いまこそ連帯を!
史書をひも解くのが好きな私は、20~30代のとき、国内の各地にある図書館や文書館を回り、その地を統治した武家の系譜を中心に、さまざまな史料を閲覧し、筆写してきた。
その一つ。どこで入手したか記憶がないが、私の手元に万延元(1860)年の水戸藩徳川家分限帳の写しがある。家柄家老である中山・山野辺・鈴木の三家の次に、仕置家老に相当する「用達」12人の名が記されており、その末席に「武田修理 五百石」とある。水戸の幕末史に名を馳せた武田耕雲斎(=正生。1803-65)のことだ。
「武田」の苗字は、ひたちなか市の勝田にある地名。同市の玄関口であるJR勝田駅が立地する場所である。常陸源氏の一つの流派である武田一族は、事情あって常陸から甲斐へ移り住み、土着して甲斐源氏となり、武田の家名を確立、戦国時代には武田信玄(=晴信)が信濃・駿河まで領有して大勢力となったが、次代の武田勝頼は織田・徳川連合軍に敗れて滅亡した。
その滅亡のきっかけを作った、武田一族で守護代家の跡部勝資は、後代、裏切り者の悪人とされて貶められた。跡部家一門で水戸藩に仕えた家があり、末裔がこの耕雲斎である。彼は跡部の苗字が蔑まれることを嫌い、藩主・徳川斉昭に登用された際に、願い出て苗字を武田に改めた。水戸藩の初代藩主が藩祖・徳川頼房の兄、武田信吉(穴山家を継いで武田の宗家となっていた)であったため、武田の苗字を無断で名乗ることは許されなかったからである。
耕雲斎は斉昭の信任を受けて政務に参画したが、斉昭の死後失脚する。その後、過激な尊王攘夷を唱える天狗党が、藤田小四郎(1842-65)を指導者として反乱を起こしたため、耕雲斎はこれを沈静化させようと説得するが、小四郎らは聞き入れずに那珂湊へ集結し、別の勢力を率いて近傍に布陣していた耕雲斎も、幕府の討伐軍や、藩の保守派である諸生党から、天狗党の与党であると見なされてしまった。
小四郎に推されて、やむを得ず天狗党の首領となった耕雲斎は、小四郎らとともに幕府軍や諸生党と戦ったが、那珂湊で大敗して多くの有能な志士たちを失い、逃れて中山道を進軍し、北陸に至る。鯖江藩や越前府中藩の討伐を受けてついに投降、耕雲斎も小四郎も敦賀で処刑され、首は那珂湊にさらされた。
さらに、耕雲斎の孫で助命された武田金次郎たちは、明治維新で水戸藩に戻ると、こんどは官軍の力を背景に、諸生党を徹底的に弾圧し、主要な人物を処刑しまくった。これらのたび重なる争乱により、水戸藩の人材はすっかり枯渇してしまった。明治政府がせっかく、勤王の功績が大きかった水戸藩から人材を登用しようとしても、「薩摩警部に水戸巡査」と揶揄されたごとく、高官に抜擢できる人間がほとんど残っていなかったのである。
5月21日、このような悲劇の歴史を秘めたひたちなか市で、同市の介護サービス事業者連絡協議会からお招きをいただき、「口のきき方で介護を変える!」をテーマとして講演を行った。
一通り話を終えた後、「那珂湊の悲劇を再現しないでください。いまは殺し合いこそ無いにしても、足の引っ張り合いが原因で多くの人材が介護業界を去って行くことがないように、市民の皆さんのため、業界が結束してください」と述べた。
また、役員さんたちとの懇親の席(画像。向かって私の左が会長の伊藤さん、右が副会長の本多さん、女性二人の後ろが事務局長の鹿志村さんである)において、同市では地域支援事業の委託をめぐって、行政との折衝が難しい場面を迎えていると聞いたので、ぜひ先進的なモデルを確立して、私たちにも情報を教えていただきたい旨をお願いしておいた。
翌22日、帰路途中の東京で、小規模多機能型居宅介護事業所・ユアハウス弥生を表敬訪問(画像は同所の本社側の事務所)。
所長(社長後継)の飯塚裕久さんと、今後の業界のあり方についてしばし面談。「2015年を笑って迎えられるために」どうすべきか、意見交換。ここでも、「それぞれ自分の事業所、業種などの利害はあるかも知れないが、いまや垣根を越えて手を携えていく時代」との私の意見をお伝えして、飯塚さんも大枠で理解してくださったと思う。
辞去する際に、「未来を創る介護カフェ」主催者の高瀬さんとすれ違い、一言ごあいさつ。飯塚さんたちの多彩な交友範囲を実感するとともに、今後のネットワークの広がりを予感させる一幕だったような。
振り返ると、この27年度改定は大きな節目であった。長年、歯を食いしばって介護業界でがんばってきたにもかかわらず、報われない人たちは、がまんの限界に達している。いまここに来て、倒れる者、去る者が相次いでいる昨今の情勢なのだ。多くの法人が目先の利害を最優先にしてきた結果である。もはや、自分、自事業所の利害だけで動いている業界人は、いずれ自分自身が窮地に陥ったとき、誰からも手を差し伸べてもらえない羽目になるであろう。
そうならないためにも、私たちは地域で、さらにこの国で、同じ仕事に勤しむ仲間たちと共存していくことを旨としたいのである。
いまこそ連帯を! と改めて強く感じた二日間であった。
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