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2016年6月18日 (土)

若きリーダーのみなさんへ

SNSやブログだけの話ではないのだが、いま介護業界で活躍されている、20代後半から40代前半ぐらいまでの、全国的に著名なリーダーの方々に、50代半ばのオッサンからちょっと苦言を。

決して私の加齢や知名度の低さなどから来る劣等感を背景にモノを言っているつもりではなく、リーダーシップを取る方々や、そのムーヴメントの将来を真摯に懸念した意見だ。ほんの数分だけを割いて、一回でもお読みいただければ幸いである。

(1)どのリーダーも同様だとは言わないが、多くの人に類似した傾向が見られる。自分の「テリトリー」の中に入ってきた人とは、懇意なコミュニケーションを取る一方で、その中に入れない人とは距離を置く傾向である。

活動の初期にはむしろ当然であり、まずはコアになるメンバーと緊密な信頼関係を築くのが常道であろう。問題は、活動が軌道に乗り、メジャーになっても、リーダーがこのような行動傾向を続けることにある。テリトリーの内外とは、面識の有無や年代を問わず、自分が仕切る活動の枠に(草創期から、理念が周囲に知られ、広まっていく時期に)参加した度合いで、区分しているようだ。

しかし、これが続くと、内輪だけで盛り上がってしまうような活動になってしまう恐れがある。譜代大名と外様大名ではないが、活動組織の中軸になる人は、リーダーに近い人たちに限られてしまい、距離がある(「距離を置く」ではない。「距離が縮まらない」のである)人たちに取っては、なかなか活動の中軸部分に参画する機会を得られない。

(2)理解度や意識の問題がある。

法人や事業所がその活動組織を全面的にバックアップするのでない限り、活動に参加する人たちは、それぞれ個人の責任において参加することになる。しかし所属先における経営者・上司・同僚の活動への理解度は均一ではない。理解度が低ければ、活動に参加した職員が職場の中で浮き上がってしまうことにもなり、苦しい立場に追い込まれてしまう。

そういう人たちから苦渋を訴えられた場合、私も安易に「辞めれば?」と言ってしまうことがないわけでもない。しかし、辞めたらそこの法人・事業所が開明的な職員を一人失うだけで、その職場は逆に悪い方向へ向かうかも知れない。せっかく職員が職場を(利用者のために)良いものにしようと努力しているのだから、経営者・上司・同僚にも、活動組織側の人間から働きかけて、「○○さんはどのような目的で自分たちの活動に参加しているのか」を伝え、理解してもらう機会が欲しいのだが、現実的には中軸メンバーにも体力の制約があり、そこまでできない場合が多い。もちろんそれはリーダー一人の責任ではない。

しかし、それをしないまま、リーダー一人がメジャーな存在になって名前が売れてしまえば、意識の低い経営者・上司・同僚たちは、ますますその活動を理解しようとする機縁から遠ざかってしまう。仮に何かの機会があってリーダーの講演を聞いても、「ああ、良い話を聞いたけれど、どうせ有名な人の理想論だね。うちではそんなわけにいかないし・・・」となる。正確に言えばそれは法人や事業者の変容能力の問題なのだが、当事者にはその自覚がない。

だからと言って(不祥事でも起こらない限り)その能力の乏しい法人や事業者を退場させる権限は誰も持っていないのだから、利用者の不幸を招かないためには、とにかく変えていくための働きかけが求められる。すでに輝かしいスターになったリーダーには、現実的に個別の職場に働きかけることは困難である。裾野を広げて協力する人たちを確保していかないと、末端では活動が空転する場面が増えるであろう。

(3)活動に参加できるかどうかを左右する要因は、意識の高低だけではない。環境も大事な要因となる。

たとえば私には兄弟姉妹がなく、母親を私が一人で看なければならない。だから、複数の活動組織のリーダーとコンタクトを取ることはできても、多くの場合、その活動に参画することは困難である。結局、リーダーのテリトリーの「外」になってしまう。若いリーダーから見るとそんな私は、50代半ばという年齢も勘案すると、積極的に情報交換する意味が薄い人間に映るであろう。

しかし、おそらく私の前後の年代で、介護離職を余儀なくされた元介護・福祉職員は、さらにそれが困難で、情報からも取り残されがちになっているだろう。リーダーが私のことを(決して意識していないにせよ)情報交換に値しない人間だと位置付けることは、介護離職した元職員たちを嗤うことにつながることを認識してほしいのだ。このような元職員たちの中には、一つきっかけがあれば、物理的に動くことは無理でも、活動の有力な支えになってくれる場合があるのに、リーダーがその可能性を自ら閉ざすのは、望ましいことではあるまい。

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(4)かつて介護・福祉業界で、最先端の旗手として活躍した人が、その後はアクティブな活動に乏しく、自分の取り巻きたちに囲まれた快い環境に満足しているのを見かけることも少なくない。過去の栄光にすがっているかのように見えるその姿には、哀れみを禁じ得ない。

中には現場から卒業してしまい、エラい学識経験者の地位を得たら、その安定した地位に安住している方もある。悪い例では、自分が業界の「エスタブリッシュト指導者」になってしまうと(それは時として自画自賛、ナルシズムに過ぎないこともあるのだが)、特権を持つ偉大な人物であるかのように錯覚し、自分(たち)だけは〇〇が許されるといった二重基準の振舞いをすることもある。

ヘソマガリの私には、この種の人たちが余計に、知名度とは裏腹な虚しさを抱える、哀れな小者に映るのだ。

以上、いろいろ述べてきたことを総括してみる。

いま、若いリーダーは全盛期で、何をやっても自分が主役、自分がメジャーであるかも知れないが、くれぐれも裸の王様(女王様)にならないように、自らを振り返っていただきたい。

高い丘の上の、隠れもなく輝く塔であるだけではなく、多くの仲間たちと一緒に咲き誇る小さな花の一つでもあってほしいのだ。

一回完結の忠言のつもりである。ご不快ならスルーしてくださって構わない。

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