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2018年1月

2018年1月30日 (火)

永遠のローマ?

家の中を整理していると、思いがけないものを発見することがある。

昨年末、冬になったので防寒具を出そうと、あまり出し入れしなかった引き出しを開けてみたところ、奥のほうにしまい込んであったものを見つけた。

それは、画像のマフラーである。

Muffler

17年前、ローマへ巡礼したとき、西欧は4月下旬にもかかわらず、季節外れの寒波に見舞われていた。到着して早々、マフラーを持って来れば良かった! と後悔した私は、取り急ぎ、カゼをひかないうちに調達しようと、衣類を扱っている店に立ち寄ったのだが、店の人からは、もう時期的にマフラーを置いていないと言われ、

「サッカーの店へ行きなさいよ!」

と告げられた。そもそもサッカーに縁のなく、サポーターのグッズについて無知だった私は、聞き間違いかな?と思いながら、半信半疑でサッカー用品を扱う店を訪れ、マフラーがあるか尋ねたら、店の人がこれを出してきたのだ。

「ここはローマだから、ローマ(=ASローマ。セリエAのクラブチーム)のマフラーを買ってくれ!」

こう言われたので、とにかく何か襟巻の類さえあれば良かった私は、一も二もなくこれを購入した。

さて、このマフラーを首に巻き付けてローマ市内を観光していると、現地の若い人たちがこれに注目したらしく、近くに寄ってきた。

「あなたは日本から来たの?」

「そうだよ」

「なら、ナカタの応援に来たんだな。きのうナカタが一点入れたぞ!...」

早い話が、当時ASローマで活躍していた中田英寿選手を応援するためにイタリアまで来たものと、勘違いされてしまったのだ! 「いやいや、私はただの観光客なので...」とその場を逃れたのだが...(^^;

イタリアではサポーターたちの地元クラブチームへの思い入れは、相当熱が入っているようだ。ま、「永遠のローマ」の象徴であるオオカミのシンボルを用いているこのチームは、日本のJリーグのチームよりもずっと歴史が古いのだから、当然かも知れないが...

そんな面白いエピソードを持つ一品だが、帰国後、大切にしまい込んで、使わないままになっていた。先の12月になって、偶然これを発見したので、寒波が厳しいこの冬の防寒具として重宝している。

さすがに日本では、サッカーのサポーターおじさんと間違われることはないだろうが、私がこれを着用して道を歩く姿は、若い人たちの眼には結構アンバランスに映っているかも知れない。

当分、冬の間は「永遠のローマ」仕様で行こうかと思っている(^^)v

2018年1月20日 (土)

ところ変われば...

去る13日(土)、島根県の安来地域介護支援専門員協会からご依頼をいただき、同会の研修会における文章作成講座の講義のために、安来市まで出向いてきた。

安来市と言えば「どじょう」の街。「うなぎ」の街である浜松からお邪魔することになったのも、何かのご縁であろう。

今回お招きいただいたきっかけは、同団体の会長を務めておられる宇山広さん(お仕事は小規模多機能型居宅介護の所長。以前は島根県介護支援専門員協会の副会長もされていた)とFacebookでのつながりができ、宇山さんが私のしょうもない駄文に目を留めてくださったことだ。事情はともかく、私のようにマイナーな講師から見れば、わざわざ遠方から出講のご依頼をいただくのは、ありがたいことである。

早朝に家を出て、新幹線で西へ向かい、岡山駅で伯備線の特急「やくも」に乗り換える。今回は残念ながら素通りであったが、岡山の方から教えていただいた三好野の「祭り寿司」を駅で購入。「極(きわみ)」と称する1,480円のお弁当はなかなか豪華。こんなときでなければ味わえない一品だ。

