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2015年3月10日 (火)

防衛省設置法改正は正論

「防衛省設置法」という法律がある。この法律中には、防衛省の内局官僚は防衛大臣がを制服組に指示を出す際に補佐する権限を持つ、いわゆる文官優位の原則があった。防衛省内では、従来この内局官僚の権限が比較的大きかったため、制服組に対する「文官統制」とも称されてきた。

現政権(自民党・公明党)は、統合幕僚長や陸・海・空各幕僚長らの制服組幹部が、内局の官房長や局長と同様に大臣を直接補佐できるように改正し、また内局の運用企画局を廃止することで、いわゆる文官統制を終了させることを内定させた。この改正案がいまの国会に上程される予定である。

これについて、「文民統制を踏みにじるもの」と批判する人たちがいるが、これは見当違いだとしか言いようがない。

そもそも「文民統制」とは「国民の代表」である文民(職業軍人以外の者)の政治家が、職業軍人たちの意向に優先することを示すものだ。第二次世界大戦のように、軍部が内閣の意向を軽視して勝手に戦争を始めることがないように、法制的な枷をはめたものなのだ。したがって、軍部を統制する権限があるのは当然、国政選挙で国民に選ばれた国会議員が、間接民主制にのっとって選出する内閣総理大臣であり、直接的にはその内閣総理大臣が任命する防衛大臣となる。

裏を返せば、国民に選ばれていない内局の官房長や局長は、統制する権限を持たないというのが、ごく当たり前の理解だ。そもそも、この「文官統制」は旧内務省の官僚主導で、自衛隊の前身である警察予備隊発足の際に画策されたものであり、たとえ当時の特殊な状況に照らし合わせてやむを得なかった面があるとは言え、その不当な権限が現在まで機能していること自体が不自然である。もし内局の官僚が中立的な立場を採らず、政権党に批判的であったら、国民の知らないところで「文民統制」が制約されるというおかしなことになってしまう。

また、野党支持者の中に、「自分たちは内閣総理大臣や防衛大臣を選んでいない」と主張する人たちがいる。そもそも、いつから日本では、自分が支持しない政党の政権が成立したら、「私たちはいまの政権を選んでいない。だから政権が実施する施策には従わない」と主張しても良いことになったのか? どう考えても、これは筋の通らない無茶苦茶な議論である。このような人たちこそ、民主主義の根幹を危うくする人々ではないか。

「文官統制」を撤廃して、本来の「文民統制」に戻す。これが正しい民主主義の姿だと思う。

付言しておくが、この動きを歓迎している防衛力強化論者のほとんど(一部の好戦的な人たちを除く)は、日本国民が戦争に巻き込まれてほしくないと願っている。その願いを実現するためにも、自衛隊が無用の制約を受けて危急の際に動きにくいような状況には、変更を加えておかなければならないと考える。

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