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2017年12月

2017年12月30日 (土)

2018年もよろしくお願いします☆

この一年、私にとって二つの大きな「イベント」があった。

一つは、2月から母が要介護状態となり、唯一の家族である私が、ケアマネジャーの仕事を続けつつ、介護や家事をワンオペで担う状況になったこと。

もう一つは、6月に県や市の介護支援専門員職能団体における役職から引退して、業界では1999年以来18年ぶりに無役となったことだ。

もともと、2014年の春あたりから、母のADL(日常生活動作)が低下気味になり、私の行動がかなり不自由になったことは確かだ。特に静岡県レベルでの役職は(場所にもよるが、おおむね)片道一時間以上かけて静岡市まで出掛けなければならず、私にとっていささか負担になっていた。そのため、県ケアマネ協会の役員や事務局からは、会の運営に関して自己中心的、非協力的だと思われたこともあっただろう。二年前に退陣するのも一つの選択であったかも知れないが、諸事情により留任せざるを得ず、今年に至ってしまったのは遺憾に思っている。

さて、介護者としての制約と役職退任、この両者の相乗作用(?)により、私の行動範囲は大幅に縮小することになった。不在中の母の介護を確保するために短期入所生活介護を利用しないと、浜松から外へ出掛けることが難しくなり、かつ、職能団体の役職にあることにより他のケアマネジャーに先んじて取得できた「裏情報」の類が、退任後は入ってこなくなったのである。

この状況から生じる、私のアクティヴィティ低下リスクを補ってくれたのは、SNSのフェイスブックを中心につながっている、全国の業界仲間のみなさんであった。

SNSの優れたところは、全国に散らばっている仲間たちの動向をリアルタイムに近い形で把握できることだ。加えて、介護報酬改定に関係する省庁や団体の動きなどについても、そこに関与している、あるいは関心を持っている仲間がシェアしてくれることにより、最新情報や外部から知り難い情報を獲得することが可能になる。全く便利な社会になったものだ。

私自身、引きこもりにならないように、機会こそ減ったが、業界仲間のみなさんと会うことを心掛けた。8月(浜松)や10月(東京)の飲み会は、私自身が仕掛けた交流の場である。SNSでつながっているとは言え、離れた土地に住んでいる人たちはそれぞれ多用であるから、こちらが受動的な姿勢でいるとなかなか会って話してもらえない。NHK大河で脚光を浴びたかもしれないが、浜松は便利な都市に映りながら、わざわざ立ち寄るとなると、案外素材に乏しい町でもある。

したがって、当地に居ながら情報弱者にならないためには、自分から人が集まる場を作ることは大切である。裏を返せば、(介護負担の分量にもよるが、)介護者として行動が不自由、不便になっても、アクティヴィティを持ち合わせていれば、交流の機会は訪れるのだ。

このことを実感した一年であったので、来年は可能であれば、昨年同様何かを企画して、浜松に人寄せすることを検討したい。主題はやはり、介護業界全体を覆っている「人材不足」あたりになるだろうか。

実現するかどうかは、母の体調や私自身の体調にも左右されるが、現場でさまざまな取り組みをしている人たちが集い、知恵を出し合う場ができればと願う。企画も一人では荷が重いので、協力してくださる方も必要になるだろう。

2018年。分相応なことしかできないにせよ、力の出し惜しみだけはしたくない。

こんな私ですが、来たる年にも変わりなきご声援やご交誼を、よろしくお願いします。

2017年12月19日 (火)

「浜松のラーメン」以外なら...

当地・浜松が本店のラーメン店に関しては過去二回、県都・静岡市のラーメンも一回、当ブログのエントリーで紹介しているが、浜松や静岡に限らず、周辺地域にも美味しいラーメン店はいくつも存在する。とは言え、用事がなければなかなか足を向けることもない。

この機会に、最近一年ぐらいに入店した中で、自分が美味しく感じた店をいくつか挙げてみよう。

島田の「ル‐デッサン」、シャモだしの醤油ラーメン。

Ledessinshamodashishoyu

フランス料理のシェフを長く勤めたオーナーが経営する異色のラーメン店。店内がとてもおしゃれで、他の店では味わえない独特の雰囲気と味覚がある。ローカル局で紹介されたのを見て、一度ぜひ行きたいと思い、所用で島田へ赴いた際に好機だとばかり足を運んだのだが、期待を裏切らない出来であった。次に行けるのはいつのことか...

