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2016年1月

2016年1月30日 (土)

シェイクスピアの「影」

今年はウィリアム‐シェイクスピア(William Shakespeare / 1564-1616)の没後400年になる。言うまでもなく、英国史上最大の文学者・劇作家であり、その業績は不朽である。

私も幼少時から、シェイクスピア文学には親しんできた。『ハムレット』『オセロ』『リア王』『ヴェニスの商人』などの物語は、演劇として観賞する機会こそなかったが、私を古典文学に親しませるきっかけとして十分な役割を果たしてくれた。

さて、シェイクスピアの偉大な業績は認めつつ、この人に対して、史学の面から批判を加えても良いであろう。すなわち、宮廷の保護を受けた「御用劇作家」として、英国の史実をゆがめた責任である。もちろん、シェイクスピアはあくまでも文学者・劇作家であり、史家ではない。しかし、シェイクスピアの作品が人気を博してからは、観賞した多くの人々が、劇中の登場人物を史実の反映と受け取るのは自然の勢いであり、間違った人物像が英国をはじめ世界の人々の間に定着してしまっている。

その最たるものが、『リチャード3世(1593)』『マクベス(1606)』である。

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まず、史実のイングランド王リチャード3世(1452-85、位1483-85)は、兄の息子エドワード5世を廃位・幽閉して王位に即いたが、短い治世だったにもかかわらず、紋章院の設置、国王や有力者による議会を通さない権力乱用の禁止、また、徳税(強制献金)の廃止など、見るべき業績があった。

しかし、リチャードを攻め滅ぼしたヘンリ7世(エドワード3世の五代の子孫であったが、曽祖父のときに王位継承権を放棄していた)は、自分の王位継承を正当化するため、「リチャードが血なまぐさい暴君だったので、神の意思により自分が取って代わった」との虚構を作り上げた。

その虚構はリチャードの仇敵であった人たちの派閥によって作り上げられ、シェイクスピアによって完成したと言うべきであろう。まさにヘンリ7世の孫・エリザベス1世の治世に、『リチャード3世』が上演されているのだから。

続いて、史実のスコットランド王マクベス(1005?-57、位1040-57)。当時のスコットランドで、王位継承権を持つ人たちによる抗争が繰り返されていたことは事実であるが、マクベスはその中にあって無能なダンカン1世を殺害し、政敵バンクォウも粛清して、力で王位を獲得した。信仰心に篤く(在位中にローマ巡礼をしたほどだ)、武勇すぐれた国王であったのである。

それどころか、むしろ注目されるべきなのは王妃グロッホ(=「マクベス夫人」)である。この人は初代国王ケニス1世の七代の子孫に当たり、系図から見る限りは嫡流の中の嫡流、(当時の考え方では)最も正当な王位継承者と見なして差し支えない。ところが二代前の国王マルコム2世によって、グロッホや(前の夫との間に生まれた)息子ルーラッハは、王位継承権を奪われてしまう。したがって、グロッホにとってダンカン1世殺害は、本来持っていたはずの権利を回復したものに過ぎない。

現実にはダンカンの息子マルコム3世が、マクベス、ついでルーラッハを攻め滅ぼし、グロッホの系統は断絶した。皮肉なことに、マクベス一代は強盛を誇っていたスコットランドの国勢は、マルコム3世の頃から揺らぎ始める。しかし王統のほうは代々マルコムの子孫が継承し、13~14世紀にはイングランドの介入によってズタズタにされながらも、女系を通してブルース王家、そしてステュアート王家へと続くのだ。

このステュアート王家こそ、マクベスに殺されたバンクォウの直系の子孫であり、その九代目のジェイムズ6世は継嗣のないエリザベス1世の後継者として、イングランド王も兼位した(ジェイムズ1世)。シェイクスピアが『マクベス』の劇中、魔女の魔法により、マクベスの目の前で国王の姿をしたバンクォウの子孫を次々と登場させる場面があるが、これはジェイムズ1世への賛美なのである。

宮廷作家がダンカンとバンクォウとの共通の子孫に当たる新王ジェイムズ1世を寿(ことほ)ぐのであれば、この先祖二人を殺したマクベス夫妻をボロクソに貶めるのが一番である。かくして、「数か月で(本当は17年在位したのだが・・・)滅びた暴君」マクベスと、「稀代の悪女」マクベス夫人という、虚構ができ上がった。

この二つの作品は、シェイクスピアが「御用劇作家」とされるゆえんであり、彼がパトロンのために史実を曲げた「影」の部分であると言うことができよう。

人物の評価は一面的であってはならないとの教訓になる。

2016年1月17日 (日)

静岡市のラーメン店

十年ほど前から、静岡県介護支援専門員協会に関係する用事のため、ときどき浜松から静岡市まで往復している。特に午後から会合などが入っているときには、静岡で昼食を摂ることが多い。

そこで今回は、私の行動範囲となる、JR静岡駅から北西のほうにあるラーメン店をいくつか紹介してみよう。ホームタウンではないので、他にも私が知らない好い店があるに違いないのだが、まずは食べたことのある店で、静岡の地元ラーメンの中から掲げてみる。

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「フジメン」は駿河ラーメンを名乗り、長く地元静岡の人たちに愛されてきたようだ。市内に三店舗あるとのことだが、通り道の関係でもっぱらペガサート店に入る。みそバターは寒いときに身体が暖まる一品。