20180113matsurizushi

乗り継ぎを含めると、電車に乗ること約6時間。安来は島根県の東の入口であるにもかかわらず、浜松からはたっぷりと距離がある。

安来駅に到着すると、宇山さんご自身がお迎えに来てくださった。本当は握手をしたかったのだが、私の両手は皮脂欠乏症に加えて「遠州のからっ風」の影響もあり、「あかぎれ」がひどかったので、ご迷惑になってはと思い断念。雪道の中、宇山さんのお車で広瀬町の会場まで向かう。15時から講義開始。

20180113bunshousakusei

演習を含めて三時間。おそらく安来地域のケアマネジャーさんたちの大部分は、社会人になってから「国語の授業」を受けることになるとは想像されていなかったのではないか。文章の出来次第で意図が伝わらないことも起こり得ることを例示しながら、簡単な国文法に踏み込んで、助動詞や助詞「てにをは」の使い方について解説。終盤では、単なる文章作成技術の向上で終わるのではなく、それを私たちの仕事の評価につなげていくことが大切であることを説いた。

研修会が終了したあと、駅近くで宇山さんと一杯。途中からは、遠路、大田市から駆け付けてくださった野際智紀さん(宇山さんの友人、同じく小規模多機能の管理者)が合流。野際さんともFacebookでつながっており、先年は東京で昼食をご一緒する計画もあったが、氏の予定変更により、お会いするのを逸したことがある。そのこともあり、三人で鍋を囲んだのは嬉しいひとときであった。

島根県は「アローチャート」の先進地域でもあるので、お二人はこの分野への造詣も深い。とは言え、それをどう使いこなすのか、考え方には人それぞれに差異も大きいようだ。お二人からは、学会などにおける研究成果積み上げとは別に、現場のアセスメントで誰もが使いやすいものをどう普及させるかの課題についても、検討が求められていることへの言及があった。「陸の孤島」である浜松のアローチャート自主勉強会「矢万図浜松」としても、大いに参考になるお話が聴けたと思う。

一夜が明けて、朝、ホテルの外へ出ると、昨夜から降り続いた雪景色。雪道用のブーツを履いてきたのは正解であった。

20180114yukigeshiki

チェックアウトした後、お二人のご案内で西へ。日曜日であったが、途中で宇山さんのもとに事業所のスタッフから相談の電話が入る。小規模多機能は臨機応変に対応できるメリットがある一方、包括報酬であるためどうしてもオーバーワークになりやすい。現実にはどの事業所も、運営にかなり厳しい面が出ているとのことで、安来市のような人口密度が少ない地域であればなおさら、遠隔地の利用者のためにどこまで対応するのか、悩ましいところであろう。

午前中に松江まで出向き、松江城近傍を見学。天守閣には昔登ったことがあるので、今回は時間の制約から割愛し、周辺の建物や武家屋敷を散策した。

この辺りの名所は江戸時代の遺構だけではない。城の近くには旧日銀松江支店の建物を活用した「カラコロ工房」なる場所もある。伝統と前衛とが交錯したユニークな空間だ。ファッションを軸に、グルメや体験コーナーもあり、地元の人も旅行者も楽しめる店がいくつも共存している。

昼食後、地元のキャンペーンをしている「お侍さん」たちにお願いして、記念写真を撮ってもらった。私の向かって左が宇山さん、右が野際さん。散策終了後、野際さんは好きなお酒を求めて別方向へ。

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安来へ戻る車中で、宇山さんが島根県の介護業界の現状をお話しくださった。他県同様に人材不足であるが、ケアマネジャーの研修指導陣にしても、いま中核になっておられる宇山さんや野際さんの世代である40代の方々が、その次の世代の人材を発掘するのが難しく、苦労されているとのこと。当・静岡県の状況に比較すると、かなり深刻かと受け止めた。この現状を国の政策担当者はどこまで実感し把握しているのだろうか。