袋井から浜松へ進出した(現在、本店は磐田)「破天荒・風雅」の黒ラーメン。味玉入り。

Hatenkouajitamakuro

浜松店は東区の旧東海道沿いにあるため、ときどき入店している。メインはつけ麺の店なので、夏はつけ麺にすることが多いが、中太の全粒粉麺を使っているので、ラーメンのほうも歯ごたえがあって美味しく食べられる。味玉の具合がちょうど私好みの味付けで半熟固めなのも好い。「破天荒」ではラーメンのベースが共通、あとは各店のシェフの工夫に任されているとのこと。

磐田市福田にある「地鶏ラーメン・一鳳」のいそ塩ラーメン+味玉。

Ippouisoshio

茨城の地鶏ラーメン研究会からののれん分け店だが、独自の味を工夫している。特にいそ塩は北海道の昆布だしと宮城の岩のりを使用、トロミ感のあるスープがたまらない。メンマが大きめに切ってあって軟らかいのにも満足。車で30分以上かかるのにもかかわらず、年数回出向いている店はここ一軒ぐらいだ。

静岡県ではないが、隣県・三河の「丸源」肉そばも掲げておこう。

Marugennikusoba

全国展開して多くの店舗を抱えているので、ご存知の方も多いだろう。私がときどき行くのが浜松住吉店。看板の肉そばのみならず、醤油、醤油とんこつ、旨塩、どれも秀逸である。ただ、店員さんの掛け声が元気過ぎるため、私にとってはやや苦手で、間遠になっている。グレードはどの品も標準以上で、十分に満足できる水準だ。

他にも、私が知らない人気店がいくつもあると思うので、浜松周辺の方は、ぜひご教示いただきたい。自分の健康(?)のためにも「ラーメン道」を楽しみたいと考えている。

2017年12月18日 (月)

浜松の「ラーメン以外」なら...

この三年ほど、月に10回以上の割合でラーメンを食べているが、もちろん外食がすべてラーメンだというわけではない。

浜松には和・洋・中・アジア・ラテンアメリカなどの各種料理店が百花繚乱で、選ぶには事欠かないのだ。

当地を来訪される方の便宜を意識して、事務所近くの店で、私が比較的よく食べる品目を紹介しておこう。

まずは事務所から東へ徒歩15分ほどのところにある、「東勝軒○秀(まるひで)」のつけ麺。

Toshokentsukemen

つけ麺をラーメンの一形態に分類する人がいるかも知れない。日本におけるつけ麺の隆盛は、この店の大師匠である「大勝軒」の故・山岸一雄が、東池袋で「もりそば」の名称で開発したことが契機となったものであり、いまや全国でさまざまなつけ麺の店が味を競っている。この「○秀」は東池袋の大師匠の味を継承しながら、スープをより濃厚にして油膜で冷めないように工夫するなどのイノベーションを果たしており、冬は特に美味しく感じる。

次に、駅から北へ徒歩3分、「山西刀削麺(とうしょうめん)」の麻辣刀削麺。

Sanseitoushoumen

ラーメンとは異なり、断面が不ぞろいで食感のある極太麺が特徴的で、熱々のスープにとても好く合っている。中国人のオーナーシェフさんだとのことで、現地のホンモノを浜松で味わえるのは幸運。

こちらは、駅に隣接するアクトプラザ5階、「サゴー浪漫舘」の天丼。

Sagoromankantendon

宴会料理もランチも浜松地元の食材が中心。この天丼は、野口英世さんを出してお釣りがくるリーゾナブルな値段。ここでは宴会料理も浜松らしい組み合わせのものを提供しており、業界仲間とはたまにご一緒している。8月には開業16周年を口実にした飲み会も開催した。

それから、同じアクトプラザの地下にある「クマール」のアールーサーグ。

Kumarcurry

ほうれん草とじゃがいものカレーで、長く愛好している。昼食でカレーを食べるのは道筋の関係でこの店ぐらい。オーナーのクマールさんはインドのブッダガヤのご出身で、浜松で4か所ほど店舗を経営し、本場の味を客に楽しませてくれる。アクトプラザの店では年一回程度だがディナーを摂ることもあり、そのときはシュリンプ‐ビルヤーニーとサーグ‐マトンを注文するのがおおむね定番となった。

