正直に言うと、学生時代に女性とのデート経験皆無(-_-;)だった私であるが、なぜか、「男性」とは一度だけデートした?ことがある(@_@;)。日本社会事業学校研究科在学当時のことで、研究科が原宿にあった時代である。
と言っても、デートの場所は原宿ではない。なんと山中湖だった。
当時の研究科は就学一年間で、先輩が修了したあと自分たちが入学し、自分たちが修了したあと後輩が入学するという、縦のつながりがないクラスであったから、同期生だけが何かの機会に屯(たむろ)することは結構多かった。同期生は30人ぐらいいただろうか。私は大学入学のとき一浪しているので、年齢的には上から数えたほうが早かったが、研究科には四年制大学を卒業した人であれば(入試に合格しなければならなかったが)誰でも入学できたから、自分より何歳も上の社会人が5人ほど一緒に学んでいた。
「デート相手?」になった「彼」もその一人である。私より7歳上であり、国会議員であったご父君の秘書をしていた。すでに社会人として仕事をしながら、研究科に通っていたわけだから、バイトらしいバイトもせずに学生気分を満喫していた当時の私にとっては、ある意味、尊敬すべき人であった。
「デート」のときは、「彼」と二人だけで山中湖へ行ったわけではない。同期生が十数人連れ立って山梨県まで「老人福祉論」の合宿に出向いたのだ。そのとき「彼」のほうが、「アワちゃん、ボートで山中湖へ出てみないか?」と誘ってきたのである。自分はオールを握ったこともないし、しかもタイミングから言えば、つい一か月ほど前に、飲酒した学生二人が山中湖でボート操作をしくじって溺死しているので、最悪だったのだが。
「ボート漕げないので」と遠慮したものの、「彼」から「ぼくが教えてやるから、やってみよう」と強く勧められて、付き合うことになった。二人でいざ山中湖へ! ボートに乗って漕ぎ出すと、「彼」のオールさばきはさすがに慣れたものだった。湖中へしばらく行ったところで、物は試し! と替わらせてもらう。「彼」にてほどきを受けながら、かろうじてオールを操作していたが、なにぶん初心者なので、しばらく漕ぐと腕も神経も疲れてきた。それを見た「彼」が頃合いと判断したのか、また漕ぎ役を替わってくれて、湖岸に戻って「デート」は終了となった。
念のため、「彼」と私とは決して特別な関係ではなかったことを、お断りしておく(^^;)
さて、楽しかった研究科の一年が終わり、同じ釜の飯を食った仲間たちは、それぞれの働く現場を求めて、全国に散開していった。「彼」も私もである。
その後、「彼」に会ったのは一度しかない。たまたま国立国会図書館まで調べものに行った私が、永田町で地下鉄を待っていた「彼」と出くわしたのだ。それが最後で、以来20年以上会っていない。
「彼」は地元の地方政界で地盤を固め、平成になってからは出身地の市会議員を長く務めた。旧・社会党の出身で、私とは政治思想は噛み合わなかったから、私も「彼」の動向には特段関心を払っていたわけではなく、たまに流れてくるニュースで名前を聞く程度であった。とは言え、「彼」は多忙な中でわざわざ一年を割いて「社会福祉」全般を学ぶなど、政策云々より目の前にある社会問題の根幹を踏まえて前進していたから、決して「政治屋」ではなく、真の「政治家」であったことは確かだ。
そして、「彼」は、前の市長の「ハコモノ行政」への批判を展開し、2012年に市長選に打って出た結果、多数の市民の支持を得て当選した。
市長として「彼」の政策は、これまで長年培った基盤に根差したものであった。作っただけで維持管理がかかるハコモノの計画を見直し、これまでの利権にしっかりとメスを入れた。無駄な経費を削って、福祉、医療、教育など生活に密着した部分に必要な市税を投入した。企業誘致や、健康予防施策からもたらされた市民生活の安定が、公助による経費の節約を促進し、三年間で市の借金を10億単位で減らすことに成功した。さらに市役所の日曜開庁まで実現させた。多くの地方自治体では簡単に踏み込めない課題をいくつも解決するという、輝かしい成果を上げた。
ただ、政治というものに付きものであるが、これだけの大改革をするには、反対する側の経済基盤(利権)を突き崩す必要がある。そのためには、自分の支持基盤を固めなければならない。「彼」は自分の支持層側に配慮し、妥協しなければならず、そこに新たな利権が生まれるのを(将来はともかく、当面は)容認せざるを得なかったと思う。いまになって「拙策」「愚策」と称されている部分には、そのような事情も介在したものと推測される。真の民意が総意となってすべてを動かしていくまでには、何ごとにも段階があるのだ。
「彼」の不運は、その段階の途上、せっかく自分流の市政が軌道に乗ってきた途上で、予測できない豪雨に見舞われ、河川が決壊し、広大な地域が大災害を被ってしまったことである。「彼」にとって、泣くに泣けない事態であろう。
ただ、何よりも問題なのは、このような状況の中で、意図的に市民の偏見や分裂を煽るような風評をネットで展開している輩がいることである。「市長は反日サヨクだ」「○○の利権が諸悪の根源」「行政の不手際が水害後の人災」「外国人が空き家を狙っている」などなど。根拠があると称しながら、実際は無責任な誹謗中傷の発信源になっている連中、そしてそれに快哉を叫んで拡散している連中、おそらくそのほとんどは、当事者である市民とは無関係の人間であろう(炎上目的のブロガー等もいるだろう)。そしてそれらの風評に煽られ、同じく被災者である市民同士でありながら、互いに疑心暗鬼になって、相手を不信の目で見てしまう事態も生じている。憂慮すべきことだ。
いま「彼」と市の職員は一丸となって、この非常事態から市政を建て直し、復興させるため、可能な限りの努力をしている。確かに、一部の市民は、いまや「彼」の施策に低い評価しか与えていないかも知れない。しかし、いま市民の間で不毛な派閥争いをしているような場合ではないことは、当事者である市民の多くが誰よりもよくわかっているであろう。
災害前には「彼」の問題点をいろいろ指摘して注文を付けていた市民オンブズマンさえも、行政施策に有益な提案をしつつ、協力する姿勢を強めている。風評による市民の分裂を憂慮したNPO団体などの努力で、外国人への偏見なども解消しつつある。思想や属性の違う人たちに対する不満や批判はあっても、復興のために何が大切なのか、多くの市民は理解してくれると信じたい。
前述の「輝かしい成果」も、「拙策」「愚策」も、来年8月の市長選挙で問われる。その審判を下すのは、主役である市民たちだ。無責任な風評を流す輩ではない。その選挙までの間、ひたすら復興に向けて取り組まなければならない「彼」と市民たちに対して、私たちはできる限りのことをしてあげようではないか。
茨城県・常総市長、高杉徹さんと、市民の皆さんを応援してください!
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