ヴェルディ歌劇の面白さ(7)
11日(土)、一年ぶりに新国立劇場で歌劇を鑑賞した。演目はヴェルディの「運命の力」。
この歌劇の真髄は、主人公のドン‐アルヴァーロにどこまでも不運が襲い掛かるところにある。きわめて暗く悲劇的な内容のドラマだ。それだけに、部分的にはコミカルな場面が挟み込まれ、メリハリがつけられているのだが、ストーリー全体を暗雲が覆っていることが、このドラマの特徴を際立たせている。
指揮はホセー‐ルイス‐ゴメス(敬称略。以下同)。奇をてらわないオーソドックスな指揮で聴きやすかったが、一部の歌手やオケの管楽器と合わせ切れない部分があったようだ。ご愛嬌か(^^;)
演出はエミリオ‐サージ。おもな特徴は三つ。一つ目は、最初からいきなり赤い幕にスペイン貴族のお歴々の名前が所狭しと書き連ねてあり、この貴族連中によるムラート(インディオとスペイン人との間に生まれた子)であるドン‐アルヴァーロに対する身分差別の厳しさが、すべての根源にあることを強烈に見せつけられること。二つ目は、舞台が20世紀前半に設定されており、剣が銃に代わり、人々が共同作業でセットを片付けるなど、事物や人物の所作が、現代劇的な内容に変更されていること。
三つ目は、第四幕で聖画を描いた三方の薄い幕が登場人物によって次々と取り払われ、最後にドン‐アルヴァーロが絶望のうちに取り残されるという、1862年のロシア、サンクト‐ペテルスブルクで初演されたときの姿を一部再現していることだ。初演ではアルヴァーロが教会を呪って崖から身投げするのだが、ヴェルディはイタリア上演の際に台本作家のギスランツォーニに諮ってここを書き直している。今回の演出は、あえて反キリスト教的な部分を復活させた点が面白い。故・遠藤周作も言っているように、現実に私たちが直面するのは、神の怒り、懲罰、沈黙であって、神の愛を実感するのは難しいのだから。
特に良かったのが、レオノーラのイアーノ‐タマール(ソプラノ)と、修道院長(一般的には「グァルディアーノ神父」と呼ばれているが、padre guardianoとは修道院長である司祭の意味なので、普通名詞である)の松位浩(バス≧バッソ‐プロフォンド)。この二人の第二幕第二場のシェーナ&二重唱は、重々しい掛け合いから始まって場を熱く盛り上げ、音楽をどんどん昇華させていく、すばらしい出来であった。またタマールが第四幕第二場、岩山の場で歌うメロディーア、「神よ、平安を与えたまえ」はまさに圧巻! 会場から万雷の拍手が!
ドン‐アルヴァーロのゾラン‐トドロヴィッチ(テノール)、ドン‐カルロのマルコ‐ディ‐フェリーチェ(バリトン)もたっぷりと聴かせてくれた。演出が第三幕の中で両者の決闘未遂の場を省いていたので、第四幕第一場、修道院での対決の場にエッセンスが凝縮されていたのも効果的だった。他方、フラ‐メリトーネのマルコ‐カマストラ(バリトン)はやや声量不足、プレツィオシッラのケテワン‐ケモクリーゼ(メゾ‐ソプラノ)は音程が不安定で少々聴きづらかった。トラブーコの松浦健(テノール)はまずまずコミカルな味を出していたと思う。
これで、「椿姫」と「アイーダ」の間に作られたヴェルディの傑作四品を一巡鑑賞したことになる。四作ともヴェルディ歌劇のスケールの大きさを感じさせる珠玉の作品である。愛好する人たちが増えることを願ってやまない。
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