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2015年12月19日 (土)

歴史上のマイナー王朝(4)

「ジョージア」と言うと、多くの人は米国南東部の州を想像すると思うが、これは全く別の土地の話である。

このシリーズも4回目となるので、これまでは中国や中国絡みの王朝だったが、こんどは少し西のほうへ目を転じてみた。

サカルトヴェロのバグラト王朝(1008-1801)。

いま、英語で「ジョージア」と称している。「グルジア」と言ったほうがわかりやすいかも知れない。あのソ連の独裁者、ヨシフ‐スターリンの出身地でもある。中世には独立国であったが、歴史の波に翻弄されてきた。

サカルトヴェロはカフカーズの北西部にあって、1008年にはバグラト3世(位1008-14)が統一国家を形成する。最盛期はタマラ女王(位1184-1213)のときであり、カフカーズ全域を制覇した。その後は勢力が衰退、モンゴル、ティームール朝、カラ‐コユン‐ル朝(トルコマン)などの属国になり、内紛を繰り返し、1490年に至ってカルトリ、カヘティ、イメレティの三国に分裂した。これらの分立国家はトルコ、イラン、ロシアといった大国の狭間に置かれ、これらの強国の属国にされることもしばしばであった。

1762年に、カヘティ王イラクリ2世がカルトリを併合して、「カルトリ‐カヘティ王国」が成立したが、1783年にはロシアの保護国となる。1798年にイラクリ2世か死去すると、後継のギオルギ13世は統治能力に欠けていたため、1801年、ロシア皇帝パーヴェル1世がバグラト王朝廃止を決定し、その年に次の皇帝となったアレクサンドル1世が、カルトリ‐カヘティをロシアに併合した。

その後、この土地はロシア領→ソ連領グルジアとなり、ソ連崩壊に伴って独立する。近年、ロシアと紛争状態になり、アブハジアと南オセチアには同国の主権が及ばない状況となっている。

ロシア語読みの「グルジア」から、英語読みの「ジョージア」を国際的な呼称にした国であるが、実はバグラト王朝の守護聖人が「聖ゲオールギオス」であったのだから、ゲオールギオスの英語読みである「ジョージ」の地名形「ジョージア」を名乗ったのも、うなづける話だ。何しろ、この聖人にちなんだ「ギオルギ(=ジョージ)」という国王が、800年の間に13人も出ているのだから。

もっとも、多くの日本人が「ジョージア」をカフカーズの国だと認識するようになるのは、まだ結構先のことになるだろうとは思う。

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