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2015年11月

2015年11月30日 (月)

誘拐、外転、仮説形成

モーツァルトのオペラに「後宮からの誘拐=Die Entführung aus dem Serail」なる作品があることは、音楽関係者でなくてもご存知のことであろう。

ところで、このオペラのタイトルを英訳すると、"The Abduction from the Seraglio"になる。

「アブダクション」とは論理学で、「仮説形成」の意味に使われる。「ディダクション=deduction(演繹)」「インダクション=induction(帰納)」とともに、論証のための三段論法として活用されている。ケアマネジメントに関する論理的思考について、学術研究でもよく使われる用語であるが、その同じ単語に「誘拐」の意味が存在するとなると、いささか物騒だ。しかし現実には、北朝鮮による拉致被害なども「abduction」の用語で表記されている。

そこで、英和辞書で「abduction」を引いてみたところ、「仮説形成」「誘拐」以外に、「外転」の意味もあることがわかった。

では、それぞれの語源はどうなっているのだろう?

「誘拐」「外転」を意味する「abduction」は、「abduct(動詞)」に対応している。これはラテン語の「abducere」が語源であり、「外側へ転じさせる」、それが派生して「略取する」意味になる。

ところが、「仮説形成」を意味する「abduction」は、近代ラテン語「abductio」に基づくものであり、それはさらにギリシア語「アパゴーゲー」の訳だという。

面倒なことになったが、とにかく「アパゴーゲー」を辞書で引いてみた。すると、「外へ引っ張ること」の意味とは別に、「本来の場所に連れて行くこと、もとの所有者に戻す=支払うこと」などの意味があるのだ。

「魚は水中でしか生息できない」そして「A地域の断層には魚の化石がある」→だから「A地域は昔は海(または湖、川)だった」といった「アブダクション」を見ると、確かに「本来のところ」に落ち着くには違いない。前提次第で誤謬が生じる可能性もあるが、大枠で言えばギリシア語の語源の通りになる。C.S.パース(1839-1914)が命名した理由が何となくわかったような気がする。

それでは、「ディダクション」と「インダクション」はどうだろうか?

「deduction」→「演繹、推論」とともに、「差し引き」の意味もある。こちらは中世ラテン語から中世英語を経由して、二つの意味に分化したようだ。動詞では前者が「deduce」、後者が「deduct」と分別されている。

「induction」→「帰納、誘発」とともに、「導入、就任」の意味もある。これも同様、中世ラテン語→中世英語経由である。動詞では前者が「induce」、後者が「induct」である。

それでは、「abduction」には「abduce」という動詞があるのか? 調べてみたところ、近世には「abduce」があったのだが、後に「abduct」に同化してしまったらしい。これは「外転」のほうの意味を超えるものではない。

まとめると、「仮説形成」の「abduction」だけが近代になってから作られた単語であり、系統を異にしていると言えるのではないか。結果的に「誘拐」「外転」と同じ名詞で表記されはしたが、論理学の用語として定着したということだろう。

類似している三つの英語も、語源を考えると面白い相違が見られるものだ。

2015年11月17日 (火)

介護離職についての考察(1)

安倍内閣が新・三本の矢(強い経済、子育て支援、安心の社会保障)なる方針を打ち出し、それぞれの目標として、「GDP600兆円」「出生率1.8」「介護離職ゼロ」を目標にしている。その具体策として、介護福祉施設の新設を提示している。

先日、中日新聞から電話取材があったため、「ハコモノだけ増やしても無意味」「離職率低下策を根本から推進する必要」などと述べておいた。発言要旨の骨子だけであるが、翌日の朝刊に掲載された。

取材のときには少々アルコールが入っていたこともあり、適当な受け答えになってしまったかも知れない。しかし、介護離職問題は、あまりにも主題が大き過ぎて、一筋縄でいかない代物である。以前のエントリーで述べた「部分的介護就労」とも関連する話だ。

新刊『これでいいのか?日本の介護』では、紙数の関係もあり、介護離職に関する主題を割愛してしまったため、このブログの中で、これから何回かに分けて語ってみたい。

まず、私自身が「介護離職」とまではいかなくても、親の見守りのために仕事の縮小を余儀なくされている人間であることを明言しておこう。詳しくは「30年の思い(3)」をお読みいただきたい。一言で表現すれば、家族環境に由来する制約によって、仕事に十分な力を割くことができない状態が、私にとって「他人事ではない」ということだ。

さて、その状態は、実は高齢者の介護や見守りをする場合だけではない。育児中の親、おもに女性が、まさに「育児離職」の状態になっている。これもまた家族環境に由来する制約に違いないのだが、なぜか「育児離職」なる言葉は社会問題用語としてなじみのない言葉である。私は子育て経験がないので、この育児離職、ないし育児に伴う仕事の縮小を経験したことがないのだが、内閣の二本目の矢に直結する大きな課題である。

育児離職をどう捉えるのか? 介護離職を考える前に、この辺りから説き起こしていく必要がありそうだ。

ここから、他の記事を間に挟みつつ、続く考察(2)以降で、介護離職と育児離職とを比較してみたい。

2015年11月 8日 (日)

