臓器移植について思っていること
大阪大病院で心臓移植待機中に脳死状態になった女の子の両親(中部地方在住)が、子どもの肺・肝臓・腎臓の提供を申し出て、何人もの人たちが恩恵を受けられることになった。
病院側の要請により実名会見が果たせなかったこと、コメントが一部削除されたことなど、さまざまな報道がなされている。何らかの事情が絡んでいる可能性はあるが、詳細な情報を得られていない状況であるため、それに関する論評はひとまず措く。
さて、臓器移植については、私も当県の主任介護支援専門員研修で、「ケアマネジメントとそれを担う介護支援専門員の倫理」の講師を務めていたときに、触れたことがある。主任ケアマネが専門性の高い職種と肩を並べて仕事をするために、広く社会問題に関心を持ってほしいとの思いから、コンテンツに入れたものだ。
そのとき私が使用したのが、このスライドである。
いささか過激な表現で、違和感を覚える方が多いとは思うが、現実はこの通りなのである。
人殺しのブローカーの存在を裏付けるのは、アジアの複数の国で、地震や津波のような天災のあと、明らかにまだ労働力にならない幼少の子どもたちが略取されていることである。多くは子どものいない裕福な家庭に「養子」として売られて行ったと推測されるが、東南アジアなどの「臓器市場」に少なからぬ「需要」と「供給」が存在することも、闇商人に関するレポートなどから明々白々になっている。日本の阪神大震災や東日本大震災のときには考えられなかったような無法行為が、異なる国や地域では発生しているのだ。
また、コソヴォ共和国がセルビアから独立した際、独立運動側の勢力が、1999年に捕虜にしたセルビア人たちを、2004年までに数十人~数百人銃殺し、彼らの臓器を抜き取って密売した行為は、国際的にも大きな人道問題とされた。日本の多くのメディアはコソヴォ独立問題を公平な立場で報じず、臓器略取についても全くと言ってよいほど触れなかったと記憶している。かつてのボスニア内戦以来、「セルビア人は悪いやつ」であるかのようなイメージを引きずっていたのだろうか?
人殺しではないものの、反道徳的な受益者、詐欺的な支援団体などは、日本にも存在する。自分の資産をしっかり保有したまま、子どもの渡米移植のため多くの募金を集めて、会計報告さえまっとうに公開しなかった悪質な受益者・支援団体もあった。類似した人や団体は結構存在するのかも知れないが。
悪質であろうがなかろうが、心臓など人の生存のため不可欠な臓器の移植は、誰かの「死」が前提になることは言うまでもない。国際的な視点から見れば、移植手術を受けるお金を持っている一人の生命を長らえさせるために、死に至る病を治すお金を持っていない一人の生命が失われることもあるのだ。
「○○ちゃんを救う会」のような「博愛」的な活動が、一つ間違えば社会的な不平等の元凶になってしまう現実を、理解していただけただろうか?
そう考えると、中部地方の女の子の両親が、移植を待っていた立場から、それが不可能になった直後、悲嘆に沈んでいるさ中に、子どもの大切な遺体の臓器を移植のため提供したことは、称賛されるべき英断であったと思う。
改めて、女の子の永遠の平安をお祈りするとともに、両親に周囲からの慰めと励まし、そして、(事情を知る人たちから)今回の行為にふさわしい敬意を受けられることを、
さらに、今回この移植で命を長らえた人やその親族が、将来、万一逆の立場になった場合に、ドナーとなって他者の生命のため貢献してくれるように願いたい。
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