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2015年12月

2015年12月31日 (木)

人と会い、人と語り・・・(2)

前回の(1)の続きで、秋から冬にかけてお会いした方々をご紹介したい。

行動に制約があるとは言え、浜松に来訪される方を待っているばかりでは、効果的なアクションが何もできないことは、百も承知だ。母の体調などを慎重に測りながら、私のほうが遠出することも、ときどきは必要である。

9月30日、もともと買い物がおもな目的で上京する予定だったが、事情によりスケジュールの一部が変更になった。しかし、東京へ出て行く機会も乏しいので、空いている時間には新たな予定を入れることにした。

まずは浜松町にて、(株)介護コネクションの代表・奥平幹也さんとご一緒に昼食。

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奥平さんは沖縄のご出身で、大学卒業後は不動産コンサルティングに長く携わってこられた。介護系ファンドとのお仕事の中で、介護事業所の人手不足の問題を見聞され、またご自身が学生時代に働きながら学んだご経験から、経済的に厳しい学生を支援したいとの思いを持たれた。これらの地域課題を資源同士のマッチングにより、解決に導くシステムができないものか考えた末に、4年近く前にご自身で会社を設立。ライフワークとして、介護や介護業界を支える有償・無償の外部サービスや社会資源を紹介したり、つなげたりする「介護本舗」と名付けた企画を推進されている。

特に注目されるのは、事業化を目指して取組んでおられる「介護インターンシップ型自立支援プログラム・ミライ塾」であろう。学生が介護現場で授業時間に配慮されたシフトに沿って仕事をしながら、在学中に返済できる奨学金の貸付システムである。奨学金を返済してしまえば社会に出てどの業種に就職しても良いのだが、多くの若者がそこで介護現場を経験することにより、一知半解の素人ではなくなるから、将来の社会的なリスクを減らすことが可能になる。

介護業界の人手不足解消への対策を、「介護」の枠組みから超越した形で進めようとする取り組みは、私が提唱する「部分的介護就労」の考え方にも合致する。「コロンブスの卵」ではないが、私を含めた多くの関係者が「とにかく業界に人が欲しい」という固定観念に捉われてしまっていたのに対して、奥平さんの思考はスケールが違う。おそらく、社会を変えるのはこのような方だと思う。

そのあと、世田谷区の有料老人ホーム「アライブ世田谷下馬」へ移動して、「音楽の花束」の主宰者である後藤京子さんたちのミニコンサートを聴いた。後藤さんは一応私の「ラー友(?)」のお一人だが、奥平さんなど在京の活動家とのご親交が深い。

このコンサートはピアノと語りが後藤さん、オカリナが江波太郎さん、オーボエが今井知美さんと、一流どころのプロ三人による音楽会である。入居者の方はもちろん、地元の方も(中にはお子さんを連れて)十数人が鑑賞に来られていた。一時間たっぷり、楽器の解説も交えながらのステキな演奏を楽しませていただき、後藤さんのリードで入居者や地元の方々と一緒に歌う場面もあった。浜松ではこんな機会は稀少なだけに、心を洗われるような珠玉の時間であった。

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終了後、私と同じく鑑賞していた井上貴裕先生(がん医療に長く携わってこられ、東京で在宅診療に取り組んでおられる医師)と一緒に、お三方にお願いして記念写真を撮らせていただいた。向かって左から今井さん、江波さん、井上先生、粟倉、後藤さんである。撮影してくださったのは、施設の運営会社役員をされている三重野さん。

後藤さんの音楽プロデューサーとしての活動は、子どもたちの授業のサポートから、高齢者施設への訪問、さらに本格的なコンサートまで、たいへん幅広い。特に介護分野では、音楽の力を駆使して、認知症の人たちの集中力を引き出し、周辺症状や心身の機能を改善してもらうことを試みておられ、成果が上がっている。多くの人たちに音楽の素晴らしさを伝えるため、精力的に取り組んでいらっしゃる後藤さん。私も(実は昔、音楽に携わる仕事を目指したかった時期もあったので・・・)心から声援を送りたい。

10・11月と、しばらくは(1)で書いた通り、浜松市・静岡県内での対客が続いたが、年末に入り、思い切って岡山まで出かけてみた。目的は観光33%、人との交流33%、学び33%。残りの1%はナイショである。

