてもらえる。

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来々軒。肉中心のメニューで、軽いブラック系のスープと好くマッチング。

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五味八珍。浜松餃子の通販で有名。ラーメンはあっさり系で不特定多数向けが多い。

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中華そば・まるしょう。細縮れ麺は煮玉子やそぼろなどの具と相性が好い。

一口に地元浜松のラーメンといっても、親方が単独店舗でやっているところから、チェーンや系列店を拡大して、他県にも出店しているところまで、さまざまだ。今月、自分が回ったところはほんの一握りであって、広い浜松にはまだまだ個性的なラー店が数多く林立している。

浜松は東西の真ん中にあり、食文化についても、伝統に固執して発展性を欠くのではなく、他地域の良い味を積極的に取り入れていく寛容さを持ち続けてきた。上に掲げた諸店のラーメンも、そんな浜松ならではの特色ある品ぞろえになっている。その中に花月嵐、丸源、来来亭、天下一品、一蘭、大勝軒といった大手ラー店のチェーン店やのれん分け店が加わることで、当地のラーメン文化に彩りを添えている。

百花繚乱のごとく、バラエティに富んだ浜松のラーメン業界。私たち市民は、一人ひとりの嗜好のままに、お目当てのラーメンを選んで味わうことができる幸せをかみしめたい。

2015年1月18日 (日)

臓器移植について思っていること

大阪大病院で心臓移植待機中に脳死状態になった女の子の両親(中部地方在住)が、子どもの肺・肝臓・腎臓の提供を申し出て、何人もの人たちが恩恵を受けられることになった。

病院側の要請により実名会見が果たせなかったこと、コメントが一部削除されたことなど、さまざまな報道がなされている。何らかの事情が絡んでいる可能性はあるが、詳細な情報を得られていない状況であるため、それに関する論評はひとまず措く。

さて、臓器移植については、私も当県の主任介護支援専門員研修で、「ケアマネジメントとそれを担う介護支援専門員の倫理」の講師を務めていたときに、触れたことがある。主任ケアマネが専門性の高い職種と肩を並べて仕事をするために、広く社会問題に関心を持ってほしいとの思いから、コンテンツに入れたものだ。

そのとき私が使用したのが、このスライドである。

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いささか過激な表現で、違和感を覚える方が多いとは思うが、現実はこの通りなのである。

人殺しのブローカーの存在を裏付けるのは、アジアの複数の国で、地震や津波のような天災のあと、明らかにまだ労働力にならない幼少の子どもたちが略取されていることである。多くは子どものいない裕福な家庭に「養子」として売られて行ったと推測されるが、東南アジアなどの「臓器市場」に少なからぬ「需要」と「供給」が存在することも、闇商人に関するレポートなどから明々白々になっている。日本の阪神大震災や東日本大震災のときには考えられなかったような無法行為が、異なる国や地域では発生しているのだ。

また、コソヴォ共和国がセルビアから独立した際、独立運動側の勢力が、1999年に捕虜にしたセルビア人たちを、2004年までに数十人~数百人銃殺し、彼らの臓器を抜き取って密売した行為は、国際的にも大きな人道問題とされた。日本の多くのメディアはコソヴォ独立問題を公平な立場で報じず、臓器略取についても全くと言ってよいほど触れなかったと記憶している。かつてのボスニア内戦以来、「セルビア人は悪いやつ」であるかのようなイメージを引きずっていたのだろうか?

人殺しではないものの、反道徳的な受益者、詐欺的な支援団体などは、日本にも存在する。自分の資産をしっかり保有したまま、子どもの渡米移植のため多くの募金を集めて、会計報告さえまっとうに公開しなかった悪質な受益者・支援団体もあった。類似した人や団体は結構存在するのかも知れないが。

悪質であろうがなかろうが、心臓など人の生存のため不可欠な臓器の移植は、誰かの「死」が前提になることは言うまでもない。国際的な視点から見れば、移植手術を受けるお金を持っている一人の生命を長らえさせるために、死に至る病を治すお金を持っていない一人の生命が失われることもあるのだ。

「○○ちゃんを救う会」のような「博愛」的な活動が、一つ間違えば社会的な不平等の元凶になってしまう現実を、理解していただけただろうか?

そう考えると、中部地方の女の子の両親が、移植を待っていた立場から、それが不可能になった直後、悲嘆に沈んでいるさ中に、子どもの大切な遺体の臓器を移植のため提供したことは、称賛されるべき英断であったと思う。

改めて、女の子の永遠の平安をお祈りするとともに、両親に周囲からの慰めと励まし、そして、(事情を知る人たちから)今回の行為にふさわしい敬意を受けられることを、

さらに、今回この移植で命を長らえた人やその親族が、将来、万一逆の立場になった場合に、ドナーとなって他者の生命のため貢献してくれるように願いたい。

2015年1月14日 (水)

不幸中の幸い

人間、平穏に暮らしていても何が起こるかわからない。

年末、仕事納めの12月27日18:30に事務所を閉めて、さあ帰ろうとしたときに、思わぬ落とし穴が待っていた。

駐車場の中を自分の車へ向かって、かさばる荷物を持ちながら歩いていたのだが、あいにく周囲の家々の明かりがみな消えていた真っ暗闇の中、位置を知っているはずの縁石(車止め)に左足を引っかけた。

「しまった!」と思ったときにはすでに遅く、次の瞬間に身体が宙に浮き、コンクリートの地面に頭から「突撃」する形になった。

前頭部を激しく打ったとき、一瞬「死ぬかな?」と思ったが、その直後、立ち上がって額に手を当て、血が流れて濡れるのを感じた。

意識が正常なのを自分で確認した後、大急ぎで車を運転して、ときどき流れる血をぬぐいながら、夜間救急へ向かったが、開始時刻は20:00からとのこと。心拍数がすごく速くなったため、もはや自分で通院するのは困難と断念し、救急車を呼んで近くの病院まで搬送してもらった。

頭部のCT、右手背部と左膝のレントゲン写真を撮ってもらい、幸いどこにも骨折は見られず、脳しんとうも嘔気も眩暈もなく、打撲と擦り傷だけで済んだ。その日は遅く帰宅し、翌日になって下顎部の骨が痛いのに気が付いて、当直だった整形外科に通院したが、こちらも骨折はなく擦り傷のみであった。このエントリーを書いている現在、下顎部は治癒、他もほとんど出血は無くなり、ときどき浸出液が出る程度まで回復している。

よく知っている通路なので油断したことがおもな原因。暗闇では安全な側から遠回りすべきであった。今後は十分注意したい。

しかし、この種の事故で、私は昔から不思議と大事に至ったことがないのだ。自転車走行中にハンドル操作を誤って背面から投げ出され、道路のコンクリートの縁石に脊椎を強打したのに、半身麻痺にならなかったこと。考えごとをしながら電車の閉まりかけたドアにはさまれ、左腕を強打しながら間をすり抜けた(駅員も事故に気が付かなかった)のに、打撲どころか痛みさえ全くなかったこと。また、これほどではないにせよ、他にも2~3回、相当な外力による負傷があったが、いずれも軽症で済んでいることなど、良い意味で意外な結果に終わったことが何度もあった。

内臓はときどき疾病にかかっているし、金運も無い(?)のだが、どうやら骨組みだけは頑丈にできているらしい。両親に感謝しなければならないだろう。

もちろん過信は禁物だが、こんな「不幸中の幸い」もあるんだなあ、と、年末年始にしみじみと感じた。

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