« 「懐疑」のすすめ | トップページ | 若きリーダーのみなさんへ »

2016年6月 5日 (日)

「仁義なき政争」

・・・日頃は、自分たちこそが平安(ヘイワ)主義者だと称している政治家たちが、その信条を否定しかねない相手に出くわすと、「死ね」などと汚い言葉で罵倒し、反対勢力を黙らせるため、場合によってはお抱えの暴力集団さえ使用して恥じるところがないのだ。これまでの「法(のり)」そのものに瑕疵があったことを棚上げして、安倍氏がそれを破ったことに難癖を付ける行動は、筋道から外れた挑発としか思われない。外部勢力と結託して安倍氏を攻撃する行為まで、自分たちの目的のために正当化してしまっているのだから、もはや仁義を踏みにじる無法勢力と変わるところがないではないか!・・・

おっと! 酔った勢いで「前九年の役(1051-62)」の話をしてしまった... f(^_^;)

21世紀に話を戻そう。

まず、現政権による政策のすべてが良いとは、もちろん私も思わない。社会保障政策などには、当事者の立場から見て「No!」と言いたい部分がたくさんあることは事実だ。

しかし、政権批判をするにしても、議会制民主主義の基本原則にのっとった方法でするのは当然である。

振り返ると、昨年秋の国会内外において安保法制に反対する勢力の動きには、(国会前デモの妥当性を否定する意図はないが)多くの場面で、基本原則から逸脱した言動が見られている。具体的には、政権側の一つの政策の是非を論じるのが真の目的ではなく、政権打倒を目的にする人たちが、純粋な「安保法制反対論者」とは異質の行動原理によって動いているという意味である。

今年に入ってからも同様な状況が続いている。先の「介護離職についての考察(2)」で示した保育所問題に関する論議も、その一例だ。政権の子育て政策の不備を攻撃していた第一野党の幹部議員が自身の燃料費疑惑を追及されると、こんどは第一野党側の市民活動家たちが一斉に、現総理の燃料費支出が著しく過大であると騒ぎ立てた。一国の総理が国を代表して内外を動き回るためには、さまざまな交通機関で膨大な燃料費を要するのは当然であり、与野党が逆になれば逆の結果になる。現総理は外遊時の宿泊費用も、あの渦中の東京都知事に比べると、何分の一かに抑えており、むしろ無駄遣いを控えるべく配慮していると言えよう。

第一野党の幹部議員が燃料費を浪費するなど公人として不適格であれば、まず更迭すべきであり、代わりに育児問題に該博な他の議員が中心となって、この問題を政権側と議論しなければならない。しかし、そのような段取りを履まずネガティヴ‐キャンペーンに終始するのであれば、幹部議員の行為を正当化して地位を温存させたい党利党略主義としか受け取れないではないか。

さらに、先日のサミットで抽出された課題に関する第一野党の政権攻撃は、お粗末としか言いようがない。英国の風刺画に津波の姿をした「愚か者」として描かれた前ロンドン市長の顔を、日本の現総理の顔と間違える。「the financial crisis」がリーマン‐ショックの意味であると知らずに、英語版資料にリーマン‐ショックが出てこないからこれは政権側の情報操作だと騒ぐ。とにかく目に入った材料を何でも政権の揚げ足取りに使って自爆するという、官邸からも失笑を買う一連の行為は、心ある市民を落胆させるに十分過ぎるほどであろう。

強固な支持基盤を持つ別の某野党は、こんな第一野党の足元を見透かして、反政権側勢力での存在感上昇を果たしつつある。しかし某野党には、現総理にヒトラーのヒゲを付けた顔をドラムに描いて叩きまくった元ロッカーの議員に象徴されるように、何が何でも現政権を「極右」と位置付けてイメージダウンさせようとする意図が見え見えである。