いろいろな思いを巡らしながら、安来駅で宇山さんと別れ、帰路は再び「やくも」に乗り、岡山経由で新幹線に乗り換え、浜松へ戻った。

ところ変われば事情も変わる。静岡県や浜松市でも業界の課題は少なくないが、他の地域と比較参照することにより、別の視点からの知見が加わる。今回の目的は出講であったが、自分自身の学びの機会を持つこともできた、たいへん有意義な二日間であった。

2018年1月 8日 (月)

ワーグナー楽劇の面白さ(11)

前回から続く)

(4)ハンス‐ザックス(= Hans Sachs/1494-1576)

ワーグナーの楽劇『ニュルンベルクのマイスタージンガー』(1868初演)の主人公。
ニュルンベルクに生まれ、靴屋の修行を終えて各地を遍歴、帰郷してから靴屋の親方として独立する傍ら、詩や論文を次々と発表した。宗教改革ではルター(ルーテル)派を支持したため、カトリック側の市当局から作品の出版禁止処分を受けるが、のちに解禁されて創作活動を再開。作品は実に多様で、歌曲、詩作、劇作、散文など数千にのぼる。家庭的には不幸で、子どもたちや妻に先立たれ、晩年に若い寡婦と再婚、その後はおもに叙情詩を書いた。劇中第三幕で群衆が合唱する「ヴィッテンベルクの鶯」の詩は、ザックス自身の作品にほかならない。

劇中に登場するマイスターたちも実在の人物である。ハンス‐フォルツ(= Hans Folz/?-1513)は外科医・理髪師であり、マイスターの組合規則を一新させ、ザックスの先駆的人物となった。劇中ではコケ役にされているジクストゥス‐ベックメッサー(= Sixtus Beckmesser)は年代記に名前だけ登場するが、活躍した時期や事績は知られておらず、他のマイスターたちも多くは無名である。
現実にはニュルンベルク市当局の統制下の一組合に過ぎなかったマイスタージンガーたちだが、ワーグナーは彼らを市全体の仕切り役として誇大に位置付け、ドイツ芸術を賛美するとともに、国家の統一を後押しする作品に仕上げた。
ナショナリズムの色彩が強い楽劇であるだけに、後世に及ぼした功罪が取り沙汰されるが、ザックスをはじめとするマイスターたちは、いまでも古きヨーロッパに対する私たちのノスタルジーを湧き立てる存在だと言えよう。

(5)ブルンヒルド(= BrunichildまたはBrunhilda/543頃-613)

ワーグナーの楽劇『ワルキューレ』(1870初演)の主人公で、『ニーベルングの指環』全編を通しての重要登場人物。
この人が実在の人物だと聞いて驚く読者があるかも。「エッ? ブリュンヒルデって北欧神話のワルキューレじゃなかったの?」 実は話が逆で、12世紀頃のアイスランドにおいて『古エッダ』『ヴォルスンガ‐サガ』などの神話・伝説が文章化された時期、虚構のワルキューレの中へ、現実の王妃の姿が投影されたと考えるのが正しいようだ。
西ゴート(スペイン)の王女として生まれ、フランク王国の分邦であったアウストラシア国王ジギベルト1世に嫁いだが、実姉や夫を殺害した仇敵であるネウストリア王妃フレーデグンデや、その息子クロタール2世と抗争を繰り返した。実質的なアウストラシア女王として権力を掌握、政略再婚も辞さない強力な権謀術策を駆使し、自ら甲冑を着け馬にまたがり、武器を携えて戦場へ赴いている。義兄のブルグント王グントラムと結び、その没後は両国を事実上支配下に置き、ヴォルムスを都としたが、クロタール2世の偽計にかかって捕えられ、家族もろとも惨殺された。

ゲルマン民族の「戦う女性」の代表だったブルンヒルドは、北欧神話の世界アイスランドから、13世紀に成立した叙事詩『ニーベルンゲンの歌』によって、ブルグントへいわば里帰りを果たした。
ワーグナーはおもに『ヴォルスンガ‐サガ』を題材に『指環』を構成しているが、「権力の争奪」が主題の劇中で、ブリュンヒルデは強い良心や信念に基づいて行動する女性として登場する。史実では権力に執着した彼女が、『指環』では逆に権力争奪の混乱を終結させる役割を担うのも、皮肉な話である。