多様性の街

浜松に長く住んでいて(0~9歳は磐田、19~24歳は東京)、この街(中山間地などを除く、旧浜松市街と郊外との範囲内を意識しているので、あえてこの字を使う)の性格について、あまりまとまって考える機会がなかったが、来客に街中をちょっと案内したのを機会に、自分たちの住む浜松について振り返ってみた。

浜松と言えばとかく、「やらまいか精神」に象徴される進取の気性と、長いものには巻かれろ式の保守性との、二面性で語られてきた面が強い。いまでもそれは根強く残っているが、ここ30年ほどは、かなり様変わりしていることも確かだ。時代の移ろいとともに、新たな浜松が形成されている。

これを一言で表現すれば、「多様性の街」ということになろう。

数多く存在する市民活動についても、その成員の社会的階層はさまざまである。医師や弁護士、企業経営者のような地位のある人たちから、アパート住まいで日常生活に追われている平凡な庶民まで、幅広い層の人たちが携わっている。

国籍も多様だ。日本人のみならず、コリアン(韓国・北朝鮮)、ブラジル人、ペルー人、中国人、フィリピン人など、多種多様な人たちがまちづくりに参加している。定住ビザや永住ビザなどを持つ外国人を中心にまとまりを保っているコミュニティは、浜松の市民活動の一翼を担って主体的に参画している。ブラジル・ペルー・中国の人たちが、深夜にボランティア活動をして日本人のホームレスにお弁当や毛布を配ったり、困りごとを聞いていた時期もある。

私が長く携わってきた浜松外国人医療援助会(MAF Hamamatsu)でも、上記のようなバラエティに富んだ人たちが協働しながら、活動を展開している。政治的にも多様であり、次世代の党の支持者から、社民党や共産党の支持者まで、考え方の差異が大きい人たちが、地域にとって必要な活動だとの認識で、協力して作業をしている。

つまり、多くの浜松住民は国籍やイデオロギーに関係なく、大切なことについては手を差し伸べ、力を合わせるのである。

もちろん浜松にも排他的な、あるいは排外的な考え方の人はいるし、場面によってはそのような人たちの主張が通ることもあるが、少数派として浮き上がったものになりがちで、主流とはなり得ない。ヘイトスピーチやゼノフォビアの大合唱が起こることも、イデオロギーの対立から暴力的な抗争が起こることも、(ゼロとは言えないが)まずあり得ない。

そしてまた、そのような排他的、排外的な主張に対しても、それが特定の個人や集団に不当な不利益や差別をもたらすものでない限り、多くの浜松住民は一つの考え方として許容し、共存することを模索する(常にうまくいくとは限らないが)。非難・攻撃して黙らせるようなことはしないのだ。これもまた浜松の特性かも知れない。

総体的に見れば、浜松では自分たちだけの主張をしていると、生きにくいことは間違いない。現実には多種多様な人たちが共生しているのだから、否応なくパートナーシップを築かなければならない場面にしばしば遭遇する。立場こそ違え、同じく浜松の産業・経済・文化に寄与している市民として、協働しなければ生きていけない。これまで排他的な考え方を持っていた人が、協働を機に変容することもある。

私自身について言えば、自分は改憲論・防衛力強化論者であるが、九条護憲論者の人と気安くお付き合いして、もののやりとりをしている。市民活動でも一緒に働いている。浜松に在住する南米の人たちと酒席を共にしたことも何度かある。中国人やインド人が経営するレストランで、ときどき好んで食事をしている。教会でヴェトナムや韓国出身の知人と会えば立ち話をする。立場の隔たりがある人たちに仕事を頼み、逆に頼まれることもある。そのようなことは日常生活の中の、フツーの一コマである。

浜松のまちづくりに関しては、面積が広くなり過ぎて小回りが利く行政経営ができていないとの声がしばしば聞かれる。確かに都市計画については後進的な面があり、広域対応が後手に回るなど、課題も山積しているかも知れない。しかし、少なくとも「多様性の街」という面に関しては、グローバリゼーションの中で、一つの望ましいモデルになりつつあるように思う。

自分の愛する街をより良くするために、微力ながら自分にできることを続けていきたい。

2015年11月 3日 (火)

【お知らせ】小著の販売状況について

今回はお知らせのみの記事ですので、文体は敬体となります。

小著『これでいいのか?日本の介護』の販売について、本日=11月3日現在の状況をご説明いたします。

一般書店では、原則として日本中どこのお店でも注文、取り寄せが可能です。日数を要しますが、送料はかかりません。

霞が関をはじめ、全国47都道府県庁所在地の近傍にある官報販売所には配本されていますので、お手に取ってみてから購入できる可能性が高いです。それ以外で、書店の店内に現物が置かれてあるのは、東京・浜松・静岡などの一部の大書店に限られます。

ネット書店では、下記に示したところ(例)などで扱ってくださっています。店によっては日数がかかります。また、受け取り場所によっては送料がかかる場合もありますので、購入される方の責任でご確認くださいますよう、お願いいたします。

楽天

オムニ7(=セブンネット)

Tsutaya

エルパカ(=HMV)

ネオウィングYahoo!店

(他のネット書店でも、定価表示されているところでは新品を購入できます。なお、Amazonでは定価販売品を扱ってくれない時期がありましたので、ご注意ください)

どちらで購入されるにしても、書籍の穏当な流通のために、定価1,404円(本体1,300円)で販売しているところをお選びくださいますよう、お願いいたします。

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