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「鶴田家」は横浜家系の店。初回に味玉ラーメンを食べて「また来たい」と思い、リピーターになりつつある。これまで入った家系の店では、どこも店員が元気過ぎて大声を張り上げるため、耳障りになり落ち着いて食事ができない状態ばかりだった。ここでは完全禁煙の上に、店主が黙々と調理していて、平ザルで丁寧に湯切りするのも嬉しい。

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「寿や」は通り道から少し離れているが、岩海苔ラーメンが食べたくて入ってみた。海苔・青海苔で麺が埋まるぐらいのボリュームである。少し割高だが、スープと海苔とがたいへん好くマッチしていて、十分満足できる味。他の品も食べたことがあるが、個人的に比較すると、やはり岩海苔に落ち着く。掛川にも系列店があるらしい。

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「麺行使・伊駄天」は静岡駅周辺でも五指に入る人気店のようだ。醤油、塩、味噌といずれもあっさり系のスープで、鶏と魚介の風味をしっかり生かしている。鶏チャーシューが入った「ゆず鶏塩」も好いが、この日はお財布を傾けて、フルトップの「極みらーめん」を味わってみた。旨し! 系列店は焼津にもあるとのこと。

他の静岡地元ラーメン店にも、まだまだ注目すべき場所があるようなので、折を見て食べ歩きしてみたい。また、大手チェーンでも、浜松に無かったり不便だったりする場合は、静岡まで来たときに入っている。一風堂、でびっと、花月など。これも一つの役得なのかも知れない。

私のラーメン‐フリークは、関西のラー好き業界仲間に刺激された面が大きいが、数多く食べ歩くと、ラーメン一つ取っても奥が深い。土地柄に合わせたラーメンの味わいを創り出してきた人たちの努力は、日本が誇る文化の一つと言って良いであろう。

2016年1月 8日 (金)

裸の女王様?

介護業界には、肩書が重々しく、壇上に立つと、たいへんすばらしい講義をしてくれる人がいる。そして、そういったエラい人の著書は多くの人たちに購入され、読まれている。私の著書より、はるかに読者は多い(笑)。

ところが、そのような人物が経営・運営する施設・事業所が、理想的なところだとは限らない。

都道府県名は伏せておくが、最近、介護業界の仲間から聞いた話である。その仲間を仮にAさんとしておこう。

Aさんは業界の大物Bさん(女性)の名前に魅かれて、Bさんが経営する介護事業所に入職したのだが、いざ中に入ってみると、Bさんが説く理想と大幅に離れていた。

事業所の中で職員同士のコミュニケーションが十分に取れていないのだ。そのため、利用者に対するケアにもバラツキが目立ち、有機的な連携ができないまま、サービス提供体制全体にほころびが生じてしまっていた。Bさんがいわばカリスマであるところから、職員の間からもBさんに提言して事態を改善しようとする機運が起こらず、Aさんが提案しても、Bさん自身が改善に取り組もうとしない。結局、Aさんはそこに長く居られず、退職する羽目になった。

自事業所の現況に気が付いていれば、それを改善すべく努めるのが経営者であるBさんの役割である。もちろん、人間や組織の努力には限界もあるから、どうしても課題を達成できない部分は、未達成であることを外へ向かって素直に認めれば良いだけの話だ(私の知人である優れた現場発講師の方には、自事業所の課題をしっかり把握している方が少なくない)。しかしこのBさんに関して見聞きする限り、そのような形跡は認められないようだ。

現実から推測する限り、Bさんは自事業所の品質低下が見えていない、「裸の女王様」になってしまっているのではないだろうか?

残念だが、このような事業所は介護業界に結構存在するようである。代表者のエラい先生は理想を追い求め、自分の考え方を普及させようと各地へ講演に駆け回っている。ところが自事業所の「留守を守る」肝心の現場職員にはその趣旨が浸透しておらず、利用者に劣悪なサービスしか提供できない状況がしばしば起こってしまう。

どの業界でも起こり得る現象かも知れないが、とりわけ逆風にさらされて「みんな苦しい中を踏みとどまって、がんばっている」介護業界において、Bさんのような人たちの罪は大きい。心ある市民や介護関係者から、「あんたたち、きれいごと言うけど、中身は何だよ!」と思われてしまえば、業界全体の信用低下につながり、利用者に望まれる介護を丁寧に提供している真面目な経営者・運営者まで、不信の目で見られてしまうからだ。

また、「女王様(男性経営者・運営者の場合は「裸の王様」だが・・・)」にとっても、このように課題を放置しておくことは、大きな損失につながりかねない。サービス提供体制のほころびによって何か事故でも起こり、杜撰な経営・運営の実態が明るみに出たら、損害賠償などで経済的損失を被るのみならず、社会的名声が地に堕ちてしまう可能性も十分に考えられる。対外活動を減らしても、早めに足元を固め直す時間をしっかり確保したほうが効果的だ。

エラい先生なら、そのようなマネジメントの基本も理解できているはずなのだが、なぜか自分の事業所のこととなると、なおざりにしてしまう人も少なくないようだ。

私は一人親方だとは言え、このBさんを自戒のための鏡としたい。

また、市民の立場で事業所を選ぶ場合も、経営者・運営者の名声だけで選ばないようにしたいものである。

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