(6)グンダハール(= GundaharまたはGundikar/?-437)

ワーグナーの楽劇『神々のたそがれ』(1876初演)の重要登場人物。
劇中のグンターとは異なる勇猛果敢な君主であった。はじめはローマ帝国の同盟部族長としてガリア東部(いまの仏・独・スイスにまたがる地域)を統治していたが、413年頃にヴォルムスを都として、ライン川沿岸にブルグント族の独立国家を形成する。野心家のグンダハールはさらに勢力拡大を目指して北の低地地方へ攻め入ったため、危機を感じたローマの将軍アエティウスはフン族の王アッティラに救援を求めた。アッティラの騎馬軍団は大挙してヴォルムスを攻撃、グンダハールはおもな部下たちとともに戦死し、ブルグント王国は滅亡した(数年後に再建)。

史実では彼の6代後の子孫に当たるグントラム(独立ブルグント最後の王)の義妹・ブルンヒルドとは時代が違うから、二人が夫婦になる設定は全くの虚構なのだ。
とは言え、このグンダハールもブルンヒルド同様、アイスランドで『ヴォルスンガ‐サガ』中の「グンナール」として伝説に取り込まれ、叙事詩『ニーベルンゲンの歌』では「グンター」としてヴォルムスに里帰りした。ゲルマンの勇将も叙事詩では優柔不断な国王として描かれ、『神々のたそがれ』に至っては、ハーゲンに操られて身を滅ぼす哀れな殿様に貶められている。
ワーグナーの意図は、権力の争奪に翻弄されて進むべき道を見失う人たちの姿を描くことだったから、グンターには個性の強いブリュンヒルデ、ジークフリート、ハーゲンの間を右往左往するコケ役を割り当てたのであろう。天国のグンダハールは苦笑しているかも知れない(^^;

さて、少し間を置いて、こんどはヴェルディ歌劇に登場する実在人物たちの姿を追ってみよう。

2018年1月 7日 (日)

ワーグナー楽劇の面白さ(10)

今回は、昨年12月、Facebookに友達限定でエントリーした記事の再掲である。

現代でも、ドラマや映画の中で、実在の人物が史実とかけ離れた姿に描かれることは、日常茶飯事だが、19世紀を代表する二大オペラ作家の作品にも、それは多くあった。

私が愛好しているR.ワーグナー(1813-83)とG.ヴェルディ(1813-1901)の楽劇・歌劇に登場する主人公や重要登場人物のうち、歴史上実在した人について、現実の人物像を紹介してみたい。史実がどのように改変されたのか? その背景は? 現代にも生きる教訓は? ...などなど、私の主観と偏見であるが...

まずはワーグナーから。

(1)コーラ‐ディ‐リエンツォ(= Cola di Rienzo/1313頃-54)

ワーグナーの歌劇『リエンツィ』(1842初演)のタイトルロール(題名の主人公)。
ローマの公証人だったが、古代ローマ帝国の栄光を夢見てアヴィニョンへ赴き、教皇の支持を得てローマで議会を招集し、伝統の官職「護民官」を復活させて自ら就任。税制を改めて貴族たちを抑え込んだが、次第に誇大妄想が強くなり、敵対者から追放されてアヴィニョンに軟禁される。その後、ローマに戻って復権するが、強権政治に走ったため、一年もしないうちに民衆の反乱により逮捕、惨殺された。

