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2017年3月

2017年3月30日 (木)

自治体附属機関等の委員会に出席して(1)

この3月末で、浜松市介護支援専門員連絡協議会の会長職を退任することとなった。

はじめは、状況がよく呑み込めないまま、1999年に市当局から「浜松市介護支援専門員代表者委員会」の委員として招集され、翌2000年に連絡協議会が発足したときに副会長、2009年から会長と、役員を通算18年間の長きにわたって務めたことになる。折しもこの1月末から母の介護で多忙になった直後であり、降板にはちょうど良い時期であったと思う。

また、6月には(特活)静岡県介護支援専門員協会の役員改選が予定されており、今期を限りに同会の副会長職を退任する。浜松市の役を兼ねながら、こちらも8年間務めることができた。

両職とも、在任中に数多くの方々からご協力、ご支援をいただいた。退任にあたり、心からお礼を申し上げたい。

さて、これらの役職にあることによる「充て職」ではあるが、浜松市や静岡県の介護支援専門員を代表して、いくつかの自治体附属機関等の委員会に列席することができた。市や県の直営であるもの、業界団体や職能団体等に委託されているものの違いはあるが、いずれも公的な会議との位置付けである。

それらの会議に出席しての感想を、4回に分けて述べてみたいと思う。

まず一回目は、お金の話である。

市や県の委員会は、行政施策やそれに基づく事業を適正に遂行するために、有識者や業界関係者が事業の具体的な内容について協議し、妥当性を判断して意見を述べるものだ。したがって、本来ならば、各々の事業にはどの財源からいくらの予算が使われるのか、各委員が理解した上で、協議に入らなければならない。

ところが、このお金の流れが意外と見えてこない。

事業に関する予算や決算の類は、当局から一応示されるものの、それが厚生労働省の示す構図のどの部分に相当し、どれだけの規模の会計になっているのか、書類を見ただけではすぐ理解できない。身近な自治体に事業の実施主体を落としてからの現実はどうなのか、読み取るのが難しい。

たとえば、市の医療及び介護連携連絡会であれば、地域支援事業の予算があり、その中の包括的支援事業の予算があって、そこから医療・介護連携にどの程度の金額が割かれるのか、との提示があったところで、はじめて、どのような規模の事業が可能なのか、もし必要なお金がそれでは足りないのであれば、他の一般財源等から別途上乗せしてもらわなければならないのか、等の議論が可能になる。

しかし、実際にはその流れが示されていない。

せっかくこの種の委員会に各職能団体や業界団体の代表者が出席しているのに、肝心な数字が見えない状況では、踏み込んだ議論がなかなかできないのだ。

県レベルの委員会では、ほとんどの会議で予算や決算が示されるが、全体のパイの大きさと使える額との関係はわかりにくく、医師会などの委員から突っ込んだ指摘を受けて、担当課長が何とか答弁したところで、おぼろげながら流れが見えてくるのが正直なところである。これは決して望ましい状況とは言えない。事業の体裁を整える員数揃えの委員会にならないためにも、各委員が理解できるように、お金の流れを明瞭に示すことは大切である。

これは、財源に関する関係者の意識の問題もあるだろう。行政に限らず、たとえば県介護支援専門員協会の理事会でも、自団体の財政について踏み込んだ議論をする機会に乏しく、事務局任せになりがちである。保健・医療・福祉の関係団体側は、もっとお金の流れについて関心を持つべきであろう。

介護に携わる私たち専門職は、市民・県民や自分たち自身のためにも、財政をよく理解し、必要な経費は積極的に働きかけて公的な財源から獲得していくことが大切だ。そして、それを公益に資するために活用していく姿勢が求められるのである。

2017年3月19日 (日)

「忘れ去られる権利」を乱用するな!

ICT技術の飛躍的な発展により、インターネットは私たちにとって身近なものとなったため、社会は大幅に利便性を増した。

そして、逆に私たちにとって不便、不具合なことも起こってきた。

ずっと昔の犯罪歴や愚行歴がネットにさらされてしまうのも、その一つである。昨年、閣僚を務めた北陸出身の政治家をめぐって、過去の愚行が話題となったが、職業や知名度にかかわらず、誰の前歴を誰でも調べることができる世の中なのだから、「前歴」をめぐるさまざまなトラブルが頻発している。

そして、前歴を「忘れ去られる権利」についての訴訟まで起こされる時代となった。ネットの検索エンジンに犯罪や愚行の前歴がさらされてしまっている人が、すでにその類のこととは縁を切って平穏に仕事をしている場合、「〇十年前にこんなことが・・・」といった手かせ足かせに縛られたくないのは、人の情として自然である。その犯罪や愚行の社会的影響の重大性にもよるだろうが、「いい加減にしてほしい」と、検索エンジンからの消去を求めるのは、決して身勝手な行為だとは思わない。

また、自分と反対意見である人の不利を図るべく、現在の活動とは関係の無い、あるいは関係の薄い昔の事実を「ほじくり出して」、その人を叩く人間が増えているのも事実だ。もちろん、これは褒められない行為である。暴露される側にとっては迷惑千万であろう。

