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2016年9月

2016年9月29日 (木)

ワーグナー楽劇の面白さ(5)

だいぶ前のことだが、今月11日(日)、東京文化会館で二期会「トリスタンとイゾルデ」を鑑賞してきた。何かと多忙ですぐにレビューが書けずに、本日になってしまったが。

指揮はヘスース‐ロペス‐コボス、演出はヴィリー‐デッカー。キャストはトリスタンが福井敬、イゾルデが池田香織、マルケ王が小鉄和広、クルヴェナールが友清崇、ブランゲーネが山下牧子、メロートが村上公太。

歌唱は池田のイゾルデが最高で、第一幕から第三幕まで終始舞台を支配、終幕の「愛の死」までずっと聴き応えのあるすぐれた歌唱だった。福井のトリスタンはやや声量に頼った面があったものの、第三幕の長大な「譫妄」の場面では巧みな演技と相まって、絞り出すような歌唱の技術力が光り、「聴かせる」ヘルデンテノールとして強く印象に残った。

小鉄のマルケ王は抑制された動きに伴う落ち着いた歌唱が秀逸。友清のクルヴェナールはやや抑揚が大き過ぎる感があったが、聴き辛いほどではない。山下のブランゲーネは安定感があり、特に第二幕、愛を語る恋人たちの背後で警鐘を鳴らす部分は下支えする脇役の効果が抜群であった。

20160911tristan

ロペス‐コボスの指揮は、節目のところでオケの速度を落としてじっくり聴かせる手法に優れ、特に第三幕でそれが効果を発揮していた。デッカーの演出は、場の閉鎖性を象徴する壁と、主役二人の愛を象徴するボートとを大道具として一貫させたものであり、この楽劇の特異性を際立たせていた。また第二幕の終わりで主役二人が剣でそれぞれの両眼を切り裂いて失明し、それが第三幕の再会の場面で互いに抱擁できない悲劇へと結び付く、独特な展開を披露した興味深いものであった。

終演後、新宿に場を移して知人と会食し、意見交換などしながら有意義なひと時を過ごすことができた。この件については、また後日のエントリーで触れる機会があろうかと思う。

2016年9月 4日 (日)

歴史上のマイナー王朝(6)

フランスとスペインとの間に、国があった。と言っても、アンドラ公国(1993年から独立国)のことではない。

ナバラ王国(スペイン語)。フランス語でナヴァール王国ともいう。バスク民族を中心とする国家であり、中世から近世にかけて、長く独立を保った国である。

この国の起源は、810年に領主になったイニーゴ‐アリスタが、824年にフランク王国から独立してパンプローナ侯国を建てたことに始まる。四代目のサンチョが初めて王位を獲得、六代目のサンチョ2世(位970-994)が987年に「ナバラ王」を称し、アラゴーンの領土をも兼有した。

八代目のサンチョ大王(位1000-35)は婚姻関係によってカスティーリャをも領有し、イベリア半島の半分を支配する。ナバラの首都パンプローナではバスク地方独特のキリスト教文化が繁栄した(下の画像はパンプローナのカテドラル内陣。2001年に巡礼)。大王の没後は、アラゴーンとカスティーリャはそれぞれ別の子孫によって統治され、ナバラはもとの領域に戻る。

Pamplona

周辺諸国の利害対立による紛争が続く中、次第に独立を保つことが困難になったナバラ王国は、西半部をカスティーリャに譲渡せざるを得ず、東半部はアラゴーン王国と連合して独立を維持した。同じくアリスタ王家ながら、アラゴーン王としてナバラ王を兼ねたアルフォンソ戦士王(1104-34)が連合王国として領土を拡張したが、その没後、再びナバラはアラゴーンと分離して周辺領土を失う。サンチョ賢王(1150-94)は国の内外を安定させて功績があったが、1234年にアリスタ王家は断絶した。

婚姻関係によりナバラの継承権を持つシャンパーニュ伯ティボーが、テオバルド1世(位1234-53)として新たなナバラ王家を創設したが、フランスとの関係を深め、1274年には一時フランス王がナバラと同君連合を形成する(その後解消)。14~15世紀にはフランス、アラゴーン、カスティーリャの干渉を受け、内乱もしばしば勃発、ナバラ王国は衰退した。1512年、カスティーリャ王(事実上のスペイン王)フェルナンド2世がナバラと対立して進攻し、首都パンプローナを含む領土の大部分をスペインに併合した。

ナバラ王国の相続権を有するアルブレ家のアンリ2世(位1513-55)は、フランスの庇護のもとにピレネー以北の「ナヴァール王国」国王として即位。ジャンヌ3世(位1555-72)を経て、三代目のアンリ3世(1572-89)は宗主国フランスの王位継承争いに参入、内戦を勝ち抜いてフランス国王アンリ4世となり、1589年にはナヴァル王位をフランス王位に統合させたので、ここに王国は幕を閉じた。

ナバラの歴史は、日本とも決して無縁ではない。特に私たちのカトリック教会には、ナバラ出身の人たちが大きく貢献している。日本に宣教の道を開いた聖フランシスコ‐ザビエル(1506-52)はナバラ王国の生まれである。また、フランシスコ会の神学教授であり、来日の翌年に長崎西坂で殉教した聖マルティーノ‐デ‐ラ‐アセンシオーン(1567-97)、禁教令下の日本に潜入し、関東から関西まで広く信徒たちを励まして活動を続け、殉教した聖ドミンゴ‐エルキシア(1589-1633)、東洋宣教をめざす途中に琉球で逮捕され、長崎に護送されて過酷な拷問を受け、殉教した聖ミゲル‐アオサラサ(?-1637)も、スペイン領となったナバラ地域出身の司祭なのだ。

現代になり、民族主義的な武装組織ETAのテロ活動で混乱を招いたナバラ地域であるが、多くのバスク人は決して過激な思想を持っているわけではない。欧州で地域の主体性が尊重されるようになった現在、バスク民族による国際平和への望ましい参画が、四人の聖人たちの取り次ぎにより実現されることを祈りたい。

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