歌舞伎初鑑賞
去る19日、名古屋の中日劇場で初めて歌舞伎を鑑賞した。「四月花形歌舞伎」の夜の部「新・八犬伝」である。
一応「レビュー」を書くが、何十回と観ている歌劇の場合と違い、全くの初心鑑賞者であるから、練れた文章はとても書けない。むしろ、歌劇好きの人間が初めて歌舞伎を鑑賞したディスカバリーものの類としてご笑読いただきたい。途中、誤認や言葉の誤用もあろうかと思われるので、お気付きの方はご指摘くださるとありがたい。
脚本は今井豊茂(敬称略、以下同)、演出は奈河彰輔・片岡秀太郎、出演は市川猿之助(口上のみ)、片岡愛之助、市川右近、市川門之助、市川男女蔵、坂東竹三郎、坂東秀調、ほか。
ストーリーは滝沢馬琴の八犬伝の挿話を改作した創作であり、最後は大天狗・崇徳院と八犬士とが、他日の再戦を期して痛み分けに終わるというもの。
まず感じたのが、打楽器まで含めると音楽が常に鳴り響いていること。ご政道批判が禁じられていた江戸時代、あくまでも音曲の一種だとの建前で上演された名残だと思われるが、台詞の背景で何かの音楽が絶え間なく奏でられており、独特の緊迫感であった。
次に、出演者はみな役者である。もちろん歌の場面もあるが、歌手主体の舞台芸術ではない。歌劇の場合はあくまでも歌唱が中心だから演技がぎこちない歌手もいるが、歌舞伎ではいくら声が好くても、演技が稚拙だと様にならないであろう。
また、出演者がこれだけ身体を使うのであれば、消費するエネルギーは並々ならぬものだ。特に幹部俳優と取り手たちの大立ち回りは、かなりの時間続けられるから、これは演武と言うか、一種のスポーツに等しい。さらに主演級の人たちには役の早替りやアクロバティックな演技が加わる。大詰で男女蔵が舞台の脇から刀を投げ、それを舞台中央の愛之助が発止と受け取る場面など、作り物の刀であっても一つ間違えば大怪我につながるだけに、何百回と練習を重ねたことであろう。
観客の拍手は、短めに収めるのがマナーのようだ。間を置かずに次の場面に移るほうが、座が白けずに済むということか。また、通の鑑賞者は幹部俳優が見得を切るような場面で、「○○屋!」と声を掛けるのが当たり前になっていた。
まあ、初心鑑賞者が感じ取ったのは、このような点ぐらいである。
私が日本の伝統芸術である歌舞伎をこれまで一度も見たことがなかったのには、異に思われるかも知れないが、逆に自分が日本語・日本文化についての内容を執筆しようとしているときに、初めてこの空間を体験できたのは、一つの機縁かも知れない。今後も機会があれば、また肌合いの異なる演目を鑑賞してみたいと心組んでいる。
このたびは、ご自身も腰元・仲居・女田楽の三役で出演されていた役者の市川澤路さんが、諸事ご教示くださっただけでなく、終演後にはお疲れにもかかわらず、飲食をともにしてくださった。また、澤路さんと親交があり、昨年何度かお会いした神戸在住のケアマネジャー小田原貴之さんにも、鑑賞に際していろいろとご案内いただいた。お二方には改めてお礼を申し上げたい。
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