12月17日、午後の早い時刻に岡山到着。明るい時間帯に、備前市の伊部まで出かけて、陶芸美術館で備前焼のエッセンスを概観。近くの史跡にも行こうと思ったが、風が強くなり冷えてきたので断念し、伊部駅舎二階の伝統産業会館で、湯呑を一つ買って帰った。

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夜はアローチャート(以下、AC)の自主勉強会である「チーム☆岡山」に参加。いつもFBで仲間と友愛のキャッチボールをしてくださる代表の田中雪路さんにお会いするのが、一番の楽しみであった。

この日の参加者は10人であったが、ACの創始者である山口県の吉島豊録先生が来場され、私にとっては旧知の渡邊孝志さんが提出された事例に基づいて、描かれたACを再検討することとなった。遠く大分県から梅野純子さん、熊本県から真鍋幸子さんも参加されている。

吉島先生はSAPAC(Sharing Assessment Process by AC)のセオリーに沿って指導してくださった。以下はあくまでも私の理解であるが、当日のお話の中には、参加者が利用者・家族の生活史を共有するために、補助的なツールとして年表を書くことや、利用者や家族の揺らぐ思いをありのままに描き出して関係を割り出すことや、認知症や精神疾患に着目するよりも主観を軸にACをまとめること、そしてこれらの作業によって、利用者や家族の真実に近づける(→望ましい支援ができる)ことなどが、盛り込まれていたと思う。

学びのあとは、チーム☆岡山のメンバー戸松俊介さんのご案内の店で食事会。

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画像の向かって右手前が吉島先生、以下奥へ、真鍋さん、嘉崎直子さん、永久泰三さん、梅野さん、その左が渡邊さん、以下手前へ、粟倉、高畑瞳さん、田中さん、真ん中下が戸松さんである。特に渡邊さんが古代の国史に関する該博な見識をお持ちでいらっしゃることや、梅野さんが他人の長所を巧みに褒めておられたことには、大いに啓発された。

チーム☆岡山の平均年齢は矢万図浜松より少し若いぐらいだが、全員がFBでの交流に参加しているところは大きな違いだ。浜松が「陸の孤島」にならないように、矢万図の連中に警告しなければならないだろう。地域を超えて学びと交流とを深められるのは、ACグループの得難い魅力なのだから。

翌18日は倉敷まで足を延ばし、午前中は美観地区をぶらりと周遊した。昔、修学旅行で来て以来だと記憶している。母へのお土産には「きび団子」を買った程度だが。

お昼には今回のおもな目的地の一つである、倉敷駅近くの「NPO法人・介護ん」の事務所へお邪魔して、理事長の井上きよみさんにお会いしている。同団体の会員・森山さん(下の画像を撮影してくださった)を交え、三人でお話しする機会を持った。

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中小企業診断士でいらっしゃる井上さんは、ご自身で会社を立ち上げて活躍されてきたが、いざお身内の方の介護が必要になった際に、地域資源の質量の問題のために、しばしば当惑やご不便、ご負担を感じられたとのこと。そのようなご経験から、利用者・介護者に役立つ情報収集に寄与したいと、「介護ん」を設立して活動されている。また(株)ハートバードの代表取締役もされており、介護・福祉施設等の外部評価にも参画されている。

浜松でも、問題を抱える介護施設・事業所の話はしばしば見聞きするが、岡山県でも同様であり、特に地域によってはバラツキが大きいとのこと。井上さんたちも活動されていく中で、このような状況への対応に苦慮されている現実。ケアマネジャーの質に関しては、かなり厳しい苦言もいただいた。

行政側の不作為も目立ち、さらに市民活動団体さえも民主的な運営とは言い難いところもあるようで、当事者主権の実現には程遠い状況が窺われた。政策側が社会保障を後退させていることも拍車を掛けており、事業者側が必要な投資をして真に望まれる介護サービスを提供できるのか、危ぶまれる環境になりつつあることは肯定せざるを得ない。

ただし、制約が多いからと言って壁にぶち当たっているだけでは、望ましい介護を追求する人たち(利用する側も、提供する側も)にとって、形勢は不利になるばかりである。井上さんたちのように地域でがんばっておられる方々同士の間で、より広がりを持った効果的なネットワークをどう築いていくかが今後の課題であろう。先に登場された奥平さんたちのような活動とのマッチングも、一つの契機になるかも知れない。

