30年の思い(2)
(前回より続く)
まとまった文章を書くという作業は、簡単に見えて簡単ではない。普段から書き慣れていない人が、にわかに長文のレポートを仕上げようとしても、しっかりとした構成のレポートに完成させるのには、相当な苦労を必要とする。
私自身、仕事を離れた教会活動や市民活動に参加しながら文章作成能力を磨いたとは言え、常に異なった複数の立場で文章を書く機会を与えられていた職場の環境にも恵まれていたことは確かだ。15年余勤めた前勤務先の法人では、さまざまな制約により不本意な不完全燃焼を余儀なくされていたが、良かった点については正当に評価しておきたい。
さて、私は39歳から43歳まで、知人たちが運営していたNPO法人に「宿借り」する立場で、ケアマネジャーとして開業する形を採った。実際には最初の十か月ほどは準備期間であり、その間に前の勤務先を退職し、助走を経て事業所を開設した。自分が20代のときにはまだ何の縁もなかったインターネットが、この頃には誰もが使えるようになっており、開業に当たって介護保険に関するさまざまな情報を入手できたのは、いまさらながら大きな技術革新の賜物と言うべきか。
この間、NPO法人の仲間からバックアップしてもらえた一方、同法人の事務所留守番にも部分的に入り、他の事業にもお手伝い要員としてときどき出向いている。単に高齢者を対象とする仕事から自分の視点を外へ広げるのには、たいへん役に立った四年間であった。
開業したのは良いが、同業者として相談できる仲間がいないことは悩みの種であった。全国にも同じような仲間がいることには違いないのだが、30代の終わりになってようやく浜松市内のケアマネジャーの指導的立場になった私なので、同年代の業界著名人に比べると、非常に世間が狭い。そこでネット情報や知人の縁をたどって仲間を募った結果、全国で20人ほどの独立型ケアマネと連絡が取れたので、浜松でシンポジウムと「独立・中立型介護支援専門員全国協議会」の設立大会を開催した。
この弱小団体でしばらく代表を務めたことにより、結構全国各地を回るなど「散財」もしてしまったが、結果的にそれも「投資」となって、さまざまな立場の業界人とつながることができた。また、団体を代表する形で三回ほど厚生労働省へも赴き、小さな声ながら政策提言も提出している。私が代表を退いた後、団体自体はフェイドアウトしてしまったが、私自身としては次の転換のために良い経験だったと評価している。
43歳のとき、有限会社を設立して、居宅介護支援事業をそちらに移し、事務所も自分でマンションの一角を借りた。家主さんの二男さんが社会福祉士(いまは市の職員)で、私から見ると業界の後輩に当たるため、家主さんも何かと好意的な対応をしてくださり、たいへんありがたく思っている。
遅ればせながら、44歳から静岡県の介護支援専門員指導者の一人に加わり、全県レベルで後進の育成に当たることになった。何年か研修での指導(演習指導者、講師等)を続けているうちに、強く感じたのは、多くのケアマネジャーや介護職員が、保健・医療・福祉の狭い業界で生きてきたため、一般的な社会人としてのマナーに欠けていることである。業界の常識が世間の非常識になってしまっているのだ。
もちろん、この点では私自身も偉そうに言えたものではない。とあるマナー本を購入してチェックしたところ、できていたことが約4割、知っていたができていなかったことが約3割、そもそも知らなかったことが約3割であった。独立型ケアマネジャーとして、「客商売」に心がけていたはずの私でも、そんな体たらくだった。
(次回へ続く)
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