しかし、その犯罪や愚行をいわば「踏み台」にして、現在の地位を築いている場合は、話が別ではないか。

私は20代、介護職員として宮仕えしていたころ、当時の利用者に対して、今日のスケールで見れば間違いなく「アビューズ(≧虐待)」に相当する行為を何度もしていた。自著では「恥ずかしい行為」とだけ記載してボカしているが、講義などで関係する話題に触れる際には、過去に自分が、「虐待に相当する」劣悪介護をしていた事実や、それに対する「申し訳なかった」との反省があってこそ、いまの自分があることも、包み隠さずに述べている。

当然のことだ。マイナーであっても、「介護」の分野で論陣を張る以上、過去の過ちは避けて通れない。昔の私を知っている人から「お前がエラそうに何を言っているんだ?」と嘲笑されないためにも、話題がそこに及んだ際には、ためらわずに告白するようにしている。

したがって、地位や知名度の高い人が、「クサいものにはフタ」をしているとしたら、これは看過できない。その一例を掲げよう。

当県では名が知られたヘイワ活動家(護憲派)Aさんがいる。環境保護でも活躍した人であり、県内各地で講演をして回っている人物だ。お住まいの市や性別を挙げると特定されてしまうので、伏せておこう。

このAさんが過去、大麻常習者の人たちと一緒にヘイワ活動や環境保護活動をしていた事実は、意外と知られていない。と言うか、ご本人がそれについて全く語っていないし、Aさんに近い人は何人か知っているが、その人たちからもAさんと大麻の関係話が出てきた形跡がない。Aさんの話を聞いて「感銘した」人のブログなどを見ていても大麻の話は出てこないし、検索エンジンからも全くあぶり出せない。

その大麻関係の人たちがいまどうなっているか、私は消息を聞かない。しかし、あくまでも私の主観に過ぎないとは言え、どう過小に見積もっても、Aさんがこの大麻関係のネットワークを「活用」して活動の場を広げていったのは現実である。つまり、Aさんの活動歴は、大麻常習者の人たちを「踏み台」にしていると考えられるのだが、Aさんはこの前歴をキレイにリセットしてしまい、自分の活動の「光」の部分だけを滔々と述べて、聴衆の喝采を受けている(と聞いている)。

このAさんは「真の住民運動と似て非なる「プロ市民」の運動」に登場した人物とも密接な関係にある。二人は「同志」と表現して良いかも知れない。その「プロ市民」がどんな人物だったかは、エントリーを参照いただきたいが、何となく似ているように感じるのは、私だけだろうか。

私は個人的には防衛力強化論者なので、護憲(9条)論者のAさんの話を聞きに行くことはないだろうが、もし私が護憲論者であっても、Aさんがこの姿勢を変えない限り、私は信用できない。当然である。私自身がAさんの活動に協力しても、何かキズが付けば、切り捨てられる可能性が強いのだから。

「忘れ去られる権利」を行使するのは良いが、乱用してはならない。これは一人ひとりの品性の問題なのかも知れないが、乱用することは心ある人たちからの信用を失うことになることを、地位や知名度の高い人たちは肝に銘じるべきであろう。

2017年3月12日 (日)

民間介護保険におけるケアマネジャー

拙著『これでいいのか? 日本の介護』第二章(P.32)で、民間保険会社の「マネー‐マネジャー」が、サービス利用を最小限に抑制するであろうことを述べた。

しかし、民間保険会社の登場を待たずして、すでに介護保険制度の枠内では、日本全国に「マネー‐マネジャー」が存在する。すなわち、公的介護保険サービス→現物給付を最小限に抑制しようとする行政担当者である。

もちろん、すべてがそうであると言うつもりはないが、行政用語「給付適正化」が事実上、もっぱら「給付抑制」であって、必要な人に対する「給付の加上(上乗せ・横出し等)」を含まない概念である以上、給付適正化に携わる行政職員の多くは、程度の差こそあれ「マネー‐マネジャー」の役割を果たしていると表現して差し支えない。

したがって、これらの行政職員、たとえば介護保険担当課とか、基幹型地域包括支援センターとかの職員は、ある意味で、今後ケアマネジャーが民間介護保険分野に進出するに当たっての「先駆け」をしているとも言うことができる。

ここで、キーワードになるのは「公益性」であろう。

20170312koueki_2

この図は、私がよく講義で使用する図だ(拙著『介護職の文章作成術』P.164にも掲載してある)。縦軸が利用者の利益、横軸が公益である。

左下の領域は、利用者のニーズと給付とのミスマッチから、「自立度の低下」を招く状況。これは利用者にとっても課題解決から遠ざかるだけ害悪であり、意味のないサービスを続けることによって給付母体にも損失を与える。「囲い込みケアマネ」に代表される、最も望ましくない類型だ。

左上の領域は、利用者の要望を偏重したために、「モラルハザード(一方の当事者が意図的に情報の歪曲したり権利を乱用したりすることにより、適切な給付関係が崩れること。一般に「保険詐欺」の意に用いられる)」に至っている状況。「言いなりケアマネ」に代表される、主体性に欠ける支援がこれに当たる。利用者や介護者の希望に対し、「ご無理ごもっとも」と受動的に対応しているうちに、給付母体に打撃を与える類型である。

