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2015年6月

2015年6月30日 (火)

歴史上のマイナー王朝(1)

中国古代の史書をひもときたくなり、『南斉書(なんせいしょ)』をめくっている。

「南斉」とは、少しあとの「北斉」と対比した呼び方で、本来の国名は「斉」。中国(漢民族支配地域)の南半分を領有した王朝だが、存続したのは479年から502年。足掛け二十四年の短命王朝で、その存続した時期に限るならば、歴史に名を残すほどの著名な人物も出ていない。

だが、意外にも私が幼少のころ愛読していた世界史の本に載っていた画像に、この南斉の建国者が描かれていたのだ。いまは処分してしまったので、残っていないのだが。

倭の五王、と言えばご存知の方も多いと思う。子ども向きにわかりやすく編集されたその本には、最後に登場する倭王「武(雄略天皇に比定されている)」が南朝の「宋」に送った使節が、宋の皇帝=順帝(じゅんてい)に謁見する場面の絵が描かれていた。その順帝のすぐ下段に、順帝より偉そうな顔をした年輩のヒゲ男が立っていた。

その人の名は蕭道成(しょうどうせい)。このとき、すでに宋の政治の全権を握っており、倭王武の使節をもてなしたのも、実質的にはこの人物であった。ほどなく順帝を廃位した蕭道成は、皇帝に即位して南斉の高帝(こうてい。位479-482)となる。

自分が中国古代史に興味を持ったのは、中学生のときだったが、高校生ぐらいになって、そのボロボロの本を取り出してみて、皇帝よりも偉そうな男が次の王朝の開祖なのだと、ようやくわかったものだ。倭王武の使節も、「宰相の蕭道成に徳があって偉大だから、遠方の国がわざわざ使者を遣わしたのだ」といった権威づけに利用されたろう。

建国してからの南斉王朝、前期の十三年は平穏だったものの、後期の十一年は、宗室(皇族)や大臣の殺し合いが絶えず、蕭氏の遠い一族である蕭衍(しょうえん)に取って代わられてしまった。この蕭衍が梁(りょう)の武帝であり、以後半世紀近く江南を統治する人物である。

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しかし、梁代に活躍する政治家や文人たちは、実は南斉時代、蕭子良(しょうしりょう。460-494。高帝の孫)のサロンに集まり、文化的センスを養われた人物が少なくない。上の画像は「竟陵王〔蕭〕子良伝」の冒頭部分。蕭衍をはじめ、范雲(はんうん)、沈約(しんやく)、任昉(じんぼう)など、みなこのサロン育ちである。この蕭子良の没後、南斉王朝は内部崩壊してしまったが、その後継者たちが六世紀前半に、南朝の仏教文化を花開かせたのだ。

歴史上はマイナーな存在であっても、形を変えて影響を残した王朝が散見される。機会を見て、そういった王朝の歴史をたどってみたい。

2015年6月16日 (火)

虚礼廃止は介護業界から

どの業界でも、お世話になっている人の親が亡くなった場合、当人を直接知っていなくても、葬儀に列席してごあいさつするのが、昔からの慣例になっているようだ。

しかし、喪主の役職などを考慮して義理で列席することについては、ずっと以前から疑問に感じていた。役員会でいつも同席しているからと言って、特別個人的に親しくしていたわけでもない人の親の葬儀に、わざわざ出向く必要があるのだろうか?

私もケアマネジャー職能団体の役職にある関係上、ときどきこのような葬儀の連絡を受けることがある。以前は職位上位の人の親が多かったため、故人を直接知らなくても、なるべく時間を割いて参列するようにしていた。

しかし、あるとき、やはり職位上位の人の親御さんが亡くなったとき、電話・FAX・メールとあらゆる方法で、喪主の人(またはその所属機関)からわざわざ連絡が来た。これでは列席を強要しているのと同じである。当人は地域の保健・医療・福祉業界の重鎮的な存在で、なるべく多くの人を呼ぶ必要があったのかも知れない。私もそこまでされると軽視できず、日曜日で、他に用事も入っていなかったので列席したものの、ほとんどは見知らぬ顔ばかりであった。

これを機会に、私は個人的に親しい人以外の親の葬儀には列席しないことにした。業界全体に虚礼廃止を浸透させていきたいと思い、他の役員にも勧め、その後は役員の親が亡くなっても、相役を理由に御霊前を出すのは原則やめることにした。同じ立場の人たちもおおむね理解してくれたようで、何とか当地ではこの方向が定着しそうだ。

介護業界に生きる人は、家計に余裕がある人ばかりではない。たとえば当地のケアマネジャー職能団体も、会費無料で自治体が給付適正化事業の一環として費用を拠出してくれているので、大部分のケアマネジャーが参加している。県のケアマネジャー職能団体は、年会費2,000円でやっと半数程度(推定)だ。個人的なお付き合いがないところの葬儀へ、儀礼的に参列するほどの余裕のない人も多い(私もその一人だが‥‥)。

この現状を考えれば、介護業界が率先して虚礼廃止を励行していってもおかしくないであろう。

葬祭は、親族の意思で地味に行うところも増えてきている。4月に他界された当地出身の山村睦氏(前・日本社会福祉士会会長)のご葬儀も、ご親族(ほとんどが福祉・介護関係者)の間だけで執り行われ、業界有志の間では、7日(東京)と14日(静岡)とで、偲ぶ会が持たれた。私は後者のほうに列席したが、故人と結びつきがあった百人ほどの人が交歓を深めることができ、心温まる集まりとなった。

こういう集まりには、これからもぜひ顔を出したいと思う。遺族の人たちも、葬儀に義理で参列してもらうより、よっぽど喜んでくれるのではないだろうか。

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