また、同じ反政権側勢力の一部は、悪質なプロパガンダも展開している。

沖縄の女性殺害事件をめぐる対応で、米軍関係者の家族たちが、祈りの言葉を書いたプラカードを掲げて路上に立ち、頭を垂れている光景が報道された。N教団(米国に拠点)が関係者に呼びかけて主催した和解へ向けての行動である。ところが、反政権側の活動家たちは、この行動の中心人物がK教団(日本に拠点)幹部と握手して、もらったバッジを付けていたことから、K教団が人々をダマしていると強弁しているのだ。日米安保を維持・推進する勢力(政権与党に近い側)を攻撃する材料が見つかれば、なりふり構わず持ち出すのであろうか?

そもそも、N教団であろうがK教団であろうが、宗教団体が争いを煽るのならともかく、異なる立場の人たちの融和を図る活動が、なぜ「ダマす」ことになるのか? これがもしN教やK教ではなく、私の信仰であるカトリックを指した発言であったら、悪質な誹謗中傷として容認できないであろうし、私の知人や私と同じ団体の成員の発言であれば、撤回と謝罪を要求するであろう。しかも「ダマしている」と言い放った個人・団体の中には、九州の国立大学の教員まで含まれていることを確認している。この教員の専攻は人権教育であり、反差別教育も含まれているというから驚きだ。特定の宗教の信者を差別視する人間が反差別教育をすること自体、お笑いものではないか。
(K教団は過去、国内で悪質商法とされて訴訟が起こされたことがあるが、仮に宗教団体にそのような側面があったとしても、信仰とは別の事案として対応されるべきものであることは、拙著『口のきき方で介護を変える!』中に明記した。もしこの教員が両者を分別する能力を欠いているのならば、資質自体に重大な疑問がある)

ヘイトスピーチに反対だと称する人たちが、他方で「ヤンキー(米軍ではなく米国人)‐ゴー‐ホーム!」とシュプレヒコールを揚げるのも同様である。タレントや商社員など軍関係者でない米国人が心ない罵声を浴びている事実も報告されている。政権反対なら何でも正しいという身勝手な論理を通したい人たちが、このような愚かな行為をするのだ。朝鮮半島の人たち、フィリピン・ブラジル・ペルーなどの人たち、米国人たち、どこの人たちに対するヘイトスピーチも、許されてはならないのは当然だ。

長々と述べてきたが、一言で言えば「仁義なき政争」である。相手方を叩き落とすためには何でもアリになってしまっている、ということだ。

現政権与党が野党だった時期にも、逆のアクションがなかったとは言わない。しかし、いまの反政権側に比べると、基本原則からの逸脱はかなり少なかった。だから愛想をつかす市民が少なく、政権奪還に成功したとも取れる。

私がいまの時点で支持する政党は、政権与党の二政党のどちらでもない。だからと言って、自分が支持する政党の政策がすべて正しいとは思わない。賛同すべきところは賛同し、批判すべきところは批判しながら、他の諸政党と比較して最も自分の考えと共通する部分が大きい政党として認められる場合、はじめて一票を投じるつもりだ。

当地・浜松における私の友人・知人にも、さまざまな政党の支持者がおられる。少なくとも私が日常的にお付き合いしている方々は、おおむね民主主義の基本原則を履んだ議論の応酬ができる、良識のある方々なので、逸脱行動はされないと信じているが。

「仁義なき政争」は横目で見ながら、冷ややかにスルーした上で、自分の信条に従い、民主主義の基本原則にのっとって、政治的な意見を述べていきたい。それが成熟した民主主義社会において市民の取るべき態度であると考える。

« 「懐疑」のすすめ | トップページ | 若きリーダーのみなさんへ »

ニュース」カテゴリの記事

経済・政治・国際」カテゴリの記事

社会問題」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 「懐疑」のすすめ | トップページ | 若きリーダーのみなさんへ »

フォト
無料ブログはココログ
2020年8月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          

他のアカウント