右下の領域は、給付を抑制することにより、「インフォーマルな支援部分の拡大」に結び付くのだから、一見、良いことのように思われる。もちろん、『これでいいのか?...』にも書いた通り、それが住民の自助・互助意識を啓発する効果はあるだろう。

しかし、本来給付されるのが妥当なサービスまで抑制することにより、生活課題を達成できない利用者が、インフォーマルな資源による支援、それも十全とは言えないシステムに頼らざるを得ない状況が、現実に各地で起こりつつある。これは制度が担保すべき責任の放棄につながり、手放しで喜べるものではない。給付母体に対しては「優しい」一方、肝心な利用者の「最善」を図らないことにもつながるからである。

実は、民間介護保険を手掛けるケアマネジャーが最も陥りやすいであろうと思われるのは、この右下の領域なのだ。その場合、「公益」は「保険会社の営利」に置き換えられるかも知れない。しかし、営利法人であっても本来の望ましい姿が「公器」であることを考えれば、「公益」と重なる部分は少なくない。

ここで話を転換して、民間保険がどう運営されているのか(今後どう運営されるか)について触れてみよう。

民間介護保険の給付の大部分は現金給付であり、そこには大別して二種類の商品が存在する。公的介護保険の要介護度に連動した商品と、連動しない商品である。

公的介護保険と連動する商品は、「要介護〇以上」などの条件が付く。その条件を満たせば介護年金や介護一時金などの給付がなされるので、加入者にとって給付要件の白黒がわかりやすい。ただし、加入時の告知事項の項目により、あらかじめ有しているリスク次第では、入り口でハネられてしまう恐れがある。また、年金型の商品は要介護度が軽くなったら支払われなくなる場合が生じる。裏を返せば、このような制約が緩い商品ほど掛け金の金額は多くなるだろう。

公的介護保険と連動しない商品については、加入や給付申請において、「ホンネは保険給付をなるべく抑制したい」保険会社側の「誰が見ても」、「これまで一定以上のリスクを有しなかった」利用者に対して、その給付が必要である、必要になると納得されるための判断根拠(≒エビデンス)を示すことが大切だ。事業所のケアマネジャーが代理店の生命保険募集人を兼ねるようなことがあれば、一人ひとりの利用者の保険利用に関する判断根拠を明確化する役割を果たさなければならない。

しかし、加入者のケアプランを会社側に提出しても、そのケアプランに対する会社側のチェックは、当然ながら多くの行政機関よりもさらに厳しい。短期目標とサービス内容の一つ一つの項目に関して、担当者から電話やメールで指摘され、ケアマネジャーの判断根拠が脆弱だと「これでは加入(給付)できないよ」と高飛車に告げられることもあるに違いない。

かなり話が逸れてしまったが、これから民間介護保険に加入したい人に対して、ケアマネジャーはこのような商品に対する説明責任を果たし、自らの職能にのっとって的確な仕事をする必要がある。でないと加入者、あるいは加入を希望する利用者から背信行為と見なされる可能性があるからだ。たとえば「うちの居宅でケアプランを作成させていただければ、A社の介護保険をオプションで提供できますよ」と説明して居宅の契約をしたのに、いざその利用者がA社の保険に申し込んだとき、告知事項で門前払いにされてしまったら、ケアマネジャーは「ウソをついた」ことにされかねない。

さて、図に話を戻すと・・・、

右上の領域は、制度を有効利用して、利用者の「自立の促進」に結び付ける支援である。民間保険であれば、「制度」を「契約内容」に置き換えることができる。加入者は保険給付によって必要なサービスを買うことができ、保険会社は適正な仕事をして顧客を確保、増加させて営業利益を上げる。すなわち、加入者と給付母体とが相互にWin-Winの関係になることが理想なのだ。

そのためには、ケアマネジャーが安易に右下の領域にズレ込み、「マネー‐マネジャー」となってしまわないことが肝要である。本来の資格が「介護支援専門員」である以上、倫理綱領に照らして、まずは利用者=加入者の代弁者として、利用者側にとっての最善の仕事をすることが求められる。保険会社の代弁者ではない。実際には保険会社側から有形無形の圧力を受けるであろうから、簡単に割り切れない面があるかも知れないが、あくまでも専門性を帯びた職能のもとに振る舞うのが、ケアマネジャーのあるべき姿であろう。

この基本は、ひるがえって公的介護保険に当てはめることもできる。行政職員や地域包括職員が、「行政用語としての給付適正化」(≒給付抑制)ではなく、「真の給付適正化」(≒必要なサービスの的確な担保)を促進すれば、図の右上の領域の支援を実現することができ、市民と自治体とがWin-Winの関係を築くことができるのだ。

すなわち、民間介護保険でケアマネジャーがどのような仕事をするのか、できるのかによって、公的介護保険の動向にも大きな影響を与える可能性を秘めているのであり、「混合介護」「自立支援介護」のゆくえとも絡めて、今後の業界の動向を注視しなければならないであろう。

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