ワーグナーの劇中でのリエンツィは、常に民衆を前にして大見得を切りながら登場、最後は敵の謀略により民衆から離反され、妹と手を携えて火中に死を遂げる。復権後の実在のリエンツォは生活態度も乱れた哀れな独裁者だったのだが、劇中では終始悲劇の英雄として描かれている。
ワーグナーはフランス‐グランド‐オペラの様式に初挑戦して、狙い通りの大成功を収めた。しかし後世、ヒトラーがこの歌劇に感動して政治家を目指したエピソードが伝わるなど、リエンツォの美化がドイツの政治に予想外の副作用を及ぼしたようだ。
敵対者のステファーノ‐コロンナも、民衆扇動者(劇中ではリエンツィの部下として登場)のバロンチェッリも、実在の人物である。都市国家の中で派閥抗争が常態化していた当時のイタリアの政情を、よく表現している歌劇である。

(2)ヴォルフラム‐フォン‐エシェンバッハ(= Wolfram von Eschenbach/1170前後-1220頃)

ワーグナーの歌劇『タンホイザー』(1845初演)の重要登場人物。
アンスバッハ近郊の村の従士層出身だが、さまざまな部門の学識をラテン語で身に着ける機会に恵まれたようだ。ドイツ各地の宮廷を遍歴して、おもに叙事詩を歌う吟遊詩人として活躍した。中でも『パルツィファル』はこの時代のドイツ文学を代表する長大な叙事詩として知られ、ワーグナー最後の作品『パルジファル』の素材にもなっている。

同時代のヴァルター‐フォン‐デァ‐フォーゲルヴァイデ(= Walther von der Vogelweide/1170頃-1230頃)も同じく高名な吟遊詩人で、叙情詩作家の代表格。この二人をはじめ、著名な詩人たちをテューリンゲンに招き、ヴァルトブルクの歌合戦(1206)を開催したヘルマン地方伯(= Landgraf Hermann von Thüringen/1155頃-1217)も実在の君主である。
ワーグナーはこの歌合戦と「タンホイザー伝説」とを合体させ、ヘルマンの息子の妻であった聖女エリーザベト(= Elisabeth von Ungarn/1207-31)の年齢や事績をかなり改変し、「理解されない芸術家」タンホイザーを救済する女性として、歌劇のストーリーに組み込んだ。
他方、ヴォルフラムは劇中では脇役の立場になり、ヴァルターに至っては史実から大幅に矮小化され、紋切り型の詩人になってしまっている。もっともワーグナーは、後の作品『ニュルンベルクのマイスタージンガー』の中にヴァルターの名を登場させ、その権威を少しく持ち上げてはいるが…

(3)ハインリヒ‐フォン‐リーウドルフィンガー(= Heinrich von Liudolfinger/876-936)

ワーグナーの歌劇『ローエングリン』(1850初演)の重要登場人物。
中世初期のドイツに分立する部族国家の一つ、ザクセンの大公(君主)であり、前国王コンラートの没後、貴族たちからドイツ国王に選出。狩猟が大好きで「デァ‐フォグラー(鳥を捕まえる王)」とあだ名されている。ドイツ国内の他部族を勢力下に置くことに腐心し、また、北方のデンマークや東方のマジャール(=ハンガリー)と戦ってドイツの領土を保全、西フランク(=フランス)との境界を定めるなど、国家の基盤整備に貢献した。

他方、敵役の魔女オルトルートは架空の人物だが、ラドボード家の息女という設定になっている。ラドボード家は古代末期の低地地方(現代のベネルクス)を代表する異教勢力で、フランク王国の拡張によるキリスト教化に対し頑強に抵抗した一族として知られている。
ワーグナーがローエングリン伝説と直接関係ないハインリヒ王の時代に歌劇の時代を設定したのは、ローエングリンとエルザの愛の破綻をメイン・テーマに据えながら、ハインリヒ王の統一事業に対するラドボード家による妨害を隠れたテーマとして扱い、19世紀のドイツ統一を阻む地方勢力を表現しようとしたものであろう。作曲当時の政治情勢を反映したものとして、興味深い。

次回へ続く)

2018年1月 3日 (水)

年末年始の過ごし方

2018年、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

さて...