最後に、市内だけで13店舗を展開する「五味八珍」の浜松餃子。

Gomihattingyouza

浜松餃子と言えば、もやしが添えてあるものを思い浮かべる方が多いかも知れないが、もやしは必須ではなく、大切なのは豚肉やキャベツなどに地元の食材を使うことだ。駅ビルのメイワン店などの各店舗では、もちろん浜松餃子を食べられるのだが、ここでは冷凍餃子を家庭向けに販売しているので、私もときどき購入して、家で調理している(画像)。トリセツに書いてある通り、仕上げにゴマ油を垂らすのがミソ。

以上、ラーメン以外で比較的食べる機会が多い(...と言っても、ラーメンに比べると少ないことも事実だが...)品目を紹介してみた。

他に、私はめったに食べに行かないが、浜松には古くから永住する朝鮮半島の人たちや、ブラジルやペルーから移住している労働者も多いので、駅近くや集住地区には韓国料理や南米系料理の店も散見する。多様性も当地の大きな魅力の一つだ。

食文化の発展が、そのまま町の発展に結び付く浜松であってほしい。

2017年12月15日 (金)

食物を大切にしない文化は、やがて滅びる

「食品ロス」が大きな社会問題となっている。

現実には、私自身もしばしば、余った食物を消費期限までに食べ切れずに捨ててしまうことがある。うちの家族は老母と私との二人だけなので、肉、魚、野菜、漬物・佃煮類、レトルト食品など、いずれも慎重に期限を確認しながら、分量を見計らって購入しているつもりだが、それでも一定程度の食品ロスは免れない。反省しきりだとは言え、なかなか改善に至らないのが正直なところだ。

こんな現状ではあるが、それでも勝手な言い分であることは承知の上で言わせてもらえば、慎重に見積もった上での計算ミスから発生した「過失」の食品ロスであれば、まだ許されるのではないか。

しかし、食品ロスには明らかに「故意」のものがあるのだ。

具体的な社名は控えるが、複数の大手コンビニでは、加盟店に意図的な食品ロスを強いているとしか考えられない行為をしている。

たとえば、初春の「恵方巻」セールなどがそうだ。本部ではこれでもかと言わんばかりにキャンペーンを繰り返し、いたしかたなく買い取って棚に並べた加盟店では、少なからぬ売れ残りが発生して、大量廃棄を余儀なくされている。どう考えてもこれは本部側にとって「織り込み済み」の結末であると理解するしかない。

本エントリーはコンビニの本部と加盟店との財政的な課題を論じる場ではないので、それは別の機会に譲るが、ここで言いたいのは、「利用客からの見栄えを意識して、加盟店の棚に十分な分量の自社食品を並べさせる」本部側の姿勢が、大量の廃棄を招き、深刻な食品ロスの原因を作っていることだ。これは明らかに「故意」であろう。

この現象を年中繰り返しているコンビニ本部の道義的責任は大きい。にもかかわらず、本部では賞味期限(消費期限ではない)が近づいた食品の見切り値下げ販売さえ(表面上はともかく、事実上は)認めない方針を採っている。複数のコンビニ会社に共通する体質だ。詳細な計算方法は私の知るところではないが、見切りを禁止したほうが本部の利得になるようである。これでは、加盟店側としてはまだ食べられるものまで廃棄せざるを得ない。

当該食品の生産者は、手間をかけて作った食材や食品を廃棄されて、どれほど悔しい思いをしていることか。また、世界中でどれほどの人々が飢餓に苦しんでいることか。

カトリック浜松教会の何代か前の主任司祭が、教会のパーティーで相当量の食品ロスが発生したとき、そこに集った私を含むメンバーに対して、「では、償いとして、あなたたちがこれから廃棄する食べ物と同じ金額を、みなさんで等分してユニセフに寄付してください」と諭したことがある。キリスト者としてはそうあるのが当然で、たとえ見積もり違いの過失であっても、食物を捨てることは、「小罪」であるとは言え「罪」にほかならない。償いを求める司祭の姿勢は真っ当である。

ましてや、故意に食品ロスを作り出すことは、私たちの宗教観から見れば「大罪」に匹敵する行為である。そのような「大罪」を平然と犯す人たちの神経が理解できない。

そして、これはコンビニ会社の本部経営者をスケープゴートにして叩けば良い話ではない。私たちの周囲にも、この人たちと同じ「大罪」に陥りそうな要素は少なくない。インスタ映えする食物の画像を撮って食べずに去る若者などは、まさに「大罪」の予備軍であろう。

食物を大切にしない文化は、やがて滅びる。私たちは日常生活の中で、この現状に危機感を持っているだろうか? 自分自身の振る舞いを日々振り返りたいものである。

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