もちろん、私自身も微力ながら、自分の力でできることはお手伝いをさせていただきたいと考えている。

今年はここに登場してくださった方々を含め、本当に多くの方々にお世話になりました。来たる2016年こそ、多くの人たちが力を合わせて日本の介護を変えていくことを願っています。

2015年12月25日 (金)

「借り済ます」物語

むかしむかし、あるところに村があり、おじいさんとおばあさんが住んでいました。おじいさんは、おばあさんが編んで作った魔法の蓑笠を売り歩いて、生計を立てていました。

年の瀬も押し詰まって、あと八日ほどになったころ、おじいさんは年越しの前に荒稼ぎしておこうかいと思い立ちました。

「おばあさん、ちょっと町まで行ってくるよ。これから雪が結構降ってきそうだから、通行人の足元見て、笠を高値で売りつけるのには絶好のチャンスだからね(^◇^)」

「おじいさん、どうぞどうぞ行ってらっしゃい。でも雪男や雪女に笠を押し売りしないでくださいよ。殺されても保険が下りない決まりですからね」

「ほ~い、了解っ(^^)」

おじいさんは、魔法の笠を五つばかり携えて出かけました。街道まで歩いて行くと、師走の時期にふさわしく、町や村の人たちが目をシハスらせて行き交っています。みんな新しい年を迎える支度に忙しそうです。

そのまま進んでいくと、少し先のほうに、六人ばかりのスキンヘッドの集団が、サングラスを掛け、赤い革ジャンを着て、横一列に並んでいました。おじいさんはそれを見て凍り付いてしまいます。寒さで凍ったわけではありませんので念のため。

おじいさんは、その人たちが口々に呼びかけているのを聞きました。「貧しいガキどものために有り金置いてけ!(`д'メ)」。募金箱を持って、児童福祉のボランティア活動をしているのです。雪はさっきから降り続いているのですが、六人とも笠もかぶらずに、立ちっ放しで募金をしています。道を行き来する人たちは、あまりに恐ろしいので近寄らずに、わざわざ早足になって、避けて通って行きます。

立ち去りたくても凍り付いて動けないおじいさん。「しょうがない。何かしてやるしかないんだろうか・・・。そうだ! あの連中に笠をやることにしよう! 確かカタギを偽装して認定NPO取ってたんじゃなかったかな? だったら、寄付行為で控除してもらえるぞ! 税務署には笠の値段を一つ10万円ぐらいに吊り上げて申告しておけば、大助かりだわい・・・(^皿^)」

おじいさんはようやく身体を動かすと、ボランティアの六人のほうへ近寄って言いました。

「みなさん、慈善事業お疲れさまです。雪も降っていることだし、この笠を差し上げますから、ぜひ使ってください」。そして、一人ひとりのスキンヘッドに笠をかぶせてあげたのですが、かぶせ終わって笠が五つしかないことに気が付きました。おじいさんは再び凍り付きます。

「すみません! 五人分しかない! 誤認してました! でへ...f(^_^;)」とダジャレでごまかそうとしたのですが、悪いことに、最後の一人は六人組の親分でした(▼_▼メ)。親分の名前は「三太」と言います。三太親分はおじいさんの着物の襟をつかんで、

「ジジイ! わりゃぁ、ワシらをナメとんのか!」

「いえいえ、とんでもない! 親分さんの頭をナメてもショッパイだけですから・・・あっ、またスベっちゃったです! すみません、すみませんm(_ _)m m(_ _)m m(_ _)m なにとぞ命だけはお助けくだせえ! あっ! そうだ! 私がかぶっている笠で良ければ、どうぞお使いください!」と、自分の笠を頭から外して、三太親分の頭にかぶせてあげました。

魔法の笠の効き目はてきめんで、親分はとたんに機嫌を直し、つかんでいた襟を離してくれました。生きた心地がしなかったおじいさんも、ようやく救われた思いで、一目散に走って家まで帰りました。しかし、笠が無かったので頭から雪が降り積もってしまい、帰る途中でこんどはホントに凍り付きました。