正月三が日も大事なく過ぎそうであり、明日からは仕事モードになる。特段のことが起こらない限り、私の年末年始の過ごし方は、ここ数年、パターンがほぼ定まっている。

12月28日に仕事納め。

12月29日から冬休みで、まずは部分的に掃除。いろいろ事情があり、この時期に大掃除を集中的にはやらないことにしている。とは言え、家の片付けなど、前日までになかなかできなかったことをこなすのは、この日になる。今回は母が午後にショートステイから帰宅したので迎え入れた。

12月30日は短時間だけ事務所に出向く。今回はこの日に退院された利用者さんがいたので、居宅訪問して退院直後の状態を確認、ケアプランを更新した。

12月31日、年末最後のパン朝食。午前中に買い物。昼食は年越しそばを食べ、年内に済ましておいたほうが良い家事は午後から処理。夕食後、原則としてTVは見ずに、自分の精神の糧になる読書やDVD(またはBD)視聴をする。カウントダウンはTVでBSジャパンのジルヴェスター‐コンサートを鑑賞するのが定番。今回は母が別のTVでNHK「ゆく年くる年」を見ていたので、日付が変わってから新年のあいさつを交わした。

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1月1日、この日から朝食を餅に切り替え。カトリック教会の典礼暦では「神の母聖マリアの祝日」である。浜松教会では年越しのミサもあるが、こちらに出ていると母が就寝する時間になってしまうので、行ったことはない。今年は10時からのミサに参列、一年の始まりの日に、神から与えられた自分の役割を思い起こし、気持ちを新たにするひとときだ。仏教や神道の人たちにとっての「初詣」とはちょっと違う面もあるが、重なる部分もあるだろう。帰宅後は地元浜松の総菜屋から購入したおせち料理で昼食を摂るが、品目が多彩で十分楽しめる。夕方から日テレ(当地では静岡第一テレビ)の「笑点」2時間スペシャルを視聴。

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1月2日、朝はおせちの残りを食べ切り、午前中はゆったり過ごす。午後から短時間、事務所に出向き、たまっている前月の実績(各サービス事業者からの「利用者○○様には、この日にこのサービスを提供した」報告書面)FAXと、年賀状とを整理し、電話着信も確認する。今回は特段急用らしい着信もなかったので、手短に書類を処理して、夕方には行きつけの量販店へ立ち寄って今年最初の買い物を済ませた。

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1月3日、唯一の「外出しない日」である。よほど特別なことがない限り、この日は終日在宅。日中は読書やDVD視聴が中心。夜間はNHK総合の「ニューイヤー・オペラコンサート」を視聴するが、最近は夕食時間の関係で、録画で鑑賞することが多くなっている。また、今回は1月中旬に他県へ出講予定であるため、その準備もした。明日からやらなければならない用務を、怠りなく進められるように、少し先まで予定を確認しておく。

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毎年、こんな感じである。

この期間の夕食のおかずは、ほぼ手製の一品料理になっている。母と二人だから、それで十分なのだ。栄養バランスには配慮しているつもりだが、レパートリーもあまり多くないので、どうしてもパターンが限られてしまうのはやむを得ない。今回は12/30だけが地元店舗で冷凍販売している浜松餃子だったが、12/31がガーリックチキン、1/1がオイルサーディン焼き、1/2がビーフシチュー、1/3がえび・ブロッコリー・たけのこ炒めであった(それぞれ前掲の画像通り)。

正月休みに私が例年同様の生活を送れるのは、12/31や1/2に開店しているスーパーの店員さんや、医療依存度の高い利用者さん宅へ訪問してくださる看護師さんなどが働いているからこそのことである。連休の最終日であるきょうは、これらの方々に感謝しつつ、明日からの仕事に勤しみながら、ステイクホルダーのみなさんに少しでも満足していただけるように努めたいと、思いを新たにする日でもあった。

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