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2018年1月 8日 (月)

ワーグナー楽劇の面白さ(11)

前回から続く)

(4)ハンス‐ザックス(= Hans Sachs/1494-1576)

ワーグナーの楽劇『ニュルンベルクのマイスタージンガー』(1868初演)の主人公。
ニュルンベルクに生まれ、靴屋の修行を終えて各地を遍歴、帰郷してから靴屋の親方として独立する傍ら、詩や論文を次々と発表した。宗教改革ではルター(ルーテル)派を支持したため、カトリック側の市当局から作品の出版禁止処分を受けるが、のちに解禁されて創作活動を再開。作品は実に多様で、歌曲、詩作、劇作、散文など数千にのぼる。家庭的には不幸で、子どもたちや妻に先立たれ、晩年に若い寡婦と再婚、その後はおもに叙情詩を書いた。劇中第三幕で群衆が合唱する「ヴィッテンベルクの鶯」の詩は、ザックス自身の作品にほかならない。

劇中に登場するマイスターたちも実在の人物である。ハンス‐フォルツ(= Hans Folz/?-1513)は外科医・理髪師であり、マイスターの組合規則を一新させ、ザックスの先駆的人物となった。劇中ではコケ役にされているジクストゥス‐ベックメッサー(= Sixtus Beckmesser)は年代記に名前だけ登場するが、活躍した時期や事績は知られておらず、他のマイスターたちも多くは無名である。
現実にはニュルンベルク市当局の統制下の一組合に過ぎなかったマイスタージンガーたちだが、ワーグナーは彼らを市全体の仕切り役として誇大に位置付け、ドイツ芸術を賛美するとともに、国家の統一を後押しする作品に仕上げた。
ナショナリズムの色彩が強い楽劇であるだけに、後世に及ぼした功罪が取り沙汰されるが、ザックスをはじめとするマイスターたちは、いまでも古きヨーロッパに対する私たちのノスタルジーを湧き立てる存在だと言えよう。

(5)ブルンヒルド(= BrunichildまたはBrunhilda/543頃-613)

ワーグナーの楽劇『ワルキューレ』(1870初演)の主人公で、『ニーベルングの指環』全編を通しての重要登場人物。
この人が実在の人物だと聞いて驚く読者があるかも。「エッ? ブリュンヒルデって北欧神話のワルキューレじゃなかったの?」 実は話が逆で、12世紀頃のアイスランドにおいて『古エッダ』『ヴォルスンガ‐サガ』などの神話・伝説が文章化された時期、虚構のワルキューレの中へ、現実の王妃の姿が投影されたと考えるのが正しいようだ。
西ゴート(スペイン)の王女として生まれ、フランク王国の分邦であったアウストラシア国王ジギベルト1世に嫁いだが、実姉や夫を殺害した仇敵であるネウストリア王妃フレーデグンデや、その息子クロタール2世と抗争を繰り返した。実質的なアウストラシア女王として権力を掌握、政略再婚も辞さない強力な権謀術策を駆使し、自ら甲冑を着け馬にまたがり、武器を携えて戦場へ赴いている。義兄のブルグント王グントラムと結び、その没後は両国を事実上支配下に置き、ヴォルムスを都としたが、クロタール2世の偽計にかかって捕えられ、家族もろとも惨殺された。

ゲルマン民族の「戦う女性」の代表だったブルンヒルドは、北欧神話の世界アイスランドから、13世紀に成立した叙事詩『ニーベルンゲンの歌』によって、ブルグントへいわば里帰りを果たした。
ワーグナーはおもに『ヴォルスンガ‐サガ』を題材に『指環』を構成しているが、「権力の争奪」が主題の劇中で、ブリュンヒルデは強い良心や信念に基づいて行動する女性として登場する。史実では権力に執着した彼女が、『指環』では逆に権力争奪の混乱を終結させる役割を担うのも、皮肉な話である。

(6)グンダハール(= GundaharまたはGundikar/?-437)

ワーグナーの楽劇『神々のたそがれ』(1876初演)の重要登場人物。
劇中のグンターとは異なる勇猛果敢な君主であった。はじめはローマ帝国の同盟部族長としてガリア東部(いまの仏・独・スイスにまたがる地域)を統治していたが、413年頃にヴォルムスを都として、ライン川沿岸にブルグント族の独立国家を形成する。野心家のグンダハールはさらに勢力拡大を目指して北の低地地方へ攻め入ったため、危機を感じたローマの将軍アエティウスはフン族の王アッティラに救援を求めた。アッティラの騎馬軍団は大挙してヴォルムスを攻撃、グンダハールはおもな部下たちとともに戦死し、ブルグント王国は滅亡した(数年後に再建)。

史実では彼の6代後の子孫に当たるグントラム(独立ブルグント最後の王)の義妹・ブルンヒルドとは時代が違うから、二人が夫婦になる設定は全くの虚構なのだ。
とは言え、このグンダハールもブルンヒルド同様、アイスランドで『ヴォルスンガ‐サガ』中の「グンナール」として伝説に取り込まれ、叙事詩『ニーベルンゲンの歌』では「グンター」としてヴォルムスに里帰りした。ゲルマンの勇将も叙事詩では優柔不断な国王として描かれ、『神々のたそがれ』に至っては、ハーゲンに操られて身を滅ぼす哀れな殿様に貶められている。
ワーグナーの意図は、権力の争奪に翻弄されて進むべき道を見失う人たちの姿を描くことだったから、グンターには個性の強いブリュンヒルデ、ジークフリート、ハーゲンの間を右往左往するコケ役を割り当てたのであろう。天国のグンダハールは苦笑しているかも知れない(^^;

さて、少し間を置いて、こんどはヴェルディ歌劇に登場する実在人物たちの姿を追ってみよう。

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