「言霊」の呪縛と日本人
大分市の高崎山自然動物園で、生まれたばかりのメスの赤ちゃんザルに「シャーロット」と名付けたところ、300を超える抗議や批判が寄せられ、その大半は「英国王室に失礼だ」との趣旨だったという。
実は、いま執筆中の内容に関係する事案であるため、たいへん関心を持ち、今回取り上げてみた。
まず、「英国王室に失礼だ」との趣旨について。おそらくこういう考え方をするのは、世界でも日本人だけであろう(世界は広いので、マイノリティである諸民族の中で、類似した思考体系を持つ人々がいるかも知れないが、それはひとまず措く)。
では、なぜ「失礼」なのか?
これこそ、古来から日本人の思考を制約している「言霊」の考え方から来るものである。
「言霊」については、作家の井沢元彦氏が数々の著書で述べているので、井沢氏ファンの方々は先刻ご存知のことと思う。何かを言葉に出して「言挙げ(ことあげ)」することによって、そこに霊力が与えられるという考え方である。言挙げしたものが人の名前であれば、その人の人格に影響を及ぼす。だから、軽々しく相手の名前を言ってはならない。
特に古代から、女性の実名は秘匿しなければならないものだった。もし古代日本で男性が女性の名前を知って「○○さん」と言えば、求婚を意味したのである。古代女性の実名が伝わっていない場合が多いのは、そのような理由によるものだ。
現代でも、年輩の人たちは女性の下の名前を呼ぶときには慎重である。私自身、20代の頃に休職中の女性同僚職員の夫に電話して、「○○さんはいらっしゃいますか」と言ったところ、上司から「女性の名前言うなよ。奥さんと言え」と指摘されたことがある。
男性の名前であっても、目上の人の名前を「□□さん」とは言わない。名字で呼ぶか、職名などで呼ぶことが多い。昔なら「組頭さま」「番頭さん」、いまなら「部長」「課長」といった具合だ。
なお、中国の文化圏では、君主や父親の死後の名前(諱=いみな)を回避したり、貴人や上役の実名を言わずに、職名などで呼ぶ習慣があったが、これは儒教の「礼」に基づくものであるから、言霊とは似て非なるものだ。
最近は日本でも男女ともに、相手を実名で呼ぶことも増えているが、まだ「言霊」の影響は強く残っている。日本文化の中で生まれ育った私たちには、逃れられないものかも知れない。
そして、これは子どもに名付けるとき、「他人と違う名前を選択する」行為にもつながっている。井沢氏は欧米から日本人の代表的な名前だと思われている「太郎」や「花子」が、実はごく少数で、ポピュラーな名前になっていない実例を掲げ、「ジョン」や「メアリ」などの欧米でポピュラーな名前と比較して、この現象を説明している。
最近の親が子どもに「キラキラネーム」を付けるのも、この流れが進化してバリエーションが広がっているものだとも理解できる。
さて、この「言霊」の思考により、欧米ではありふれた名前に過ぎず、動物の名前に付けられて何の不思議もない「シャーロット」が、日本人の感性から言えば、サルに名付けることによって、同じ名前である特定の王女の人格をおとしめる行為だと映るわけなのだ。
それが抗議・批判する人の身内の名前であったり、あるいは英国側がこの命名を問題視して外交上の懸念が生じていたり、ということならば、まだ理解できなくもないが、特段の問題がないにもかかわらず、このような抗議・批判をすることは、正直に言って常軌を逸していると思わざるを得ない。
公募で第一位の名前が「シャーロット」になったのであれば、それを尊重するのが当然だ。でなければ公募する意味はないし、最初から別の可愛い女性名を動物園側が付ければ良い話である。公募して結果を発表した以上、回避するほうが信用失墜になろう。
私は個人的には、一連の経過を眺めて、サルの命名は「シャーロット」で何の問題はないと考える。園側の良識を期待したい。
ところで、このような「言霊」に呪縛された人々は、私たちの介護業界にも少なからず存在する。その好例が、「認知症」を利用者に伝えない支援者である。
以前のエントリー、「なぜ利用者の『認知症』を本人に伝えられないのか?」で、支援者の側に差別的感覚が内在する状況について述べたが、ここに大きく影を落としているのが、実は「言霊」なのである。
「認知症」の言葉は、たとえば「慢性胃炎」や「腰椎すべり症」や「緑内障」などの疾患と同様、一つの疾患名である。その診断名が付いたからと言って、その人物の人格には何の影響もないはずなのだ。
ところが、支援する側が言霊の呪縛によって、脳の疾患である「認知症」の言葉があたかも相手の人格をおとしめる言葉であるかのように感じてしまうと、その疾患名を当の本人である利用者に伝えることを躊躇してしまう。だから面と向かって「認知症」だと言えず、結果的に利用者をごまかすことになってしまうのである。こちらのほうが利用者に対して失礼だというのが、私の考えだ。
利用者を尊敬しているからこそ、医師から診断された疾患名「認知症」を正しく伝えて、一緒に生活課題を明らめていくことができる支援者でありたい。
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こんにちは(*‘∀‘) 更新ありがとうございます♪
赤ちゃん猿にシャーロットの件、話題になりましたね。私も幼い頃、
2匹の飼い猫に、レーガンとサッチャーと名付けた事を思い出しました。
中村天風著「 成功の実現 」の中で、ネガティブな言葉は何があろうと
発してはいけない、といった内容が書かれており、当時はそういうもの
なのかと思いましたが、確かに・・・呪縛めいているかもしれません(;^ω^)
認知症に限らず、敬意あっての言葉選び( 会話 )と心得ておきます。
では、また次回更新を楽しみにしております。
投稿: 中山さと子 | 2015年5月 8日 (金) 16時47分
中山さと子さん、コメントありがとうございます。
これまで、いくつかのエントリーでも書きましたが、日本人のメンタリティは、古来積み重なったいろいろなファクターによって規定されています。私たちのほうが気付いていないんですね。
もちろん、すべてを国際標準に合わせることが良いことだとは思いませんし、日本人独特の思考体系の長所を上手に使いこなすことも、大切だと考えています。
投稿: じょあん | 2015年5月 9日 (土) 09時26分