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2016年12月

2016年12月23日 (金)

間違えてはならないこと

ネット社会になり、個人の動向がリアルタイムで報じられる世の中になったいま、私たちが間違えてはならないことがある。

もし、あなたが誰かのことを、クソ野郎-これは男性の場合であって、女性ならクソ女郎(めろう)になる-だと思っても、あなたはその人の人権を守らなければならない。

案外、この基本を忘れてしまっている人が多い。社会福祉や介護支援のプロフェッショナルであるケアマネジャーやソーシャルワーカーにも、そんな人が少なくない。

クソ野郎(クソ女郎)とは、たとえばこんな人たちのことだ。

・勝手な論理で人を殺傷したり、人の心を苦しめたりする人。

・本やブログや動画を売る目的で、特定の属性の人たち・組織・集団を攻撃する人。

・独り勝ちするために、仲間を踏み台にする人。

・何がしかの権力を背景にして、対抗勢力つぶしに手段を選ばない人。

・利益相反の立場にありながら恥じる色もなく、利権をあさる人。

・二重基準→自分(自派)には甘く、他人(反対派)には厳しい人。

このように凶悪な、あるいは卑劣な人々もすべて、人間である。人間である以上、人権は守られる。

もし、あなたが、「こんなクソ野郎(クソ女郎)の人権こそ守ってやる必要はない」と考えたら、あなた自身が「二重基準」のワナに陥ってしまっているのだ。

上記のような人たちが、あるいは法律で裁かれ、あるいは世論により非難される。それは当然のことであり、自ら招いた結果、(正しい意味での)自己責任であろう。

しかし、それはこの人たちの人権を否定することを許すものでは決してない。

くどいようだが、もう一度言う。

間違えてはならない。

(クリスマスを前にして)

2016年12月 4日 (日)

「看取り」と私

介護・福祉職の端くれでありながら、自分の父親の最期を看取れなかった(外せない仕事が入っていたので出かけてしまい、看取りは母親に託した)私であるが、仕事柄、これまで三回の看取りを経験している。

一回目は施設職員になって1~2年後。特別養護老人ホームの利用者Aさん(女性)。不運にも夕食後に誤嚥をされてしまったらしく、状態が急変したため、私を含め居合わせた職員たちが、看護師の指示で急ぎ救命処置を施したものの効なく、帰らぬ人となった。

Aさんはカトリック教会の信者さんだったため、私はご家族とも交流があり、Aさんの息子さんの奥さん(すでにご帰天)には私の母の代母(洗礼を受けるときの母親代わりの役)になっていただいた。その娘さんは市内の大学で助産師学科の教授をされており、私のボランティア仲間である。そして、さらにその娘さん、Aさんから見ると曽孫にあたる方が、市内の病院でMSWをされており、昨年、仕事上の意見交換をしたばかりであって、実に四代にわたってお付き合いをさせていただいている。

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二回目はその少し後だったと記憶している。特別養護老人ホームの利用者Bさん(女性)。超高齢の方であり、入所されたときにはすでに準寝たきり状態で、その頃はまだ座位が保て、ある程度の意思疎通ができたが、少しずつ老衰によりADLが低下していった。全介助の状態が何か月も続いた後、ある日の夕刻、下顎呼吸をされるなど状態が厳しくなったので、看護師の判断で施設の嘱託医師に来診を依頼した。臨終を迎えられ、駆け付けた長男さんや、私を含め2~3名の職員が見守る中で、息を引き取られた。

Bさんのお孫さん=四女さんの長男さん=夫妻も私のボランティア仲間であり、その団体が活動を終えた後も、自家製の作物をくださるなど、お付き合いを続けてくださっている。国防などに関しては私と反対側の考えであるが、それに関係なく、地域で必要な活動のために労力を費やされていることには敬服する。特に袴田事件の冤罪被害者(推定)袴田巌氏への支援を長期にわたって続けておられるのには、頭が下がる思いだ。

三回目は開業して8年後、2009年のことである。利用者Cさん(女性)。数年前にご依頼をいただいて訪問し始めたときには、呼吸器系の疾患を持たれながらも、屋内外を杖歩行されていたので、生活不活発にならないため親しい人たちが行っている通所介護を利用された。その後、少しずつご家族に対し依存的になり、やがては通所が難しくなって寝たり起きたりの生活になられ、医療依存度も増して訪問看護を導入した。ある朝、意識レベルの低下を心配したご家族から連絡を受けたので、すぐに自宅訪問したが、Cさんの前でご家族と話しているうちにもお顔色が変わってきたので、ご家族と相談してかかりつけ医に往診を要請した。かかりつけ医が来着した直後、人生に幕を下ろされ、87歳での大往生であった。Cさんの旦那さんが落胆されたのか、三か月後には後を追うように他界された。

実は、私が9歳のとき、両親とともに現居=新設の住宅団地に引っ越してきたとき、Cさんの旦那さんは地元の顔役だった。私の父は団地で隣組の代表になり、世渡りがヘタクソなのに空威張りをしたがる人間だったから、Cさんの旦那さんに対し会合の席でずいぶん勝手なことを言って虚勢を張っていたので、新参者が偉そうなことを言うなと旦那さんから嫌われて、「天敵」にされてしまった。幸い旦那さんの義兄さん(当時は市会議員。故人)が父の囲碁仲間であり、いつも間に入ってくださったので、何とか険悪な事態は避けられた。その後、Cさんの長男さんの奥さんは、私の母とときどき会う機会があり、母を信用しておられたので、ケアマネジャーも私を選任してくださった次第である。

看取りに立ち会った三人の方とも、ご家族ぐるみで私とのご縁があったことは、不思議な巡り合わせである。世間は狭いことを改めて振り返るとともに、自分が着実に仕事をすることが、まさしく地域のネットワークを紡ぐことになるのだと、思いを新たにしたい。

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