専門性への被用者意識の影響
先日のエントリーに書き連ねた通り、介護支援専門員の行く末は大きな岐路を迎えている。
国の介護保険制度の中で「介護支援専門員」として生き残るのか、それを超えて「ケアマネジャー」として新たな道を求めていくのか、それぞれの選択があろう。
そのような状況下、いつも思うのは、ケアマネジメントの仕事をしている人たちは、「プロフェッショナル」と「被用者」との、どちらの意識が強いのだろう? ということである。
医師や弁護士の大部分は、もちろん前者であろう。研修医とか司法修習生とかの期間は「被用者」に相当する段階なのかも知れないが、それを過ぎれば「個」として独立した一人の専門職である。開業していない状態、たとえば病院の勤務医でも、特定の団体に所属する顧問弁護士であっても、独立した領域を持つ「プロフェッショナル」としての意識を強く持っている人が大部分であろう。
しかし、ケアマネジャーの多くは残念ながらそうではない。就労後に所属の勤務先では「チームで仕事をする」期間が長く、「ここに帰属してお給料をもらう」習慣が次第に根付いていく。それ自体は決して悪いことではないのだが、その環境に安住する状態が長く続くと、二つの大きな課題を抱えることが多い。介護従事者すべてに言えるが、もちろんケアマネジャーにも当てはまる。
小著『これでいいのか?日本の介護』(P.71)にも触れたが、その一つは「組織に物申す気持ちがなかなか起きない」こと、もう一つは「組織の傘のもとに行動してしまう」ことである。
前者は、囲い込みに加担する営業型の介護支援専門員や、現状黙認の後ろ向きな妥協型の介護支援専門員などに類型化される。後者は力量不足なのに組織の後ろ盾を頼みにした「虎の威を借る」介護支援専門員、異動で当分いまの部署に居るだけの「足掛け」介護支援専門員、あるいは常に所属組織至上主義で外部から「社畜」と見なされている介護支援専門員などに類型化されよう。
もちろん、被用者であっても「ケアマネジャー」としての「プロフェッショナル」意識を強く持って働いている介護支援専門員は少なくない。ただ、残念なことに、その割合は医療系や法曹系の職種に比べるとかなり少ない。この点が、歴史の古い専門職から指摘される部分となっている。
先の社会保障審議会・介護給付費分科会(7月19日)では、すでに報じられた通り、居宅介護支援に関する事案について議論された。その中で、相も変わらぬ「一人ケアマネ」に対する批判的な見解が、政策側や医療系団体等から浴びせられたようだ。
当然であるが、同じく「一人ケアマネ」と言っても、自営(厳密に言えば自ら設立した法人の役員兼職員)と被用者とでは大きく状況が異なるので、一括りにされるのはまことに心外千万なのである。
既述の通り、被用者の介護支援専門員でもプロフェッショナルとしての意識の高い人や、これまで情弱であっても機会さえ作ってあげれば積極的に資質や技術の向上に努める人もいるので、すべてネガティブに捉えられるものではない。また自営の介護支援専門員の中にも、単に組織になじめなかったために独立した、自覚や協調性に欠ける一匹狼が存在することも事実である。
しかし、介護保険制度開始からまもなく18年。その間、自営のケアマネジャーは制度を担う介護支援専門員として、れっきとした「開業」の歴史を刻んできた。いつまでも「目に見えない部分の仕事」であるケアマネジメントの報酬を低く据え置く政策側や医療系団体は、その歴史を意図的に過小評価しているとしか考えられない。
裏を返せば、制度開始当初から介護支援専門員が独立して仕事ができる介護報酬の保証さえあれば、プロフェッショナル意識の強い介護支援専門員の割合ははるかに高くなり、一部の不適格な連中を除き、バラツキの大きさを指摘されにくい状況が作られていた可能性もある。
経過はともあれ、「被用者」の意識から脱け出せない介護支援専門員が、いくら歴史の古い専門職と対等な立場を主張しても、空しく響くだけである。「プロフェッショナル」としての意識や自覚をどれだけ強く持つことができるかに、私たちの職能の将来がかかっていると言えよう。
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