帰りを待っていた、いや別に待っていなかったおばあさんの耳に、屋外で何かが倒れる物音が。「土手の方角から『ドテッ』という音がしたけど、何かあったのかねぇ(・・?」と外へ出ると、倒れ込んだおじいさんの変わり果てた姿が・・・

「しめた! これで私のほうが遺産もらえるわ!」と喜ぶおばあさんの声を聞いた途端に、凍り付いていたはずのおじいさんが突然スックと立ち上がって、「そうはさせないぞ!!! この因業ババアめ!」と激怒。

「まあまあ・・・おじいさん、冗談ですよ^^;」とおばあさん。とにかくおじいさんを介抱して家の中に入れて、暖炉で温めてあげました。これで一応仲直りということで。

さて、その晩のことです。

村人たちが寝静まったころ、おじいさんとおばあさんの家に、サッサッサッと何人かの足音が近づいてきたのです。

朝起きて、二人が外へ出てみると、六つの大きな紙袋の中に、袋ラーメンがいっぱい詰め込まれていました。紙袋の上に走り書きが・・・。

「ジジイ、きょうはよくもワシらに笠で魔法をかけてくれたな。さっそくお礼参りに来たぜ。魔法にかかって気分がマホーッとしてる間に、林〇木久〇に返品された袋ラーメンを、二食×一年分も押し付けられてしもうたやないか。これ、ジジイに全部片付けてもらわなあかん。オトシマエ付けろや!」

そして末尾に「黒須」と署名してありました。ぁ、書き忘れてましたが、三太親分の名字は「黒須」さんでした。

三太親分と五人の仲間たち、ホントはスキンヘッドが雪で冷たかったのを笠で守ってくれたおじいさんに感謝していたんですが、面と向かってお礼を言うのが照れくさかったんでしょうね。ま、とにかくラーメンで借りを済ませたんです。

おじいさんとおばあさんは、たいへんなラーメン好きだったので大喜び! 一年間、ラーメン三昧で過ごして、しっかりとスタミナを補給して、最後には同じ日に大往生しましたとさ。めでたし、めでたし*\(^o^)/*

うらやましがった村人たちは、これを「借り済ます、黒須三太」の説話として言い伝えました。そして、この話が西洋に伝わったときに、名字と名前の語順が逆になるなどして、「クリスマスのサンタクロース」になったということです。

これでおしまい!!!

(USO800認証済み)

2015年12月19日 (土)

歴史上のマイナー王朝(4)

「ジョージア」と言うと、多くの人は米国南東部の州を想像すると思うが、これは全く別の土地の話である。

このシリーズも4回目となるので、これまでは中国や中国絡みの王朝だったが、こんどは少し西のほうへ目を転じてみた。

サカルトヴェロのバグラト王朝(1008-1801)。

いま、英語で「ジョージア」と称している。「グルジア」と言ったほうがわかりやすいかも知れない。あのソ連の独裁者、ヨシフ‐スターリンの出身地でもある。中世には独立国であったが、歴史の波に翻弄されてきた。

サカルトヴェロはカフカーズの北西部にあって、1008年にはバグラト3世(位1008-14)が統一国家を形成する。最盛期はタマラ女王(位1184-1213)のときであり、カフカーズ全域を制覇した。その後は勢力が衰退、モンゴル、ティームール朝、カラ‐コユン‐ル朝(トルコマン)などの属国になり、内紛を繰り返し、1490年に至ってカルトリ、カヘティ、イメレティの三国に分裂した。これらの分立国家はトルコ、イラン、ロシアといった大国の狭間に置かれ、これらの強国の属国にされることもしばしばであった。

1762年に、カヘティ王イラクリ2世がカルトリを併合して、「カルトリ‐カヘティ王国」が成立したが、1783年にはロシアの保護国となる。1798年にイラクリ2世か死去すると、後継のギオルギ13世は統治能力に欠けていたため、1801年、ロシア皇帝パーヴェル1世がバグラト王朝廃止を決定し、その年に次の皇帝となったアレクサンドル1世が、カルトリ‐カヘティをロシアに併合した。

その後、この土地はロシア領→ソ連領グルジアとなり、ソ連崩壊に伴って独立する。近年、ロシアと紛争状態になり、アブハジアと南オセチアには同国の主権が及ばない状況となっている。

