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2016年2月

2016年2月28日 (日)

歴史上のマイナー王朝(5)

現在、西アジアからのテロや移民流入を契機に、EUの統合理念をめぐって、各国の思惑の違いが火花を散らしている西ヨーロッパ(西欧)。

古代末期にも、ゲルマン民族が軍事集団として移住したことにより、それまで力によって西欧を支配していたローマ帝国の「たが」が緩むと、各地に独立政権が並び立ち、抗争を常とするようになった。

フランス、ドイツ、イタリアなど、いまのEUの中核をなす国々も、このような西欧の統合再編の中で形作られたのであるが、中世にはその一つの国として存在を認められながら、周囲の国々に吸収されてしまった民族共同体がある。

その名は「ブルグント王国(413?-592,877-1032)」。

フランスに「ブルゴーニュBourgogne」という地名があることは、多くの読者がご存知であろう。この「ブルゴーニュ」をドイツ語で発音すると「ブルグントBurgund」になる。ただし、古代末~中世のブルグント王国の領域は、いまのブルゴーニュ地方の南半フランシュ‐コンテの辺りからプロヴァンスの東部、ドイツのラインラントやバーデンの南西部、スイス西部、イタリアのピエモンテ北西部にまたがる地域であった。

411~413年頃、この地域の北部にブルグント族の王国を建てたのはグンダハール(グンディカール)。ヴォルムスに都を置いて領域を支配したが、フン族の王アッティラと正面衝突し、437年には国家壊滅の憂き目に遭った。この悲劇は長大な叙事詩『ニーベルンゲンの歌(作者未詳)』の中で語られ、グンダハールは「グンター」、アッティラは「エッツェル」(真のモデルは後世のハンガリー王イシュトヴァーン1世だとも言われる)として登場する。

数年後にブルグント族では、グンターの遺児グンディオック(位443-473)が王国を再建し、ヴィエンヌに都を置いた。ローマ帝国軍とあるときは同盟し、あるときは抗争しながら、勢力を拡大した。次のグンドバット(位473-516)は、兄弟たちを排除して王権を確立する一方、強大化するフランク王クローヴィス(いっとき国土の過半を占領される)に姪のクロートヒルトを嫁がせるなど、周辺諸民族との勢力均衡を図った。国内では法典を発行するなど統治にも意を用いつつ、領域を南部へ拡大した(画像は15年前に訪れたフランスのアヴィニョン。当時のブルグント領南端の街であり、クローヴィスの攻勢を逃れたグンドバットが短期間滞在していた)。

20160228avignon

次のジーギスムント(位516-523)も父の方針を継承したが、晩年にフランク王国との和平が破れ、最後の王グンディマール(位523-534)のとき、フランク王クロタール1世に滅ぼされた。後にグントラム(クロタールの息子、グンディオックの玄孫に当たる。位561-592)が一時的にブルグント国王になったものの、彼の死によって独立したグンダハール王家は事実上終焉した。その後はフランク国内の分国として、名目上は独立した地位を保ったが、単独のブルグント王を推戴することはなかった。

中世に入り、877年に貴族ボソーが西フランク王国から独立してブルグント王国を建設し、次代にはプロヴァンス(南部)とブルグント(北部)とに分かれた。後者はボソーの娘からヴェルフ家(ブルグント族の一系統)へ継承されたが、この王家は1032年に断絶してしまう。これをもって王国は神聖ローマ帝国に事実上併合され、以後、現在まで独立国としては存在していない。ブルグント族も周囲の諸民族と融合し、西欧の中で固有のまとまりを持つ共同体ではなくなっている。

しかし、『ニーベルンゲンの歌』に登場する人物たちの、剛毅、誠実、強固な信念、礼節といった美点は、決して滅びたわけではない。ブルグントが歴史の中で発展的解消を遂げても、その精神は現代のフランスやドイツなど、周辺諸国民の信仰や騎士道などに、脈々と受け継がれているのだ。

2016年2月18日 (木)

ヴェルディ歌劇の面白さ(8)

本日、東京文化会館で10か月ぶりに歌劇を鑑賞。演目はヴェルディの「トロヴァトーレ」。東京二期会である。

それこそ高校生の頃に、両親にねだってレコードを買ってもらったほどだから、この歌劇に接してからずいぶん長いのだが、舞台を観たのは初めてなのだ。

指揮はアンドレア‐バッティストーニ(敬称略。以下同)。近頃、とみに名声を増している若手指揮者の代表で、日本にもファンが多い。CS放送では何作品か録画しているが、ナマで観るのはもちろんこれが最初。緩急を巧みに操り、ドラマの展開にピッタリの指揮ぶりであった。

演出はロレンツォ‐マリアーニ。CS録画ではちょうどパルマ王立の「トロヴァトーレ(2010)」が手元にあるが、ここから五年余を経て工夫を加えている。背景の太陽と月とを表す大きな円を、歌手が出入りする花道の一つとしても使い、正面から三方に道が延びているように見せ、立体性を高めている。

マリアーニ自身がプログラム中で語っているように、前後のヴェディ作品に比べると「トロヴァトーレ」は非現実的なおとぎ話のような世界になる。そのストーリーと、登場人物の感情がこもった迫真のドラマとを両立させる難業に挑み、成果はかなり聴衆に伝わったのではないかと思う。ただ、マンリーコとルーナ伯爵の衣装が、いささか童話的な面を強調し過ぎた安直な色合いだったこと、第四幕のアズチェーナ錯乱の部分で左手前の「(火刑をイメージさせる)炎」を燃やさなかったことは、期待された効果をやや損じたであろうか。

20160218trovatore

歌手はアズチェーナ(メゾソプラノ)の中島郁子が圧倒的で、会場を支配していた。特に第三幕で両手首を縄で縛られ、兵士役のバレエダンサーに左右から交互に引っ張られる姿勢で歌う「縄で苦しめるなんて、この恥知らずめ」は、プロの歌唱技術の醍醐味を存分に披露。マンリーコ(テノール)の城宏憲も、予定出演者の体調不良で急遽代役をすることになったにもかかわらず、他の出演者との絡みで違和感もなく、リリコ・スピントの歌唱も十分聴き応えがあった。

レオノーラ(ソプラノ)の松井敦子も、腰を落としてリリカルな美声をたっぷり聴かせる名演。ルーナ伯爵(バリトン)の成田博之はやや音程に不安定な箇所があったが、感情の高ぶりを巧みに表現していて、全体としては合格点か。フェルランド(バス)の清水那由太は第一幕の冒頭で聴衆を惹き付ける難役を無事にこなし、第三幕まで安定していた。

最近は諸事情により、歌劇鑑賞も思うに任せないが、TVやDVDだけを楽しんでいても、歌劇愛好家だと言えないことは確かだ。海外まで鑑賞に行く余裕はとてもないが、若手・中堅の邦人歌手を応援する意味合いも含め、国内のヴェルディやワーグナーの上演を年1~2回は楽しんでみたい。

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