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2017年12月15日 (金)

食物を大切にしない文化は、やがて滅びる

「食品ロス」が大きな社会問題となっている。

現実には、私自身もしばしば、余った食物を消費期限までに食べ切れずに捨ててしまうことがある。うちの家族は老母と私との二人だけなので、肉、魚、野菜、漬物・佃煮類、レトルト食品など、いずれも慎重に期限を確認しながら、分量を見計らって購入しているつもりだが、それでも一定程度の食品ロスは免れない。反省しきりだとは言え、なかなか改善に至らないのが正直なところだ。

こんな現状ではあるが、それでも勝手な言い分であることは承知の上で言わせてもらえば、慎重に見積もった上での計算ミスから発生した「過失」の食品ロスであれば、まだ許されるのではないか。

しかし、食品ロスには明らかに「故意」のものがあるのだ。

具体的な社名は控えるが、複数の大手コンビニでは、加盟店に意図的な食品ロスを強いているとしか考えられない行為をしている。

たとえば、初春の「恵方巻」セールなどがそうだ。本部ではこれでもかと言わんばかりにキャンペーンを繰り返し、いたしかたなく買い取って棚に並べた加盟店では、少なからぬ売れ残りが発生して、大量廃棄を余儀なくされている。どう考えてもこれは本部側にとって「織り込み済み」の結末であると理解するしかない。

本エントリーはコンビニの本部と加盟店との財政的な課題を論じる場ではないので、それは別の機会に譲るが、ここで言いたいのは、「利用客からの見栄えを意識して、加盟店の棚に十分な分量の自社食品を並べさせる」本部側の姿勢が、大量の廃棄を招き、深刻な食品ロスの原因を作っていることだ。これは明らかに「故意」であろう。

この現象を年中繰り返しているコンビニ本部の道義的責任は大きい。にもかかわらず、本部では賞味期限(消費期限ではない)が近づいた食品の見切り値下げ販売さえ(表面上はともかく、事実上は)認めない方針を採っている。複数のコンビニ会社に共通する体質だ。詳細な計算方法は私の知るところではないが、見切りを禁止したほうが本部の利得になるようである。これでは、加盟店側としてはまだ食べられるものまで廃棄せざるを得ない。

当該食品の生産者は、手間をかけて作った食材や食品を廃棄されて、どれほど悔しい思いをしていることか。また、世界中でどれほどの人々が飢餓に苦しんでいることか。

カトリック浜松教会の何代か前の主任司祭が、教会のパーティーで相当量の食品ロスが発生したとき、そこに集った私を含むメンバーに対して、「では、償いとして、あなたたちがこれから廃棄する食べ物と同じ金額を、みなさんで等分してユニセフに寄付してください」と諭したことがある。キリスト者としてはそうあるのが当然で、たとえ見積もり違いの過失であっても、食物を捨てることは、「小罪」であるとは言え「罪」にほかならない。償いを求める司祭の姿勢は真っ当である。

ましてや、故意に食品ロスを作り出すことは、私たちの宗教観から見れば「大罪」に匹敵する行為である。そのような「大罪」を平然と犯す人たちの神経が理解できない。

そして、これはコンビニ会社の本部経営者をスケープゴートにして叩けば良い話ではない。私たちの周囲にも、この人たちと同じ「大罪」に陥りそうな要素は少なくない。インスタ映えする食物の画像を撮って食べずに去る若者などは、まさに「大罪」の予備軍であろう。

食物を大切にしない文化は、やがて滅びる。私たちは日常生活の中で、この現状に危機感を持っているだろうか? 自分自身の振る舞いを日々振り返りたいものである。

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