民間介護保険におけるケアマネジャー
拙著『これでいいのか? 日本の介護』第二章(P.32)で、民間保険会社の「マネー‐マネジャー」が、サービス利用を最小限に抑制するであろうことを述べた。
しかし、民間保険会社の登場を待たずして、すでに介護保険制度の枠内では、日本全国に「マネー‐マネジャー」が存在する。すなわち、公的介護保険サービス→現物給付を最小限に抑制しようとする行政担当者である。
もちろん、すべてがそうであると言うつもりはないが、行政用語「給付適正化」が事実上、もっぱら「給付抑制」であって、必要な人に対する「給付の加上(上乗せ・横出し等)」を含まない概念である以上、給付適正化に携わる行政職員の多くは、程度の差こそあれ「マネー‐マネジャー」の役割を果たしていると表現して差し支えない。
したがって、これらの行政職員、たとえば介護保険担当課とか、基幹型地域包括支援センターとかの職員は、ある意味で、今後ケアマネジャーが民間介護保険分野に進出するに当たっての「先駆け」をしているとも言うことができる。
ここで、キーワードになるのは「公益性」であろう。
この図は、私がよく講義で使用する図だ(拙著『介護職の文章作成術』P.164にも掲載してある)。縦軸が利用者の利益、横軸が公益である。
左下の領域は、利用者のニーズと給付とのミスマッチから、「自立度の低下」を招く状況。これは利用者にとっても課題解決から遠ざかるだけ害悪であり、意味のないサービスを続けることによって給付母体にも損失を与える。「囲い込みケアマネ」に代表される、最も望ましくない類型だ。
左上の領域は、利用者の要望を偏重したために、「モラルハザード(一方の当事者が意図的に情報の歪曲したり権利を乱用したりすることにより、適切な給付関係が崩れること。一般に「保険詐欺」の意に用いられる)」に至っている状況。「言いなりケアマネ」に代表される、主体性に欠ける支援がこれに当たる。利用者や介護者の希望に対し、「ご無理ごもっとも」と受動的に対応しているうちに、給付母体に打撃を与える類型である。
右下の領域は、給付を抑制することにより、「インフォーマルな支援部分の拡大」に結び付くのだから、一見、良いことのように思われる。もちろん、『これでいいのか?...』にも書いた通り、それが住民の自助・互助意識を啓発する効果はあるだろう。
しかし、本来給付されるのが妥当なサービスまで抑制することにより、生活課題を達成できない利用者が、インフォーマルな資源による支援、それも十全とは言えないシステムに頼らざるを得ない状況が、現実に各地で起こりつつある。これは制度が担保すべき責任の放棄につながり、手放しで喜べるものではない。給付母体に対しては「優しい」一方、肝心な利用者の「最善」を図らないことにもつながるからである。
実は、民間介護保険を手掛けるケアマネジャーが最も陥りやすいであろうと思われるのは、この右下の領域なのだ。その場合、「公益」は「保険会社の営利」に置き換えられるかも知れない。しかし、営利法人であっても本来の望ましい姿が「公器」であることを考えれば、「公益」と重なる部分は少なくない。
ここで話を転換して、民間保険がどう運営されているのか(今後どう運営されるか)について触れてみよう。
民間介護保険の給付の大部分は現金給付であり、そこには大別して二種類の商品が存在する。公的介護保険の要介護度に連動した商品と、連動しない商品である。
公的介護保険と連動する商品は、「要介護〇以上」などの条件が付く。その条件を満たせば介護年金や介護一時金などの給付がなされるので、加入者にとって給付要件の白黒がわかりやすい。ただし、加入時の告知事項の項目により、あらかじめ有しているリスク次第では、入り口でハネられてしまう恐れがある。また、年金型の商品は要介護度が軽くなったら支払われなくなる場合が生じる。裏を返せば、このような制約が緩い商品ほど掛け金の金額は多くなるだろう。
公的介護保険と連動しない商品については、加入や給付申請において、「ホンネは保険給付をなるべく抑制したい」保険会社側の「誰が見ても」、「これまで一定以上のリスクを有しなかった」利用者に対して、その給付が必要である、必要になると納得されるための判断根拠(≒エビデンス)を示すことが大切だ。事業所のケアマネジャーが代理店の生命保険募集人を兼ねるようなことがあれば、一人ひとりの利用者の保険利用に関する判断根拠を明確化する役割を果たさなければならない。
しかし、加入者のケアプランを会社側に提出しても、そのケアプランに対する会社側のチェックは、当然ながら多くの行政機関よりもさらに厳しい。短期目標とサービス内容の一つ一つの項目に関して、担当者から電話やメールで指摘され、ケアマネジャーの判断根拠が脆弱だと「これでは加入(給付)できないよ」と高飛車に告げられることもあるに違いない。
かなり話が逸れてしまったが、これから民間介護保険に加入したい人に対して、ケアマネジャーはこのような商品に対する説明責任を果たし、自らの職能にのっとって的確な仕事をする必要がある。でないと加入者、あるいは加入を希望する利用者から背信行為と見なされる可能性があるからだ。たとえば「うちの居宅でケアプランを作成させていただければ、A社の介護保険をオプションで提供できますよ」と説明して居宅の契約をしたのに、いざその利用者がA社の保険に申し込んだとき、告知事項で門前払いにされてしまったら、ケアマネジャーは「ウソをついた」ことにされかねない。
さて、図に話を戻すと・・・、
右上の領域は、制度を有効利用して、利用者の「自立の促進」に結び付ける支援である。民間保険であれば、「制度」を「契約内容」に置き換えることができる。加入者は保険給付によって必要なサービスを買うことができ、保険会社は適正な仕事をして顧客を確保、増加させて営業利益を上げる。すなわち、加入者と給付母体とが相互にWin-Winの関係になることが理想なのだ。
そのためには、ケアマネジャーが安易に右下の領域にズレ込み、「マネー‐マネジャー」となってしまわないことが肝要である。本来の資格が「介護支援専門員」である以上、倫理綱領に照らして、まずは利用者=加入者の代弁者として、利用者側にとっての最善の仕事をすることが求められる。保険会社の代弁者ではない。実際には保険会社側から有形無形の圧力を受けるであろうから、簡単に割り切れない面があるかも知れないが、あくまでも専門性を帯びた職能のもとに振る舞うのが、ケアマネジャーのあるべき姿であろう。
この基本は、ひるがえって公的介護保険に当てはめることもできる。行政職員や地域包括職員が、「行政用語としての給付適正化」(≒給付抑制)ではなく、「真の給付適正化」(≒必要なサービスの的確な担保)を促進すれば、図の右上の領域の支援を実現することができ、市民と自治体とがWin-Winの関係を築くことができるのだ。
すなわち、民間介護保険でケアマネジャーがどのような仕事をするのか、できるのかによって、公的介護保険の動向にも大きな影響を与える可能性を秘めているのであり、「混合介護」「自立支援介護」のゆくえとも絡めて、今後の業界の動向を注視しなければならないであろう。
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