歴史上のマイナー王朝(2)
ちょっと名前を聞いただけでは、いつの時代、どこの国の王朝かわからないような存在もある。
「ターネーサル(いまのインド・ハリヤナ州内)のプシヤブーティ王家」???
これを見ただけでは、何のことかチンプンカンプンな方が多いと思うが、
「ハルシャヴァルダナ(590-647、位606-647)」と言えば、ピンとくる方も多いのではないだろうか? インド古代から中世にかけての分裂時代、一時的に北インドを統一した国王である。政治家であるとともに、サンスクリットの詩作など文化人としても一流の人物であり、また仏教を厚く信奉した。
そして、この国王が何よりも知られているのは、630年頃に唐から経典を求めて訪れた僧・玄奘(三蔵。602-664)を手厚くもてなしたことである。玄奘はナーランダ学院に5年間滞在して修行したのち、膨大な仏教経典を唐へ持ち帰り、『大唐西域記』を著述して後世に残した。これを機にハルシャヴァルダナは「戒日王(シーラーディティヤ)」として中国文献にも記されることになった。
プシヤブーティ王家は、6世紀前半のナラヴァルダナに始まるとされる。はじめはターネーサル周辺を治める小王家に過ぎなかったが、次第に勢力を拡大、四代目のプラバーカラヴァルダナ(位585頃-605)のとき、周辺の国々を制圧して領土を大きく東西に広げた。続く五代目のラージヤヴァルダナ2世(位605-606)は、さらに東進してベンガルのシャシャーンカ王と対峙したが、暗殺された。
弟のハルシャヴァルダナが六代目の国王として後を継ぎ、隣国マウカリ朝の継承権をも獲得して、都をカニヤークブジャ(カナウジ)に移転、ベンガルを攻め併合して、北インド一帯を統一した。王一代の間、国は安泰で殷盛を誇った。歴代国王の名前に「ヴァルダナ」が付くので、一般的にヴァルダナ朝とも称されている。
ハルシャヴァルダナが647年に没したとき、後継者がいなかったため、王国はたちまち混乱状態に入り、領土は分裂状態となった。家臣のアルナシュヴァが一時王位に即いたことが知られているが、プシヤブーティ家の後裔がどうなったのか、杳として伝わっていない。歴史の闇に埋もれてしまったようだ。
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