ロシア語読みの「グルジア」から、英語読みの「ジョージア」を国際的な呼称にした国であるが、実はバグラト王朝の守護聖人が「聖ゲオールギオス」であったのだから、ゲオールギオスの英語読みである「ジョージ」の地名形「ジョージア」を名乗ったのも、うなづける話だ。何しろ、この聖人にちなんだ「ギオルギ(=ジョージ)」という国王が、800年の間に13人も出ているのだから。

もっとも、多くの日本人が「ジョージア」をカフカーズの国だと認識するようになるのは、まだ結構先のことになるだろうとは思う。

2015年12月 9日 (水)

人と会い、人と語り・・・(1)

先日の著書発刊により、私の一連の発信が一段落した。もちろん、ここで止まるつもりは全くないし、今後も介護業界にとって、さらに社会にとって大切なことは、発信し続けていきたい。

とは言え、少し休息して自分を見つめ直す時間がほしいのも事実だ。年度末ぐらいまでは、主としてそのための充電期間に充てたいと思っている。

なかなか簡単に家を空けられない私だが、逆に浜松市や静岡県に来訪してくださる方には、できる限り会って時間を共有するつもりである。

9月5日に矢万図浜松(アローチャート浜松自主勉強会)の懇親会があり、以前も登場された神戸の小田原貴之さん(ケアマネジャー)が、観光を兼ねて来浜されている。矢万図は周辺に他地区の勉強会がないので、ある意味、陸の孤島と化しており、小田原さんのような文化的素養のある方との交流は、メンバーにも好い機会となった。

10月31日には静岡県介護支援専門員協会の全体研修が開催され、安曇野の中村雅彦さん(長野県介護支援専門員協会前会長)が講師として静岡市までお越しくださった。終了後、数名の有志をかき集めて、中村さんと飲みに行った。ケアマネジャーの現状と将来の展望に関する質の高い分かち合いができた。参加したケアマネジャーの中には、中村さんのHN(ここでは公開しません)を初めて知って、「えっ! この方が?」と驚いていた人もいた。

これらは団体絡みの集まりだが、個人的に浜松まで足を運んでくださった方もある。

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11月に入り、宮崎から毎年エアフェスタを観覧するために浜松へ来られる齋藤由美さん(独立型ケアマネジャー・看護師)が、開催前日の7日に到着されたので、昼食にラーメンと浜松餃子とをご一緒した。宮崎の地域事情もなかなか複雑で、私同様に一人親方でがんばっている齋藤さんは、専門職の名に値しない(?)人たちに振り回されて、かなり悪戦苦闘している現況を語ってくださった。都市部の便利さに浸かっている私には、新たな情報の獲得になる。私のほうは齋藤さんに、自分のボランティア活動絡みの多文化地域を案内して、これまでと違った側面の浜松を見聞していただいた。浜松の「負」の部分、通り抜けができずにさびれてしまった官製の横丁や、ビルが倒産したために片側が封鎖されている二回通路などの「珍風景」も、齋藤さんには目新しかったようである。

上の画像は、漫画ではセミプロ級の齋藤さんが描いてくださった私の似顔絵。実物よりはるかに若いイケメンになっていて、少し恥ずかしいのだが・・・

また、11月22日には、横須賀から森田千雅子さん(医療機関勤務の管理栄養士)がバイクで爆走して来浜!

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森田さんは在宅で栄養指導を実践しておられる訪問栄養士である。全国でもこの形を採る栄養士さんは数少ない。森田さんは一般的な栄養指導にとどまらず、(マジメな話だが)人間の「性」の領域へ大胆に踏み込んだ支援をされる。機械的な医療分野の栄養指導ではなく、高齢者の気力、心のときめき、おしゃれ感覚などを「食」「栄養」と結び付けて、適切な食事を摂ることへのモチベーションを高めていくのである。

東名浜松西ICで森田さんをお迎えして、北区のうなぎ店で昼食を摂った。介護スナックなどの新機軸の企画に次々と挑戦していく森田さんの姿勢には、学ぶところがたいへん大きく、意義のある時間であったと実感する。私からも語学的な知識を若干ご披露したが、とても公開できる内容ではないので、内緒にしておこう。

このあとは、年内の来客はない見込みである。年を越して、どのような方が浜松を訪れてくれるのか、楽しみでもある。

次の(2)では、自分のほうが出向いたケースをつづってみたい。

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